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2024年2月

2024年2月25日 (日)

コヴェナント/約束の救出

 米軍曹長を救助したためタリバンから懸賞金をかけて狙われたアフガン人通訳の救出を描いた映画「コヴェナント/約束の救出」を見てきました。
 公開3日目日曜日、配給会社のメイン館 kino cinema 新宿シアター1(294席)午前10時40分の上映は1割程度の入り。

 2018年、アフガニスタン駐留米軍のジョン・キンリー曹長(ジェイク・ギレンホール)は、タリバンの武器倉庫と爆弾製造工場の捜索を続け、情報を得て基地から120km先の建物を急襲し爆弾製造工場を発見し時限爆弾を仕掛けたが、作業員から連絡を受けたタリバンが武装した兵士を多数派遣し銃撃戦となり、銃傷を受けたキンリーとアフガン人通訳アーメッド(ダール・サリム)だけが生き残った。アーメッドは、瀕死のキンリーを手作りの担架に乗せて、タリバンの追っ手をかわしながら山岳地帯を引きずり3週間をかけて米軍基地まで連れ帰った。4週間後意識を取り戻してさらに3週間を経てアメリカに帰国したキンリーは、アーメッドがタリバンから懸賞金をかけて狙われ、家族とともに姿を消したことを知り…というお話。

 ここまでは公式サイトや予告編で告知されているとおりで、この前半が思ったよりも時間をかけて描かれているのが少し予想外だった程度ですが、後半は、予告編で言われる「行方不明」「それは99.9%不可能な救出作戦」「単独行動」から想定される、キンリーが1人で何の手掛かりもないところからアーメッドを探すとか、1人でタリバンと戦うとかいうのとは、だいぶイメージが違います。具体的に指摘するともろにネタバレになるので止めておきますが、キンリーの元々の計画通りなら別にキンリー自身がアフガニスタンに赴く必要さえなかったはずで、まぁその方が現実的ですが、そこがわかったときには、おいおいと思いました。

 キンリーの「チーム」、腕がいいんじゃなくて、ただ装備が桁違いというだけと思います。火力/兵器の威力で圧倒するシーンは米軍らしい「力の正義」を見せつけられます。あくまでもタリバンは絶対悪という前提で、観客にカタルシスがあるのかも知れませんが、B29に竹槍で立ち向かおうとする者たちが機銃掃射や焼夷弾等で皆殺しにされるシーンだったら気持ちよく見られるでしょうか。私は、このシーンに至り、醒めてしまいました。

 アーメッドを助けるためにアフガニスタンに行く前にアーメッドと家族のビザを取ろうとして掛け合い、動かぬ官僚組織を前に35日間にわたり電話で怒鳴り続けるキンリー。そうしているうちにアーメッドたちが殺されているかも知れないと考えるなら、まずは救出してビザなしでもアメリカに送り込み難民申請すれば、米軍兵士を救った英雄でしかもアメリカ政府の宿敵のタリバンから懸賞金をかけて命を狙われているというのですから、難民認定するんじゃないでしょうか、いくら移民嫌いのトランプ政権でも(むしろ米軍兵士を救った英雄なら喜んで特別扱いしそう)。
 実はこの作品で一番描かれているのは、通訳人として米軍に協力すればビザを与えるという米軍の空手形に踊らされたアフガン人通訳の悲哀と、米軍とアメリカ政府の無責任で官僚的なふるまいなのかも。

2024年2月24日 (土)

カラーパープル

 ブロードウェイミュージカルの映画化にして1985年のスピルバーグ監督映画のリメイク「カラーパープル」を見てきました。
 公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター6(232席)午前10時10分の上映は5割くらいの入り。
 1985年作品はアカデミー賞10部門ノミネートされながら受賞なし、今回は助演女優賞のみノミネートですが果たして…
 見たのはもう2週間前ですが、今頃になったのは、原作を読もうとしたのと仕事の書面締め切りに追われたため (>_<)

 「父」に孕ませられた子2人を奪い取られ、20歳になって傲慢な暴力男「ミスター」ことアルバート(コールマン・ドミンゴ)に嫁がされたセリー(ファンテイジア・バリーノ)は、愛する妹ネティ(ハリー・ベイリー)と離ればなれになったことを悲しみつつ、ミスターの息子のハーポ(コーリー・ホーキンズ)、その妻ソフィア(ダニエル・ブルックス)、ミスターが慕う人気歌手のシュグ・エイブリー(タラジ・P・ヘンソン)らに囲まれ、ミスターの横暴に耐えて暮らし続けるが…というお話。

 虐げられた黒人女性が耐え続けてしぶとく願いを果たすという作品で、ミュージカルらしく最後にセリーが歌い上げる " I'm here ! "(日本語字幕では「私は生きている」)が力強く感動的です。
 しかし、暴力に真っ向から抵抗するソフィアが踏み潰されて敗北し、セリーの成功も闘い取ったというよりは耐えているうちに転がり込んできたという印象で、観ていて今ひとつ高揚感というかカタルシスを感じません。私としてはやはりソフィアに勝利と幸福を感じさせて欲しい。

 この作品で黒人が白人から虐げられる場面はミリー市長夫人の登場する場面くらいです。この場面に至るまで、黒人女性を虐待するのは黒人男性だけで、世の中で悪いのは黒人男性で、白人などそれに比べたらよほどましと言いたいのかと思いました。今回は黒人男性監督ですが、白人(スピルバーグ)の作品だったら今どきどうよとなるかもしれません。

 原作の設定をいくつか変えながらエピソードの多くを詰め込んでいますが、説明や中間を省いているためにわかりにくいところが多かったように思えます。原作が、セリーが神様に送る手紙、ネティがセリーに送る手紙、セリーがネティに送る手紙で構成されているのを、基本、セリーの視点に統一し、その結果、ネティが語るアフリカの村のエピソードを大半落としています。その部分は原作を読んでいてアフリカの黒人たちを批判し愚かだとするニュアンスが強くストーリーとしても横道感があったので省いて正解かなと思いますが。

2024年2月23日 (金)

落下の解剖学

 2023年カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作にしてアカデミー賞作品賞ノミネートの法廷サスペンス「落下の解剖学」を見てきました。
 公開初日祝日、新宿ピカデリーシアター5(157席)午前10時25分の上映は、ほぼ満席。

 ドイツ人の人気作家サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)がフランス人の夫サミュエル(サミュエル・タイス)と事故により視力を失った11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)とともに住むグルノーブルの雪深い山荘に、ダニエルが愛犬スヌープを連れて散歩から帰ってきたとき、サミュエルが頭から血を流して死んでいるのを発見した。解剖医は他殺であることを否定できないとし、サンドラは殺人罪で起訴され、知人の弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)に弁護を依頼し、公判が始まるが…というお話。

 法廷サスペンスで、作品の多くの場面が裁判関係のやりとりなのですが、弁護士の目からは、フランスとの法廷慣行、尋問の運用の違いに、一種のカルチャーショックを受けました。
 証人の尋問/証言の途中でそれに関して被告人にも質問をする場面が多々ありました。これは、日本の裁判では通常はやりません(私は刑事裁判、もう十数年離れていますのでひょっとしたら変わっているのかも知れません)が、労働審判ではそれに近い運用がされている(使用者側の出席者:上司とか総務関係者とかに質問して答えがあったところでそれに関して労働者に質問したりというのは、ふつうに行われます)ので、そういうやり方もさほどは違和感はありません。
 しかし、検察官の尋問も弁護人の尋問も、証人や被告人に質問し証言を引き出すよりも、議論をすること、自分の意見を言うことに重きを置いている感じです。裁判では、証人の証言は証拠になっても検察官や弁護人の意見は証拠になりません。日本の弁護士の感覚では有利なというか使える証言を引き出せずに尋問としては失敗に終わって負け惜しみ/捨て台詞を言っているようにさえ聞こえます。裁判官がヴァンサン弁護士の意見を述べるだけの「尋問」のあとに、参審員に今のは弁護人の最終弁論ではありませんと注意していたのは、明らかに弁護人への皮肉でしょうから、フランスでもそれがスタンダードではないのでしょうけれども、「サントメール ある被告」でも同じような「尋問」がなされていた(そちらは実際の裁判記録に基づいて脚本を書いたとされていますし)のに続いてこういうのを見ると、フランスの裁判ではこういう尋問がふつうであったり効果があったりしているのかもと思ってしまいます。そうだとすると、裁判文化というか尋問の運用の違いに驚きます。
 また、日本でもそういうきらいがないではないですが、ちょっと証人に推測というか「意見」を求めすぎに思えます。専門家証人以外の証人は本来経験した「事実」を証言するもので、自分の意見を言う立場にはありません。そしてその専門家証人ではない証人の意見(推測)が裁判結果を左右する/裁判官が証人の意見(推測)に依拠するというのもどうかなぁと思います。

 スヌープが白目を剥いているところを始め、スヌープの表情や仕草がどうやって撮影したのかと思うほどはまっています。パルム・ドッグ賞受賞も納得の好演と言っていいでしょう。

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