« 2023年6月 | トップページ | 2023年8月 »

2023年7月

2023年7月30日 (日)

君たちはどう生きるか

 宮崎駿改め宮﨑駿監督の10年ぶりの長編アニメ「君たちはどう生きるか」を見てきました。
 公開3週目日曜日、新宿ピカデリーシアター2(301席)午前11時30分の上映は9割くらいの入り。

 空襲で母ヒサコを失い、1年後に父ショウイチとともに東京を離れ父が戦闘機工場を持つ地方の屋敷に移り住んだ眞人は、父の再婚相手で母の妹のナツコがすでに妊娠していることを知らされ、ナツコから気にかけられて世話を焼かれるが馴染めないでいた。度々屋敷に出入りするアオサギに、ある日、母は死んでいないと言われたことを気にしていた眞人は、ナツコが行方不明となったのを機に使用人のばあやの1人キリコとともに探し回るうち、アオサギに導かれて…というお話。

 作品の内容については、難解であるという評価が多く、作品のできについては絶賛と酷評が飛び交っているようですが、私には、青年(少年)が主人公の冒険ファンタジーとしてふつうにあり得る作品に思えました。
 設定の中に、ファンタジーとしても無理な点や一貫性に欠ける点があり、破綻しているという評価があるのも理解できます。しかし、それを言えば、多くの作品にその手のことはあり、ある程度しかたないものと思います。
 過去の宮崎作品のアナロジー等はふんだんに登場し、それを賛美する人は宮崎アニメの集大成と評価するでしょうし、悪く言えば過去の遺産を食い潰して生きながらえようとするのかと失望することもあり得るところです。
 そのあたりについて書き込んでいくと、どんどんネタバレになります。この作品では興行側が情報を絞ることに精力を注いでいることを考えて、そちら方面のコメントはこの程度にしておきます。

 さて、私にとって、この作品での一番強い感想は、宮﨑駿監督の姿勢、むしろ何が描かれなかったかにあります。
 2013年、福島原発事故後の技術者の倫理と責任が問われる情勢の下、戦闘機設計技師の生き様を賛美した映画「風立ちぬ」を公開し、その中で登場する主人公の同僚に爆撃機を作っているんじゃない、美しいフォルムを追求しているんだなどと言わせて、まるで美しいフォルムを追求しているのであれば、技術者の主観において「純粋」であれば、技術者は武器を作っても(核兵器だろうが原発だろうが何を作っても)免責されるのだと言わんばかりの姿勢を示した宮崎駿監督は、今作では、眞人の父を戦闘機設計技師どころか戦闘機メーカーの経営者と設定した上で、思春期の(おそらくは中学生)青年を主人公に据え、しかも「君たちはどう生きるか」などという生き様をテーマにしたタイトルをつけながら、眞人が武器商人の父の仕事への疑問や葛藤を覚えるシーンをまったく描いていません。私はこのことには驚きました。父が母が死んだ翌年にはもうその妹を孕ませていることについての釈然としない思いはわずかながらに描かれています(ただしそれはナツコへの態度に表れ、父が非難されるという場面はありません)。しかし、眞人が、父が武器(戦闘機)メーカーの経営者であること、さらには自分はその金で優雅な生活をしていることに考え込み、反発し、悩む場面はまったくないのです(あからさまにではなく、「間」のレベルでそれを読み取れるという意見も、ひょっとしたらあるかもしれませんが)。
 思春期の青年は、父親に対して何らかの反発や葛藤を持つのがふつうでしょう。それが、父親は死の商人、主人公は思春期の青年(少年)、作品のタイトルは「君たちはどう生きるか」。これだけそろいながら眞人が父親の仕事に何一つ疑問を持たないというのはあまりにも不自然だと思います。これは、宮崎駿監督があえて描かなかったと評価せざるを得ません。宮崎駿監督は、「風立ちぬ」での自分の姿勢は正しかったのだと、設計技師どころか戦闘機メーカー経営者でも何ら恥じるところはないんだと、開き直っているのでしょうか。
 残念ながら、私にとっては、「風立ちぬ」で示された宮崎駿監督のボケた政治センスが、10年後も継続しむしろさらにボケてしまったことを確認する作品となってしまいました。

 

 

2023年7月16日 (日)

サントメール ある被告

 母親による幼児殺の裁判をテーマとした映画「サントメール ある被告」を見てきました。
 公開3日目日曜日、ル・シネマ渋谷宮下7階(268席)午前10時30分の上映は2割くらいの入り。2022年ベネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作の公開後最初の日曜日(全国17館・東京2館上映)のメインスクリーンの状況としてはやはり寂しい。日本の観客はやはり宮崎駿一極集中か…

 パリの大学に通いつつライターをしているラマ(カイジ・カガメ)は、フランス北部の海沿いの町サントメールで大学に復学して哲学を学んでいたロランス・コリー(ガスラジー・マランダ)が生後15か月の幼児を海岸に置き去りにして殺害したとして起訴された刑事裁判の記事を書くために傍聴し始めた。ラマは、傍聴に来ていたロランスの母と話すようになり、また自分自身が妊娠していることもあってさまざまな感情が押し寄せ…というお話。

 公式サイトのキャッチが「真実はどこ?」「あなたは誰?」「彼女は本当に我が子を殺したのか?」「世界中の映画祭を席巻、かつて見たことのない衝撃の法廷劇!」というのですから、法廷での迫真のやりとりの末に意外な、衝撃の真実が明らかになるという展開を期待しましたが、その点は、はっきり言って期待はずれでした。

 私にとっては、フランスの刑事裁判が、これまで思っていたよりも日本の刑事裁判とは大きく違うというのが一番の驚きでした。
 裁判の開始時点でまず、参審員がその場で選ばれ検察官・弁護人が忌避できるというのを見て驚きました。参審員というのは事件ごとに選ばれるのではなく特定の裁判官と一定期間すべての事件で一緒にするものと認識していたのですが、違うのですね。
 裁判では、まず裁判官が次々と一方的に質問をし続け、裁判官が気が済んだらそこで、検察官どうぞ、弁護人どうぞと言われるだけ。超職権的・糾問的構造で、これだったら弁護人なんて要なし、何のためにいるの?って気がします。そして、その促されてする質問が、質問になっていない。質問じゃなくて自分の意見を言っているだけという感じです。日本ではやってはいけない/素人かと見下される尋問の典型です。素人が作った映画だからね、ということではなくて、公式サイトのイントロダクションには「実際の裁判記録をそのままセリフに。」と記されています。ここはもう、裁判制度、裁判の実務が日本とはまったく違うのだと考えざるを得ません。
 そういった点で、裁判の実務の構造や考え方自体が違うのだということが実感できたのが、弁護士としては驚きであり、勉強になりました。

 ロランスの不倫相手であり、殺害された幼児リリの父親であるリュック・デュモンテ(グザヴィエ・マリ)の言葉の信用性と責任問題をはじめ、ロランスと母、ラマと母の関係、そして序盤にラマが大学で受ける講義で1944年のパリ解放の際にドイツ兵の愛人だったフランス人女性が次々と剃髪されてさらしものにされた映像が映されそれに関するマルグリット・デュラスの論考がテーマとされていることなどが、果たして単純に被告人のロランスを断罪すれば済むのかを問うています。
 作品そのものとしては、紹介されている法廷劇として見るよりも、母が、女が、幼児殺犯人として罪を問われることの意味を考えさせる作品として見るべきだろうと思います。

« 2023年6月 | トップページ | 2023年8月 »

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ