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2023年1月 8日 (日)

すずめの戸締まり

 新海誠監督の最新作「すずめの戸締まり」を見てきました。
 公開9週目日曜日、9週目にして最大スクリーンを充てた(前週末興行成績、まだ2位ですからね)新宿ピカデリーシアター1(580席)午前10時25分の上映は、入場者プレゼント第3弾「小説すずめの戸締まり~環さんものがたり~」付きで、4割くらいの入り。前週末(2023年1月3日)までの興行収入が113億円ほどで歴代30位。前作「天気の子」の142億3000万円歴代14位を超えられるかは微妙なところでしょうか。

 4歳の時に東日本大震災の津波で看護師だった母を失い、12年後の今、叔母の岩戸環とともに九州の港町で暮らす岩戸鈴芽は、ある日自転車登校中に、「この辺に廃墟はありませんか」と問いかける青年宗像草太と出会う。草太のことが気になった鈴芽は山中の廃墟で古ぼけた扉を見つけ、それを開けると中に美しい別世界があったが中に入るとそのまま扉の反対から廃墟に出てしまい、それを繰り返すうち傍らに石が落ちているのに気付いた。鈴芽がそれを手に取ると石は白い猫に変わり、立ち去ってしまう。その後、その扉から、他の者には見えない巨大な赤黒いものが湧き上がって飛び出し、それを学校から見た鈴芽が駆けつけると、草太がその扉を閉めようともがいていた。草太を手伝ってなんとか扉を閉めた鈴芽は、草太から、扉(後ろ戸)から出てきたのは常世(死者の世界)で生まれる「ミミズ」でそれが大地震を引き起こす、草太は大地震を防ぐために開いた扉を閉じて鍵をかける「閉じ師」だと聞いた。怪我をした草太の手当をするために草太を連れて自宅に戻った鈴芽の前に白猫が現れ、草太を椅子に変えてしまった。草太から、その白猫(ダイジン)はミミズを抑え込む「要石」だったと聞かされ、自分が要石を解き放ってしまったことを知った鈴芽は、草太とともにダイジンを追うことになる…というお話。

 要石から猫の姿になり、「すずめ、好き」と言い、「お前、じゃま」と言って草太を椅子に変えてしまい、逃げ回り、追いつかれると「すずめ、遊ぼ」などと言い、近くの廃墟の扉からミミズが出てきて草太と鈴芽が戸締まりに追われるのを傍観したりそのままプイと姿を消すダイジン(公式サイトでもカタカナですが、終盤で「サダイジン」が登場することからして、「大臣」でしょうね)の言動に、非難が集まるように作られていると思います。私も前半、そのように見て、なんて勝手なヤツと思っていました。
 しかし、少し考えれば、ダイジンは長い間(江戸時代からと示唆する場面もありますが、たぶん数十年と思います)常世でミミズが湧き上がる度にそれを押さえ込むということをずっと孤独に(要石は2つとのことですので離れたところにもう1人いるわけではありますが)続けてきたのです。短期間であれば志で続けられるかもしれませんが、長く続けば、なぜ自分がひとり犠牲にならなければならないのかという思いにも駆られるでしょう。自分はこんなに尽くしてきたのだという思いから、もう解き放たれたい、これだけやったのだからもう自分はお役御免でいいだろう、後は誰か他の人がやるべきだと考えても、あるいは鬱屈した気落ちから甘えや我が儘が出ても、さらに言えば少し気が変になったとしても、それを責めることは、本来できないのではないか。むしろ、要石としてこれまで長らく奉仕してきたことを知れば、ダイジンに向けるべきはただ感謝の気持ちであるべきではないか。
 それにもかかわらず、中盤でダイジンの正体が示唆されるまで、自分がダイジンの苦行と貢献への感謝の気持ちではなくダイジンへの非難の気持ちを持っていたことに、私は驚きを感じたのです。
 草太の心の声部分で、献身が当然ではない、嫌だという気持ちや恐怖感が語られていることから、そういった問題提起もなされているのかもしれません。しかし、作品の方向性として、草太は救われるべきであるのに、ダイジンも救われるべきだということは打ち出されていません(救われる必要があるのは、イケメンに限るのか)。草太からも鈴芽からも、最後まで、ダイジンの要石としての献身を労い感謝する言葉は出てこないのです。
 人を救う能力がある者はそれゆえに献身するのが当然なのか、人は、社会は、少数のあるいは1人の無償の貢献を当てにして安穏としていていいのか、私は、そういうことを考えさせられました。

 ビジュアルですが、序盤の鈴芽が自転車に乗っているシーン、前から見たシーンでは漕ぐときに少し揺らしているのに、横からのシーンは自転車が機械的に平行移動して、今どきとしてはちょっと雑な作業に見えました。
 一番気になったのは、鈴芽を初めとする人物の細さ。ターゲットをアニメオタクにしているということかもしれませんが、若い女性がすでに痩せているのにさらに痩せたいと思い健康を害することが問題となっているというのに、今なお、これほど細身の女性を描いて若者の痩せ信仰をさらに煽るようなマネは止めて欲しいと思います。

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