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2018年10月28日 (日)

マイ・プレシャス・リスト

 大学卒業後他人に心を開けず引きこもりがちな天才女性がセラピストの勧めで to do リストをこなしていく映画「マイ・プレシャス・リスト」を見てきました。
 公開2週目日曜日で一番小さなクラスのスクリーン8(157席)に落とした新宿ピカデリー午前9時35分の上映は、それでも2割程度の入り。

 飛び級で14歳にしてハーバード大学に入学し18歳で卒業したが、他人に心を開けず、無職で読書にふける19歳のキャリー・ピルビー(ベル・パウリー)は、ロンドンで暮らす父親(ガブリエル・バーン)が感謝祭に帰らないと連絡してきたことに腹を立て、父の友人のセラピストのペトロフ(ネイサン・レイン)に不満をぶちまける。ペトロフは、キャリーに、年末までにするべきことのリストを考えるよう助言し、従わないキャリーに自ら作ったリストを渡す。父親の紹介で、法律事務所の文書校正の仕事を始めたキャリーは、自らも元彼を追いつつキャリーに積極的なハントを勧める同僚のタラ(ヴァネッサ・ベイヤー)らに唆されながら、リストの項目を実行していき、デートをするの項目を実行するために新聞広告で婚約者がいるのに「自分の気持ちを確かめたい」などというハント広告を出しているマット(ジェイソン・リッター)に電話を入れて逢うが・・・というお話。

 公式サイトの「ストーリー」の最初に書かれているアイキャッチが「超天才だけど【コミュ力】ゼロのキャリーが6つの課題をクリアした先で出会ったものは-」。
 キャリーは、大学卒業後仕事もせず友達もなく読書にふけり(1週間で17冊)父の友人のセラピストにもほぼ一方的にまくし立てるだけという描写がなされていますが、行きつけの店で店員とはふつうにやりとりしていますし、法律事務所の仕事を始めると、下ネタが多い「変人」の同僚たちともふつうに話をしています。キャリーの方で他人に興味を持っておらずまた譲歩して合わせようという意欲に乏しいということはありますが、コミュニケーション能力を欠いているようには、私には思えません。少し不器用で、自己主張を持ち曲げない人物を、すぐ「協調性がない」と言い立て、この作品の日本版の公式サイトのように「コミュ力ゼロ」とか「コミュ障」などのレッテルを貼る(アメリカ版のサイトは、2016年の作品だということもあってか発見できませんでした。アマゾンのDVD紹介では孤独で友達がいないなどとは書かれています:Carrie finds herself isolated, friendless, dateless and  unemployed. が、キャリーの「コミュ力」の問題を指摘しているようには見えません。私の英語力の問題かも知れませんが)ような近時の日本社会の風潮にこそ、私は違和感を持ちます。

 他人との間に自ら壁を作り引きこもりがちだったキャリーが、セラピストに勧められてあまり気が進まないながらも様々な行動に出ることで変わっていくということが、見えやすいテーマではありますが、この作品のもう1つのテーマは、「セックス」です。
 キャリーが性関係について世間よりは厳しい/保守的な考えを持つことが、かなり自由奔放な性関係を志向するタラとの比較で、また婚約者がありながらガールハント広告を出すマットへの対応やペトロフの不倫を知った際の対応などを通じて描かれています。そのキャリーの価値観が度々表れ、周囲と対比されることで、その当否を考えさせられます。
 そして、後半で、ということはまぁネタバレになるわけですが、教え子である16歳のキャリーに手を出し、キャリーにある言葉を言わせようとして恥ずかしい/屈辱的とキャリーに拒否されるとキャリーに興味を失い立ち去った教授(コリン・オドナヒュー)との関係が問題となります。それを知って怒る父親に、16歳は同意があればセックスしても違法じゃない、強制されたわけじゃないと、教授をかばうキャリーの位置づけは微妙です。ハリウッドでのセクハラ・性的被害を告発する #Me Too の嵐のあとでこのような表現をどう扱う/受け止めるべきか(2016年の作品なのでアメリカでの公開は #Me Too 旋風の前ですが)、他方において若年者が自分の意思と判断でセックスすることがいけないのかというなかなかに考えさせられる問題を含んでいます。
 しかし、この作品の場合、キャリーの性関係についての厳しい考えが、教授との関係/教授に捨てられたことのトラウマに起因するということがうかがわれ、16歳のキャリーを弄んだ教授による性被害という色合いが強いように思えます。とすると、キャリーが教授をかばうような態度を、このように描いておくことに、この時期に日本で公開して無批判にやり過ごすことに、疑問を感じます。

 キャリーが後に「イン エクセルシス デオ」という言葉について言及するのを聞いたとき、これが教授がキャリーに言わせようとしてキャリーが恥ずかしくて言えないといった言葉かと思い、たぶん何かの文学作品に登場する、たぶんラテン語の、Hな言葉と思ったのですが、帰ってきて調べると、聖書の言葉(ルカ伝)でした( Gloria in excelsis Deo:いと高き処、神に栄光あれ) 。
 やっぱり文化的背景/素養がないと・・・ (^^;)

 終盤で、大晦日のカウントダウン近い夜の広場で変人の同僚から「6023の平方根」を聞かれたキャリーが即座に「75」「適当に言った」というシーン。超天才の数学力もこの程度と見るべきなのか、堅さがとれて捌けてきたと見るべきなのか。

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