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2017年7月

2017年7月16日 (日)

パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊

 ディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」からひねり出した映画の第5弾「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、新宿ピカデリースクリーン2(301席)午後1時25分の上映は、ほぼ満席。

 沈没船「フライング・ダッチマン」号に閉じ込められた父ウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)を救うために必要な「ポセイドンの槍」を探し求めるウィルの息子ヘンリー・ターナー(ブレントン・スウェイツ)は、イギリス軍の船員となりジャック・スパロウを探していたが、船が「魔の三角水域」に入り込み、呪われた亡霊海賊サラザール(ハビエル・バルデム)に襲われ、呪いを解くためにジャック・スパロウのコンパスを求めていることを知らされ、ジャック・スパロウを探すように言われる。顔も知らぬ父から受け継いだガリレオ・ガリレイの日記の謎を解こうとしている孤児の天文学者カリーナ・スミス(カヤ・スコデラリオ)は、その知識故に「魔女」と疑われ、追われていた。島で新たな銀行のお披露目の日、金庫の中から泥酔状態で現れたジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)は、仲間の海賊たちに馬で金庫を引かせて銀行強盗を企て・・・というお話。

 ヘンリーと父親のウィル、カリーナとその父の、2組の父子の絆、愛情を軸にしたアドベンチャー作品です。
 ジコチュウで無責任なジョニー・デップ(ジャック・スパロウ)が狂言回しを務めていますが、ジャック・スパロウとサラザールとイギリス海軍が対立する世界という舞台を作っているもので、この作品の主役はヘンリーとカリーナとみるべきだろうと思います。
 それでも、ジョニー・デップの無責任でおちゃらけた対応がおもしろい、ギャグだと感じられるか、うっとうしいだけで笑いのツボも外してると感じるかで、作品への評価は大きく変わるだろうと思いますが。

 公式サイトのトップページにある「これまで決して明かされることのなかったジャック・スパロウ誕生の瞬間―― 『パイレーツ・オブ・カリビアン』最大にして最高の謎が、ついにベールを脱ぐ!」という宣伝文句。シリーズのファン、ディズニーに忠実なファンには、そうなのかなぁとは思いますが、いや、これが、シリーズ「最大にして最高の謎」?
 あらゆる宣伝文句が、誇大で、言葉の重みというのが感じられない、という印象を持ちます。

 サブタイトルの「最後の海賊」。予告編では「最後の冒険が、ついに始まる」、公式サイトのイントロダクションでも「すべての謎が明かされる<最後の冒険>が、ついに幕を開ける!」とされています。原題は“ Pirates of the Caribbean: Dead Men Tell No Tales ” で、サブタイトルは「死人に口なし」。「最後」という言葉はどこにもありません。エンドロールのラストにほのめかし映像があり、続編制作が示唆されています。こういう状態で、いかにもこれが最終作みたいな宣伝をする日本の興業サイドのやり方には強い疑問を感じます。
 もともとシリーズ化を予定していなかったけど、第1作(2003年)が大ヒットしたので、3部作と言い出し、第3作(2007年)が終わった後から、未練がましく第4作(2011年)を作りさらにこの第5作(2017年)に至った経緯からして、稼げる限り前言など気にせずに翻すことは観客もわかっているはずということかもしれませんが、私には詐欺的で恥知らずな姿勢に思えます。

2017年7月 9日 (日)

ヒトラーへの285枚の葉書

 ヒトラー政権下のベルリンで平凡な夫婦がペンとカードのみで試みた抵抗の記録を映画化した「ヒトラーへの285枚の葉書」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、全国6館東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午前10時50分の上映は5割くらいの入り。観客の年齢層は高め。

 1940年6月、工場の職工長のオットー・クヴァンゲル(ブレンダン・グリーソン)と妻アンナ(エマ・トンプソン)の元に一人息子のハンスが戦死したという軍事郵便が届いた。やり場のない悲しみと怒りに打ちひしがれたオットーは、カードに「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」などのメッセージを記し、街中の各所に置き始めた。カードを見て届けた市民の通報を元にエッシャリヒ警部(ダニエル・ブリュール)は捜査を始め、カードが置かれた場所から居住域を絞り一人息子が殺された父親を探し続けるが・・・というお話。

 オットーの息子ハンスは戦死したというだけで、その死は、別段、「ナチスの戦争」「ヒトラーの戦争」に特有のものではないように見受けられます。
 ヒトラー親衛隊の奢りのさばる様子、ユダヤ人を密告する者たちの略奪/窃盗行為と卑しさ、人道的な/良心の呵責を持つ者の社会的地位の危うさ、ヒトラーに従わない態度自体の甚だしいリスクといった「世情」が描かれ、それがヒトラーとその体制への反発/抵抗へとつながったという面はあると思いますが、オットーとアンナの思いは、ナチスではなくても、戦争一般への反対に通じるものであったと考えられます。
 オットーは、公式サイトで繰り返されている「労働者階級」ではありますが職工長というむしろ管理者の立場にあり、それまでは反体制の意識は持っていなかったと考えられます(そこははっきり描かれていないと思いますが)。アンナは国家社会主義女性同盟の活動で募金や労働奉仕を求めて戸別訪問するという体制側の人でした。そのもともと反体制派でない夫婦が、一人息子の戦死を機に反戦に目覚め、組織的基盤もなく個人の創意工夫で権力に抵抗するというところが、この作品のポイントになっています。

 それとともに、オットーが決意したペンとカードによる抵抗運動に、アンナが自分も同行すると言い、アンナ自身も実行するに至る、その過程でオットーはアンナを巻き込むまいと気遣い、アンナはオットーのピンチを救うべく立ち向かう、命の危険を賭けた夫婦の心情、夫婦愛が、第2のテーマであり、終盤の法廷で手を握り合う二人の姿が見せ場だと、私は思います。
 二人の抵抗の実践の経緯は、夫唱婦随的な色彩が強いのですが、アンナは国家社会主義女性同盟の活動でヒトラー親衛隊幹部の妻に対しても労働奉仕しないのはおかしいと詰め寄る一本気な強さが描かれていて、ただ夫に従った妻というのではない位置づけもいい感じです。

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