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2017年6月11日 (日)

マンチェスター・バイ・ザ・シー

 避けていた過去の過ちと向き合うことを強いられた男の苦悩を描いた映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見てきました。
 封切り5週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午後0時10分の上映は8割くらいの入り。

 ボストンでアパートの便利屋として働くリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)は、仕事は堅実だが、無愛想で、呼ばれた顧客の住人に挨拶もせず、不評を買っていた。心臓病を抱えていた兄ジョー・チャンドラー(カイル・チャンドラー)の入院の報を聞いて、リーは故郷の町マンチェスター・バイ・ザ・シーの病院に駆けつけたが、兄はすでに死んでいた。兄の遺言で、幼い頃にはよく遊んだ甥のパトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人に指名されたことを知り驚いたリーは、パトリックにジョーの船や自宅を売却してボストンに転居することを提案するが、パトリックは船は売りたくない、自分はここに学校も友人もホッケークラブもバンドも2人の彼女もいる、便利屋なんてどこでもできるんだからおじさんがここに引っ越してくればいいと、引っ越しを拒否する。リーは、ジョーの葬儀の準備をしながら思い悩むが・・・というお話。

 自らの過ちと圧倒的な喪失感/悲しみに耐えられず、故郷の町を離れて一人暮らしてきたリーが、兄の死と未成年(高校生)の甥パトリックの存在(放置できない/後見人指名)故に、故郷の町に呼び戻され、避けていた過去と向き合わざるを得なくなった苦悩、それにリーがどう対処するのかがテーマです。
 事件の前の、幼いパトリックとじゃれ合う陽気でフレンドリーな姿、ジョーとパトリックと海へ出て帰った後の妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)から絡まれながらも悪びれずに娘たちとハグしランディの機嫌を取りに行くリーの朗らかさ、事件直前に友人たちを招いて騒ぐ陽気さと、現在のリーの寡黙で無表情な様子が対比され、リーの変化、取り返しのつかない喪失感を印象づけています。
 そして、いずれも「現在」のリーですが、ボストンの居酒屋でちょっとしたことから居合わせた客を殴りつけるいらだち/不安定さが、ラスト近くでマンチェスター・バイ・ザ・シーの居酒屋でも再現され、兄の死・パトリックの後見人就任の一連のできごとでも変わらないリーの姿が描かれています。ありがちな「リーの成長物語」にはならず、そんな簡単に成長したり解決できるはずがないだろと言っているようです。
 そういった、大きな悲しみがあっても、人間はなんとか生きていく、簡単に立ち直ったり乗り越えられなくても、見苦しくても不器用でも、苦悶しあがきながら生き続ける姿が、この作品の味わいどころになっています。
 リーの立場に身を置いた時、自分だったらどのように生きていけるか、想像ができません。リーとランディの再会の時の壊れた会話、その心情、取り乱しぶりに、見ていて心が壊れそうな思いをいました。

 無愛想さに加えて、周囲の女性からかけられるモーションをことごとくスルーするリーの対応が、父ジョーの死後も(彼なりに父の死に傷ついてはいるのですが)Hの機会は決して逃すまいと二股かけてH道に邁進するパトリックと対比的に描かれて、リーの対人関係への消極さ、無気力さが印象づけられています。
 でも、最初のアパートの住人の「アパートの便利屋に恋しちゃいそう」という電話の聞こえよがしの会話。その女性のトイレの詰まりを直しに来て、詰まった大便を吸引し、大便で汚れた手を洗っているというシチュエーションでそれを聞かされて、その気になる(萎えない)ものでしょうか。悲劇で人格が変わり無気力無感動になったという描写以前の問題があるような気も・・・

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