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2017年6月

2017年6月25日 (日)

ハクソー・リッジ

 武器を持たずに沖縄の戦場で倒れた兵士75名を救出した米軍衛生兵を描いた映画「ハクソー・リッジ」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、TOHOシネマズ新宿スクリーン9(499席)午前9時の上映は8割くらいの入り。

 ヴァージニア州の田舎町で野山を駆け巡って育ったデズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は、過去のできごとから銃を持たないと決意していたが、町の多くの若者たちが志願して戦場に行き、自らも人殺しはしないが衛生兵としてなら貢献できると考え、恋人の看護師ドロシー(テリーサ・パーマー)にも相談せずに陸軍への志願を決める。入隊し、体力では負けなかったが、銃を持つことを拒否したドスに対し、部隊長のグローヴァー大尉(サム・ワーシントン)は呆れ、除隊を勧める。ドスは、除隊を断り、自分は良心的兵役拒否者ではない、軍服や軍隊は大丈夫だが人を殺したくないだけだ、衛生兵として従軍したいと述べ、上官や兵士から嫌がらせを受ける。ドロシーと結婚式を挙げる予定だった休暇の日に上官からライフルの訓練を終えないと休暇を認めないと言われたドスは、命令を拒否して軍法会議にかけられる。軍法会議で刑務所に入れられるピンチをしのいだドスは、1945年5月、沖縄に送られ、難攻不落の激戦地「ハクソー・リッジ」(のこぎりの崖)と米軍が名付けた戦場に足を踏み入れ、日本軍の激しい攻撃に直面し・・・というお話。

 予告編から予想したよりは、ドスが沖縄に達するまでの展開が長く、ドスの幼少時代から「人を殺さない」「武器を持たない」という信念が形成された過程、第1次世界大戦に従軍して友人を戦場で失いトラウマとアルコール中毒に苦しむねじくれた父との葛藤と家族愛、ドロシーへの思いとドスの心の支えとなるドロシーの一途さ、ドスが信念を貫くことへの障害とそれを乗り越える困難が、丁寧に描かれていて、むしろそちらが見どころの映画かもと思ってしまいます。
 戦場の描写は、兵士の死傷、凄惨な傷口、死傷者に襲いかかるネズミたちがこれでもかとばかりに続きます。戦争の無残さをしみじみと感じさせます。
 しかし、ではこれが反戦の映画かというと、そうとも考えにくい。作品の流れは、ドスを蔑んでいた兵士たちが戦場を駆け回り砲弾をかいくぐり日本兵の隙を見て倒れた重傷者を救出し続けるドスの姿に驚き感動して、ドスとともに戦いたい、ドスがいるから安心して戦えると結束して勝利を収めるという団結と英雄の物語に回収され、日本兵も勇敢に戦ったと称揚することはあっても、一方的に被害を受けるだけの沖縄の民衆はまったく登場もしません。犠牲は多いものの戦争は否定はされず、従来とはタイプが違う英雄譚と位置づけるべきでしょう。
 感動できる部分と、あまりにも凄惨な戦場の死傷者の映像に、複雑な形容しがたい印象を残す作品です。

2017年6月18日 (日)

22年目の告白 私が殺人犯です

 時効が成立した殺人事件の手記を出版して登場した犯人を名乗る男をめぐるサスペンス映画「22年目の告白 私が殺人犯です」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ピカデリースクリーン2(301席)午前11時の上映は、9割くらいの入り。

 1995年に東京で起こった5件の被害者を近親者の目の前で後ろから縄で絞殺するという残忍な手口の連続殺人事件が、殺人事件の公訴時効撤廃の当日・施行直前の2010年4月27日午前0時に時効が成立し、当時おびき出された犯人と組み合い口を切り裂かれながら肩を銃撃しつつも取り逃がし、その報復として自室に仕掛けられた罠で目の前で上司滝幸宏(平田満)を殺害された刑事牧村航(伊藤英明)は、2017年、連続殺人事件の手記を出版した曾根崎雅人と名乗る人物(藤原竜也)が記者会見をすると連絡を受けた。曾根崎は、記者会見で一躍時の人となった後、遺族の医師山縣明寛(岩松了)の病院に謝罪のパフォーマンスに訪れ、曾根崎と遭遇した牧村は曾根崎を殴ろうとして取り押さえられる。曾根崎のサイン会には若い女性たちが押し寄せ、遺族の暴力団組長橘大祐(岩城滉一)の意を受けた組員戸田丈(早乙女太一)は曾根崎を狙って発砲し、遺族の娘岸美晴(夏帆)は曾根崎を刺そうとするが、いずれも牧村に阻止される。曾根崎は、かつて戦場カメラマンで帰国直後に起こった東京連続殺人事件の取材で名を挙げたジャーナリスト仙堂俊雄(仲村トオル)がメインキャスターを務めるNEWSEYESに生出演し、仙堂から追及されるが、番組で真犯人を名乗る人物がネットにアップした5件目の牧村宅での事件直後に縛られた牧村の妹里香(石橋杏奈)を映した映像が流され、食堂でテレビを見ていた牧村は・・・というお話。

 「巧い」つくりではあります。公式サイトのキャッチフレーズが「男の告白に、刑事が、遺族が、メディアが、そして日本中が動き出す!あなたは、その衝撃に裏切られる-。」で、確かに出だしからの流れ、曾根崎の正体に関しては、しっかり乗せられ、だまされました。また、殺人罪の公訴時効廃止をめぐる法技術的なポイントの、2010年4月27日午前0時までに(15年の)公訴時効が成立した殺人事件は公訴時効、その時点で公訴時効が成立していない殺人事件は公訴時効なしという遺族にとっても警察にとってもそして犯人にとっても天と地を分ける運命の1日も巧く使われています。
 他方で、進行の過程で感じられるいくつもの不自然さ(それを具体的に書くとストレートなネタバレになってしまうのであえて書きませんが)があり、これをもう少し拭えないかと感じるか、その程度に見せることが「布石」なのだと感じるか、たぶん評価が分かれるのでしょう。私は、ミステリーとして作る以上、もう少し隠して欲しい感じがしましたが。
 この巧さといくつもの不自然さのために、見る前の予想よりも、殺人事件そのもの、遺族感情そのものに入り込めなかったという印象を持ちました。予告を見ている段階では、もっと曾根崎に憎しみを感じ、遺族の心情に涙すると予測していたのですが。

 不自然さとは別に、東京に来て15年たっても関西弁が抜けない人が、それから7年後には関西弁がきれいに抜けてるっていうのは、今ひとつ日頃の経験からの実感に合わないように思えるのですが・・・

2017年6月11日 (日)

マンチェスター・バイ・ザ・シー

 避けていた過去の過ちと向き合うことを強いられた男の苦悩を描いた映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見てきました。
 封切り5週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午後0時10分の上映は8割くらいの入り。

 ボストンでアパートの便利屋として働くリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)は、仕事は堅実だが、無愛想で、呼ばれた顧客の住人に挨拶もせず、不評を買っていた。心臓病を抱えていた兄ジョー・チャンドラー(カイル・チャンドラー)の入院の報を聞いて、リーは故郷の町マンチェスター・バイ・ザ・シーの病院に駆けつけたが、兄はすでに死んでいた。兄の遺言で、幼い頃にはよく遊んだ甥のパトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人に指名されたことを知り驚いたリーは、パトリックにジョーの船や自宅を売却してボストンに転居することを提案するが、パトリックは船は売りたくない、自分はここに学校も友人もホッケークラブもバンドも2人の彼女もいる、便利屋なんてどこでもできるんだからおじさんがここに引っ越してくればいいと、引っ越しを拒否する。リーは、ジョーの葬儀の準備をしながら思い悩むが・・・というお話。

 自らの過ちと圧倒的な喪失感/悲しみに耐えられず、故郷の町を離れて一人暮らしてきたリーが、兄の死と未成年(高校生)の甥パトリックの存在(放置できない/後見人指名)故に、故郷の町に呼び戻され、避けていた過去と向き合わざるを得なくなった苦悩、それにリーがどう対処するのかがテーマです。
 事件の前の、幼いパトリックとじゃれ合う陽気でフレンドリーな姿、ジョーとパトリックと海へ出て帰った後の妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)から絡まれながらも悪びれずに娘たちとハグしランディの機嫌を取りに行くリーの朗らかさ、事件直前に友人たちを招いて騒ぐ陽気さと、現在のリーの寡黙で無表情な様子が対比され、リーの変化、取り返しのつかない喪失感を印象づけています。
 そして、いずれも「現在」のリーですが、ボストンの居酒屋でちょっとしたことから居合わせた客を殴りつけるいらだち/不安定さが、ラスト近くでマンチェスター・バイ・ザ・シーの居酒屋でも再現され、兄の死・パトリックの後見人就任の一連のできごとでも変わらないリーの姿が描かれています。ありがちな「リーの成長物語」にはならず、そんな簡単に成長したり解決できるはずがないだろと言っているようです。
 そういった、大きな悲しみがあっても、人間はなんとか生きていく、簡単に立ち直ったり乗り越えられなくても、見苦しくても不器用でも、苦悶しあがきながら生き続ける姿が、この作品の味わいどころになっています。
 リーの立場に身を置いた時、自分だったらどのように生きていけるか、想像ができません。リーとランディの再会の時の壊れた会話、その心情、取り乱しぶりに、見ていて心が壊れそうな思いをいました。

 無愛想さに加えて、周囲の女性からかけられるモーションをことごとくスルーするリーの対応が、父ジョーの死後も(彼なりに父の死に傷ついてはいるのですが)Hの機会は決して逃すまいと二股かけてH道に邁進するパトリックと対比的に描かれて、リーの対人関係への消極さ、無気力さが印象づけられています。
 でも、最初のアパートの住人の「アパートの便利屋に恋しちゃいそう」という電話の聞こえよがしの会話。その女性のトイレの詰まりを直しに来て、詰まった大便を吸引し、大便で汚れた手を洗っているというシチュエーションでそれを聞かされて、その気になる(萎えない)ものでしょうか。悲劇で人格が変わり無気力無感動になったという描写以前の問題があるような気も・・・

2017年6月 4日 (日)

ゴールド-金塊の行方-

 金鉱を探し求める鉱山会社経営者の執念と栄枯盛衰を描いた映画「ゴールド-金塊の行方-」を見てきました。
 封切り4日目日曜日、TOHOシネマズシャンテスクリーン2(201席)午後2時の上映は9割くらいの入り。

 父から引き継いだ鉱山会社「ワショー社」の経営が悪化し投資銀行からも融資を断られ続け、自宅も失って恋人のケイ(ブライス・ダラス・ハワード)の家に転がり込み浴びるように酒を飲み続けていた経営者ケニー・ウェルス(マシュー・マコノヒー)は、夢で見た情景に賭けてインドネシアに飛びかつて銅山を発見したが今は事業者から相手にされていない地質学者マイケル・アコスタ(エドガー・ラミレス)と組んで、残されたわずかな私産をつぎ込んで金鉱の試掘を始めた。マイケルが睨んだ住民が以前から砂金をとっている川の上流の山地から金が発見されるが試掘を続けるに従いその品質が落ち、雇った鉱夫たちも去りケニーはマラリヤに罹患して生死の境をさまよう。ようやくマラリヤから回復したケニーにマイケルはサンプルの分析結果を示し、良質の金鉱が発見されたことを知らせた。金鉱発見の報はたちまち広まり、ワショー社の株価は高騰し、投資銀行は掌を返したように支援を申し出てきたが・・・というお話。

 マシュー・マコノヒーの、泥臭く品のない山師の執念と、その山師らしい浮き沈みに伴う喜怒哀楽の演技が、一番の見どころだと思います。
 ケニーは、浴びるように酒を飲み続けるだらしない人物ですが、儲かったときにも、会社の事務所を復活させたり、自宅の土地を買いはしますが、成金的な行動に走らず、金銭よりも探鉱者の誇り・プライドを重視し、苦しい時代をともにしたケイを捨てることなく、金鉱を見つけてから言い寄ってきた美女にデレデレはしますが少なくともケイが出て行くまでは浮気もせず、という姿勢は憎めず、人物として好感が持てます。
 実話に基づくサスペンス仕立てなのですが、サスペンスとしての作りはどうでしょうか。途中でケニーがFBIに尋問されている場面が挟まれていて、途中でそういうほのめかしをしないとサスペンスと感じてもらいにくいということなのかもしれませんが、この尋問のやりとりで、ほぼ筋立てが見えてしまいます。そういうパターンの作りだったら、最初に尋問シーンから入って過去の回想に進むというパターンが多いと思います。それを避けるのなら、むしろ終盤まで尋問シーンを入れない方がよかったんじゃないかと、私は思いました。
 実話に基づく物語とされ、公式サイトにも「驚愕の実話」とうたわれていますが、予告編の最後に強調されている「驚愕のラスト10秒」も実話なんでしょうか。そこ、一番興味がありますが。

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