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2017年2月21日 (火)

湯を沸かすほどの熱い愛

 夫が失踪して休業中の銭湯の女将が末期がんと宣告された後の生きる意志を描いた映画「湯を沸かすほどの熱い愛」を見てきました。
 封切17週目(!)日曜日、新宿ピカデリースクリーン5(157席)午後7時25分の上映は、6~7割の入り。

 夫(オダギリジョー)がパチンコに行くと言ったまま失踪したため家業の銭湯「幸の湯」を休業しパートで働く幸野双葉(宮沢りえ)は、高校で同級生から陰湿ないじめを受けめげている幸野安澄(杉咲花)と二人で暮らしていたが、ある日、勤務先で倒れ、医師から末期がんで余命幾ばくもないと宣告される。さすがに落ち込んで銭湯の浴槽でうちひしがれていた双葉は、安澄からおなかすいたと電話で呼ばれ、わかった超特急で帰ってカレーつくると言い、安澄から少し待てるから急がないで気をつけて帰ってきてと言われて和む。探偵(駿河太郎)に夫の居場所を探させて乗り込んだ双葉は、同棲していた女に9歳の娘鮎子(伊東蒼)を残して逃げられきまり悪げにする夫を見て、末期がんの事実を伝える。夫と鮎子を迎え入れ、銭湯の営業を再開した双葉は、安澄と鮎子を連れて旅に出て…というお話。

 自分が末期がんで余命幾ばくもないとわかったとき、残り少ない月日をどう過ごすか。映画や小説の世界では、自分がやりたかったがやれなかった/あきらめていた娯楽や冒険の類にチャレンジするという選択と、これまでの日常通りに過ごすという選択が多く、私自身が直面すればたぶん後者の道を歩むと思います。
 この作品では、双葉は、残される家族のために、これまでできなかったことをやり遂げようとします。重荷を負い、家族を精神的に支え、耐え忍んで生きている庶民には、そういう人が意外に多いかもしれない、とは思いますが、双葉の境遇・人生に思いを致すと、うん、偉い、りえちゃん、偉いけど、そんなに頑張らなくていいんだよ、と胸が詰まります。生きている間の双葉の苦しそうな力の入ったややゆがんだ表情と、安らかでこぎれいな死に顔の対比が、最後に胸を打ちます。
 頑張り通す双葉、陰湿ないじめに耐え/立ち向かう安澄、母に捨てられた悲しみをこらえ新たな環境を受け入れようと努める鮎子の3人の女の悲しみと懸命さに対し、どこまで行っても何が起こっても約束したことを守れないへらへらしたオダギリジョーの軽さ。この軽さが、3人の女たちの生きづらさ・ひたむきさを浮かび上がらせているのですから、作品の中では名演なのでしょうけれども、現実世界でこういう事例を見たら、どうしてこういうどうしようもない男が…と思うでしょうね。
 かなり計算された構成で、多数の布石が打たれて回収され、ほとんどのシーンが後であぁこのための布石だったのかと思わされます。
 日本アカデミー賞優秀作品賞総なめを狙って(あとの4作品はもう見ていたので)見に行った感じですが、予想したよりもよかったなと思いました。

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