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2017年1月 1日 (日)

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

 「ハリー・ポッター新シリーズ」と銘打たれた映画「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」を見てきました。
 封切6週目日曜日映画サービスデー、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午後1時55分の上映は9割くらいの入り。

 ハリー・ポッターシリーズよりも70年ほど前、ヨーロッパでは闇の魔法使いグリンデルバルドが席捲した後姿を隠していたとき、魔法生物学者ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は、ニューヨークを訪れ、鞄の中に魔法生物を隠したまま無事税関をすり抜けた。その頃、ニューヨークでは、正体不明の謎の生物による建物破壊が続き、合衆国魔法議会(MACUSA)の高官グレイブス(コリン・ファレル)は現場検証を続けていた。ニューヨークの街頭では、人間(ノー・マジ)に対して、魔法使いの実在を主張してその危険性を訴えるセーラム慈善協会のメアリー・ルー・ベアボーン(サマンサ・モートン)の脇でその養子のクリーデンス(エズラ・ミラー)らがチラシを配っていた。ニュートが演説するメアリーのそばを通ったときニュートの鞄から光るものが好きな魔法生物ニフラーが逃げ出し、銀行に飛び込んだ。ニフラーを探すニュートは、パン屋を開業するために融資を申し込みに来たノー・マジのジェイコブ・コワルスキー(ダン・フォグラー)を巻き込んでしまう。今は単純作業担当に左遷されている元合衆国魔法議会調査部の闇払いティナ・ゴールドスタイン(キャサリン・ウォーターストン)は、ニュートがノー・マジのジェイコブの前で魔法を使うのを見てニュートを調査部に連行するが、謎の魔法生物による建物破壊事件を検討していた元上司たちはそれどころではないとティナを追い返す。ニュートの鞄を取り違えて持ち帰ったジェイコブは、自宅で鞄の中の魔法生物を逃がしてしまいジェイコブの家が大破し…というお話。

 1920年代のアメリカが舞台ですから、当然、生まれてもいないハリー・ポッターも、ロンも、ハーマイオニーも、まったく登場しません。ニュート・スキャマンダーは、ハリー・ポッターの中では、ホグワーツ指定教科書「幻の生物とその生息地」の著者として名前が出るだけで、ホグワーツの教員でもなく、登場しませんし、「伝説の人」として重要視されたわけでもありません。それで、そのハリー・ポッターシリーズで現実に登場することもなくさしたる重要性もない場面でただ名前が出てきただけのニュート・スキャマンダーが主人公の話を、スピン・オフ作品としてさえ無理があると思われるのに、あろうことか「ハリー・ポッター新シリーズ」などと銘打って売り出そうというのですから、商魂の逞しさに、ただただ驚きます。
 ストーリーも、ニュート・スキャマンダーが鞄に入れていた魔法生物が複数逃げ出して、それを回収するのにてんてこ舞いし、その過程で周囲にいたノー・マジ(一般人)のジェイコブと魔法議会の元闇払いのティナ、その妹のケイニー(アリソン・スドル)を巻き込み、魔法議会内部の人間関係・対立・陰謀が絡むという、かなりシンプルな構成です。

 人情ものとしては、ニュート・スキャマンダーが、ハリー・ポッターファンにわかりやすくいえば、スマートで能力があり標準語をしゃべるルビウス・ハグリッドのようなキャラ(第三者から見れば危険な魔法生物を「かわいい」ものと見て思い入れを持ち、トラブルを引き起こす)設定になっていること、ジェイコブが親しみを感じさせるキャラで、ケイニーがルーナ・ラブグッドのような不思議ちゃん系の惚れっぽさを見せるあたりが、巧みで、みせどころになっています。
 映像面では、魔法生物、特にニフラー、ボウトラックル等の可愛さが見どころになっています(私としては、こういうテーマでつくるのだったら、ハリー・ポッター本編で登場しなかったサンダーバードとかエルンペントなどを新たに作るよりは、本編で重要な位置づけだったはずなのに映画で登場させなかった尻尾爆発スクリュートとかを、今ならCG技術も発達して作りやすくなってるんですから、この際登場させて欲しかったなぁと思いますが)。

 他方、ネタバレになりますが、終盤で、子どもが作り出す謎の生物「オブスキュラス」(ハリー・ポッターシリーズでは影も形もなかったと思います)を生み出した子どもに対して、その危険性から抹殺を図る魔法議会議長セラフィーナ・ピッカリー(カルメン・イジョゴ)と、利用しようとするグレイブス、助けたいニュートの3者が対立する構造となった後、子どもが抹殺された(本当に抹殺されたかは、続編でどうなるか疑問ですが)段階で、ニュートが即座にグレイブスを拘束して魔法議会に協力するのは、私には違和感があります。
 現実的には、ニュートのその選択が、ニュートのその後のニューヨークでの滞在に有利に働きまたニュートのイギリス魔法省でのキャリアにも有利に働くことになるでしょうし、ティナやケイニーの立場も好転させるということになります。しかし、ニュートはそういう清濁併せ呑むタイプに描かれていません。そのニュートが、自分が守ろうとした子どもを目の前で抹殺した人物に対して苦渋の選択という描写もなく(心理的には一転してのはずの)協力をするというのは、私には、すとんと落ちず、素直に受け入れることができませんでした。

 「シリーズ」になると、今回は名前と顔写真だけだったリタ・レストレンジとの過去ないしはやけぼっくいとティナとの三角関係、原作では終盤の大きなテーマとなっているのに映画では避け続けられたダンブルドアとグリンデルバルドの関係で話を膨らませてゆくことになると予想されます。後者はハリー・ポッターファンの琴線に触れるテーマだけに、どのように取り扱われるのか、続編も見ることになれば、注目です。

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