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2016年11月13日 (日)

ジュリエッタ

 置き去りにされた母の失踪した娘に対する葛藤を描いた映画「ジュリエッタ」を見てきました。
 封切2週目日曜日、全国11館、東京で2館の上映館の1つ新宿ピカデリースクリーン10(115席)午前8時25分の上映は3割くらいの入り。

 数年越しの恋人のロレンソ(ダリオ・グランディネッティ)とともに暮らすためポルトガルに引っ越す準備をしていたジュリエッタ(現在:エマ・スアレス)は、通りで偶然、12年前に失踪した娘アンティア(失踪時:ブランカ・パレス)の親友だったベア(現在:ミシェル・ジェネール)と遭い、アンティアとコモ湖畔でばったり会った、2人の子を連れていたと聞かされ、マドリードに残る決意をしてポルトガル行きを取りやめ、アンティアが失踪したときに棲んでいたアパートを再度借りて転居した。ロレンソとも別れジュリエッタは一人部屋でアンティアに対し、出す当てもない(送り先もわからない)手紙を書き始め、アンティアの父ショアン(ダニエル・グラオ)と出会った25歳のころに思いをはせ…というお話。

 終始ジュリエッタの視点でストーリーが展開するため、スクリーンで描かれるのは、基本的にジュリエッタの、置き去りにされた母の心の痛み、失踪した娘への愛憎・葛藤ですが、読み取るべきは、娘アンティアの心の傷と、心の傷・痛みを伝える/汲み取ることの難しさかなと思いました。
 夫の死でうつになった母親を終始支え、けなげにまっすぐに育ち、母親には憎悪の片鱗も見せなかったアンティアが、ひそかに傷つき苦しみ、親友はその怖いほどの変化を見取っていたという、親として娘の心の変化・苦しみを読み取ることができない現実に、慄くとともに、自分の気持ちを隠し通した/隠さざるを得なかったアンティアの心情に涙してしまいます。
 ラストシーンに至ったとき、「えっ、ここで終わる?」(まぁ、カンヌ映画祭出品作品だし、なんとなくここで終わりそうだなとも思いましたが)という思いを持ちましたが、考えるうちに、説明しないことが、人の心を汲み取ることの難しさを感じさせ、余韻を残していいかなという気になりました。
 ジュリエッタが、長く病床に伏す母サラ(スシ・サンチェス)を尻目に家政婦サナア(マリアム・バチール)と情交を続ける父サムエル(ジョアキン・ノタリオ)を母が死んだ後もなお許せない一方で、自分は長く病床に伏す妻がいるショアンとそれを聞かされながら初めて出会った日に列車内で肉体関係を持ち、その後ショアンから妻の容体が悪化したという手紙が来てのこのことショアンの自宅に行き、そこで家政婦マリアン(ロッシ・デ・パルマ)から妻が死亡したこと及びショアンが前々から不倫の関係を続けるアバ(インマ・クエスタ)のところにいて今日は帰らないと知らされ、帰るように言われたにもかかわらずショアンを待ちセックスにふけりそのまま居ついたという、自分が嫌い許せない父親とまったく同じタイプの男(ジュリエッタの父の方が相手は一人だからまだましというべきでしょうけど)を愛し、自分自身父の家政婦と同じことをしていながら、その矛盾を突きつけられることも、気づいて葛藤することもないというところが、人が自分を客観的に評価することの難しさを示し、人間ってそういうものというあたりで放り出すことで、かえって深みを持たせるというか、余韻を残している感じもします。

 そういった、老いてなお自分を客観視できず、娘の心の傷を汲み取れず、自分の痛みに悶えるジュリエッタの姿を、人間ってそういうものだよねとしみじみする作品なのだと思います。

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