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2016年11月

2016年11月20日 (日)

聖の青春

 早世した棋士村山聖の生涯を描いた映画「聖の青春」を見てきました。
 封切2日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン3(287席)午前10時55分の上映は、9割くらいの入り。

 子どものころネフローゼ(腎臓疾患)と診断され入院生活中に覚えた将棋に夢中になり、森信雄(リリー・フランキー)を師匠として大阪でプロの棋士になり活躍していた村山聖(松山ケンイチ)は、24歳の1994年、対局に赴く途中で道に倒れるほど腎臓が悪化していたが、頂点を極めつつあった1つ年下の羽生善治(東出昌大)のそばで将棋を指したいと、東京に転居する。病状が悪化し膀胱がんも発見されて医者からは手術を強く勧められながら麻酔をしたら脳に響く、将棋が弱くなりたくないと拒否し、対戦成績5勝6敗で迎えた羽生との対局で、聖は控室が驚く一手7五飛から羽生を追い込み勝利する。懇親会の席から羽生を居酒屋に誘い出した聖は、羽生に夢を語るが…というお話。

 東京の名人に対してライバル意識を燃やす大阪の野性的な棋士という構図は、私には、「王将」、阪田三吉をイメージさせるのですが、そのアナロジーは避けてあくまでも現代的に、不器用で不健康な生活を送る野性的な棋士と健康的で上品な天才棋士のマナーに則った対決の物語として描いています。
 聖が羽生を誘い出して居酒屋で語るシーンが2人の関係、人柄を印象付けています。少女漫画は?競馬は?と聞く聖に対し、読まない、やらないとあっさり答える羽生、趣味が合いませんねぇ…と、私生活の対比を見せつつ、会話にも行き詰まる2人。そこで聖が、自分には2つ夢がある、名人になって将棋をやめること、一度でいいから女を抱きたいと語ります。すでに名人を含め4冠を保持し、元歌手の畠田理恵と結婚している、つまり聖の夢をどちらも実現している羽生に、それを語る聖はどういう心境だったのでしょうか。普通に考えると、ライバルに対して、屈するような、うらやむような、弱みを見せる発言、意地でもするものかと考えると思うのですが、それを卑屈にならずに直球でぶつける聖と、答えようもないけれど反発することも諭すこともなく淡々としている羽生。他の棋士には憎まれ口を聞きダメ出しをする聖が、羽生にはなぜかあまりに素直に心を開き、負けて死にたいと思うほど悔しいという羽生が優しい(線が細いとも)気持ちでいるところが、従来のライバルものと違う関係性を示しているように思えます。
 この聖が勝って対戦成績を五分にした一戦、映画では雪国で行われたという描写です(雪原で松ケンなので、単純に青森かと思ってしまいました)が、史実としては1997年2月28日の竜王戦(予選)での対局で、場所は東京の将棋会館。念のため調べるとその日の東京は最低気温が6.7℃でもちろん降雪なし。ドキュメンタリーじゃなかったの?聖が前泊して見つけた鄙びた居酒屋、主人が有名人とわかっていても話しかけてこない、わかっていてもそぶりも見せないって、ただ知られていなかっただけだし、聖が気にいったのも、たぶん、店の名前が「よしのや」ということでしょうし…
 この作品で、聖が繰り返す、「牛丼は吉野家、シュークリームはミニヨン、お好み焼きはみっちゃん…」。ミニヨン、みっちゃんは特定の店の名前で全国的な影響力はありませんが、吉野家はタイアップかと思うほど。松屋やすき家の関係者は歯噛みして悔しがっているのではないかと。

2016年11月13日 (日)

ジュリエッタ

 置き去りにされた母の失踪した娘に対する葛藤を描いた映画「ジュリエッタ」を見てきました。
 封切2週目日曜日、全国11館、東京で2館の上映館の1つ新宿ピカデリースクリーン10(115席)午前8時25分の上映は3割くらいの入り。

 数年越しの恋人のロレンソ(ダリオ・グランディネッティ)とともに暮らすためポルトガルに引っ越す準備をしていたジュリエッタ(現在:エマ・スアレス)は、通りで偶然、12年前に失踪した娘アンティア(失踪時:ブランカ・パレス)の親友だったベア(現在:ミシェル・ジェネール)と遭い、アンティアとコモ湖畔でばったり会った、2人の子を連れていたと聞かされ、マドリードに残る決意をしてポルトガル行きを取りやめ、アンティアが失踪したときに棲んでいたアパートを再度借りて転居した。ロレンソとも別れジュリエッタは一人部屋でアンティアに対し、出す当てもない(送り先もわからない)手紙を書き始め、アンティアの父ショアン(ダニエル・グラオ)と出会った25歳のころに思いをはせ…というお話。

 終始ジュリエッタの視点でストーリーが展開するため、スクリーンで描かれるのは、基本的にジュリエッタの、置き去りにされた母の心の痛み、失踪した娘への愛憎・葛藤ですが、読み取るべきは、娘アンティアの心の傷と、心の傷・痛みを伝える/汲み取ることの難しさかなと思いました。
 夫の死でうつになった母親を終始支え、けなげにまっすぐに育ち、母親には憎悪の片鱗も見せなかったアンティアが、ひそかに傷つき苦しみ、親友はその怖いほどの変化を見取っていたという、親として娘の心の変化・苦しみを読み取ることができない現実に、慄くとともに、自分の気持ちを隠し通した/隠さざるを得なかったアンティアの心情に涙してしまいます。
 ラストシーンに至ったとき、「えっ、ここで終わる?」(まぁ、カンヌ映画祭出品作品だし、なんとなくここで終わりそうだなとも思いましたが)という思いを持ちましたが、考えるうちに、説明しないことが、人の心を汲み取ることの難しさを感じさせ、余韻を残していいかなという気になりました。
 ジュリエッタが、長く病床に伏す母サラ(スシ・サンチェス)を尻目に家政婦サナア(マリアム・バチール)と情交を続ける父サムエル(ジョアキン・ノタリオ)を母が死んだ後もなお許せない一方で、自分は長く病床に伏す妻がいるショアンとそれを聞かされながら初めて出会った日に列車内で肉体関係を持ち、その後ショアンから妻の容体が悪化したという手紙が来てのこのことショアンの自宅に行き、そこで家政婦マリアン(ロッシ・デ・パルマ)から妻が死亡したこと及びショアンが前々から不倫の関係を続けるアバ(インマ・クエスタ)のところにいて今日は帰らないと知らされ、帰るように言われたにもかかわらずショアンを待ちセックスにふけりそのまま居ついたという、自分が嫌い許せない父親とまったく同じタイプの男(ジュリエッタの父の方が相手は一人だからまだましというべきでしょうけど)を愛し、自分自身父の家政婦と同じことをしていながら、その矛盾を突きつけられることも、気づいて葛藤することもないというところが、人が自分を客観的に評価することの難しさを示し、人間ってそういうものというあたりで放り出すことで、かえって深みを持たせるというか、余韻を残している感じもします。

 そういった、老いてなお自分を客観視できず、娘の心の傷を汲み取れず、自分の痛みに悶えるジュリエッタの姿を、人間ってそういうものだよねとしみじみする作品なのだと思います。

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