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2016年3月

2016年3月27日 (日)

砂上の法廷

 キアヌ・リーブス主演のリーガル・サスペンス映画「砂上の法廷」を見てきました。
 封切り3日目日曜日、全国で11館東京では唯一の上映館TOHOシネマズシャンテスクリーン2(201席)午前10時20分の上映は8割くらいの入り。

 大物弁護士ブーン・ラシター(ジム・ベルーシ)が自宅の寝室で殺害され、17歳の息子マイク(ガブリエル・バッソ)が逮捕されて起訴され、ブーンの妻でありマイクの母であるロレッタ(レニー・ゼルウィガー)からマイクの弁護を依頼されたラムゼイ(キアヌ・リーブス)は、マイクがひと言も話してくれないまま、公判期日を迎えた。検察側証人が、マイクがある時期からブーンと対立していたこと、凶器のナイフにはマイクの指紋がついており駆けつけた警察官の前でマイクが自白したことなどを次々と証言し、ラムゼイは手探りで反対尋問をするが、状勢は誰の目にも検察側の圧倒的優位に推移していく。サポートを依頼された「嘘発見器」のあだ名を持つ休職明けの弁護士ジャネル(ググ・ンバータ=ロー)は、検察側証人が次々と嘘を言っていることを見抜くが、打つ手はない。ラムゼイは、モハメド・アリとジョージ・フォアマンの対戦を引き合いに出し、あまりに一方的な展開だと陪審は負けている方に同情すると言い、今はまだ負け続けるんだとうそぶくが…というお話。

 公式サイトのキャッチ、予告編のラストが「94分、あなたは騙され続ける。」。確かに騙されましたが、しかし、この騙され方は、後味が悪い。公式サイトで、タイトルと同じ大きさで、「この結末、他言無用。」と書かれていますので、具体的には言いませんが。
 法廷シーンは、いたずらに派手にしないで、異議も、関連性なし、探索的尋問(根拠なし)などの日本の裁判でも異議を言いたくなるような場面に限定されています。ただ、検察側の主尋問が、主要なポイントまで含めてほとんどが誘導尋問(Yes、Noで答えられる質問)なのは、尋問として素人くさいし、弁護側から異議が出るか裁判官から注意されそうに思えました。
 弁護側の正当防衛(緊急行為)の主張に対して、検察側が、凶器のナイフはどこにあったのか、ナイフを事前に用意していたのか、それはなぜか、危機的状況にありながら心臓を一刺しというのは不自然ではないか等の質問・指摘をすることもなくあっさり引くのも疑問に思えました。
 予期せぬ展開が、結局は功を奏する形になったのですが、当初の予想通りに展開した場合に、ラムゼイがどうするつもりだったのか、プロとしてどういう読みだったのか、同業者として、気になるところです。

2016年3月21日 (月)

ちはやふる 上の句

 競技かるたに打ち込む千早と幼なじみの新、太一ら高校生となった3人をめぐる青春映画「ちはやふる 上の句」を見てきました。
 封切り3日目月曜日祝日、新宿ピカデリースクリーン2(301席)午前10時55分の上映は7割くらいの入り。

 小学生の頃、永世名人の孫の綿谷新(真剣佑)から競技かるたとそれに賭ける新の思いを教えられ、原田先生(國村隼)の指導の下で競技かるたの練習に打ち込んでいた綾瀬千早(広瀬すず)は、祖父(リリー・フランキー)の介護のために福井の実家に戻ることになった新に対して「競技かるたを続けていればまた会える」と言った約束を守ろうと、瑞沢高校に入学するとさっそく、高校で再会した幼なじみの真島太一(野村周平)らと競技かるた部を創設し、全国大会を目指して、6月の東京都大会に挑む。太一と、小学生時代に新に次いで2番だった肉まん君こと西田優征(矢本悠馬)はともかく、全くの初心者の和の文化を愛する呉服屋の娘大江奏(上白石萌音)、学年2番の秀才の鉄道オタク机君こと駒野勉(森永悠希)を含む5人での団体戦を戦うためのレベルアップを図って千早はゴールデンウィークに原田先生の教室での合宿をするが、3日目のメニューで全国大会個人戦に出た太一と西田は福井から参加した新に実力差を思い知らされ、残って東京の強豪校北央学園の主将須藤(清水尋也)と手合わせした千早は須藤のなりふり構わぬ囲い手に阻まれて大敗し自信を失う。落ち込む千早らに、意外にも駒野が合宿時の千早らの癖・欠点を分析して助言し千早らは改めて東京都大会に向けて練習に打ち込むが…というお話。

 試合に集中し、終わった途端に疲労しきってその場で眠り込んでしまう千早。集中すると体力を消耗するのは、経験上理解できますし、私はそういう姿には共感します。無関係の第三者から見ると、だらしなくも見え、太一は面倒くさげにしていますが、私には、そこまで打ち込んで集中しきる姿、そして無防備な姿を見せつけられたら、これはもう惚れてまうやろ~と思ってしまいます (*^-^*)
 一字決まり札「吹くからに」を読み手が「ふ」と言う前に払った千早の動きを問う太一に、原田先生は、千早は「ふ」を聞く前に「fu」の「f」を聞いていると答えています。競技かるたクイーンの書いた本で、名人戦/クイーン戦レベルでは「寂しさに」(「さ」の一字決まり札)は「s」段階で札が飛ぶ、次に来る母音によって(つまり「さ」か「し」か「す」か「せ」によって)「s」の聞こえ方が違うというのを読んだ覚えがありますから、そういうことはあるのでしょうけど、それはもう高校生の大会レベルではないと思うのですが。
 天真爛漫で猪突猛進型の千早、やや引き気味でかるたではなく千早を狙っている後ろめたさを引きずる太一、デリカシーに欠ける俺様男の肉まん君、歌自体を愛する癒やし系のかなちゃん、クールを装いつつも必要とされていると打ち込んでしまう机君というキャラで、序盤は千早のハイテンションぶりが浮いている感じが否めませんが、チームの絆と三角関係を描く青春ものというのが、作品としては基本線になっています。
 百人一首には43も恋の歌があるというかなちゃんの好きな歌が「田子の浦に」(打ち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ)というのは意外ですが。「ちはやぶる」(神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは)が竜田川を紅葉が赤く染めているという情景を詠んだだけではなくそこに在原業平の禁断の恋に落ちた秘めた思いが込められていると読むのと同様に、これも「恋の歌」なんでしょうか。
 「ちはやふる」というと古典落語「千早振る」を思い出してしまうのですが、「千早」を人の名前にする点では同じ発想で、原作者も割と高年齢なのでしょうか。

2016年3月20日 (日)

僕だけがいない街

 事件に遭遇すると時間が巻き戻る特殊な運命の下にある青年が母親の殺害事件と18年前の幼女連続殺人事件の謎に挑むSFミステリー映画「僕だけがいない街」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前11時10分の上映は5割くらいの入り。

 事件に遭遇するとその事件前に時間が巻き戻る「リバイバル」という現象が起こる青年藤沼悟(藤原竜也)は、ピザの配達のバイトをしていて子どもが交通事故に遭うのを防ぐために生じた「リバイバル」の過程でトラックに跳ね飛ばされて入院する。事故を聞いて駆けつけた母親藤沼佐知子(石田ゆり子)と買い物をした帰りにまた「リバイバル」が起こり、リバイバル前の佐知子が辺りを見回し誘拐を未遂に終わらせたと思うと言いリバイバルは収まった。後日、悟がアパートに帰ると佐知子が殺されており、悟が追いかけた不審者を見失い警察官に疑われ逮捕されそうになったところで「リバイバル」が起こり、悟は18年前の北海道で小学生に戻っていた。18年前に発生した幼女連続殺人事件の被害者となった同級生雛月加代を救うことが母親殺人事件を防ぐために必要だと悟った悟は雛月加代が母親から虐待を受けていることを知り、雛月加代に声をかけるが…というお話。

 失敗の記憶を持ったままタイムループして試行錯誤するという設定は、All You Need Is Kill をイメージしてしまいました。自分が死んだ(殺された)ときにタイムループするのではなく、またどこまで戻るかがわからないところは、違いますが。

 児童虐待の被害者となる雛月加代(鈴木梨央)の痛々しさ、健気さに涙が出ます。そういう気持ちで子ども目線になることもあり、本来的には主役藤原竜也、準主役(悟のバイト先の同僚片桐愛梨)有村架純の映画なんですが、少年時代の悟の母親役の石田ゆり子がより魅力的に見えました。

 上映前、他の映画の予告編に混じって、原作のマンガ(総発売部数295万部だとか)の宣伝がわりとしつこくあったのは、メディアミックス戦略とやらなんでしょうけど、見る前に何だかなぁという気分になりました。映画の中でもそのコミックが何度か映された上に、片桐愛梨が力を与えてくれるという愛読マンガに位置づけられているのは、さらに…

2016年3月 6日 (日)

これが私の人生設計

 今どき信じられないほど男社会のイタリア建築業界での女性建築士のチャレンジを描いた映画「これが私の人生設計」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、全国11館、東京では唯一の上映館新宿ピカデリースクリーン6(232席)午前11時40分の上映は5割くらいの入り。

 イタリアの山村で育ちながらローマの大学で優秀な成績を上げ、世界各国でその実力を評価されてきた建築士セレーナ・ブルーノ(パオラ・コルテッレージ)は、雨ばかりのロンドンの気候がいやになり、イタリアに戻るが、超男社会のイタリアの建築業界でまともな仕事を得られず、蓄えも尽きて、レストランでウェイトレスとして働き始めた。母(フランカ・ディ・シコ)と伯母(フィロメナ・マクロ)から結婚を急かされるセレーナは、レストランのオーナーのフランチェスコ(ラウル・ボヴァ)に熱を上げるが、フランチェスコはゲイだった。ローマ市内を移動するのに使っていた父の形見のモーター付自転車を盗まれて途方に暮れたセレーナがたどり着いた公営住宅コルヴィアーレでリフォームプランの公募をしていることを知り、セレーナは荷物を運ぶのを手伝わされた住人(ジェノヴェッファ・サンドリーニ)や階段で勉強する住人たちの意見を聞いて共有スペースのリフォーム案を作成して応募した。面接に行ったセレーナに対して「セレーナ氏はどこにいる」と聞いた面接官に、セレーナはとっさにセレーナ氏は大阪にいて今月いっぱい帰ってこない、自分はアシスタントだと述べる。結局、セレーナのプランが採用されるが、困ったセレーナは、フランチェスコにセレーナ氏役を演じるように頼み…というお話。

 実力があり、現に海外で評価され実績がある建築士でさえ、女性であるというだけで相手にされないという今どき信じられない超男社会を、告発するというかたぶん自虐的に描いた作品だと思います。セレーナが突きつけられる、妊娠したら解雇という契約書、日本では、当然に均等法違反で無効ですが、こういうものがまだまかり通るのでしょうか(私は、イタリアのことは知りませんので、この作品で描かれている通りだとすれば、ということですが)。「外資系」の会社の労働契約書には、会社側が解雇に関して信じがたいような一方的な条項を設けているケースが少なくないですが、本国での企業の行動がそういうレベルならむべなるかなと思います。もっとも、日本の企業も、弁護士がアドバイスするレベルの企業では、書類上あるいはあからさまにはそういうことはせず別の理由を付けはしますが、表向きは差別はしないことになっていてもその実態がどの程度違うかは心もとないところですが。
 セレーナがプラン採用後に就業することになる事務所が、代表の建築士(エンニオ・ファンタスティキーニ)のワンマン企業で、30年にわたり仕える秘書ミケーラ(ルネッタ・サヴィーノ)は実力がありながら代表者のサポートに専念して朝の出社をコーヒーを手に出迎え、代表者は従業員に決まった声をかけ、従業員たちは決まった応答をする朝の儀式を繰り返していたが、セレーナが最終的に我慢できず反旗を翻したところで、ミケーラや従業員たちも実は仕事のために不本意に従っていたことがわかるという場面が出て来ます。超男社会であるというだけでなく、ワンマン社長の下での社長の好み・偏見による不合理な採用・就労条件の押しつけ、職場支配といったことも、この作品のテーマになっているように思えました。こういった前時代的で独裁的な経営者の下での原始的な労働関係は、日本の中小企業でごく普通に見られるものです。そういう点で、全然他所の国の話とは思えないテーマです。

 ストーリーとしては、セレーナの「恋愛」へのスタンス、もやし男ピエトロ(コラード・フォーチューナ)の位置づけ、セレーナのピエトロについての評価・感情が、今ひとつスッキリしなくて、もやもや感の残るラストだったと思います。

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