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2015年12月

2015年12月27日 (日)

スター・ウォーズ フォースの覚醒

 スター・ウォーズエピソード7「ルークを探せ!」、いやディズニーが仕掛けるさらなるキャラクター商法の新展開、いや…映画「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前10時50分の上映は8~9割の入り。

 「ジェダイの帰還(エピソード6:公開当時の邦題はジェダイの復讐)」から30年後、銀河帝国の残党は指導者スノーク(アンディ・サーキス)に率いられる新たな組織「ファースト・オーダー」を結成し、ハン・ソロ(ハリソン・フォード)とレイア(キャリー・フィッシャー)の息子ベンが改称したカイロ・レン(アダム・ドライバー)が指揮するストーム・トルーパーの一団が、惑星ジャクーの村を総攻撃してきた。姿を消した伝説の/最後のジェダイ、ルーク・スカイウォーカーの所在を示す地図を託されたレジスタンスの兵士ポー・ダメロン(オスカー・アイザック)は、レンの攻撃の直前に地図をドロイドのBB8に隠すが、レンの部隊に捕まった。かつてその村から拉致された兵士FN2187改めフィン(ジョン・ボイエガ)は、皆殺しを指示するレンに反感を持ち、ポーとともに宇宙船を奪って逃走するが、惑星ジャクーに不時着した際にポーを見失う。ポーから遠くに逃げるよう指示されたBB8は、砂漠を越えた別の集落で、家族の帰りを待ちながら孤独に廃品回収で糊口をしのぐ少女レイ(デイジー・リドリー)に拾われる。BB8が襲われるところを見たフィンはレイの手を取り逃走しながらさらにやってきたファースト・オーダーのトルーパーたちと闘い、村はずれにおかれていた骨董品の宇宙船ミレニアム・ファルコンに乗り込み、宇宙へと逃走する。そのファルコンには、宇宙の密輸商ハン・ソロと副操縦士チューバッカ(ピーター・メイヒュー)が乗っていて…というお話。

 ストーリーは、ルークが姿を消した銀河で、レイアが率いるレジスタンスサイドと、スノーク率いるファースト・オーダーが争いながら、ともにルークの行方を追いそのために「スカイウォーカーの地図」を争奪しているという設定の下、新ヒロインレイと脱走兵フィン、レジスタンス兵士ポーらと、ファースト・オーダーの指揮官レンが闘いを繰り広げるという展開です。
 ずっと登場しない、ルーク・スカイウォーカーをめぐり、後進の育成を試み、そのためにハン・ソロとレイアから息子のレンを預けられたものの失敗して引退・失踪したという経緯が語られます。
 エピソード6までが、ルークとダース・ベイダーことアナキン・スカイウオーカーの父子・愛憎劇で展開したのを、エピソード7では、ハン・ソロ、レイアとその子レンの関係で踏襲していますが、序盤で早々にレンがハン・ソロの息子であることが明かされ、ハン・ソロとレンの関係はエピソード7で決着されてしまい、新3部作全体をこの親子関係で描くつもりはないようです。
 そうなると、身元の明かされない新ヒロインレイの出自がエピソード8で示されて、そちらの家族関係が今後テーマになるという展開が予想されます。

 物語としては、年老いたハリソン・フォードの活躍と父親像が印象に残ります。どこか時代劇っぽい親子の対峙場面に、父親世代としては、ホロリとさせられ、切ない気持ちを持ちました。

 レイのフォースの潜在能力を示す、見張りのトルーパーに拘束を解かせるシーン。レイに操られるトルーパーがダニエル・クレイグだそうな。一度も顔を見せないので確認できるシーンはないのですが、そういうところは何か余裕を感じさせます。対照的に、軽々しく何度もマスクを外すレンは、前任者(ダース・ベイダー)との比較もされがちな役柄なのに、イケメン若手俳優なんだからよく顔見てねみたいなさもしさを感じさせます。

 ファースト・オーダーの最高指揮者が日本語字幕では「スノーク」。えっ、それ「ムーミン」の恋人の「スノークのお嬢さん」のスノーク?って連想してしまいました。英語表示では、スター・ウォーズエピソード7のスノークは " Snoke " 、ムーミンの方は " Snork " で違うのですが…

 ラストシーンは、いかにも次回につなげます、ってことですが、新3部作って謳ってあるんだし、あえてやらなくてもよかったんじゃないかと思います。フード付きのパーカーの後ろ姿なんて、まるでシスのイメージですし…

2015年12月20日 (日)

レインツリーの国

 キスマイ・玉森裕太初主演作品の映画「レインツリーの国」を見てきました。
 封切り5週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(173席)午前10時の上映は2~3割の入り。観客の圧倒的多数は若い女性同士。カップルもほとんどおらず、男性客はざっと見渡していずれもカップルの3人…

 脳腫瘍の手術をした父(大杉漣)に家族のうち自分だけが忘れられてヘルパーと思われていることに傷ついている向坂伸行(玉森裕太)は、母(高畑淳子)が切り盛りする美容室をたたむことから荷物を整理していて、下巻が見当たらない高校時代に愛読したSF学園もの「フェアリーゲーム」の結末を思い出そうとして検索したところ、同じ作品に愛着を持つ「レインツリーの国」というブログの記事に行きあたり、「伸」と名乗って管理人にメールを送った。「ひとみ」と名乗る「レインツリーの国」の管理人から返信があり、「伸」と「ひとみ」はメールを通じて親しくなり、会いたいという「伸」の強い誘いに、躊躇していた「ひとみ」はこれに応じたが、「伸」の前に現れた「ひとみ」こと人見利香(西内まりや)は、混んでいるレストランを嫌がり、映画は字幕付の洋画にこだわった。しらけ気味のデートの終わりにエレベーターに飛び乗り重量オーバーのアナウンスに動こうとしない「ひとみ」に「伸」はこんなジコチュウとは思わなかったとキレるが、「ひとみ」は感音性難聴で高音がほとんど聞き取れないのだった。謝罪のメールを送った「伸」に、「ひとみ」は健聴者にはわからない、上から目線で同情して欲しくないと突っぱねるが…というお話。

 勤務先で上司や同僚から筆談でないと伝達ができないことを面倒がられ、低音の男性の声は聞き取れるが高音の女性の声は聞き取れないことを詐病と疑われて同僚女性たちから疎まれながら、障害者枠での雇用に遠慮して自己主張せずに、ストレスを溜め、気遣う両親にさえ苛立ちをぶつける、内にこもりねじくれた「ひとみ」に対し、イケメンジャリタレの玉森裕太演ずる「伸」が根気よく説得してその心を開かせ、前向きな気持ちにさせていくという、玉森さんステキーなジャニーズさんヨイショのベタな展開の映画ですが、それなりにジンときます。
 障害者を一律に障害者、難聴者と見るのではなく、「ひとみ」についていえば、事故(登山中の滑落)での中途失聴者で、低音は聞き取れるが高音が聞き取れないという個別の癖があることを捉えているところがポイントになっていると思います。

 他方で、障害を持ち周囲に理解されない故にねじくれた障害者という設定、「ひとみ」の尻を触り、残業中に抱きついて襲う同僚を定年再雇用者とする設定には、やはり抜きがたい差別意識をも感じます。
 もちろん、人は様々ですから、横柄な定年再雇用者もいるでしょうけど、定年再雇用で給料も大幅に下げられ、1年契約の有期雇用となり、肩身の狭い思いをしながら働いている人が多いと、私は思います。定年再雇用者を不心得な悪役にしたがるのは、何か口実があれば追い出したいと思っている経営者に媚びを売るように見え、私はいやな感じがしました。

 障害者の雇用は、常時50人以上が働く企業では、2%を雇用することが義務づけられています。そして、作品中で「伸」が「ひとみ」に説明するように、雇用した障害者1人について、「中小企業」(従業員300人以下等)の場合は2年間合計120万円、大企業の場合1年間合計50万円の助成金が企業に支払われます(重度障害者の場合さらに多額になります)。障害者の雇用は法律上の義務である上に、企業にとっては安く働かせて助成金も受け取れるというしくみがあり決して慈善事業で恩恵的に雇用しているわけではありません。高齢者の雇用も同じです。
 障害者も高齢者も、経営者からは疎まれがちで、差別を受けやすい労働者です。その人々が働きやすい環境を整備することが大切だと思います。その意味で、「ひとみ」については、偉いかっこいい「伸」の理解を得るだけではなく、勤務先でも理解を得られるように闘う姿を描いて欲しいし、定年再雇用者についても、悪役に仕立てるのではなく、定年再雇用者の立場にも思いを馳せるものであって欲しかったなと思います。

2015年12月13日 (日)

黄金のアデーレ 名画の帰還

 クリムトの絵画“アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ”をめぐる裁判を描いた映画「黄金のアデーレ」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前9時50分の上映は2~3割の入り。

 1938年にナチス支配下のウィーンからアメリカへと亡命したユダヤ人のマリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)は、1998年、姉の死を契機に、幼少期にウィーンでともに暮らした伯母アデーレ・ブロッホ=バウアーをモデルに伯父フェルディナントがグスタフ・クリムトに描かせた絵画「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」がナチスに不法に接収されて現在オーストリアのベルベデーレ美術館(オーストリア・ギャラリー)に保管されているのを取り戻すよう、友人の息子の弁護士ランディ・シェーンベルク(ライアン・レイノルズ)に依頼した。ランディは勤務し始めたばかりの事務所から1週間だけ許可を得てマリアとともにウィーンへ飛び、絵画は1925年に髄膜炎で死亡したアデーレの1923年の遺言により寄贈されたというオーストリア政府の主張を打ち破るべく、公文書館で遺言の原本を探し、遺言では伯父(夫)の死後に寄贈するとされていることを確認する。ランディは、さらに伯父のフェルディナントが1945年に死亡する前の1943年に財産を甥、姪に遺贈すると遺言していたこと、絵画の所有権はアデーレではなくフェルディナントにあることを確認し、絵画返還を判定する委員会に提出したが、結局は、返還しないという裁定が出された。ウィーンで絵画返還の裁判を起こすためには絵画の価格相当の保証金(約1億ドル)を積む必要があり、ランディとマリアは失意のうちに帰国した。諦めきれずにアメリカでの提訴の途を探るランディに、事務所は応じず、ランディは事務所を辞め、もう関わりたくないというマリアの意向も無視して強引に提訴するが…というお話。

 強大な外国政府を相手に、若手弁護士が、国際的な司法の手続の合間を縫って活路を見いだしていく、司法アドベンチャー的なテーマが、私が同業者だからという面はあるでしょうけど、見どころです。
 ネタバレも含めですが、一般の方にわかりにくいところが多々ありそうなので、私がわかる範囲で法的な部分を説明します。1998年にマリアが絵画の返還請求をしたのは、映画では姉の死がきっかけになっていますが、この年にオーストリアが美術品返還法を定めて、返還請求が可能になったことがきっかけで、姉の死はおそらくはそれによってマリアが唯一の相続人となったということでマリアの請求権の正当性を基礎づけるのだろうと推測します。ウィーンでの美術品返還委員会(でしたかね。正式な名称は覚えていませんが)の手続は、行政手続です。オーストリア政府の見解は、アデーレ・ブロッホ=バウアーの遺言により寄贈されたものということですが、ランディの主張は、絵画の作成を依頼しクリムトに報酬を支払ったのはフェルディナントであるから所有権はフェルディナントにあり、所有者でないアデーレが寄贈するといってもそれは「願望」に過ぎず法的な意味はない、所有者であるフェルディナントは甥、姪に相続させると遺言しているのであるから、絵画はマリアが相続しており所有者はマリアであるというもの。相続人がマリア1人かに関して詰められているかはわかりませんが、法律論としてはランディの主張が正当のはずです。アデーレの「遺言」がフェルディナントの死後という条件付なのも、フェルディナントが先に死ねば自分が相続するからその時はという趣旨に取れますし。それでも委員会が不返還を決定するのは、役所がする行政手続ですから、道理が通らなくても政府の意向に沿うということでしょう。日本でも、役所が行う決定というのはそういうきらいがあります。ウィーンで絵画返還請求の裁判を起こすのに絵画の価格相当額の保証金を積む必要があるというのは、実際にそうなのか私にはわかりませんが、そういう法制度だとすると、裁判を起こさせないための嫌がらせとしか思えません。もっとも、日本の会社法も株主が役員の責任追及の裁判を起こすときには、役員の申立により裁判所が株主である原告に担保を積ませる制度を設けており、政府が起こさせたくない裁判にはハードルを設けるということはありがちとも言えますが。
 アメリカでの手続は、アメリカの法と司法を広く世界の紛争に及ぼそうという、アメリカらしい法と先例の元で、一定の要件があれば、アメリカでの裁判が可能となるという前提で、ランディが裁判を提起し、オーストリア政府代理人が、アメリカには管轄権がないという主張を行い、もっぱら管轄権の問題に絞った判決が出され、1審でも、最高裁でもランディが勝訴することになります。しかし、オーストリア政府側の徹底した引き延ばし作戦で、そこまで、つまりアメリカに裁判管轄があることを確定させるだけで肝心の絵画の所有権・帰属の問題はまだ判断されていない状態で、数年を費やしたために、最終判断を経るまでマリアが生きていられるかを危ぶんだランディが、和解の手続でオーストリア政府が補償は絶対拒否すると言ったのを受けて、ウィーンでの仲裁の受入を決断するに至り、マリアと決裂します。ここのところが、たぶん一般観客にはとてもわかりにくいと思います。日本語字幕は「調停」と訳していて、調停は、(少なくとも日本の制度では)調停案が気に入らなければ拒否すればよく強制力がありませんから、ダメ元でもやってみて(時間と費用の空費のリスク以外は)損はないのですが、仲裁は、予め仲裁人の裁定(仲裁)に従うという文書を出して行うものである上に出された裁定に不服申立もできないという、通常の裁判以上に一発勝負の手続ですから、まさしく賭けになります。しかもそれをアメリカではなく、オーストリア政府のホーム(マリアとランディにアウェイ)のウィーンでやろうというのですから、かなり思い切った賭けになります。そのあたりが、この時点でわかりにくい(特に「調停」と訳されると全然イメージできない)。
 ウィーンの行政手続で、理論と証拠で勝てたはずのところを、正義に反して蹴り出され、ようやくアメリカで苦労して活路を見いだしながら、オーストリア政府側の引き延ばし作戦のために年月を費やして、判決を待てずに和解で決着しようとして拒否された挙げ句、相手のホームタウンデシジョンが予想されるウィーンでの手続に戻るという流れを経てのラストになります。それを理解したかどうかで、マリアの怒り、ランディの前夜の緊張感、仲裁委員会でのスピーチの重さの捉え方がかなり違ってくると思いますが…

 ランディが、マリアの承諾を得ずに訴訟提起をする下り(アメリカでは当事者/弁護士が訴状を直接被告に渡すのがありなんですけど、それにマリアを連れて行っていますので、少なくとも黙認はさせたということでしょうけど)は、弁護士の感覚では、それはないだろうと思います。弁護士は本人から依頼されて初めて動くもので、本人からやってくれとも言われないのに先に訴状を出しちゃうなんて、私には考えられないし、懲戒ものだとも思います。事務所を辞めて借金生活しながらその裁判にかけるというのも、アメリカの小説ではよく登場しますが、ちょっと考えられません。こういうあたりを、弁護士はそうすると思われると、困るなと思います。
 この事件を経てランディが美術品返還を手がける事務所を作ったというところは、弁護士の専門性が偶然取り扱った事件に左右されるという現実に見合っているところです。
 ランディが事務所を辞めたときに詰った妻、その後はランディを支え励ましてくれます。ランディの子煩悩な姿とあわせ、支えてくれる家族がいればこそと、心温まります(リーガル・サスペンスに登場する弁護士は、家庭崩壊の弁護士が多いですから)。

 ところで、私が学生だった1980年頃、クリムトは、少なくとも日本では知る人も少なく、わりと西洋画が好きだった私が美大の学生と話していたときクリムトの名前を知っているだけで驚喜されたような状態で、せいぜい「接吻」「抱擁」「ユディトⅠ」くらいが知られていた程度と記憶しています。クリムトが一般社会に知られたのは、まさにこの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」が1億3500万ドルという史上最高価格で売却されたときで、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」も名画/クリムトの傑作というよりも、世界で最も高額で購入された絵画として知れ渡ったものだったと思います。「オーストリアのモナリザ」とか「オーストリアの至宝」とか言われると、本当かなぁという気がします。(私は、もしクリムトの作品で、何か1つもらえるなら、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」よりも、「ダナエ」か「水蛇Ⅰ」かベートーベン・フリーズがいい)

2015年12月 6日 (日)

007 スペクター

 ダニエル・クレイグのボンド第4作「007 スペクター」を見てきました。
 正式封切り3日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン2(301席)午後6時15分の上映は8~9割くらいの入り。

 メキシコシティの「死者の日」の祭りで敵を追って大暴れしたボンド(ダニエル・クレイグ)が、ロンドンのMI6に戻ると、M(レイフ・ファインズ)の新たな上司となったC(アンドリュー・スコット)は、Q(ベン・ウィショー)にボンドの体内に極小の発信器を注射させて行動を見張らせ、00部門を解体し、7か国の諜報部門の情報交換計画を進めることを宣言した。Qに追跡の開始を遅らせるように頼み新兵器の車で飛び出したボンドは、Mr.ホワイト(イェスパー・クリステンセン)の残した言葉を手がかりに娘のマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)を訪れ、追っ手と闘い、躱しながら、敵の潜む北アフリカの砂漠に向かい…というお話。

 ボンドの老いがさらに目に付くという点でも、ボンドの過去のしがらみがクローズ・アップされるという点でも、前作「スカイフォール」の続編的性格がとても色濃い作品です。
 国際的な悪の組織が、その黒幕が、最後にこういうところでつながるというのが、映画的ではありますが、スケールの大きさを売る作品としては、何だかなぁと思います。
 スペクターのボンドに対する拷問シーンが、究極の痛覚を感じさせるのですが、率直に言って不愉快です。以前、拷問シーンで歯をドリルで削るというのがあって、とっても感じやすい痛覚を刺激してくれて、確かにわかりやすいのですが、同時に制作者のいやらしさを感じ、スパイアクションでこういうせせこましいやり方はやめて欲しいなと思ったことがあります。今回は、頭蓋骨への極細ドリル攻撃で、歯医者のドリルと基本的に同じ構造のパワーアップ版でした。歯をドリルで削る拷問シーンを見たときに感じたのと同じことをより強く感じました。
 ダニエル・クレイグボンドの特徴ともいえる、敵とみたら見境なく殺す(生け捕りにして吐かせようという発想がない)ボンドの暴走が、冒頭のメキシコシティでの暴れ具合にも表れ、これが、ボンドの老いの描写と、マドレーヌの「あなたは変わらないから」という言葉での別離宣言(これが、まぁ、唐突というか、すごく台詞が浮いてるんですが)を経て、ラストに効いてくる趣向になっています。
 Qが開発した新兵器の車、009用とされています。登場しない009に、いや日本向けじゃないからちがうんだろうけど、サイボーグ009をイメージしてしまいました。

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