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2015年9月

2015年9月27日 (日)

恋人まで1%

 20代後半ニューヨーカーたちの戸惑いを描いたラブコメ「恋人まで1%」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国唯一の上映館ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(173席)午後0時30分の上映は2割弱の入り。ほとんどがカップルでした。

 バーやクラブで一夜限りの相手をハントし女性と重い交際を避けて気軽なセックスだけの関係を続ける本の表紙デザイナーのジェイソン(ザック・エフロン)とダニエル(マイルズ・テラー)は、親友の医師マイキー(マイケル・B・ジョーダン)が浮気をしている妻から離婚を求められて落ち込んでいるのを知り、マイキーを励まそうとして、今後も女性とつきあわずに軽い関係を続けると宣言した。しかし、ジェイソンは、ハントした後で売春婦だと誤解してこっそりベッドイン後に逃げ出した相手のエリー(イモージェン・プーツ)が出版の顧客として仕事場に現れて再会してから次第に心惹かれていき、ダニエルは友人のチェルシー(マッケンジー・デイビス)と恋仲になり、他方、マイキーは妻ヴェラ(ジェシカ・ルーカス)をあきらめきれず…というお話。

 3組のカップルの組み合わせでストーリーが展開し、基本的にはジェイソンとエリーが軸になるのですが、どちらかというと私には、ダニエルとチェルシーの関係が微笑ましい。チェルシーが一番大人っぽい魅力を振りまいているということに私が惹かれているだけかも知れませんが。
 親友2人から新しい女を作れと励まされながら、妻をあきらめられずにいるマイキーがいじらしい。自分が浮気をして、マイキーに離婚を求め、その後「6か月もセックスレスだった」と文句を言いつつマイキーの勤務先の病院のベッドでセックスして仲直りをしたように見えながら、しかしその後も浮気を続け、それが発覚すると「子どもを作ろうと言ってくれなかった」と詰るヴァラは、ちょっと酷いと思う。それは私が男であり、夫の立場だからなのでしょうか。女性客は、マイキーが悪いとみるのでしょうか。ヴァラの浮気の相手が「敏腕弁護士」というのは、アメリカで憎まれ役が弁護士とみるべきか、憧れの職業とみるべきか…

 公式サイトのイントロダクションに「アメリカで初登場3位のスマッシュヒットを記録したラブコメディ!」と書かれています。公開初週末興収が第3位で売り文句になるのは驚きですが、アメリカでは公開初週末(2014年1月31日~2月3日)が第3位、翌週第5位、3週目10位でその後ベストテンに顔を出していません。日本では、公開時点で上映館が全国で1館だけで、その1館が2週目日曜日お昼過ぎでガラガラって…ラブコメで、ザック・エフロンで。
 その数少ない観客のほとんどはカップルでしたが、出会ってまずセックスして、「それで ( So… ) 」、私たちつきあってるの?という問いかけがなされる映画をカップルで見ることを誘うのは、どちらなんでしょう。

2015年9月21日 (月)

ピエロがお前を嘲笑う

 天才ハッカーが殺人事件に巻き込まれるサスペンス映画「ピエロがお前を嘲笑う」を見てきました。
 封切り2週目月曜日祝日、全国4館東京2館の上映館の1つ新宿武蔵野館3(84席)午前9時15分の上映は5割くらいの入り。

 さえない学生のベンヤミン(トム・シリング)は、思いを寄せるマリ(ハンナー・ヘルツシュプルンク)のために、得意のハッキング能力を使って大学の試験問題を盗み出そうとするが捕まってしまう。刑罰として課された50日の社会奉仕(ゴミ拾い)の際に出会ったマックス(エリアス・ムバレク)は、ベンヤミンのハッキング能力を高く評価して仲間に入れ、友人のステファン(ボータン・ビルケ・メーリング)、パウル(アントニオ・モノー・Jr)とともにハッカー集団CLAY (Clowns Laughing At You=ピエロがお前を嘲笑う の略)を旗揚げし、さまざまなサーバーに侵入してネット上人気を博した。マックスは、マックスとベンヤミンの共通のネット上の師MRXの反応を待っていたが、長らく無視された挙げ句、別のハッカー集団 friends が評価され、CLAYは小物とされた。怒ったマックスは、ドイツ連邦情報局のサーバーのハッキングを計画、首尾よく成功するが、ベンヤミンがその際計画外の機密の職員情報を盗み出し、MRXに提供したところ、それによって friends に潜入したスパイとばれたクリスピーが殺害されてしまい…というお話。

 売り文句が「この映画に仕掛けられたトリックは100%見破れない」「最後の最後で映画全てをひっくり返すほどのトリックに誰もがきっと騙されるに違いない。今話題の〈マインドファック〉ムービーの決定版」という映画で、最後のどんでん返しとそこに向けた作りが見どころになります。
 確かに、ラストは予測できませんでしたが、同時にマリの言動など今ひとつスッキリ説明しきれてない感が残ります。

 どんでん返し以外では、ベンヤミンと連邦情報局の捜査官ハンネ(トリーネ・ディアホルム)の心理戦が見せ場と言えますが、トリックを見抜かせないようにベンヤミンの心理描写は抑制的になっていますので、全体に引き気味の描写です。

2015年9月20日 (日)

ふたつの名前を持つ少年

 ナチス支配下のポーランドで身上を偽ってナチスの追跡をかわして生き延びたユダヤ人少年を描いた映画「ふたつの名前を持つ少年」を見てきました。
 封切り6週目日曜日、全国10館東京2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午前9時45分の上映は2割くらいの入り。

 1942年夏、ナチス支配下のポーランドで警官の捜索を受け荷馬車に隠れてゲットーから抜け出した8歳の少年スルリック(アンジェイ・トカチ、カミル・トカチの双子の新人の2人1役)は、隠れ家を探すと言って抜け出した父と橋の下で再会し名前をユレク・スタニャクと偽ってポーランド人として生き延びるように言われ、同様の境遇の少年たちと森をさまよい、冬になり寒さと飢えで行き倒れたところをパルチザンの妻マグダ(エリザベス・デューダ)に救われ、ポーランド人の孤児としての出自やそれにふさわしい物語を教えられて、農家を訪ねてまわり、受け入れられた農家でしばらく働くが、反発する青年にユダヤ人と見破られ、SS(親衛隊)に通報してやると言われて逃亡するなどして農家を渡り歩いていくが…というお話。

 飢えて寒さに震える孤児を前にして、受け入れて食事を与える人、拒絶する人、官憲に通報して報酬を得ようとする人、さまざまな人がいること、農夫にもスルリックを受け入れて匿う者も通報して報酬を得ようとする者もおり、医者にもユダヤ人と知っても当然に手術をしそのまま入院させる者(院長)もいればユダヤ人には手術はしないと拒否をして外に追い出させスルリックが助かったと知ると官憲に通報する者もいること、さらにはドイツの軍人の中にさえスルリックがユダヤ人であることを知りながら黙認する者もいることが描かれています。その中を縫って身上と名前を偽り生き延びるユダヤ人少年の意思と幸運と、寛容で温かい人々の存在を噛みしめる作品です。

 原題が、ドイツ語で " Lauf junge lauf "、英語では " Run boy run " となっていて、逃走、森・草原・農家を渡り歩く点にポイントが置かれているのに対して、邦題では名前を偽って生きることの方にポイントが置かれています。労働事件でも使用者側の弁護士が労働者の経歴詐称を見つけると鬼の首でも取ったかのように解雇理由として声高に主張し、「マイナンバー」などと実態に合わない明るい名前を付けて目的を隠した国民総背番号制が実施されようとしている現在の日本は、訳ありで素性を隠して生きざるを得ない弱者には生きづらく、その存在を認める寛容さがほぼ失われようとしています。そういう弱者に冷たい現在の日本社会では、名前を偽ること/偽らざるを得ないことへの衝撃の方が大きいということでしょうか。

 ドイツが降伏した後、スルリックに、匿ってくれた農場の人々の元で生きるか、ワルシャワのユダヤ人孤児収容所でユダヤ人として生きるかの選択が求められます。父に言われた、父と母のことは忘れてもいいが、ユダヤ人であることを隠して生きていてもユダヤ人であることを忘れるなという言葉が効いてくるのですが、これだけ温かさと寛容さ、冷酷さと狭量は職業や国籍などの属性ではなくその人によるという事例を重ねながら、最後には民族のアイデンティティを優先させようという描きぶりには違和感を覚えました。ユダヤ人として生きることの先にはイスラエル建国があり、そこではパレスチナの民への加害が待っているのですが、そのことにはまったく言及されません。ドイツ人監督には、そのことはタブーなのでしょうけれども、抽象的なアイデンティティよりは辛い時に助けてくれた人々への愛をより描いて欲しかったと思います。

2015年9月13日 (日)

天空の蜂

 原発テロをテーマとしたサスペンス映画「天空の蜂」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前10時30分の上映は8割くらいの入り。

 1995年8月8日朝、「錦重工」が製造した自衛隊の大型輸送ヘリ「ビッグB」の納品式に見学に訪れたヘリの設計者湯原(江口洋介)の息子高彦がこっそり乗り込んだビッグBが、何者か(綾野剛)に遠隔操作されて飛び立ち、敦賀市にある高速増殖原型炉「新陽」上空800m上空でホバリングを開始した。午前8時、政府に対し、天空の蜂と名乗る者から、すべての原発のタービン棟を破壊して発電不能とすることを要求し、要求が実現しない時は爆発物を搭載したビッグBを新陽の原子炉に墜落させる、燃料切れは早ければ8時間後の午後4時というメッセージが届けられた。湯原は新陽に急行し、錦重工の原発設計者三島(本木雅弘)と議論と対立、協議を重ね、高彦の救出と事件の解決に向けて知恵を絞るが…というお話。

 前半は、家庭を顧みないワーカホリックの父親と、父親に愛想を尽かし心が離れた母親の元で、父親にやや複雑な感情を持つ小学生との父子関係の絆がテーマとなっています。江口洋介の悔恨と焦燥、歓喜の演技は、東野圭吾のガリレオシリーズ主役の福山雅治よりも「そして父になる」っぽいかもしれません。この前半のクライマックスとなる救出劇は、たぶん子持ちの親には、涙なしには見られません。

 技術者としてのこだわりを見せ続ける原発設計者の三島、「新陽」にビッグBが墜落しても格納容器は壊れないと自信を持っていますが、その根拠は何だったのでしょうか。「新陽」のモデルはいうまでもなく「もんじゅ」です(そもそも日本にある高速増殖原型炉って「もんじゅ」だけですし、敦賀市にあるというわけですし)が、「もんじゅ」の格納容器って、設計圧力は内圧で0.5気圧、外圧で0.05気圧。軽水炉(普通の原発)の格納容器の設計圧力が3~4気圧なのと比べてもかなり貧弱です。設計圧力は航空機墜落の衝撃力耐性と直接には結びつきませんが、もんじゅは航空機防護設計がなされていません(設計上航空機防護が考慮されているのは青森県六ヶ所村の施設だけです)し、ビッグBが落ちてくる上方向(天井)には格納容器の外側のコンクリート壁(遮蔽壁)もなく、建屋の天井の下はすぐ格納容器(上部は厚さ19mm)です。航空機墜落に耐えられるかの評価もされておらず、技術者として、壊れないという根拠はないはずですが。

 犯人の動機と真意、サスペンスの根幹部分ですので、具体的には書きませんが、今ひとつ、この作品では理解しにくい。背景が描写されており、複雑な思いをもっていること自体は理解できるのですが、それが事件での行動と結びつくのか、結果としてどうしたかったのか、ストンと落ちません。映画の尺の関係で描ききれなかった部分があるのか、いずれは原作を読んで考えてみたいところです。

 入館者名簿の書き換え問題、筆跡の同一性がランプで照らしてみるだけですぐ判定できるのか、疑問です。率直に言えば、そんなことで時間を使うよりも入館者名簿の原本の消した跡の復元の方がよほどトライする価値があると思います。
 ラストのビッグBの処理も、あの状況になったら、ミサイルで破壊した方が楽だと思うのですが。

2015年9月 6日 (日)

アンフェア the end

 人気テレビドラマシリーズの映画化第3弾「アンフェア the end 」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン2(301席)午後4時の上映は9割くらいの入り。

 前作で警察の裏組織の秘密情報の入ったUSBメモリのファイルを開くことに成功した雪平夏見(篠原涼子)は、その情報の活用方法を思案しつつ、警視庁捜査1課での勤務を続けていたが、ある日前作で雪平を取り調べ雪平に脱走を焚きつけた村上検事とその父の元検事総長が殺害され、雪平は最高検監察指導部の武部検事(AKIRA)に呼ばれ、村上検事らは裏組織に属していたとして、情報提供を求められる。村上検事ら殺害の容疑者として別件逮捕された津島(永山絢斗)は、雪平と2人きりにしてくれたら話すと言って、雪平に、自分は警察・検察・裁判所が一体となった裏組織にはめられた、トラックを運転していた自分の父親がサイレンも赤色灯も点けずに時速100km以上で突っ込んで来た白バイにぶつけられたのを白バイはサイレンを鳴らし時速90km未満で進行していたのに速度を落とさなかったとして有罪にされ自殺した、自分はその父親の雪冤のため調査していて裏組織の監視サイトに侵入して重大な情報を入手した、その情報を外国人ジャーナリストに提供する予定だった日に逮捕された、自分は雪平が警察に監視されているのを知っている、警察から監視されている雪平ならば信用できると打ち明けた。このままでは、自分は一生娑婆には出られなくなり、警察の裏組織の悪事を暴くことができなくなると言う津島に雪平は…というお話。

 誰が味方で誰が敵か、その裏切り、どんでん返しに、過剰なまでにこだわった作品で、基本的にはそれが見どころです。そのため、ストーリー展開に関することは書きにくいので、触れません。どんでん返しに関しては、エンドロールの中で、親切に解説されています。
 裏切りの描写が続くので、見ていて殺伐とするというか、心がささくれ立ってくる感じがしますし、こんなにも簡単に人を殺すかなと思う、アクションというよりはスプラッターに分類してよさそうな銃撃・流血シーンの連続で、印象はとても暗い。
 しかし、それにもかかわらず、その暗い情念と重苦しさの中でなお残る人間関係というか、情と哀感がやはりテーマとなっているように思えます。

 話題になっている篠原涼子のヌードシーンは、必然性が感じられず、いかにも話題作りの印象を持ちます。このシチュエーションだったら、シャワー浴びないでしょ、と思う。

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