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2015年8月

2015年8月30日 (日)

テッド2

 しゃべるテディベア「テッド」の結婚と市民権への挑戦を描いたコメディ映画「テッド2」見てきました。
 封切り3日目日曜日、TOHOシネマズ新宿スクリーン9(499席)午前10時30分の上映は9割くらいの入り。

 しゃべるテディベアのテッドは、バイト先のスーパーの同僚のタミーリン(ジェシカ・バース)と結婚したが、1年後には夫婦関係は悪化、局面を打開するために子どもを作りたいとタミーリンに打ち明けて賛同を得て、精子提供者を求めて人工授精をするが、医師からタミーリン自身が過去の薬物摂取で身体がガタガタで妊娠不能と告げられる。あきらめられずに養子をもらおうとしたテッドとタミーリンは、その手続で政府の調査を受け、テッドは人間じゃないから養子縁組はできないと宣告され、結婚も無効とされ、勤務先からも解雇されてしまう。親友のジョン(マーク・ウォールバーグ)と相談して、市民権を認めさせる裁判を起こすことにしたテッドは、一流の弁護士事務所に相談するが、弁護料が払えないことから、所長の娘の成り立ての弁護士の初仕事としてプロボノで(公益活動として無料で)受けてもいいと言われて依頼することになるが、弁護士のサマンサ(アマンダ・セーフライド)の部屋を訪ねると強力な違法薬物が置かれていて…というお話。

 コメディなんですが、笑いを取る部分は単発的でギャグの寄せ集めの印象があり、かわいいテディベアが下品な言動を繰り返すギャップの衝撃はすでに前作で使い尽くして慣れたところがあり、その点ではパワーダウンした感じです(前作も見たんですが、感想記事書いてないのは、どうしてだったか…)。
 ストーリー的には、市民権を否定され裁判を決意して以降、タミーリンとの絆は深まり、裁判に向けてジョンとテッドとサマンサの調査が続き、サマンサのヤク中ぶりから来る脱線はあるものの、権利への闘争が比較的まじめに追求されて行きます。
 裁判のテーマはテッドは人間か property (日本語字幕では「所有物」と訳していましたが、法的な概念としては「財産」か「物」と訳した方がいいと思います)かということです。相手方の弁護士が、簡単なことだとバカにしていましたし、そうも思えますが、上訴審で人権派の大物弁護士ミーガン(モーガン・フリーマン)が示唆するように、少し検討すべきことがあるように思えます。
 私が、もしこの事件で、陪審に訴えかけるとしたら、次のようなことを論じるでしょう。被告側弁護士は、テッドは、布と綿でできているから人間ではないと論じました。技術の発展はめざましいものがあります。事故に遭って身体のほとんどを失った人が現在のあるいは近い将来の医療技術で身体のほとんどをチタンやカーボンの材料で再生した時、その人の身体の「素材」が金属だとかカーボンだからということでその人は「人間ではない」ことになるでしょうか。極端な話、身体の損傷の度合いによって、脳以外のすべてが人工の素材で再生された場合でも、その人が人間であることは間違いないのではないでしょうか。その場合、その人の脳も強いダメージを受けてその人の記憶をプログラムした人工知能に置き換えられたらどうでしょう。その場合は、その人はサイボーグあるいはロボットであって人間ではないということになるでしょうか。そうだとすれば、そこでは、人間であるかどうかの境界線は、その人の意思、思考がプログラミングされたものでない、独自のものであることにあると考えられます。テッドは、被告側の弁護士が指摘した通り、生まれた時はただのテディベアとして製造されました。決まった言葉だけがプログラミングされ、機械的にしゃべるだけでした。しかし、その原因はまったくわかりませんが、ジョンと過ごすうちに、テッドは予めプログラムされた範囲を遥かに超えて、人間の言葉をしゃべり、独自の意思と思考を持ち、行動するようになりました。このテッドの自由な意思と思考は「製造者」が作ったものではありません。テッド独自のものです。そしてテッドの意思と思考は、他の人間がまさに「人間のもの」として理解し、コミュニケーションできるものです。独自に人間の意思と思考と言葉を持ち操るテッドは、人間としての特徴を持っているのではないでしょうか。
 なんだか、けっこう微妙な問題に見えてきませんか。相手が、陪審じゃなくて、職業裁判官なら、言っても無駄でしょうけど。
 ところで、アメリカ映画なんですから、当然調べて作ってるんでしょうけど、アメリカの民事裁判で、上訴審でも陪審が審理するんでしょうか。私が聞く限りでは、陪審は第1審だけのはずですし、日弁連のサイトのアメリカの裁判制度紹介のページでも、そう書いてるんですけど…

2015年8月23日 (日)

ジュラシック・ワールド

 「ジュラシック・パーク」シリーズ第4作の「ジュラシック・ワールド」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前11時10分の上映はほぼ満席。アメリカでは2015年6月12日公開で初週末興収は全米・世界とも歴代新記録、累計興収は全米・世界とも歴代3位(いずれもアバター、タイタニックに次ぐ)。しかし、日本では、「この夏最高」の興収ではあっても、累計で年間1位にも達しない見通し。世界歴代5位の興収を記録した「ワイルド・スピード SKY MISSION」が日本では普通のヒットレベルだったことと合わせ、市場の違いを感じさせます。

 離島にオープンした恐竜パーク「ジュラシック・ワールド」は、恐竜が闊歩する中を球形の乗り物ジャイロスフィアでドライブするアトラクションや巨大な水生恐竜モササウルスの水中ショーなどで人気を博していた。しかし、利益減少に悩む現場責任者のクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は、集客と投資家へのアピールのため、研究所の責任者ウー(B・D・ウォン)に命じ新種の恐竜の開発を進め、遺伝子操作により高い知能とさまざまな能力を持つ体長15mに及ぶ肉食恐竜インドミナス・レックスを作りだした。一方で、飼育係オーウェン(クリス・プラット)が凶暴な肉食恐竜ラプトルを指示して抑制する様子を見たホスキンス(ビンセント・ドノフリオ)は、恐竜を調教して兵器化することをもくろむ。クレアの甥のザック(ニック・ロビンソン)とグレイ(タイ・シンプキンス)がクレアの招待で「ジュラシック・ワールド」を訪れたが、クレアは同行する暇もなく、助手のザラ(ケイティ・マクグラス)に任せて、オーナーのマスラニ(イルファ・カーン)の指示でオーウェンにインドミナス・レックスの防護壁の確認をさせていた。その際、インドミナス・レックスが逃走し、追いかけた警備隊も歯が立たず、クレアはアトラクションを中止して客を退避させるが、中止前にジャイロスフィアに乗り込んだザックとグレイは呼び戻しに応じずドライブを続け…というお話。

 基本的に、恐竜の映像の迫力で見せる作品。
 オーウェンとラプトルの間の異種間コミュニケーションというか信頼関係の成否がテーマとなっていて、ラプトルの表情が読み取れるというあたりが1つの見せ場といえます。
 新種のインドミナス・レックスを、生まれた時から防護壁の中に囲われ社会性がない故に、凶暴で見たものをすべて殺すと位置づけているのは、恐竜がすべて生まれつき凶暴なわけではないという恐竜への「偏見」を諫めるようでもあり、オタク・引きこもりへの偏見を助長するようでもあり、少し複雑な思いを持ちました。
 インドミナス・レックスを凶悪な敵役にするために、他の恐竜を結果的に人間の味方のように位置づけ、善悪2元的に役割分担させてしまうのは、娯楽作品として見やすい/共感しやすいというメリットはありますが、恐竜ものとしてのリアリティ(元からないか)を失わせるようにも思えました。

2015年8月16日 (日)

アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン

 マーベルが握りしめた柳の下の2匹目のドジョウ「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」を見てきました。
 封切り7週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3(60席)午前11時40分の上映は8割くらいの入り。
 興行収入は世界歴代6位、全米歴代8位。公式サイトが「歴代1位の『アバター』、同2位の『タイタニック』に迫る勢い」と書いていたのには、後半の伸びがなく及びませんでしたし、前作に及ばなかったこと、同じ2015年公開作品の「ワイルド・スピード SKY MISSION 」に世界興収では追いつけず、「ジュラシック・ワールド」に世界・全米ともに追い抜かれたことで大ヒットのイメージが損なわれましたが、客観的な数字を見る限り、興行収入としては歴史的な作品となりました。

 ロキの杖の力を用いて新たな戦闘兵器開発を続ける敵組織「ヒドラ」に攻め込んだアベンジャーズは、人体実験により目に見えないほどのスピードで動く超能力を身につけたクイックシルバー(アーロン・テイラー=ジョンソン)と人の心を操る魔法を身につけたスカーレット・ウィッチ(エリザベス・オルセン)の双子に襲われ、トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)はアベンジャーズが殲滅された幻を見て愕然とする。ロキの杖と棺に入った兵器を回収したトニー・スタークは、それを用いて、アベンジャーズの仲間にも秘密裡に人工知能の開発を進めるが、未完のまま動き始めた人工知能「ウルトロン」は、トニー・スタークが与えた目的である平和の維持について、人類を滅亡させることこそが平和の実現と考え、スタークの基地を飛び出し、人類滅亡に向けて準備を進め…というお話。

 前作の「アベンジャーズ」からのストーリーのつながりは、ほとんどありません。冒頭部分で何の説明もなく登場する敵組織「ヒドラ」とその指揮下にある人体実験により超能力を身につけた双子は、前作「アベンジャーズ」ではなく、「キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー」の本編とエンドロール後に登場してそこからの続きのようです(私は「キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー」見てませんので、ネットで調べた限りでは)。関連作品全部見てる人にしかわからないストーリー展開って、不親切に過ぎると、私は思うのですが。
 前作と比べて、「情」の部分が、ハルク(マーク・ラファロ:前作に続き、本来のエドワード・ノートンではありません)とナターシャ(スカーレット・ヨハンソン)の恋愛感情と、ホーク・アイ(ジェレミー・レナー)の家族愛くらいで、だいぶ薄まっています。しかも、ナターシャのハルクへの愛の告白は、ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)の指示による作戦的なものとされ、終盤でしらけます(あっ、これは明らかなネタバレ (^^ゞ)。
 双子がアベンジャーズに敵意を燃やした原因が、双子の両親を殺害した爆弾と退避後も自らの命を脅かした2発目の不発弾がスターク産業のものだったことにあるという設定は、兵器産業を経営して財をなした死の商人であるトニー・スタークが平和を言う欺瞞、平和の維持のためには武力が必要という「積極的平和主義」、そういったアメリカ的な「正義」への疑問を呈しているようにも見えます。しかし、その双子が、結局は、それほどきちんとした説明もなくアベンジャーズ側に付いてしまう(あっ、これもネタバレですね (^^ゞ)のでは、問題提起としても響きません。
 その結果として、戦闘シーンが中心をなし、人間ドラマとしての深み/掘り下げを感じにくい作品となっているように思えます。

 ラスト付近で、勝っても負けても、敵はなくならないという台詞があり、いかにも続編があるぞと示唆し、エンドロールの後には、敵(サノス、だそうです)が次は俺の出番だと、さらに明確に続編を宣言し、さらに一番最後には、「アベンジャーズは帰ってくる」と、とどめを刺すように続編を宣言しています。「アベンジャーズ」というタイトルとテーマなら柳の下に2匹目のドジョウがいると証明されたからには、3作目が作られるのは当然なのでしょうけど、ここまでくどく繰り返す必要があるのでしょうか。センスを疑います。

2015年8月 9日 (日)

ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション

 スパイアクションシリーズ「ミッション:インポッシブル」の第5作「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション」を見てきました。
 封切り3日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前10時50分の上映はほぼ満席。

 ウクライナからVXガスを積んで飛び立つ軍用機に飛び乗り、計画を阻止したイーサン・ハント(トム・クルーズ)は、ロンドンで新たなミッションの指示を受けようとしたところ、生死不明のスパイたちからなる「シンジケート」の手に落ちる。手錠をかけられた状態で目覚めたイーサンと薬物を注射しようと準備していた謎の女イルサ(レベッカ・ファーガソン)の前に凶器を携えた男が現れイルサを追い出してイーサンを攻撃しようとした時、イルサがイーサンに手錠の鍵を投げその男を倒した。追っ手を振り切って逃げ出したイーサンは、IMF(Impossible Mission Force)本部のブラント(ジェレミー・レナー)に「シンジケート」の存在を告げるが、本部ではハンリー長官(アレック・ボールドウィン)の意向でIMFの解体とCIAへの吸収が決定され、イーサンは国際手配の身となっていた。イーサンは、ロンドンの拠点で見かけた男を追って、ウィーンでの要人暗殺計画を知り、CIA本部で囲われの身のベンジー(サイモン・ペッグ)をオペラ座に呼び寄せるが…というお話。

 一番話題になったトム・クルーズの戦闘機張り付き映像は、作品のストーリーにはほとんど関係がないエピソードで、「ミッション:インポッシブル」だぞという気分を作るというか、つかみとしてはいいのですが、後から振り返ると何だったのかなと思ってしまいます。

 どちらかというと、長時間の素潜りとか、カーアクション、バイクアクションなどの、「新兵器」によらないアクションが見せ場になっています。マスクによる変装とか、自白剤の注射弾とか、アイテムも登場しますが、むしろ古くからあるパターンの発想です。

 今回は、IMFの仲間たちの友情がより強調されています。アクションのパターンとも合わせて、基本的には古い作りの作品だと思います。それを前提に、オーソドックスなスパイアクションものの正統ぶりを追求したところを評価するか、あるいは、そもそも面白ければいいじゃないという姿勢で見るのが正解なのだろうと思いました。
 ミッション:インポッシブルシリーズへの愛着を持つ、あるいはトム・クルーズファンには、トム・クルーズのアクションも、ラストの落とし方も、おそらく文句なく満足できる作品だと思います。

 謎の女イルサ。アクションもかっこよく、位置づけがわかるとその行動も理解でき、入り込める気もするのですが、あくまでトム・クルーズを食わないようにお客様的な扱いです。性格設定・台詞をもう少しクールにすると、もっと光った印象を与えられたんじゃないかな。

2015年8月 2日 (日)

人生スイッチ

 アルゼンチンで「アナと雪の女王」を抜いて歴代興行収入1位を記録したというブラックコメディ映画「人生スイッチ」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国20館、東京で4館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午前11時25分の上映はほぼ満席。

 ①近くの席の若い女性に声をかけてその女性が自分がかつて酷評したミュージシャン志望者の元カノであったことを知り、それを契機に乗り合わせた乗客がすべてそのミュージシャン志望者の知り合いと知った音楽評論家(ダリオ・グランディネッティ)、②雨の夜にやってきた一人客が、かつて父親を破滅させ、父親が死んだ後母親に言い寄った高利貸しであることに気づいたウェイトレス(フリエタ・ジルベルベルグ)、③前を行く車を追い越しざまに田舎者と罵り先行したが、タイヤがパンクして慣れないタイヤ交換作業中にその車に追いつかれたドライバー(レオナルド・スバラーリャ)、④駐車禁止の表示がないのに車をレッカー移動され役人に抗議しても記録上は駐車禁止区域だと無視されて罰金を払わされ、そのために娘の誕生パーティーに間に合わず妻からも愛想を尽かされた爆破技術者(リカルド・ダリン)、⑤バカ息子が妊婦をひき逃げして錯乱して戻り、弁護士を通じて検察官を買収し使用人を身代わりにしようとする富豪(オスカル・マルティネス)、⑥新郎の招待客の同僚の女性との関係を知り逆上して式場から飛び出して声をかけてきた見知らぬ調理師の男を屋上でセックスしているところを新郎に見られて開き直り、結婚したのだから財産は自分のもの、これからも優しげな男を見たら毎晩セックスしてやると毒づく新婦(エリカ・リバス)らの突っ走った先は…というお話。

 6話のオムニバスで、何らかの関わりを作るかと思いながら見ていましたが、最後までまったく関係なく6つの短編映画が並べられているだけです。
 第1話「おかえし」、第2話「おもてなし」、第3話「エンスト」は、まぁ意外な結末と言えば意外な結末ですが、単純なストーリーで、第1話はアイディア一発勝負、第2話はアイディアとしても不発気味で笑えず、第3話はだいたい予測できるけどその予測をくどく愚直にやるところで笑いを取るというところです。
 第4話「ヒーローになるために」は、日本で言えば交通警察のネズミ取りのような、姑息な手段で一般市民を引っかけて罰金をかき集め、抗議しても平気な役人の姿に対する一般市民の恨みの集積を感じさせます。役人の卑劣なやり口と傲慢な態度に怒りながら、妻には離婚を言い渡され、会社には解雇されと追い込まれ凋落していく技術者の姿が、哀れを感じさせますが、最後に技術者が打った手が、ささやかな快感を呼びます。この作品の中で一番ストーリー展開が考え抜かれ、主人公だけでなく庶民の気持ちも代弁されており、秀作だと思いました。
 第5話「愚息」は、ひき逃げをして家に逃げ込み泣き崩れるどうしようもないバカ息子を父親が雇った弁護士が検察官と交渉して金で取引して使用人を身代わり犯人にしようとするという展開で、弁護士も検察官も金で正義を売ろうという人物に描かれています。このあたり、アルゼンチンでの司法に対する評価が表れているのでしょうか。日本の感覚では、検察官が金で買収されるということはほとんど考えられず、弁護士もそうと知りながら身代わり犯人を立てようなどということはまず考えられないと、私は思いますし、ドラマ・映画レベルでもそういうのはほとんど見ないと思います。司法制度への信頼感の違いが見られるところに、弁護士としては興味を持ちました。
 第6話「HAPPY WEDDING」は、どう見るべきでしょうか。新郎が同僚と関係を持っていたというのは、少なくとも交際中も二股かけていたわけですから非難されて然るべきだとは思うのですが、でもそれで結婚式の最中に見知らぬ男とやっちゃう新婦って、いくらなんでも酷くない?やっぱり結婚前の浮気と結婚後の浮気は同列には見れないと思いますし。文化の違い、なんでしょうか。

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