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2015年6月

2015年6月28日 (日)

グローリー 明日への行進

 マーティン・ルーサー・キングJr牧師が率いたセルマでの行進と血の日曜日事件を中心に公民権運動とキング牧師を描いた映画「グローリー 明日への行進」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、TOHOシネマズシャンテ1(224席)午後1時35分の上映は7割くらいの入り。

 1870年に法律上は黒人にも選挙権が認められたが、黒人が選挙権登録に行くとさまざまな嫌がらせを受け登録が拒否され、1965年時点でアラバマ州のいくつかの郡では過去50年間選挙権登録を認められた黒人は一人もいなかった。そして陪審員は選挙権者から選ばれるため、黒人の陪審員はおらず、黒人が白人に殺害されても有罪となることはなかった。1964年にノーベル平和賞を受賞したキング牧師(デヴィッド・オイェロウォ)は、民主党のリンドン・ジョンソン大統領(トム・ウィルキンソン)に黒人の選挙登録の妨害をさせないための「投票権法」の制定を迫るため、1965年3月7日、アラバマ州セルマから州都モンゴメリーまでのデモ行進を企画した。しかし、セルマを出るエドマンド・ペタス橋の出口で待ち構えていた州警察と白人の民兵がデモ隊に催涙ガスを撒き警棒で滅多打ちにした(血の日曜日事件)。黒人が次々と殴り倒されるニュース映像を見て全国から白人を含めた支援者がセルマに駆けつけ、キング牧師は再度行進を始めるが…というお話。

 キング牧師を描いた長編映画はこれが初めてだそうです。公式サイトのプロダクションノートでは、監督の意向として「キング牧師という神聖不可侵の偶像の覆いを剥ぎ取り、彼を血の通う生身の人間─欠点や迷いを抱えながらも、周囲の人々の尽力によって支えられた不屈の闘志を持つ人間として描き出したい」とされ、絶えず自身や子どもへの殺害予告に悩まされる姿、その不安にさらされ続ける妻コレッタ(カーメン・イジョゴ)との確執、キングの私生活を盗聴し続け電話で不倫テープを聴かせるFBIからの嫌がらせなどが描かれています。
 しかし、私の目には、それよりもこの映画では、ジョンソン大統領との直接交渉も含め、キング牧師と政権側のやりとり駆け引きの場面が多数登場することが、キング牧師の活動をきちんと捉えたものと映りました。ともすれば、非暴力不服従運動について、ガンジーも含めて非暴力でデモをしていれば運動的に勝てるかのような幻想がもたれがちですが、非暴力のデモで世論に訴えながら、目標を実現するためには政権との交渉駆け引きが不可欠であり、政権に要求を飲ませるための政治力、運動と提案の構想力が必要だと思います。そういう部分を普通に描いているところに見識を感じます。

 この作品は、時期的には、キング牧師の運動の一つの頂点と言えるワシントン大行進とそこでの  " I have a dream " 演説の後から始まっています。キング牧師の映画でありながら、あえて、かの有名な  " I have a dream " を回避しています。アラバマ州でのアニー・リー・クーパー(オプラ・ウィンフリー)の選挙権登録が拒否されるシーンから始めて、ワシントン大行進直後の1963年9月のバーミングハムでの教会爆破事件に至ります。この教会爆破事件で4人の黒人少女が犠牲になり、犠牲者たちに弔辞を捧げながら、復讐を抑え非暴力を説くキング牧師の演説は、非暴力運動の悩ましさ、苦悩を体現するものですが、この作品ではそのシーンはカットされています。セルマでの夜間デモ行進に対して警官隊が弾圧を加え喫茶店に逃げても追ってきた警官隊から両親を守ろうとしたジミー・リー・ジャクソン(キース・スタンフィールド)が警官に発砲され、死亡します。この葬儀の際の演説、「誰がジミー・リー・ジャクソンを殺したか」が、この作品でのキング牧師の演説のクライマックスとなります。 " I have a dream " ではなく、「あなたの敵を愛せよ」でもなく、演説集では少し地味な印象の「誰がジミー・リー・ジャクソンを殺したか」かと、少し驚く選択ではありますが、デヴィッド・オイェロウォの演説は迫力があり、人々をセルマの行進へと駆り立てて行き、映画の構成としても説得力がありました。
 キング牧師の生涯というような描き方ではなく、ポイントを投票権法に向けたセルマでの運動に絞り、それに合わせて演説も、「誰がジミー・リー・ジャクソンを殺したか」に事実上絞ったのは、効果的ではあります。しかし、それならば、バーミングハムでの教会爆破事件の入れ方はむしろ中途半端(アメリカではそれだけでピンとくるのでしょうけれど、日本の観客には説明もなくその後のフォローもないとよくわからない印象だと思います。まぁ日本の観客向けに作ってないでしょうけど)に思えます。バーミングハムでの教会爆破事件を入れる以上は、ワシントン大行進の勝利への白人差別主義者からの反撃としての爆破事件とそれによる黒人・キング牧師の衝撃、その中での復讐を思いとどまるよう語るキング牧師の苦悩というセットで描かれるべきでしょう。また、そういう描き方なら、1964年のノーベル賞受賞演説も入れる必要があったか…

 冒頭の、アニー・リー・クーパーの選挙権登録に嫌がらせをして拒否するアラバマ州の役人、それを指示し容認しているアラバマ州知事ジョージ・ウォレス(ティム・ロス)の姿を見て、50年前のアメリカ南部は、なんて酷いところだったろうと、観客のほとんどが思ったと思います。
 しかし、私には、この法律上は権利がありながら役所の窓口で不法に権利行使を拒否されるアニー・リー・クーパーの姿、それを指示し容認しながら大統領から指摘されると役人が勝手にやっているとうそぶくウォレスの姿に、生活保護が法律上の権利でありながら受給要件を満たす困窮者を、あの手この手で申請させずに窓口で追い返す「水際作戦」を敢行している現在の日本の役所と、不正受給のケースを言い立てて生活保護を受けることが悪いことであるかのような不正受給・自己責任キャンペーンを繰り広げる政治家とその尻馬に乗るマスコミの姿が重なりました。

2015年6月21日 (日)

グッド・ストライプス

 交際4年のマンネリカップルができちゃった婚をすることになり相手を見つめ直す恋愛映画「グッド・ストライプス」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、現時点で全国3館、東京で唯一の上映館の新宿武蔵野館2(84席)午前11時の上映は8割くらいの入り。

 8月、28才のウェブクリエイター真生(中島歩)が3か月のインド出張となり、交際相手の緑(菊池亜希子)とインド料理店で2人の送別会をするが、雰囲気は盛り上がらず、うちに寄ってくと誘う真生に緑は気が乗らない様子。インドから真生は緑に毎日メールを送るが、緑は素っ気ない返事を返し、2か月後にはメールも返さなくなった。10月のある日、妊娠に気がついた緑は、11月に帰国した真生とともに真生の母(杏子)の産科を受診し、妊娠5か月だと告知される。産科の休憩室で真生から「結婚するよね」と言われた緑はその場で承諾し、緑は真生の部屋に引っ越す。緑の飼う亀のカシオペアの水槽の置き場所やCDの整理など細々としたところで衝突しながら日々が過ぎ、真生は小学生の時に別れたきりの父親(うじきつよし)と連絡を取り、緑がアルバイトを続けるレストランで引き合わせた。次は2人で緑の実家を訪ねることになり、お姉ちゃんとは話さないでという緑を尻目に真生は姉に緑の部屋に案内されて金髪で口ピアスをする緑の写真を見て…というお話。

 大雑把で我が強い緑と優柔不断で神経質な真生のマンネリカップルが、緑の妊娠を機にできちゃった婚をすることになり、同居し、相手の家族と会う過程で、4年間交際しつつも知らなかった相手の性格や出自を知り、衝突しながらも相手を再認識し関係を深めていくというのがメインテーマとなります。些細なことで衝突しながらもともに過ごす日常の中で相手をいとおしく感じていくしみじみとした情の深まりが微笑ましく思えます。
 この2人の関係が続くのには、緑の側では我が強くてもそれは自分の気持ちに正直なというレベルで意地悪ではなく真生を追いつめる姿勢がなく、真生の側では神経質に文句を言いつつも緑の行動を制約する物言いはせずキレないということが、大きく寄与しているように思えます。
 しかし、バンドをやりたくて東京に出て来た自由への欲求が高い(亀にカシオペアと名付け左腕に亀のタトゥーをする緑は、当然に、ミヒャエル・エンデの「モモ」の信奉者でしょう)貧しい生まれで現在もレストランでアルバイトを続けるワーキングプアの女性が、小学生の時に両親の離婚を経験したとはいえ母親は産科の医者で別れた父親もそれなりに知名度のあるカメラマン、大学時代の友人は気取ったビジネスマンばかりで自分も仕事で苦労する場面が一度も出てこないカタカナ仕事の中流より上層出身の苦労知らずの男性と、神社で神前結婚をして仕事を辞めて専業主婦になるという形で、牙を抜かれ社会秩序に組み込まれていくという点が、いやらしく感じられます。個人の性格レベルで言えば、緑の方が真生よりも強くたくましいにもかかわらず、「女性」である緑が「男性」である真生に、「貧しい生まれ」である緑が「恵まれた生まれ」の真生に、依存して生きる道を選んだ/選べというメッセージも、見て取れるわけです。
 真生の覇気のなさ、中身のなさは、私のようなおじさんには、見ていてイライラするほど。緑の妊娠中、緑が遅くなるのを幸いに(だいたい同居の婚約者が遅くなると電話してきて「やった」ってつぶやくくらいなら、結婚しなきゃいいと思う)大学時代の女友達と、逢瀬を重ね、それでいながらセックスしていて「動物みたい」とつぶやく(相手にそう言うなら自分は何?)真生の人間性、それが誰からも非難されることもなく、こともなげにハッピーエンドにつなげていく構成は、この人物を肯定的に描いているのだと思いますが、私には終始一貫、真生という人物を理解できず、好感を持てませんでした。冒頭に、真生が「緑は心が死んでいる」と(心の中で)つぶやくシーンがありますが、その時点から最後まで、心が死んでるのはお前だろうがと思い続けていました。幼い頃から、何かを期待するとそれと違うことが起き続けてきたから何も望まなくなったと言い、それを結局は父親のせいにする(憧れていた父親が自分の期待と違う態度をとったことで拗ねて怒りを露わにする)真生には、私は同情も共感も感じられませんでした(制作者は真生をかわいそうと思えという意図でしょうけど)。

2015年6月 7日 (日)

サンドラの週末

 労働者の過半数にボーナスを放棄させたら解雇を撤回するといわれたメンタルヘルス不調からの復職を目指す労働者の苦悩の闘いを描いた映画「サンドラの週末」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、全国で12館、東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午後0時25分の上映は3割くらいの入り。

 メンタルヘルス不調で休職していたが医師から完治したといわれ復職しようとしていたサンドラ(マリオン・コティヤール)は、勤務先のソーラーパネル工場から解雇を言い渡され、社長はサンドラ以外の労働者16人の過半数が1000ユーロのボーナスを放棄するならサンドラの雇用を継続してもいいという条件を出したが、投票で14人がボーナスを選んだことを電話で知らされる。主任が、投票に当たってサンドラを解雇しなければ他の誰かを解雇すると脅したことから、サンドラの同僚が社長にかけ合い、月曜日に無記名で再投票を行うことを約束させた。同僚と夫(ファブリツィオ・ロンジョーネ)に励まされながら、サンドラは同僚が聞き出してくれた住所のメモを手に、週末に1人1人労働者の自宅を訪問し、月曜日の再投票で自分を支持してくれるよう要請して回るが…というお話。

 冒頭、サンドラに電話がかかってきて、相手の声は聞こえずただサンドラが「酷い」というところから始まります。この時点ですでにサンドラは復職しようとした矢先に解雇通告を受け、社長が労働者の過半数が1000ドルのボーナスを放棄したら復職させるという条件を出して、投票が行われて16人中14人がボーナスを選んだというところまで話が進んでいるのですが、そこはきちんと説明されず、同僚や夫の発言から次第にわかるという手法になっています。そこが少しわかりにくく、公式サイトのストーリーでさえ「ようやく復職できることになった矢先、ある金曜日にサンドラは突然に解雇を言い渡される。社員たちにボーナスを支給するためにはひとり解雇する必要がある、というのだ。ようやくマイホームを手に入れ、夫とともに働いて家族を養おうとしていた矢先の解雇。しかし、同僚のとりなしで週明けの月曜日に16人の同僚たちによる投票を行い、ボーナスを諦めてサンドラを選ぶ者が過半数を超えれば仕事を続けられることになる。」と書いています。これだと、サンドラが最初に受けた電話が解雇通告と受け取れますし、すでに第1回の投票が行われて16人中14人がボーナスを選択したことは、飛ばされています(これを書いた人は、映画を見て書いているのか、疑問に思います)。

 本来的には、会社側の経費削減の欲求から1人解雇したいというだけなのに、それを労働者に「サンドラか、ボーナスか」の選択を迫り、まるで解雇が労働者の意思によるかのような形を作ろうとする使用者側の悪辣さを背景に、サンドラが訪ねる労働者1人1人の苦渋の選択とサンドラの一喜一憂を描き、虐げられた労働者たちの心意気と悲しみ・屈従を描き出して、最後に冷酷で狡猾な使用者に対するサンドラのささやかな優越(労働者側の弁護士である私には、あまりにささやかで、また「勝利」とは言えませんが)を示しています。屈辱と苦悩の果てに見えるささやかな爽やかさが、この作品の味わいと言えるでしょうか。
 使用者のやりたい放題を放置し、それを労働者の努力が足りない、自己責任と言い、使用者にさらにやりたい放題を許す政策を、それが労働者のためにもなるかのように言って推進する輩が跋扈するこの国で、こういった使用者の都合を労働者の責任へとすり替える話はどこにでもある状況と言えるでしょう。今のこの国でこそ多数の人に見て欲しい作品だと思います。
 もっとも、頻繁に薬を服用し、相手の態度に一喜一憂しつれない対応に一気に落ち込むサンドラの姿を見ると、使用者側の弁護士からは、まだそもそもメンタルヘルス不調が十分治っていない、この状態で復職できないだろうという厳しい突っ込みが来そうではありますが。
 労働者を1人1人訪ねてサンドラがいう台詞は、一部変更されるものの、ほぼ全員に対して同じで、「社長が再投票を認めたの。主任が数人に圧力をかけたから。ボーナスをあきらめるのは大変だということはわかるけど、私を選んで欲しいの。私は働きたいし、私も稼がなきゃならないの。失業したくないの。」というだけ。直球勝負というか、人を説得するのにもう少し工夫できないのか、と思ってしまいます。メンタルヘルス不調から十分回復していないことの反映なのか、相手に大きな負担をかけるし、その後一緒に仕事を続けることを考えると、技巧的な説得はしたくないということなのか、それとも、おとぎ話(童話)的繰り返し手法なのか…

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