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2015年4月

2015年4月26日 (日)

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

 アカデミー賞受賞作「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、シネ・リーブル池袋シアター1(180席)午前10時の上映は5割くらいの入り。観客の年齢層はやや高め。全米でも週末興行成績が公開3週間はベスト10圏外、最高位が9位(6週目=2014年11月21日~23日、7週目=2014年11月28日~30日、8週目=2014年12月6日~9日)という作品ですから、日本での公開初週末6位、2週目9位はそれでも上出来なのでしょうか。

 20年以上前にスーパーヒーロー映画「バードマン」シリーズ3作に主演しスターになったが今は落ちぶれている俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、自分が俳優を目指したきっかけとなったレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら演出・主演してブロードウェイで公演しようと準備をしていた。しかし、プレビュー上演の前日、男優が事故で負傷してリタイアし、慌てて代役に売れっ子俳優マイク・シャイナー(エドワード・ノートン)を立てたが、マイクは台詞をどんどん変えていき、ニューヨーク・タイムズの劇評担当記者タビサ(リンゼイ・ダンカン)はマイクのインタビューを1面に載せ劇やリーガンのことは12面でわずかに触れるだけ、愛人の女優ローラ(アオドレア・ライズボロー)からは妊娠したと告げられ、アシスタントをさせている薬物依存症からのリハビリ中の娘サム(エマ・ストーン)とはすれ違い、リーガンは焦りを強め…というお話。

 冒頭シーンのリーガンの空中浮遊は、リーガンの地に足が付かない心境を示したものか、空虚さを示したものか、それとも単に超能力を印象づけたものか。
 度々登場するリーガンが手を触れずにものを動かすシーンと、空を飛ぶシーン。これがリーガンの超能力なのか、幻覚・幻想の世界のできごとなのかが、リーガンの怒り・焦りの心理描写とバードマンの姿のもう一人の自分の声の描写とが相まって、微妙な位置づけになっています。私には、精神的に追いつめられ動揺したリーガンの自我の危機を、幻覚・幻想が現実との境界を乗り越えて現れる形で表現している、「ブラック・スワン」でのナタリー・ポートマンのような表現を目指した作品なのだと思えました。

 タイトルから感じられるように前衛的な志向を持った作品で、リーガンの怒りと焦りからの精神的な破綻というテーマと相まって、基本的に暗い作品ですが、リーガンの親友で弁護士のプロデューサージェイク(ザック・ガリフィアナキス)のリーガンを現実に引き戻し抑える役回りと、リーガンの元妻シルヴィア(エイミー・ライアン)と娘サムの演技が怒鳴ったり泣き叫ばず抑えめにされていることで、落ち着きが保たれている印象です。
 薬物依存症の設定で、もっと泣きわめく演技もあり得ただろうエマ・ストーンの静かな表情や微かな笑顔にホッとさせられました。

 愛人の女優とのやりとりや公演をめぐるごたごたで疲れ果て精神的に追いつめられたリーガンが、正規公演初日に舞台を見に来た元妻(エイミー・ライアン)に昔を懐かしみ別れたことへの後悔を口にする場面、見ていて、特に中高年男性の観客の目線では、情にほだされるところですが…ここで別の展開もあり得たのかと考えるのは、中高年男性の願望・幻想/妄想なんでしょうかねぇ。元妻も、呼ばれもしないのに繰り返し楽屋などを訪れているのだから…と思うのですが。

 現実にそうではあり得ないながら、一見全編ワンカットにも見えるカメラワークが不思議な切迫感を持たせています。アカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞の他に、撮影賞も受賞しているのはなるほどと思えます。

2015年4月19日 (日)

ワイルド・スピード SKY MISSION

 ワイルド・スピードシリーズ第7弾「ワイルド・スピード SKY MISSION」を見てきました。
 封切り3日目日曜日、開業3日目のTOHOシネマズ新宿スクリーン9(499席)午前10時10分の上映は8割くらいの入り。

 前作でホブス(ドウェイン・ジョンソン)らアメリカ政府捜査官チームとドミニク(ビン・ディーゼル)らと戦って重体となったオーウェン・ショウ(ルーク・エバンズ)の仇を討つべく、元イギリス軍特殊部隊の凄腕暗殺者である兄デッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)は、ホブスのオフィスに侵入してホブスのコンピュータからドミニクら協力者のデータを持ち出し、東京でハン(サン・カン)を暗殺し、ドミニクに時限爆弾を送りつけた。東京に行きハンの遺品を持ち帰ってアメリカで葬儀を行っている時にデッカードを見つけたドミニクは追跡し、追いついて車を衝突させたところで降りてきたデッカードから銃を突きつけられるが、アメリカ政府の秘密組織の特殊部隊に救われる。その組織の長(カート・ラッセル)は、民間軍事組織が拉致した天才ハッカーラムジー(ナタリー・エマニュエル)を救出してくれれば、ラムジーが開発した監視プログラム「ゴッド・アイ」を自由に使わせる、それでデッカードの居場所はすぐにわかると、協力を持ちかける。ローマン(タイリース・ギブソン)が提案したアゼルバイジャン山中の奪回作戦場所に出撃すべく、ドミニクらは米軍の輸送機に乗り込むが…というお話。

 前作で飛行機で逃げようとするショウ(オーウェン・ショウ)を追った流れに、今回は「 SKY MISSION 」のタイトルも付けられ、やたらと高所からの落下・飛び出しのシーンがあり、アクションとしてはそれが見せ場となっています。
 アゼルバイジャン山中に急行するための米軍輸送機からの降下、アゼルバイジャン山中の崖際でのアクション、崖からの転落、ゴッド・アイのチップを追いかけてアブダビに転進しての高層ビル内でのカー・アクションとビルからの飛び出し、ロスでの武装ヘリとドローン(無人機)からのミサイル・機銃攻撃、高層駐車場からの飛び出しと続きますが、崖際で落下していく輸送車に閉じ込められたブライアン(ポール・ウォーカー)が危うく脱出するシーンと、アブダビの高層ビルから車で窓を突き破って逃走したドミニクらが隣接する高層ビルに飛び込むシーンが、一番スリリングに思えました。
 カー・アクション好きの観客の嗜好を狙ってでしょうけれど、水着の女性のヒップを狙ったカメラ目線の粘っこさを感じるシーンが多いのも印象的です。

 仲間=家族の絆の大切さを度々説くドミニクの、恋人/妻レティ(ミシェル・ロドリゲス)、妹の夫ブライアンへの親愛の情と苦渋を含んだ視線に心を揺さぶられました。
 前々作で死亡したとみられ、前作では記憶を失って敵として現れたレティが、仲間として行動しついには記憶を取り戻す展開はドミニクにはハッピーなはずですが、妹が子どもとの平和な日々を望みさらに第2子の妊娠も判明する中でブライアンが危険を冒すことへの複雑な思い、ストーリーとは別に撮影途中に事故死したブライアン役のポール・ウォーカーへの追悼の思いもあり、ドミニクの表情にはけだるさ・重さが感じられます。
 撮影中のポール・ウォーカーの死に伴い、一部の場面ではブライアンの顔がCG合成されているそうですが、私には全然わかりませんでした(そこに注目して見てたわけでもありませんが)。
 ラスト前のシーンからして、またしてもデッカードが相手の続編が予定されているようですが、今回の作品で準主役となっているブライアンを健在のままにしたら、続編ではブライアンはどうなったということにするのでしょう。

2015年4月12日 (日)

ソロモンの偽証(前編・後編)

 宮部みゆきのミステリー小説を映画化した「ソロモンの偽証 前編・事件」、「ソロモンの偽証 後編・裁判」を一気見してきました。
 「前編」は封切り6週目、「後編」は正規の封切りから2日目の日曜日、「前編」は新宿ピカデリースクリーン5(157席)午前11時55分の上映、「後編」は新宿ピカデリースクリーン3(287席)午後3時15分の上映で、いずれもほぼ満席。

 1990年12月25日、大雪の朝に城東第三中学に登校した2年A組の藤野涼子(同名:新人)と野田健一(前田航基)は、不登校だった同級生柏木卓也(望月歩)の死体を発見した。警察は自殺と判断したが、2年D組の大出俊次(清水尋也)らが屋上から突き落としたのを見たという告発状が校長と藤野宛に届いた。校長から相談を受けた警察の担当刑事佐々木(田畑智子)はカウンセリングと称して告発状の差出人探しを行い、三宅樹里(石井杏奈)と浅井松子(富田望生)に的を絞り、沈静化を図る。2年A組の担任森内恵美子(黒木華)宛の告発状が破棄されてゴミ棄て場に捨てられていたという通報を受けたテレビ局記者茂木(田中壮太郞)は、柏木拓也は殺されたと断定し担任が逃げる映像を入れたニュースを放映した。学校側は慌てて父母説明会を開催し、騒然とする父母に対し、佐々木が、目撃できる場所は学校の屋上しかない、クリスマスイブの深夜にその者はなぜいたのか、偶然居合わせることはあり得ない、見ていたのなら通報もせずに立ち去ったのか、実は目撃者などいないのだ、告発状はでたらめだと説明し、父母たちは納得した。両親からそれを聞いて動揺した松子は、樹里ちゃんのところへ行ってくると家を飛び出したが、そのまま車にはねられて死亡した。真実を知りたいという思いに悶々としながら3年生となった藤野は、柏木の小学校の同級生だという他校生神原(板垣瑞生)の示唆もあり、自分たちで裁判を開いて真実を明らかにしようと思い立つが…というお話。

 人を思いやる心に欠ける生徒の暴力・いじめや心ない言葉に傷つき動揺する子どもたちの生きづらさ、悩み、悲しみと、前向きにものごとに取り組み始めたときの瑞々しくはつらつとした様子、強さと希望を感じさせ、同時にその落差と両極端での揺れをも感じ、子どもを持つ親として改めていろいろに考えさせられました。
 親としての視点でいえば、藤野涼子の不安・不満・苛立ちを示す無言のシーンの目力、いじめられっ子で容姿に恵まれない松子の健気で純真な様に、思い惑わされ、涙します。
 校内裁判というテーマですが、裁判よりも、子どもたちの生き様とそれを見守る親たちの思いの方に感じ入りました。

 裁判については、中学生同士ということで、刑事裁判での検察側の優位を前提とした制度上の前提を取り払い、起訴状もなく、無罪推定もなく、立証も検察側立証からでなくいきなり弁護側の立証から入るなど融通無碍にやっています。尋問も、誘導尋問を排除することもなく、唸らせられる尋問もなく、いかにも素人くさくて、しかし、それがむしろ瑞々しくていいように思えました。
 結末については、これでよかったと感じるか、物足りなく感じるか、意見が分かれると思います。私は、裁判自体がテーマの作品ではないという前提で、これでよかったのだろうと思います(タイトルや、「嘘つきは、大人のはじまり」というキャッチコピーには違和感を覚えるというか、「偽りあり」と思いますが)。
 ただ、小林電気店の店主(津川雅彦)が、半年前に店の前の電話ボックスで電話していた見知らぬ生徒の顔を覚えているという前提はいかにも無理だと思います。業界人としては、目撃証言の信用性についてのこういう神話がどれだけの冤罪事件を生み出してきたかに思いを馳せたいところです。

2015年4月 5日 (日)

イントゥ・ザ・ウッズ

 おとぎ話の主人公たちの交錯とその後を描いたブロードウェイミュージカルを実写化した映画「イントゥ・ザ・ウッズ」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前11時25分の上映は7割くらいの入り。

 3晩続けて開かれる舞踏会に行きたいシンデレラ(アナ・ケンドリック)、おばあさんの元へパン屋から盗んだパンを届けに行く赤ずきん(リラ・クロフォード)、乳の出なくなった牛を売りに行くジャック(ダニエル・ハトルストーン)、そして子どもを身籠もらない理由が昔父(サイモン・ラッセル・ビール)が妊娠中の母が食べたがった隣の魔女(メリル・ストリープ)の庭に育つ野菜を盗みその際に魔法の豆を持ち帰ったために魔女に老婆になる呪いがかかり憤激した魔女が代々子どもが授からない呪いをかけたためと知り魔女から呪いを解くためには3日後の真夜中までに赤いずきんと白い牛とトウモロコシのように黄色い髪と金の靴を集めるようにいわれたパン屋夫婦(ジェームズ・コーデン、エミリー・ブラント)が、それぞれの願いを胸に森に入り、パン屋の夫は、妻が父の上着から見つけた魔法の豆でジャックから牛を買い、赤ずきんを助けてずきんをもらい、パン屋の妻は魔女がパン屋の母から奪って連れ去り塔の中に囲っていたラプンツェル(マッケンジー・マウジー)から黄色い髪を盗み、金の靴を片方はいて逃げるシンデレラから自分の靴と交換に金の靴を受け取るが…というお話

 原作がブロードウェイミュージカルでディズニーじゃないからなんでしょうけど、グリム童話がわりと忠実に採られています。
 シンデレラには魔法使いもカボチャの馬車も登場せず亡き母の墓での願い事で金銀のドレスが登場し鳥たちがシンデレラの願い事を叶えてくれます。灰の中から豆を拾うのが1回とか、王子から逃げ帰ったシンデレラが飼育小屋や樹の中に隠れるシーンがない、シンデレラの父が出てこない、義理の姉たちが足を切って靴を履いたのを鳥たちの告げ口じゃなく従者が気づくなどの違いはありますが、それは展開を速くするためでしょう。でもハシバミの木が大木になっているのは変える必要もないのにと違和感を持ちました。
 グリム童話では、舞踏会では王子を独占して一緒に踊り続けながら王子を撒いて逃げ帰る灰かぶりの気持ちは今ひとつわからず、謎の女・不思議ちゃんの印象ですが、この映画では、揺れる思いを語り、いったんは王子の選択に委ね、そしてその後にはあの家は悪夢、王室は夢だが、自分はその中間がいいと自分で選択するという変化と成長が描かれています。
 でも、タールを撒かれて金の靴が片方取れなくなった城の階段で、その上に座り込んでも寝転んでも服にはタールが張り付かないのはなぜ?

 ストーリーの中心となるパン屋夫婦。一人で森へ行く夫に、付いて行ったり自分の道を行って奮闘する妻のかいがいしさとたくましさが印象的で、妻の奮闘に次第に妻に感謝し妻の存在を認めた夫が二人で実現しようと言いだし、夫婦愛が実っていくかと思うのですが、全体のハッピーエンドを覆す後半の流れの中でこの夫婦も暗転します。これまたディズニーらしからぬ展開で、それも一興ではありますが、パン屋の夫の立場からは、哀しい。
 4つのアイテムに、自分は触ることができないという魔女。そういいながら、自分が囲っているラプンツェルの髪には平気で触ってる。トウモロコシのような黄色い髪と言ってる時点でわかってるはずなんだけど、まぁおとぼけの味を出してるというところなんでしょうか。

 赤ずきんが、おばあさんに持っていくパンが、母親が焼いたり持たせたのではなく、パン屋から盗んでいくというのがたぶん一番大きな改変だと思いますが、これはどうしてそうしたのでしょう。そうしたわりには赤ずきんがそれほど不良っぽいわけでもなくすれているように思えるわけでもないのですが。赤ずきんに母親がいないとしたら、赤ずきんはなぜおばあちゃんと一緒に住んでいないのかとか、より疑問に思えてしまいますが。

 そして、ジャックに夫を殺された巨人妻がかわいそう。最初はジャックをかばってやったのに、ただの泥棒としか言いようがないジャックに怒って追いかけた夫をジャックに殺され、それで怒って地上に降りてきたら自分がやられでは…
 魔女が最後にやけくそになって魔法の豆をまき散らし、豆がたくさん天に向かって蔓を伸ばしましたが、巨人は2人だけしかいないのでしょうか。私が脚本を書くなら、そういう流れならエンディングは巨人を続々地上に登場させて、巨人にフォークダンスでも踊らせますが。

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