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2015年3月

2015年3月29日 (日)

イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密

 第2次世界大戦中ドイツ軍の暗号解読に従事した天才数学者にしてコンピュータの基礎となるマシンの開発者アラン・チューリングを描いた映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、新宿武蔵野館1(133席)午前10時50分の上映は8割くらいの入り。

 1951年、隣人からチューリング教授の家に泥棒が入ったと通報を受けて駆けつけた警察官(ロリー・キニア)は、何も盗まれていないと言って警察を追い返そうとするチューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)の態度に不審感を持ち、調査を始めたところ、第2次世界大戦中の軍の資料が廃棄されていることに疑問を感じ、男娼がチューリングとの関係を自白したことを材料に、当時のイギリスでは犯罪とされていた同性愛の罪でチューリングを逮捕して取り調べる。取調に応じて、チューリングは第2次世界大戦が始まった1939年、27歳の天才数学者だった自分が陸軍秘密諜報部(MI6)に雇われドイツ軍が用いていた世界最強の暗号「エニグマ」の解読に従事したことを語り始め…というお話。

 暗号機の設定(キーボードのキーの接続替え)が毎日午前0時に変更され、その解読のために159×10の18乗のパターンを試すことになり人力で総当たりすると10人が24時間働いても2000万年かかるという条件の下、チューリングはチェスのチャンピオンなどの他のメンバーとは離れて1人で10万ポンドの予算を取って電子計算機を作り始めます。暗号機が入手され暗号機のロジックはわかるが設定の照合に無限の時間がかかる、こういうときこそコンピュータの出番だと、現在の私たちにはすぐにわかりますが、チューリングの協調性のなさ、直情的で攻撃的な態度もあって、周囲の理解を得られません。
 その電子計算機に、チューリングは、少年時代にいじめられていた自分をかばい唯一の親友として思いを寄せていた級友の名をとって「クリストファー」と名付けます。同性愛が犯罪とされていた時代に、本人としては秘めた思いの実らなかった恋の思い出が切なく描かれています。
 チームのメンバーから浮いて嫌われていたチューリングを、他のメンバーと結びつけていく、当時は珍しく白眼視されがちだった男性に伍して働こうとするクロスワードパズルの天才ジョーン(キーラ・ナイトレイ)のチューリングに寄せる思い。同性愛でもかまわない、私はあなたが好き、あなたも私が好き、ふつうである必要はない、一緒に暮らしていこうというジョーンの申し出(ここ、私は、この映画の一番のシーンに思えました)を受け止めきれないチューリングの純朴さ不器用さ、設定上の間の悪さというか人生のすれ違いが、また切ない。

 暗号を解読したチューリングらには、ドイツ軍に攻撃される人たちを救おうと思えば救えるが、ドイツ軍に暗号の解読を悟られては暗号自体が変更されてしまうため、連合国がドイツ軍を急襲する時には別の情報で知ったことを装う必要があり、救う時と見殺しにする時を選別していかなければならないという重い任務が課せられます。理論的であるゆえに、直ちにその冷徹な判断をしたチューリングに対し、ジョーンはすぐにそれに賛同するものの、その日のドイツ軍のターゲットの艦船に兄が同乗しているメンバーはチューリングの非情を罵ります。純朴でまっすぐで、政治的な腹黒さのないチューリングには、そのような重責は心の重荷になり、周囲からは冷静に受け止めているように見られながら、度々自分を追い込むようにランニングを続けるシーンの表情に、その過酷さがにじみ出ます。そのあたりも含めて、ベネディクト・カンバーバッチの表情がとても雄弁な作品だと思います。

 「時に誰も想像しないような人物が、誰も想像できない偉業を成し遂げる」という言葉が、ここぞという場面で登場する、変わり者・異端者の排斥を憂い、異端者の人生への目配りを見せる作品ですが、同時に、その異能の才を存分に利用しながらその事実を隠蔽し歴史から抹殺する国・官僚・政治家の非情も感じさせます。愛国心からプロジェクトに参加し奉仕し自らをすり減らしたチューリングの末路を見ると、国のために尽くすことの虚しさを感じます。国や行政のやり方は、別に戦時中に限らず、こういうものだと思いますが、こういうやり方がまかり通る限り、正直者がバカを見るとしかいいようがないと思います。

2015年3月 8日 (日)

ラブストーリーズ:コナーの涙/エリナーの愛情

 子どもを失い結婚生活を解消したカップルの心情とその後を夫婦それぞれの視点から描いた2本組み映画「ラブストーリーズ コナーの涙」「ラブストーリーズ エリナーの愛情」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、全国10館、東京2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター2(62席)午前10時40分(コナーの涙)、午後0時40分(エリナーの愛情)の上映は、8~9割の入り。

 幼い男児コーディを失い失意に暮れるエリナー(ジェシカ・チャスティン)は、ある日夫コナー(ジェームズ・マカヴォイ)のアパートから失踪する。レストランを営業する父(キーラン・ハインズ)に反発し独立して飲食店を持ったが営業がはかばかしくないコナーは、調理師として働くスチュアート(ビル・ヘイダー)からエリナーが大学に通っていると聞き、後を追うが…というお話。

 公式サイトのイントロダクションで「ひと組のカップルの別れから再生までを男と女それぞれの視点から2作品で映し出すという大胆な発想と計算し尽くされた見事な演出」と謳う作品で、「記憶の違いを表現するため、2人が共に過ごすシーンでもそれぞれの作品で台詞、服装、立ち位置が微妙に異なっている」と紹介されています。
 前半は2人が登場するシーンは概ね同じだったと思います(2人が登場するシーンのうちどのシーンが採用されどのシーンがカットされるかという点の違いはありましたが)。後半になり、土砂降りの中のドライブの場面で、コナーが他の女とHしたことを、コナーの視点では自分から積極的に告白し、エリナーの視点ではエリナーが問い詰めてばれたと描かれている点は、お互いに自分の都合がいいように記憶を変容させているのねと、気をつけねばと感じます。それ以外では、私が気がついたのはもう1点。コナーの部屋でエリナーが子どもの顔が思い出せないと嘆く場面で、コナーが子どもの顔の特徴を並べ上げたところで、コナーの視点では、色白(pale)で、耳が小さくて、鼻と口とあごのラインが君にそっくりだ、しかし瞳は僕に似てると言っているのに、エリナーの視点では、色白で、眉をよくしかめていて、瞳も鼻も口もすべて君にそっくりだ、母親似の子だったと聞いているのが、目に付きました。全部自分似だったと思いたいということなのでしょう。

 零細自営業者として、経営はうまく行かず、そこに妻に出て行かれて私生活もうまく行かず、追いつめられていくコナーの心情は、零細自営業者として身に染みます。
 コナーには、反発しているとはいえ、同業者の父がいて、エリナーにも逃げ込める両親がいていざとなればパリへ行って暮らせるという、どちらも恵まれている2人ではありますが。

 エリナーから「夫婦円満の秘訣は?」と聞かれて、「忍耐」と答えるエリナーの父(ウィリアム・ハート)。「別れを切り出さないことが長続きの秘訣だ、なんてね」と応じています。茶化してはいますが、アルコール依存症っぽく、若い頃の育児放棄を示唆する母親(イザベル・ユペール)を見ていると、「至言」かなと思います。

2015年3月 1日 (日)

アメリカン・スナイパー

 イラクで公式記録で160人を射殺したアメリカ海軍特殊部隊の「伝説の狙撃手」クリス・カイルを描いた、「クリント・イーストウッド監督史上最大のヒット作」の映画「アメリカン・スナイパー」を見てきました。
 封切り2週目日曜日映画サービスデー、丸の内ピカデリー1(802席)午後1時20分の上映はほぼ満席。

 カウボーイ育ちのクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、30才にして海軍入隊を志願し、選抜試験を受けて特殊部隊に入り、新婚早々、イラクに派遣され、海兵隊の捜索支援で米軍を狙うイラク人を狙撃する任務に就く。初出動で部隊に爆弾を投げようとした少年と母とみられる女性を射殺したのをはじめ突出した射殺数を記録するカイルを仲間は「伝説の狙撃手」と呼んだ。米軍に協力したシャイフ(ナビド・ネガーバン)を見せしめに殺した「虐殺者」(ミド・ハマダ)を殺せなかったことを悔やむカイルは6週間の派遣が終わり、新妻タヤ(シエナ・ミラー)の元に帰っても、虐殺者の用いたドリルの音が忘れられず、心ここにあらずの状態だった。再度イラクへと赴いたカイルは、イラクでは「ラマディの悪魔」と呼ばれ18万ドルの懸賞金が掛けられていた。カイルは「虐殺者」と、「虐殺者」の下で仲間たちを狙撃するオリンピックメダリストの狙撃手ムスタファ(サミー・シーク)を殺害しようと前線に出続けるが…というお話。

 周囲の兵士の多くが、イラクを地獄と捉え、イラクでの戦闘に意味を見出せなかったり、心を病んでいく中、「国を守ること」を使命と考え、それによって「家族を守る」ことになると信じ、米兵を殺そうとした敵を射殺し仲間を守ることには罪悪感はないと言い、イラクでの任務は正義であると言って、身重の妻も幼い子どもも置いて4度にわたり積極的にイラクに赴いて「敵」を射殺し続けたカイルを、英雄と称揚できるかに評価のかかった作品だと思います。私には、使命感というよりも、戦地で狙撃に手腕を発揮したカイルが、妻子との穏やかで平凡な生活に飽き足りず、自己の才能を活かせる場であるイラクを選び、妻が指摘するように家庭を顧みず家庭よりもイラクを選んだと見えますが。
 イラクで民家に踏み込み家人を縛り上げる米兵を支援するために、遠く離れた屋上からイラク人を狙撃し続ける者を英雄と評価したがる感覚には、私はあまり付いていけません。イラク側がカイルを悪魔と呼ぶのは当然と言えるでしょう。むしろ、米兵だけを狙撃するムスタファの方が正義感・使命感に基づいて行動しているように思えます。
 カイル以外の米兵のイラク赴任への不満や、帰国したカイルに対する妻や医師の反応に、反戦映画と評価する向きもあるようですが、私は、カイルの射殺がすべて米兵を守るためとされ(女性や子どもの射殺も「誤射」の例は一つもないとされ)、カイルが罪悪感は全くないと言い切るところからも、カイルとイラク戦争を否定的に評価することはおかしいと主張しているものと考えます。
 私は、カイルについては、生きる方向を見誤った愛国幻想の犠牲者とも思います。カイルの父親が、「世の中には3種類の人間がいる。羊と狼と番犬だ」と言い、番犬としての生き方を勧める場面が象徴的です。「番犬」が望ましい姿で、それを際立たせるために人間を羊と狼と番犬の3種類とする歪な論法によって、人生を見誤り極論的な選択を迫られていく様子は、今後この国でも多数見られそうな不幸を想像させます。もちろん、番犬が偉い(理想)と思い込む特異な思想に浸る本人よりも、そのために被害を受ける多数の周囲の人の方がかわいそうですが。

 カイルは、2013年2月2日に、心を病んだ退役軍人に射撃訓練をする約束で会った際に射殺されたそうです(映画のラストにテロップが入ります)。その際、犯人はもう1人射殺しているようですが、その刑事裁判が2015年2月に始まり、2月24日、仮釈放なしの終身刑の判決が出されたそうです。もちろん、1件の裁判ですべてを語れるわけではないですが、この事件では裁判が始まるまでに丸2年が費やされたということになり、裁判員裁判が導入される以前には耳にたこができるほど聞かされた「日本の刑事裁判はアメリカと比べて遅すぎる」という日本のマスコミが好んで語りたがる神話と実情はずいぶんと違うことがわかりますし、死刑多発州のテキサスで2人射殺しても死刑ではなく終身刑というのは、重刑大好きの日本のマスコミよりも冷静さを感じさせます。

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