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2015年2月

2015年2月22日 (日)

はじまりのうた

 自分のスタイルを貫きたいミュージシャンの傷心と再生の映画「はじまりのうた」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、新宿ピカデリースクリーン6(232席)午後3時10分の上映は9割くらいの入り。
 アメリカでは2014年6月末に限定5館で上映がクチコミで広がって1300館まで拡大されたというのが売りになっています(公式サイトのイントロダクション「クチコミパワーで5館から1300館へ。異例の大ヒット!」)が、日本では10館スタートで3週目で14館。どこまで増やせるか。もっとも、キーラ・ナイトレイ主演で最初5館というのが不自然で、全米ランキングで2週目(2014年7月4~6日)が15位、3週目(2014年7月11~13日)が9位(その後はトップ10に登場せず)ということからしてクチコミでじわじわ広がったというふうには思えません。単に最初が「先行上映」的に絞られてただけなんじゃないかと勘ぐってしまいますけど。

 恋人のデイブ(アダム・レヴィーン)の歌が映画の挿入曲になってメジャー・デビューすることになり、一緒にニューヨークに呼ばれたミュージシャンのグレタ(キーラ・ナイトレイ)は、自分が作る歌がデイブには賞賛されるがレコード会社には受け入れられず、1か月のツァーから帰ってきたデイブが同行したレコード会社の女性とできてしまったことを知り、旧友の売れないミュージシャンスティーヴ(ジェームズ・コーデン)の家に転がり込む。スティーヴに勧められてライブのステージに立ったグレタはオリジナル曲を歌うが観客には受けない。かつては数々の歌手を育てた敏腕プロデューサーだったが時代の波に乗れず自らが創設したレコード会社をクビになったダン(マーク・ラファロ)は、グレタの歌に感激し、レコーディングしようと誘う。スタジオを借りる金もないダンは、ニューヨークの街頭でゲリラライブをしてその録音でアルバムを作ろうと言うが…というお話。

 グレタとスティーヴの関係が、一緒に住みながら性的なニュアンスさえなくからりとさっぱりしているのが、すがすがしく思えます。スティーヴが醜男だから対象外と捉えると(デイブがイケメンだし)、ありきたりで不愉快ですけど。
 妻が他の男とできてその男に捨てられながらも思いを断ち切れなくて別居中となっているダンが、グレタに惹かれながらも思いとどまる様子も、ちょっといい。ありがちなラブストーリーにしないでやや切なげな爽やかさを感じさせています。
 グレタのデイブへの対応、そしてできあがったアルバムの扱いと、終盤で、グレタの姿勢にさっぱりとした爽やかさが溢れます。そういうことからも、振り返れば、全体を通して、グレタの生き方のすがすがしさを感じさせる作品と言えるでしょう。もっとも、グレタ自身にとっては苦渋の選択でもあり、酸っぱい思い出になる部分があるとは思いますが。

2015年2月15日 (日)

フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ

 奥手の女子学生と一方的な支配関係しか受け入れられない27才の大企業CEOの歪な関係を描いた「官能」映画「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」を見てきました。
 封切り3日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン2(301席)午前11時40分の上映は4割くらいの入り。

 奥手の大学生アナ・スティール(ダコタ・ジョンソン)は、ルームメイトの代わりにシアトルの大企業の27才のCEOクリスチャン・グレイ(ジェイミー・ドーナン)のインタビューに訪れた。グレイはアナに興味を示し、アナのバイト先のDIY店を訪れて結束バンドとロープとテープを買い入れる。アナの立ち寄り先に現れ、他の男との関係を問い質してみたり、その一方で自分のことはあきらめろなどというグレイに翻弄されるアナは、ルームメイトと訪れたクラブで酔ってグレイに電話をするが、酔いつぶれてグレイの部屋で目覚め、グレイから「契約」を持ちかけられる。グレイは、自分は恋愛はできない、自分の支配にただ従属する相手とのセックスしかできないといって、従属者が支配者に従うべき事項を多数定めた契約書を差し出すが…というお話。

 従属者は、従属によって判断する責任から解放されて自由になれるという、身勝手な支配者が言いたがる古くからの詭弁が語られ、「O嬢の物語」の現代版・契約バージョンかと思いました。従属者が「イエロー」「レッド」の意思表示ができるという点でソフト化され、グレイが過去には自分が従属者だったと語り、自分もそれで解放されたという点で捻られていますが。もっとも、最後の点は、それで自分が解放されたのならなぜ自分は今従属者ではなく支配者になろうとするのかという説明がなく、また日常業務で人を支配し続けているCEOが私生活でも支配関係のみを求めるというのはむしろあまり説得力を感じませんが。
 グレイは、「恋愛ができない」ことを自分の過去により説明しようとしますが、4才までの母親による虐待にせよ、15才から6年間の年上の女性への従属にせよ、その後27才にして大企業のCEOに上り詰めた現在の私生活においてなお個人的にサディスティックな支配隷属関係しか結べないということを納得させるようには思えません。この作品は、グレイのその嗜好の来歴の解明とアナとの関係による変化が見せ場になるだろうと思うのですが、前者は今ひとつしっくりこない感じが残り、後者に至ってはいかにも中途半端なラストで、えっ、これで終わりかと驚きます。
 ラストシーンは、序盤との対比を見せたいという映像的な狙いだけはわかりますが、これで納得感を持つ観客はかなり少数派ではないかと思います。

 セックスシーンは多々ありますが、目隠しをして氷(アイス・キューブ)を咥えて性感帯を刺激するシーンとか、「ナインハーフ」を思い起こさせ、「ナインハーフ」の方がセンセーショナルだったよねとか、ナインハーフでスターダムにのし上がったあのミッキー・ロークの最近の姿を思い起こして、あぁこの男優(ジェイミー・ドーナン)も将来はああいうふうに老いぼれるのかなどと思ってしまったりしてしまいました。
 R15+指定にとどめるためかも知れませんが、黒々としたぼかしがものすごく目に付く作品です。全身を前方から撮したカットでのアンダーヘアはもう事実上解禁されたかと思っていたのですが、そういうレベルのものも黒々としたもやもやで修正しています。特にアンダーヘアが見たいとも思わないのですが、すごく興ざめします。

 それに、現在の大学4年生と27才のCEOの会話で、年上の女性に従属していたという話が出た時に「ミセス・ロビンソン」がいたわけね(1967年の映画「卒業」で主役のベンジャミン=ダスティン・ホフマンを誘惑する不倫相手にしてベンの幼なじみのエレーンの母が「ミセス・ロビンソン」です。知らない方のために念のため)という会話が成立するんでしょうか。

 タイトルの " Fifty Shades of Grey "。字幕では「50の顔」って訳してましたが、そうなんでしょうか。ランプシェードとかのシェードで、半透明状の覆い隠すもの、カーテンのようなニュアンス、それが50あるのは、タマネギのように剥いても剥いても最後の実態が見えないという意味かと私は思っていたのですが。

2015年2月 8日 (日)

繕い裁つ人

 ブランド化の誘いを断る頑固な職人気質の仕立屋のこだわりと思いを描いた映画「繕い裁つ人」を見ていきました。
 封切り2週目日曜日、東京では3館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午前9時50分の上映は2~3割の入り。

 神戸の坂の上の洋館で祖母が開いた南洋裁店の2代目店主南市江(中谷美紀)は、先代がつくった一生ものの服の修理とサイズ直し、先代のデザインに沿った手作りの新作を知人の葵(片桐はいり)の店に卸すだけにとどめていた。市江が作る服が即日完売するのを見て、神戸のデパートの営業担当者藤井(三浦貴大)はブランド化の企画を持ちかけて日参するが、市江はまったく興味を示さなかった。先代の服を持って来て仕立て直しを依頼し世間話をしていく近所の人たちと接する市江の様子を見て藤井は感心しつつ、先代のデザインではない市江のオリジナルの服を見たいと思い、市江を挑発するが…というお話。

 先代の仕事をまっとうするのが2代目の役割といい、先代の服の修理とサイズ直し、先代のデザインした服の制作に自分の仕事を限定して、先代の時からの顧客とのつきあいを中心として業務を運営する前半の市江の姿勢には、偉大な先代を持った2代目の悩みと自己規定(限定)と、職人気質の自営業者の幸福と悲哀が見えます。
 先代を乗り越えられるかという課題は、男性を主人公とする青春ものやスポーツ根性ものでは親や師匠を乗り越えるというテーマである種普遍的に描かれ続けています。ここでは、先代も2代目も女性という点がやや新味というところでしょうか。
 先代の顧客と技術を活かして職人気質でやっていけるというのは、現代の個人自営業ではかなり幸福な部類に属すると思います。古くからの顧客に愛され、先代のつくった服を一生ものと位置づけて繰り返し仕立て直し、サイズ直しを依頼する顧客が多数いて、それで経営が支えられるという環境ならば、その維持を自分の務めと自己規定することも合理的と言えます。しかし、古くからの顧客は次第に年老いて亡くなり、若い層は手作りの服を尊ぶこともなくまた服を一生ものだなどとは考えもしないから新たな顧客は発掘されない、新たな顧客は職人などではない大量生産志向の宣伝上手がさらっていくわけで、現代は職人気質の自営業者には厳しい環境です。職人気質の仕立屋市江が新たな一歩を踏み出す後半は、先代の軛を逃れた市江の心の解放として描かれていますが、零細自営業者の私には、同時に現代の自営業者の必然であり避けがたい苦しみとも読めてしまいます。弁護士の業務など、私にはまさしく職人気質・職人芸だと思えるのですが、そうは考えない人が多くなって、似たようなことが進行しているように感じられます。

 神戸の海が見える坂を登るシーンの繰り返しが効果的に使われています。神戸なのに夜景を出さないのかと思う頃合いで夜景が入るのも巧みかなと思いました。

 先代の葬送の列のシーン、モノクロにしたのはいいですが、女性が全員黒のベールを被っているのは、まるでイスラム原理主義者の世界のようで異様に感じました。女性の活躍を描く作品で、どうしてそういう表現手法が採られるのかという点でも疑問を持ちます。

 市江が行きつけの喫茶店で食べるホールのケーキ(「チーズケーキ」といわれていましたが、生クリームでコーティングされているのか、あるいはタルトがないレアテーズなのか、真っ白です)。5号のデコレーションケーキくらいのサイズです。食べっぷりが気持ちいい映像ですが、神戸ではああいうホールのケーキをふつうに出す喫茶店があるのでしょうか。少なくとも、ロケで使われた喫茶店(サンパウロ)では、食べログその他でチェックした限りでは出していないようですが。

2015年2月 1日 (日)

ジャッジ 裁かれる判事

 殺人事件で起訴された裁判官を絶縁状態だった息子の弁護士が弁護するリーガル・サスペンス映画「ジャッジ 裁かれる判事」を見てきました。
 封切り3週目日曜日映画サービスデー、新宿ピカデリースクリーン8(157席)午前11時50分の上映は9割くらいの入り。

 妻と離婚手続中の腕利き刑事弁護士ヘンリー(ハンク)・パルマー(ロバート・ダウニー・Jr)は、母の葬儀のため故郷のインディアナ州の田舎町を訪れた。ハンクが少年時代に軽罪で起訴された際に検事が社会奉仕でいいというところを裁判官の父ジョセフ(ロバート・デュバル)が少年院送りの判決をしたことへの恨み、有望な野球選手だった兄グレン(ビンセント・ドノフリオ)の将来をハンクが起こした交通事故で台無しにしたことなどから確執を抱える2人はなおいがみ合う。ハンクがシカゴに帰る飛行機に乗ったところで、ジョセフが保安官に連行されたという知らせが入り、ハンクは引き返すが、ジョセフは地元の弁護士を頼むと言い張る。ハイスクールのコーチがボードで学生の頭をはたいたという暴行事件しか刑事事件の経験がないという頼りない弁護士が何ら反証しないのにぶち切れるハンクの目の前で、ジョセフの殺人容疑での起訴が決まり、ジョセフはようやくハンクに弁護を依頼する。かつてガールフレンドへの暴行で恩情をかけて30日の拘留にとどめた犯人マーク・ブラックウェル(マーク・キーリー)が釈放後その少女を殺害して20年の刑に服して出獄し、スーパーでジョセフと遭遇した後、自らの判決を悔いるジョセフが自転車で走行するマークを轢き殺したという容疑で、ジョセフの車からマークの血液が検出されているが、ジョセフは記憶がないという。ハンクは事故だと主張しジョセフには証言させないというが、ジョセフは証言すると主張し…というお話。

 遺体は谷底で発見されたということですし、被害者は自転車で走行していたということも考えれば、「轢き殺した」のではなく跳ね飛ばして転落死させたのだろうと思いますし、その場合、車に被害者の血液が付着するかなという疑問はありますが、それはさておき、ジョセフが運転する車にぶつかって被害者が死んだこと自体は争いがないので、争点は事故か殺人かに絞られます。犯人が他にいるという事件ではなく、公式サイトのキャッチコピー「父は犯人なのか」はそれだけで既にミスリーディングです。
 最大にしてほぼ唯一の争点とも言えるマークを跳ねたのが事故だったか、ジョセフがマークを認識していたのかに関して、ジョセフの治療のために投薬されている薬の副作用に記憶障害があり、そのためにジョセフが前を走行する被害者を認識していなかったと推測し、その主張を出そうとするハンクに対し、病気を秘匿しており薬品の影響で脳が正常でなかったといってしまえば過去半年間の判決の信頼性が揺らぐといってジョセフは拒否し、治療や服薬の事実を隠し通そうとします。
 真相であると睨む無実主張につながる事実について、メンツやプライドを理由に依頼者からその主張を拒否された時、弁護士はどう対応すべきか。弁護士にとっては悩ましい問題です。こういう状況では、依頼者自身が最大の敵にさえ思えます。
 また、ジョセフの主張する「記憶がない」も、弁護士にとっては悩みのタネです。かつて汚職事件で担当する弁護士のアドバイスによってでしょうが多用されて有名になった「記憶にございません」の言葉に対する疑いの目に加えて、本人が「記憶がない」と公言してしまうと、他の証拠が出て来た時には反論ができなくなってしまいます。あとから「目撃者」が出て来てまったく事実と違うことをいいだしても、「記憶がない」以上は、それは違うと言えなくなります。
 そういった難しい状況に置かれたハンクが何を考えどう立ち回るかという点は、弁護士にとっては見どころ、考えどころといえます。

 もっとも、アメリカの刑事裁判では、検察官が証拠提出する防犯ビデオ映像は事前にコピーが弁護人にも渡されていると思うのですが、腕利き弁護士のハンクがマークとジョセフの対面の場面やジョセフが引き返してくるタイミングなどを事前にチェックできていなかったというのは、いかがなものかなと思います。
 また、42年間も裁判官を務めてきたジョセフが、地元の弁護士を選ぶのに、刑事事件をほとんどやったこともない素人同然の弁護士に依頼するというのも、考えられません。自分が法廷で見て一番腕がいい地元の弁護士は誰か、裁判官にはよくわかっているはずなのに。

 法廷シーンはそれなりにあり、尋問のかけ合いは同業者として興味深く見ることができましたし参考になる点もありましたが、リーガル・サスペンスとしては、争点が比較的単純で大逆転という展開も見られません。
 どちらかと言えば、長らくいがみ合いうち解けられなかった父子の追いつめられた状況での和解、心情交流のヒューマンドラマとして見るのが正解だろうと思います。

 ハンクと娘のローレン(エマ・トレンブレイ)の語りが微笑ましく、ローレンがかわいい (*^-^*)

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