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2015年1月

2015年1月25日 (日)

ジミー、野を駆ける伝説

 アイルランドの活動家ジミー・グラルトンの生き様を描いた映画「ジミー、野を駆ける伝説」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)正午の上映は、3~4割の入り。

 アイルランド内戦の際逮捕を免れてアメリカに渡った民衆活動家ジミー・グラルトン(バリー・ウォード)は、1932年、内戦後10年を経て表面上安定したアイルランドに戻り、年老いた母(アイリーン・ヘンリー)の農場を手伝って静かに暮らそうとしていた。しかし、ジミーが以前開いていたホールでのダンスや詩、木工技術やボクシングなどの教室を懐かしみ、ジミーにホールの再開を求める旧友たちがジミーの下に押しかけ、ジミーはホールの再開を決意する。地主たちの利害を代表し労働者の団結と共産主義をきらい恐れるカトリック教会のシェリダン神父(ジム・ノートン)は、ジミーのホールを訪れた村人をチェックし、ジャズやダンスを退廃した文化と断じ、ジミーを教会の敵と指弾した挙げ句、ジミーのホールを訪れた村人の名前を読み上げて非難し…というお話。

 ジミーの活動は、集会所を作り、そこで音楽をかけダンスをし、集う人たちが自分の得意なもの、詩や絵画や木工技術やボクシングなどをお互いに教えあうというもの。終盤にある演説でも、ただ生存するためではなく喜びのために生きようと述べています。
 横暴な地主に家を追い出された家族を住んでいた家に戻すために、民衆を率いて乗り込む場面が2度あり、2度目はIRAから協力を求められて迷いながらも友人たちの意見を聞いて先頭に立つことになり、その場面ではシェリダン神父の危惧するような政治性も見られますが、ジミーの基本的な姿勢は集うことの喜び、学ぶことの喜びにあり、またそこに止まっているように見えます。
 追われるジミーを、教会・地主側がチャップリンにたとえています。チャップリンを共産主義者と呼ぶほどに、カトリック教会と地主勢力が極端で偏狭な人々だったというところでしょう。アイルランドの伝統文化の正当性を強調し教会の「正しいダンス」以外は退廃したものと決めつけるシェリダン神父の姿は、「アーリア民族」の優位性を主張し「退廃芸術」というレッテル貼りを好んだナチスのようでもあります。
 地味で村人に喜ばれる活動をしていたジミーが人々に慕われる姿は示唆的です。声高に論じるのではなく、人々が楽しんで集えるような活動が、人の心を打ち力になるということでしょう。庶民の弁護士としては、共感するところでありますし、同時に「論」を前面に立て、「論」を武器としている身には心しておくべきところでもあります。同時に、そういった活動が、横暴な地主たち権力者の怒りと恐怖を呼ぶということについても。

2015年1月18日 (日)

薄氷の殺人

 2014年ベルリン映画祭金熊賞のサスペンス映画「薄氷の殺人」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国6館東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午前9時45分の上映は1~2割の入り。

 1999年夏、石炭工場に送られてきた石炭の中からバラバラ殺人死体が発見され、死体とともに見つかった身分証明書にはリアン・ジージュン(ワン・シュエビン)の名が記されていた。妻から離婚を突きつけられた刑事ジャン(リャオ・ファン)は、石炭を運んだトラック運転手を逮捕しようとして抵抗され、銃撃されて負傷する。2004年冬、警察を退職し警備員となって酒浸りの生活をしていたジャンは、元同僚のワン刑事(ユー・アイレイ)から、新たな殺人事件の被害者が、リアン・ジージュンの妻ウー(グイ・ルンメイ)と交際を始めた男で、その前にもウーと関係を持った男が殺されていたことを聞かされる。ジャンは、ウーが勤めるクリーニング店を訪れ、店主(ワン・ジンチュン)からウーの過去を聞き出そうとするが…というお話。

 「疑惑の女」とされるウーの男運のなさというか、薄幸の女ぶりが哀感を誘います。リアン・ジージュンとの夫婦生活や、その後殺された2人の男との関係が描かれていないので、よくわからないところはありますが、失敗の負い目につけ込まれて犯され、店主からも関係を迫られ、弱みを握ったジャンにも犯される姿はあまりに哀しい。
 公式サイトのイントロダクションでは「ふたりが体現する哀愁、官能、狂気をまとった罪深き愛のかたちは、ただならぬ凄みを発散し、観る者の胸をざわめかせ続ける」と書かれているのですが、そしてウーを追い続けるジャンの様子にはある種の恋愛感情を見出せないわけではないのですが、結果的に真相を知りウーの弱みを握ったジャンが取る姿勢を、またウーの世をすねたような投げやりな姿勢を見て、これを「愛」と呼ぶことには抵抗を感じます。
 構成・展開は、ジャンの視点からジャンを中心に描かれていますが、終盤の展開でジャンの姿勢には嫌悪感を持ち、ウーの側からの評価に傾いてしまいます。
 「言えない秘密」のあのキュートな愛くるしいグイ・ルンメイが、こんなにもニヒルな薄幸の女になってしまうことに、驚くとともに切ない思いを持ちました。

 冒頭、ジャンと別れる妻が、「最後の1回」のセックスをするシーンがあり、その後あきらめきれないジャンがさらに迫って振り切られますが、「最後」とわかってするのってどういう気持ちなんだろう。

 原題は「白日焔火」で白昼の花火。このタイトルがあればこその終盤からラストだと思うのですが。
 冒頭に映像なしで俳優らの名前が続き、まるで最初にエンドロールがあるよう。その構成でありながら、制作関連会社のロゴ・アニメは4つも続いて出て来ますが、ベルリンの熊さんは登場せず。浮かれていないよということでしょうけど、客席の閑散ぶりを見ると、もう少し観客の気を惹くことを考えた方がいいかも。

2015年1月12日 (月)

サンバ

 出国を命じられ警察の目を逃れて働く不法移民の悲哀としたたかさを描いた映画「サンバ」を見てきました。
 封切り3週目月曜日祝日、新宿武蔵野館3(84席)午前9時45分の上映は6~7割の入り。観客の年齢層は高め。

 人材紹介会社でノルマに追われて働き続け燃え尽き症候群で心を病んで休職し移民支援のボランティアを始めたアリス(シャルロット・ゲンズブール)は、オーバーステイで収容されたフランスに来て10年のレストランの下働きをする青年サンバ(オマール・シー)を担当し、距離を置けという先輩のアドバイスも忘れて思い入れを持つが、サンバは国外退去を命じられてしまう。おじの身分証を借りて夜警や建設現場の仕事などを続けるサンバは、そこで知り合ったブラジル人と名乗るアラブ系不法移民のウィルソン(タハール・ラヒム)と仕事を転々としながら、警察官が来ると逃げ隠れする生活を続けるが…というお話

 適法なビザを持たない不法移民にも人生があり生活があり喜怒哀楽がある。偽造のパスポートや身分証明書を使い、虐げられつつもしたたかに働き、恋もセックスもするし、友情も諍いもある。当たり前ではあるけれども見えにくいそういうことを再認識させる作品です。
 移民支援団体のボランティアアリスの視点が入ることもあり、移民を支援する人々や、警察から追われる不法移民をかばう人など、オーバーステイの移民の生活を比較的温かく見守る人の存在が描かれ、排外主義者たちや不法移民を買い叩いて利益を得る業者などの存在は見えにくくなっています。そういう描き方がいいのか、あるいはフランスでは移民差別や移民を食い物にする業者が少ないのか(たぶんそんなことはないと思いますが、日本よりはましなのかも)とも考えますが、そこらへんはやや違和感もあります。

 ストーリー展開では、サンバを中心に、サンバとウィルソンら移民たちの友情と、収容所で探索と伝言を頼まれた相手の女性とHしてしまったサンバの負い目などがメインストリームとなり、やや脇に置かれる感じになってしまいますが、アリスのサンバへの気遣い・思いが少しいい感じでもあります。
 初めて2人で語り合う夜に、アリスが燃え尽き症候群だと語るのはいいとして、何に逃避するかで、セックス依存症だというのは、次に冗談よというにしても、誘いなのだとしてもちょっといただけない。少しビックリしながらも笑い、それで口説きに行かないサンバの方が、少し上手かなと思います。

 追われて逃げるサンバが動いて離れていく可動橋に飛んで欄干にぶら下がるシーン。先日見た「天才スピヴェット」とダブってしまいました。「天才スピヴェット」ではそのときにスピヴェットが肋骨を折ってしまうのですが。どちらも、ロンドン橋やかちどき橋のような上下動する可動橋ではなくて、橋が水平に動くものですが、そういう橋はそんなにあるのでしょうか。

2015年1月11日 (日)

百円の恋

 不器用な引きこもり女性の自立転身を描いた映画「百円の恋」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、全国12館東京2館の上映館の1つテアトル新宿(218席)午前10時55分の上映は4割くらいの入り。

 弁当屋を営む両親の元で働かずにだらだらと過ごす32才の一子(安藤サクラ)は、離婚して子連れで帰ってきた妹(早織)と喧嘩して出ていくハメになり、行きつけの100円ショップの店員のアルバイトを始める。人のいい店長(宇野祥平)は毎日18時間働いてうつになり、ベテランの店員(坂田聡)はなれなれしく付きまとい、店の金に手を出してクビになった妄想気味の元店員(根岸季衣)は勝手にバックヤードに入ってきて廃棄品を持ち帰り、本部からの巡回社員(沖田裕樹)はそれを口うるさく咎める中、一子は不器用に何とか仕事をこなしていた。ある日、一子が店への往復の時に、よく覗いていたボクシングクラブで練習をしていた37才のボクサー狩野(新井浩文)が店を訪れバナナを買いバナナを忘れていった。それを届けにいったのをきっかけに狩野に誘われた一子は、狩野の試合を見に行ってボクシングに惹かれ、狩野の引退と入れ違いにボクシングクラブに通って練習しプロテストを目指すが…というお話。

 太って動作も遅く目標もなくだらだらと生きていた一子が、ボクシングの練習を始めて体も締まり俊敏になり周囲の反対を押し切ってプロボクサーを目指して強い意志を示す前後半の変化が見どころの作品です。あえて変化を見せるために前半は詰め物でもして太く見せヨタヨタと緩慢な動作をしているのかなとも思いますが、ダイエット法の広告の使用前・使用後のような印象です。
 ボクシングクラブでの練習風景では、縄跳びとシャドウボクシングの様子が典型的です。シャドウボクシング、確かに体の切れがよくなって俊敏な動きを見せるのですが、視線が下を向いているのが、スパーリングや実戦経験のなくシャドウボクシングだけで上達した弱みかなと思えます。

 格差社会の負け組のいかにもかっこうわるい不器用な一子の、恋と闘争が、終盤少し小気味よく、微笑ましく思えます。百円ショップ(コンビニ)に集う少し病んだ下流の人々の様子が描かれ、それが一子の本社巡回社員の指示への反感と元店員への連帯感、終盤の元店員の反乱で少し清涼感をもたらすところが、庶民目線で好感が持てます。
 一子と狩野が、今どき、そしてスポーツをする人にはあり得ないほどニコ中なのは、煙草会社の陰謀かと思えてしまうのですが、私の考えすぎでしょうか。

2015年1月 4日 (日)

ガガーリン 世界を変えた108分

 世界初の有人宇宙飛行をした宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンを描いた映画「ガガーリン 世界を変えた108分」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、全国5館、東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午後2時15分の上映は9割くらいの入り。

 ソビエトの農村で大工の子として生まれたユーリー・ガガーリン(ヤロスラフ・ジャルニン)は、工業学校に行き空軍パイロットとなった後、3000人のパイロットから20人の宇宙飛行士候補生に選ばれた。さまざまなテストを経て、6人、2人と候補が絞られ、打ち上げの直前になって、最終的にガガーリンが最初の宇宙飛行士に選ばれた。2人の子とともに留守宅で待つ妻ワーリャ、事前に知らされずラジオ放送でガガーリンの飛行を知る母、村人から知らされる父らの心配をよそに、ガガーリンは世界初の地球周回を経験し、打ち上げより遥かに難しいと言われていた大気圏再突入に挑み…というお話。

 人類初の宇宙飛行に挑むガガーリンの恐怖と勇気というようなものがテーマで、それはそれなりに共感できるところがあります。
 もちろん、現在のような宇宙開発の経験と知識を経た状況で見る宇宙飛行と、当時の未経験(そもそも無重力状態で人間が生存できるか、脳は大丈夫かというあたりからしてわからなかった)から想像する宇宙飛行では、イメージがまったく違うでしょうけど、「インターステラー」のような生きているうちに帰ってこられるか疑問というような長期間の宇宙飛行ではなく、うまく行く限りはその日のうちに帰ってくるというスケジュールの宇宙飛行に、妻が行かないでという展開になるものか。命の危険があるのはそうなんですが、1960年代のソ連の空軍パイロットという条件で考えたら、戦闘訓練や実際の戦闘で死ぬ可能性だった相当程度あったはずで、そういう意味では全然違うレベルの恐怖ということではなかったんじゃないかとも思ってしまいます。

 むしろ、宇宙飛行士の選抜の過程で、落とされていく候補生の心情とか、そっちの方に興味を感じたりもしました。

 ガガーリンといえば「地球は青かった」という記憶で見ている身には、いつあの言葉が語られるのだろうと待っていたのですが、最後まで登場しません。映画を見終わってから気になって調べてみたら、ガガーリンは「地球は青かった」とは言っていないのだそうな。そういうところは勉強になったとは言えますが、ちょっと拍子抜け。

 サブタイトルにあるように、ガガーリンの宇宙飛行は108分間。この作品は113分ですが、私だったら、そういう話なら、冒頭を打ち上げシーンにして、ラストを地球着陸にしてちょうど108分でまとめるな。それでガガーリンの宇宙船から見る映像と宇宙船内での言動に過去を挟む形にして、地球一周飛行の長さを体感させるという構成の方がいいと思うのですが。

2015年1月 1日 (木)

ベイマックス

 天才ロボットオタク少年が亡き兄が残したケアロボットや仲間たちとともに兄の死の真相を探るディズニーアニメ映画「ベイマックス」を見てきました。
 封切り2週目木曜祝日映画サービスデー、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午後4時45分の上映はほぼ満席。

 近未来の架空都市サンフランソウキョウで、3才で両親を亡くし兄タダシとともにキャスおばさんに育てられた14才の天才少年ヒロ・ハマダは、学校にも通わずアンダー・グラウンドのロボットファイトにはけ口を見いだしていたが、兄が通う大学のロボット工学研究室で級友たちがロボットの試作に取り組む様子を見て、大学への入学を切望するようになった。タダシから、研究発表の時にキャラハン教授を驚かせるようなロボットを作れば入学の許可が出ると聞かされたヒロは、考えた通りの形に集合合体するマイクロボットを考案、キャラハン教授から入学の許可をもらうが、その夜、大学で火災が発生し、キャラハン教授を救おうと飛び込んだタダシが爆発で死んでしまう。落ち込んで引きこもったヒロは、ある日、部屋でタダシが作ったケアロボットベイマックスが起動し、ヒロの持っていたマイクロボットが反応するのを追ううちにマイクロボットが量産されている現場にたどり着き、大学の火災はマイクロボットを悪用したい人物が起こしたのではないかと疑った。タダシの敵を討つことに執念を燃やすヒロは、ベイマックスを改造し戦闘力をつけるが…というお話。

 人の怪我や病を治す、人を傷つけることができない設定のケアロボットと、兄の敵を討つべく暴力と戦闘を求めるヒロの組み合わせで、人を助けるという意思と姿勢が頑なな心を溶かして行くというパターンに心を打たれるという作品です。
 原題は、" Big Hero 6 " で、エンディングでもヒロとベイマックスと4人の仲間たち(フレッド、ゴーゴー、ワサビ、ハニー・レモン)が何者かに立ち向かうようなイメージですし、エンド・ロール後にはフレッドを中心に何か続編があるようなカットが付けられています。原作を知らないのですが、シリーズものの一部なのでしょうか。

 CGアニメの映像としては、都市全体の描写力とか、海のさざ波とかが、技術の進歩を感じさせました。

 「アナと雪の女王」で世界興収の約17%(1ドル120円計算。2014年前半のレートを考慮して1ドル105円で計算したら約20%)を稼ぎ出した日本市場をターゲットに、日本仕様を強めたのかなと思います。舞台はサンフランシスコと東京を合体させたサンフランソウキョウ、主人公は日本人、ロボット技術志向のアニメですから。でも、アメリカ人が描く日本にありがちなように、風景はどこか日本というよりは少し中華街っぽかったりして、日本人には日本的と思いにくいところがあります。
 全米興収は「アナと雪の女王」の半分程度のようです。日本での公開初週末は、アナ雪比78.7%のスタートで、その数字自体は大ヒットと言ってよい数字なのですが、桁違いの集客を見せる「妖怪ウォッチ」にトリプルスコア近い大差を付けられました。結局は前作「マレフィセント」に少し届かないクラスのような気がするのですが。

 本編の前に、犬の食欲と飼い主との心情交流をテーマとするミニアニメが付いています。
 彼女はベジタリアンじゃなかったのか、宗旨替えしたのか、もともとベジタリアンではなかったということなのか、台詞のないアニメでよくわかりませんでしたが、気になってしまいました。

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