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2014年12月

2014年12月28日 (日)

あと1センチの恋

 すれ違いを繰り返す幼なじみ同士の恋を描いた映画「あと1センチの恋」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午後0時30分の上映は5割くらいの入り。観客の多数派は女性同士、次いでカップルというところ。

 イギリスの田舎町に住むロージー(リリー・コリンズ)は、18才の誕生日にパーティーで酒を飲み、ダンスしながら幼なじみのアレックス(サム・クラフリン)とキスをしてその直後に酔いつぶれて倒れてしまう。ひどい二日酔いで何も覚えていないロージーは、様子を見に来たアレックスの前で、すべてなかったことにしたいとこぼす。プロムにイケメン男グレッグに誘われたのを断ったロージーは、海岸でたき火の前でそのことを話している時、同級生のベサニーがアレックスに声を掛け、アレックスにベサニーをダンスに誘えばと言い、今誘いなさいと勧め、結局アレックスはそのままベサニーと肉体関係を持ってしまう。ロージーはグレッグとダンスに行きそのままセックスするが、慣れないグレッグがコンドームを行方不明にしてしまい、結局ロージーは妊娠してしまう。アレックスから一緒にボストンに行こうと誘われ、ロージーもボストン大学に合格していたが、合格通知を持ってアレックスのところへ行くとアレックスはベサニーとセックスの最中、おまけにロージーは自分が妊娠したことを知り、アレックスには言えずじまい。ハーバード大学の医学部に合格したアレックスはボストンに行ってしまう。ロージーは1人で子どもを育てながら、薬屋で知り合ったルビーとともにホテルで働き、アレックスはボストンで知り合った女性とつきあい婚約し子どももできる。アレックスに呼ばれてボストンに行ってそれを知ったロージーはアレックスにキレまくる。その後、アレックスは相手の浮気と子どもの父親も違うことを知り別れるが、そのことをロージーに言えないうちに、ロージーは訪ねてきて復縁を迫るグレッグと結婚してしまう。グレッグの不誠実な態度に怒ったアレックスはロージーに愛してると手紙を書くが、グレッグがそれを隠してしまう。そして…というお話。

 お互いに好意を持っていることは明らかな幼なじみが、ちょっとしたすれ違いで長い間結ばれず、その後も行き違いが繰り返されて別の人生を歩み続けるという、いかにも少女漫画にありそうなパターン。
 でも、ロージーは、グレッグとあっさりHしちゃうし、その後もよくわからないおじさんと手錠付でHしたり(SM?)、グレッグとよりを戻して結婚してしまうし、アレックスもベサニーと肉体関係を続け、ボストンでは別の女性と婚約してしまい、イギリスに戻ってもベサニーとよりを戻して結婚してしまうというように、お互いに相手を待つという姿勢じゃないのが、少女漫画パターンとは違います。お互いにあっさり別の人と肉体関係を持ったり子どもも作ったりしちゃうわけですから、あんまり純愛・悲恋って思いにくい。
 たぶん、女性客から見ても、悲恋よりは、ロージー、ドジで不器用だねぇ、そこが共感できる、みたいな受け止め方なんじゃないかと思います。
 むしろ、アレックス、そんなにロージーに思いが残るのなら、どうしてベサニーと関係を続けたり、ボストンでも婚約したりしちゃうのか。ロージーが来た時の晩餐での態度を見てもかなりキレやすい人だけど、アレックスの心がロージーに向いているのが見えるから相手も浮気したようにも思えてしまいます。

 今ひとつ目の前の相手に対する誠意が感じられない2人のすれ違いは、それがテーマだけど、置いといて、ロージーのお父さんがすごくいい人なんですよね。ロージーがアメリカのボストンに進学すると言いだした時も、いずれ自分でホテルを経営したいと言った時も、つまらんイケメン男(妊娠を聞いたらすぐ逃げた)の子どもができた時も、ロージーが赤ん坊の夜泣きに苦しんでいる時も、いつもロージーに味方して、願っていれば夢は叶う(ディズニーランドか?とも思いますけど)とか、お前には能力があるとか言って力づけたり、赤ん坊は泣くもんだお前の時もひどかったと納得させるし、こういう父親でありたいと思ってしまいます。
 それに、ロージーの親友となるルビーも、口は悪いけど、ロージーを支えてくれます。(そういうことを考えると、ロージーの母親の出番というか役割が今ひとつに思えますけど)
 そういういい人に支えられて、ドジで不器用なロージーが何とか人生をやりくりして、しあわせをつかむ、むしろそういうストーリーとしてみた方が、元気が出るかも知れません。

2014年12月21日 (日)

アバウト・タイム

 タイムトラベルができる青年の恋愛と選択を描いた映画「アバウト・タイム」を見てきました。
 封切り13週目日曜日、シネ・リーブル池袋シアター1(180席)午後6時40分の上映は2~3割くらいの入り。

 イングランド南西端のコーンウォールに両親とともに住む青年ティム(ドーナル・グリーソン)は、21才になり、父親(ビル・ナイ)から、一家の男は代々過去にタイムトラベルする能力があると打ち明けられる。それを聞いて、ティムは、夏休みにホームステイに来ていた初恋の女性シャーロット(マーゴット・ロビー)に、過去に戻って告白を試みるが結局うまく行かなかった。ロンドンで弁護士として働くようになったティムは、ある夜、暗闇レストランで知り合った女性メアリー(レイチェル・マクアダムス)と恋に落ち、タイムトラベルを繰り返して無事ベッドでメアリーを満足させることに成功する。しかし、下宿させてもらっている脚本家が舞台での俳優の大失態を嘆くのを見てタイムトラベルしてリカバーしたところ、そのために過去が変わって、メアリーの連絡先が消えていた。ティムは、メアリーの言葉を思い出して、メアリーが好きだというモデルの写真展に通い詰め、メアリーが来るのを待ち…というお話。

 タイムトラベルものでは、ふつうは、未来から来た自分とその世界(時点)の自分は併存するはずですが、この作品では、タイムトラベルした未来から来た自分が、その時点の自分になってしまう(服装もその時の服装に自動的に替わっている)ようです。もちろん、その自分は、未来の記憶を持ったままです(そうでないとそもそもタイムトラベルしてもやり直しがきかない)。そうすると、その世界(時間)にいた自分はどうなるのか、タイムトラベルで未来に戻ってしまったら、その世界(時間)の自分はいなくなるのか、またどこかから現れるのか、その点について、何の説明もありませんし、映像での補足もありません。SFの位置づけでもなく、単に、世間話のレベルでもし過去に戻れたらどうする的な位置づけだから理論的なことはどうでもいいということなのでしょうか。

 この映画を見て感じるのは、もしタイムトラベルができたとしても、人はそれほど大胆な過去の改変、その結果としての現在の改変を試みないのだなということでしょう。可能性としてはあらゆることがあっても、世の中には無数に人が/異性が、さらにいえばとてもチャーミングな/自分の「好みのタイプ」の異性がいたとしても、現実に自分が好きになる/恋に落ちるのは、その可能性が現実的にあるのはごくわずかの相手で、もしやり直せるとしてもその範囲でしか考えないものだということです。それはあまり理屈に合わないことのように見えますが、現実はそういうものかなとも思います。
 メアリーとつきあい始めたティムが、シャーロットとばったり出会い、あからさまな誘いを受けながら誘いに乗らないところも、象徴的です。このシーン、初恋の人で、相手から誘ってきてという展開ですから、結ばれるだろうと予測して、あぁでもメアリーにぞっこんでもやっちゃうかなぁ、あ~ぁと思いながら、ティムが断るとまたへ~意外に誠実なヤツと思いながら、きれいごと過ぎないかなんて思ったりもします。自分ならどうするという危ない話題は置いといて (^^;)、映画としては、ふつうよりも保守的な展開と感じます。
 タイムトラベルができたらという、ある種突拍子もない設定を考えてみてさえ、人のしあわせ、現実的な行動はたかが知れており、人のしあわせは身の回りの小さなしあわせであり、それで満足すべきだという、ある種保守的な思考を背景に感じ、やや嫌らしさも感じますが、同時に、そういうものかなとも思えてしまいます。

2014年12月14日 (日)

ストックホルムでワルツを

 スウェーデン語でジャズを歌い1960年代に人気を博した歌手モニカ・ゼタールンドを描いた映画「ストックホルムでワルツを」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、新宿武蔵野館スクリーン3(84席)午後1時45分の上映は満席。

 電話交換手として働き5才の娘を育てるシングルマザーのモニカ(エッダ・マグナソン)は、週末にストックホルムまで出かけてクラブでジャズを歌い、歌手として成功する日を夢見ていた。かつて歌手だったが大成しなかった父(シェル・ベリィクヴィスト)は、娘を置いて外出ばかりのモニカに母親失格だと文句を言い続けた。期待して行ったニューヨーク公演も評判は悪く、憧れの歌手から人のマネではなく自分の気持ちを歌えと批判されたモニカは、バンドのベースを務めるストゥーレ(スベリル・グドナソン)と話すうち、詩人のベッペと組みジャズナンバーにスウェーデン語の歌詞を付けて歌い、ヒット歌手になる。新進の映画監督を落として結婚し、娘のために豪邸を買って勢いに乗るモニカは…というお話。

 魅力的な歌声と名声を持ちながら、気まぐれとわがまま、そしてアルコールで身を持ち崩していくモニカと、モニカを見守る娘、父、そしてストゥーレの交歓と思い、ため息とまなざしが見どころとなる作品です。
 ストゥーレに関しては、身近にいながら、ワクワクしないと恋愛対象とは見ず、目の前で新進の映画監督を露骨に誘惑して肉体関係を持ち結婚へと走りながら、ストゥーレに恋人、そして妻ができると不機嫌な様子を見せるモニカは、身勝手に思えます。
 声を潰してハスキーを売りにするというわけでもないのに、あれだけ酒浸りで煙草を吸い続けながら歌手としてやっていけるというのも、ある意味ではすごいと思います。幼い娘を抱えながら、起き上がれなくなるまで酒を飲むのも、ちょっとどうかなと思います。娘から「ママがトイレで倒れて起き上がらない」と電話を受けて、倒れたままのモニカを放置して救急車も呼ばず、ただ娘を連れて帰る父も、また、どうかとは思いましたが。
 しかし、同時に、それくらいの強い個性というか、身勝手なまでの頑固さ、鉄の意志がないとトップに立てないということもあります。そこをどこまで見ることができるか、それに対してどこまで寛容になれるか、そういうことを考えさせられる作品でもあるのかなと思いました。

2014年12月 7日 (日)

ドラキュラZERO

 家族と国を守るためヴァンパイアとなる君主の苦悩を描いた映画「ドラキュラZERO」を見てきました。
 封切り6週目日曜日、12月末の閉館が近づく新宿ミラノ座(1064席)午後1時30分の上映は5%未満の入り。

 子どもの頃オスマン帝国に少年兵として差し出され、無敵の殺人兵器として活躍し、故国トランシルヴァニアに帰還したヴラド・ドラキュラ(ルーク・エヴァンス)は、妻ミレナ(サラ・ガドン)と息子と平穏な日々を送り、民衆からも慕われていたが、オスマン帝国皇帝となったメフメト2世(ドミニク・クーパー)は、ヴラドの息子を含む1000名の少年を差し出すよう求めてきた。一旦は、メフメト2世の要求を呑むことにしたヴラドだったが、息子を奪われることに耐えられず、息子を連れに来たオスマン帝国の兵士たちを斬り殺してしまう。以前山中の洞窟で遭遇した閉じ込められたヴァンパイアを訪ね、力を貸して欲しいと迫るヴラドに、ヴァンパイアは、ヴァンパイアの血を飲めばヴァンパイアとなるが、3日間人間の血を吸わずに我慢しきれれば人間に戻る、そうでなければ永遠にヴァンパイアとなり代わりに自分が洞窟から解放されることになると取引を持ちかけ…というお話。

 家族を、故国を守るために、自力では守り切れない時にどうするか、何を犠牲にするかという、困難な、あるいは意地悪な問いかけに対して、素朴に/お人好しに考え込み、ついほだされてしまう、また妻側、子ども側の対応につい胸を/目頭を熱くしてしまう、そういう比較的単純な心情で見る作品なのだと思います。
 3日間我慢できるかどうかという条件設定、我慢できないほどの強い飢餓感という説明のわりには、そこはあまり描ききれていないというか、うまく活かされていないと思いました。それに洞窟に閉じ込められたヴァンパイアは代わりの者のを見つけて初めて解放される以上、ヴァンパイアが解放されれば代わりにヴラドが洞窟に閉じ込められるはずなのに、それがいつの間にかうやむやにされていたり、そこもいい加減な感じ。ヴァンパイアが陽に当たるとどうなるか、銀に触るとどうなるか、どういう条件で再生できなくなるのかも、あいまいというかテキトーな感じがします。荒唐無稽な話とはいえ、設定はきちんとして欲しいなと思います。

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