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2014年11月

2014年11月30日 (日)

インターステラー

 滅び行く地球からの移住先を求める宇宙飛行士の冒険を描いたSF映画「インターステラー」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ2(588席)午前11時50分の上映はたぶん2~3割くらいの入りだったかと:4週間半前なので…

 砂嵐に浸食され、生き延びられる作物も次第に減少し、生命を育む力を失って滅びに向かう近未来の地球で、事故に遭って引退した元宇宙飛行士のクーパー(マシュー・マコノヒー)は、父と息子のトム、娘のマーフ(マッケンジー・フォイ)とともに農場で暮らしていた。本棚の本を落とす幽霊の存在を伝えるマーフに、何者かのメッセージを読み取ったクーパーがモールス信号を解読して示された地点に向かうと、厳戒態勢の秘密基地の中で地下組織化したNASAが、限られた予算の中で移住可能な惑星を探すプロジェクトを続けていた。ブランド教授(マイケル・ケイン)から、既に探査に向かった数人の宇宙飛行士からの信号を追って、居住可能な惑星から先発の宇宙飛行士を連れて戻るミッションを託され、人類を救うためと説得されたクーパーは、幼い娘を残して宇宙へ旅立つことに戸惑いためらうが、娘に必ず帰ると言い残して宇宙へと旅立つ。最初の惑星では、クーパーはアメリア(アン・ハサウェイ)らとともに、1時間が地球の7年に相当する中で先発した宇宙飛行士を探すが宇宙船の残骸しか見つからず、巨大津波に襲われて仲間を1人失い、失意のうちに帰還すると留守番の宇宙飛行士は既に壮年に達していて…というお話。

 予告編では、幼い娘を残して宇宙に出る決断部分が強調されていますので、そこがポイントかなと思いましたが、どちらかというと宇宙に旅立ってからの家族(娘)への思いも含めて、仲間たちとの間の思惑の違いなどの人間的な感情をテーマとし、それをマシュー・マコノヒーがやや抑え気味に、しかし抑えきれないというニュアンスで見せる、そういう作品という印象です。
 幼い(設定は10才くらい)娘と離ればなれになり、2度と会えないかも知れない旅立ちを、人類を救うため、君が行かなければ娘も生き延びられないなどと説得された場合、私なら、行かないと思う。わずかな望みがあったとしても、助からない可能性が大きいのであれば、そばにいてともに滅びたい。自分ならしない決断をする主人公が活躍するからこそ、映画であり、見る気になるのではありますが。
 通信が一方通行で、宇宙船からは答えられない、そうして地球側で家族が、娘が絶望し、愛想を尽かせていく様子だけが伝えられるというシチュエーションは、父親側には残酷。しかし、クーパーの側にも、滅び行く地球での手詰まり感、自分の居場所はここではない、活躍の場を求めたいという気持ちがあったことも否定できず、その意味では、見捨てたという側面がないともいえず、やはり自業自得か…

 この映画の宇宙観/宇宙論は、5次元世界が我々の住む3次元空間に隣り合って存在し、低次元側からはそれを認識することができず、それぞれの宇宙はブレーン( brain ではなく brane )と呼ばれ、日本語では「膜」と訳されて、その間を行き来できるのは重力波だけという、7年ほど前に、ちょっと流行って、私も読んだリサ・ランドールの理論(「ワープする宇宙」は2007年8月15日の読書日記で紹介)によるものと思われます。いろいろと疑問に感じる点もありますが、本で読んだ時には複素平面がどうだこうだでけっこう頭が痛かった議論が映像で見せられると、ふーん、こんな感じ、と理解できるのは、やはり百聞は一見にしかず、映像の強みといえましょうか。

2014年11月23日 (日)

天才スピヴェット

 山間の牧場に住む天才少年の家族への思いを描いたハートウォーミングコメディ「天才スピヴェット」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午前10時の上映は3~4割の入りだったと思う。5週間半前なので、記憶がかなり薄れてますけど:今頃それを書く私って…

 アメリカ北西部の山間の牧場に住む10才の天才少年スピヴェット(カイル・キャレット)は、カウボーイのアイデンティティを追求する父テカムセ(カラム・キース・レニー)と昆虫学者の母クレア(ヘレナ・ボナム=カーター)、アイドルを目指す姉グレーシー(ニーアム・ヲルソン)、そして双子の弟レイトン(ジェイコブ・デイヴィーズ)に囲まれて育った。スピヴェットは、射撃や投げ縄が得意なレイトンと仲良くはしゃぎ回っていたが、父親が自分の生き方を託してレイトンをかわいがることに寂しさを感じていた。そんなある日、レイトンが銃の事故で死に、家族の心にぽっかりと穴が開いてしまう。その後、スピヴェットが発明した蒸気車輪(永久機関)がスミソニアン博物館から賞に選ばれたと連絡が入り、スピヴェットは連絡してきた次長のジブセン(ジュディ・デイヴィス)に大人のふりをして受賞式への出席を承諾する。母親が調査旅行に誘うのを振り切り、早朝牧場へ出かける父親の目を盗んで、母の日記や思い出の品を詰めたスーツケースを手にスピヴェットは貨物列車に忍び込み、授賞式会場への長旅に出るが…というお話。

 予告編を見た時には、スピヴェット少年の天才ぶりがテーマというか、そちらでストーリーを展開させるのかと思いましたが、発明品は、やや陳腐な感じで、原理や仕組みについての説明もほとんどなく、発明の過程や努力・工夫などもほとんど描かれていません。
 スピヴェット少年の家族への思い、自身も大好きだった弟への思いと、弟が家族に愛されているのに比較して自身への愛の欠乏感を持つ鬱屈した感情、弟がいなくなった今自分が代わりになれず家族が悲しみを乗り越えられないことを哀しく思う気持ちなどがメインテーマで、ストーリーはその気持ちを抱え反芻する旅情と小さな冒険で展開する形です。少年の無邪気さ、愛らしさで見せるお子様冒険ものと見た方がいいだろうと思います。原題は " L'extravagant voyage du jeune et prodigieux T.S. "(若くて非凡なT.S.スピヴェットの途方もない旅)。原題だと、作品のイメージがそれなりに想起できます。
 予告編でも見せるスピヴェット少年のスピーチのシーンがクライマックスで、その後、スピヴェット少年を巡りマスコミに売り出そうとするジブセンやトークショーの司会者ら大人の思惑とクレアの対立などは、中途半端な感じで冗長に思えました。むしろ、スピーチのシーンで、それを見守るクレアをアップにして、そこからラストのエピソードを1つ2つ展開して終わった方がすっきりしてよかったんじゃないかと思います。
 日本語タイトルに囚われず、少年の家族への思い、鬱屈した感情と、主演男優の表情やしぐさのかわいさを味わうべき作品だと思います。 

2014年11月16日 (日)

紙の月

 銀行の契約社員の不倫と横領への疾走を描いた映画「紙の月」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午後1時30分の上映は8割くらいの入り。

 専業主婦から銀行のパートタイマーとして働き、契約社員となったばかりの営業担当梅澤梨花(宮沢りえ)は、上司(近藤芳正)からも評価されていた。契約社員になった給料でペアウォッチを買って夫(田辺誠一)に渡したが、「仕事…というか、ゴルフの時にしていくよ。こういう軽いのちょうどいい」「もっと高いの買っていいんだよ。梨花が稼いだお金なんだから」という反応に、梨花は少しへこむ。優良顧客平林孝三(石橋蓮司)の孫光太(池松壮亮)と駅で出会った梨花は、光太とともにラブホテルで体を合わせる。平林のところに営業に行って、光太が借金まみれでたかりに来ると愚痴を言われた梨花は、光太を問い詰めて、消費者金融に150万円もの借金があることを聞き出し、平林から預かった200万円を定期預金を銀行内ではキャンセルしたことにして手続を取りながら証書を持ち出して平林には定期預金したと報告し、200万円を光太に渡す。夫の上海赴任が決まり、当然に銀行を辞めて同行すると思っていた夫に同行を拒否した梨花は、呆けが来始めた顧客から預かった300万円を着服し、光太と高級ホテルで豪遊する。次々と顧客の金に手をつけるようになった梨花は…というお話。

 銀行員の不倫と横領の話ですから、どうしてそうなったのかという興味で見るのがふつうだと思うのですが、そこは腑に落ちないままです。そもそも不倫と横領が「転落」と描かれているか自体、はっきりしません。
 契約社員となって初めての給料でペアウォッチを買って帰った妻。いじらしいじゃないですか。それをもっと高い時計を身につければいいのにというニュアンスであしらう夫。どうしてそういう姿勢を取るかなぁと思う。自分が栄転で上海に行くから妻が当然に付いてくると思い込み、決まるまで一言も相談しなかった夫。それも何だかなぁと思う。でも、それで夫を裏切り不倫にのめり込み巨額の横領をするか。
 原作者角田光代は、映画の公式サイトで「梨花は、夫に不満があって家の外に目を向けたのではないし、孤独だから横領したのではない。彼女はただ恋に落ちた。その恋は、梨花にとっては有料だった。それだけのこと。」とコメントしています。
 その「恋」も、「海を感じる時」の市川由衣と続けて、見るからに不誠実な池松壮亮に、どうして犠牲を払って執着するのか、私にはまったく理解できません。おじさんの僻みでしょうけど。

 銀行側の事なかれ主義、営業優先の姿勢のいやらしさ、事件後も反省のない様子なども描かれてはいます。
 梨花の中学生時代、学校が外国での水害孤児救済のための募金への寄付を奨励し、クラス別の募金額まで発表して競争を煽っておきながら、クラスの友人が寄付をやめ募金が少なくなったのを見た梨花が父親の財布から金を抜き取って高額の寄付をしたことを教師が非難する場面で、教師に反論する梨花の姿も印象的に描かれています。
 しかし、梨花の横領が、銀行側のノルマ達成のためになされたのであれば、梨花の反論が銀行の姿勢と対置されてピッタリはまるのですが、梨花の横領した金はすべて光太との豪遊に費消されているのですから完全にすれ違い、場違いです。そうすると、むしろ、子どもの頃に寄付のために父親の金を盗んだ娘だから、と結局は、個人の資質・生い立ちに帰せられる印象です。

 すべてニセモノなんだから壊していいと思った。中学生や高校生が、ではなく、専業主婦から再就職した30代の銀行員がこう思ってしまい、そして思うだけでなく実行してしまうことにこそ、今の日本社会の怖さ・脆さ・歪さを感じる、という作品なのかも知れません。

 隅(小林聡美)のような入行25年の仕事が着実で知識も豊富な事務員が軽く扱われ退職を迫られる、銀行を始めとする企業社会の実情にため息をつかされる、私にはむしろそっちの色彩の濃い作品でもありました。

2014年11月 9日 (日)

マダム・マロリーと魔法のスパイス

 向かい合う料理店の対立を背景にしたほのぼのラブストーリー映画「マダム・マロリーと魔法のスパイス」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国25館というディズニー映画にしては小規模なラインナップで東京では4館の上映館の1つシネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前11時の上映は2割くらいの入り。観客の年齢層は高め。

 幼い頃から母が取り仕切るインド料理店で育った料理人ハッサン(マニッシュ・ダヤル)は、母を暴徒の襲撃による火災で失い、失意のパパ(オム・プリ)とともに一家でロンドンに行くが野菜がまずいと不満に思い、大陸に渡り、おんぼろ車でおいしい食材のあるところを探して回っていたところ、フランスの小さな町の山中で車が壊れ立ち往生した。そこに車で通りかかった気のいい娘マルグリット(シャルロット・ルボン)に助けられ、地元の野菜で作った料理を振る舞われた一家はそのうまさにビックリする。間近の廃屋を見たパパは、その廃屋を買い取ってインド料理店を開くことを決意するが、向かいにはミシュランの星1つを守り続けるマダム・マロリー(ヘレン・ミレン)の名門フランス料理店「ル・ソール・プリョルール」があった。インド料理店「メゾン・ムンバイ」の開店準備を進めるパパからメニューを受け取ったマダム・マロリーは、開店当日に地元の市場でメゾン・ムンバイの料理に必要な食材をすべて買い占め、パパとマダム・マロリーの対立はどんどんエスカレートしていく。そんなある日、自転車で通りかかったマルグリットと話してマルグリットがマダム・マロリーのレストランの副シェフだと知ったハッサンは…というお話。

 料理に関しては、ハッサンの天賦の才にアジア人らしい勤勉さが加わって、ハッサンがあれよあれよといううちに(玉姫公園と少年院でうろうろしていた矢吹丈がとんとんと世界タイトルマッチを戦うまでに至るように:例えが古い(^^ゞ)料理人界を上り詰めて行き、両店の対立も、マルグリットとの恋も添え物だったように見えていきます。終盤は、パリ版「木綿のハンカチーフ」のようにも(やはり例えが古い)…
 日本語タイトルは、「マダム・マロリーと魔法のスパイス」で、まるでマダム・マロリーが主人公のように見え、ストーリー紹介もマダム・マロリーから始めるのが、通例のようですが、映画の展開は、ハッサンの幼少期から始まりその後の放浪の末にマダムマロリーの向かいに辿り着くもので、マダム・マロリーの登場はけっこう後になりますし、主人公を判定すれば、ハッサンと見るのがふつうでしょう。原作のタイトルは、" The Hundred-Foot Journey " で、マダム・マロリーでもハッサンでもなく、2つのレストランの距離(物理的&心理的)を採りあげています。

 作品の興味としても、2つのレストランの対立がどうなっていくかということも前半ではキーポイントになりますが、全体としてみると2組のカップル、マルグリットとハッサン、マダム・マロリーとパパの、ほのぼのと微笑ましく、しかしやや素直でない関係の行く末にあります。
 私は、自分の年齢からも、老いらくの恋ともいうべきマダム・マロリーとパパの関係に惹かれます。ともに伴侶と死別して、その後を継いでレストランを経営する年老いた頑固な2人が控えめに少し不器用に見交わす視線と心情が微笑ましい。ハッサンへの近況報告に名を借りてマダム・マロリーへの告白を図るパパが、戸田奈津子訳によれば「恋人に近い」 ( almost girlfriend ) 人ができたと言ったのに対して、マダム・マロリーが不機嫌になった(もちろん、いまさら、恋人に「近い」 止まりかと憤慨した)のを見て、「恋人」と言ったのが踏み込みすぎて嫌がられたと勘違いしたパパが慌てて、いや「近い」だよ、「近い」 ( Almost , almost ) と言い繕ってさらに怒らせ、フランス女はわからないと嘆くシーンが、いい。もっとも、 girlfriend はこの場合恋人なのか、マダム・マロリーのような年齢の女性に言う時も、" girl " なのか、そっちに少し引っかかりましたけど。

2014年11月 2日 (日)

クローバー

 エリート上司と凡庸なOLの社内恋愛コミックスを実写映画化した映画「クローバー」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン3(287席)午後4時10分の上映は8割くらいの入り。観客層は圧倒的に若者層で、カップルと女性同士が中心。

 従業員7000名だが同族企業で専務筒井義道(上地雄輔)が実権を握るホテル東洋に勤める新人OL鈴木沙耶(武井咲)は、中学時代に今は人気俳優となっている樋野ハルキ(永山絢斗)と軽井沢に駆け落ちしたが警察に保護されて仲を引き裂かれたことを引きずり、恋愛に積極的になれないでいた。仕事上のミスが続き、直属の上司のエリート柘植暁(大倉忠義)に罵られ続けていた沙耶は、ある日柘植から俺とつきあわないかと誘われる。沙耶は柘植の真意をつかみかねていたが、樋野ハルキを招いたバレンタインイベントを任され、その準備中に女性タレントの忘れ物をホテルの部屋に届けた時部屋の中に裸のハルキがいることに気づき、柘植の申し出を承諾し、肉体関係も持つに至る。しかし、職場では相変わらずつれなく厳しい態度を取る柘植に沙耶は不安と不満を募らせる。専務からパリでのホテル立ち上げの責任者に抜擢された柘植はパリに単身赴任し、専務の妹栞(夏菜)は柘植に猛アタックを続ける。他方、柘植と会えない状態が続き柘植からの連絡が少ないと不安に思う沙耶はハルキと逢瀬を続け、それが芸能誌を賑わせてしまい…というお話。

 ごくふつうのこれといった取り柄がない女性が、イケメンで能力がある男性に告白され、美人で性格の悪い女性が敵役で登場して攪乱するがイケメン男性はその美女を振って主人公を選ぶという昔の少女漫画の王道を、職場を舞台に堂々と作って見せたという作品だろうと思います。さらにやはりごくふつうの女性主人公が2人のタイプの違うイケメンに告白されて、あぁこんなにもててしまういけないわ・た・し…状況を創出する、「白馬の王子様」+逆ハーレムというゴージャスな妄想付きでお買い得というパターン。制作側にとってはうけるからやるというだけでしょうけど、いつまでもこういうパターンが続くものでしょうか。
 直属の上司で、厳しく叱責を続けている柘植が、その部下に対して、俺とつきあわないかというのは、昨今のビジネス環境を考慮すれば、交際の強要、セクハラ以外の何ものでもないというべきでしょう。イケメンエリートだからこれが許され、セクハラじゃない、真剣な愛だとか描くのは、イケメンなら部下に交際を要求してもセクハラじゃない、主観的に「愛情に基づく」ならセクハラじゃないとかいう言い分を正当化し、多くの勘違い上司による職場でのセクハラを誘発することになりかねません。今どき、こんな描き方をする制作側の神経を疑います。
 同じく、柘植の言動はパワハラそのもの。確かに沙耶の仕事ぶりの注意力・真剣度の低さ、さらに言えば仕事に対する姿勢の甘さは、上司としてみれば目に余ります。仕事ぶりについて叱責を受けるのは当然だと思います(その部分まで柘植が「ドS上司」だと描く姿勢は甘えだと思います。もっとも、実社会ではこういう人は重要なイベントを任されないはずですけど)。しかし、それでも「お前の脳みそは犬以下か」は紛う方なきパワハラ発言で、発言が立証できれば裁判所でも不法行為と認められるレベルです。こういう発言も、イケメンエリートなら許されるとか、主観的に「愛情に基づく」なら許されるという描き方をするのであれば、やはり制作側のセンスを疑います。

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