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2014年10月

2014年10月26日 (日)

FRANK-フランク-

 被り物をした前衛ミュージシャンとそれに惹かれた若者を描いた映画「FRANK-フランク-」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午前11時50分の上映は5割くらいの入り。

 会社勤めをしながらミュージシャンになることを夢見て曲作りに励む青年ジョン(ドーナル・グリーソン)は、ある日キーボード奏者が入水自殺を図ったところに居合わせてバンドマネージャーのドン(スクート・マクネイリー)からキーボードを演奏できるか聞かれたことから、インディーズバンド「ソロンフォルブス」のライブに出演することになった。バンドのヴォーカルのフランク(マイケル・ファスベンダー)は巨大な顔を描いた被り物をしたままで歌い続けた。フランクの前衛的な音楽の魅力に惹かれたジョンは、アイルランドでのアルバム制作のための合宿に参加するが、メンバーのクララ(マギー・ギレンホール)らから反発を受け、また才能のなさを思い知らされる。合宿のために借りた別荘の賃料不払いを知って肩代わりすることで居場所を確保したジョンは、バンドのビデオをネットにアップしてファンを拡げ、テキサスでの音楽イベントへの参加を勝ち取るが…というお話。

 前衛的なバンドとその中での才能とカリスマ性を持つフランクの音作り、そういったフランクのマニアックな部分を支持するクララを中心とするバンドメンバーと、バンドを売り出したい、フランクを利用してメジャーになりたいという野心を持つジョンとの対立という図式を通じて、音楽のマイナー指向とメジャー指向、音作りへの愛着が表現されているように思えます。その点では、終盤自らが生活のために歌う場面ではある程度大衆受けする音楽を演奏しながら、フランクとともに前衛的な音作りをしフランクを強く支持するクララの姿が象徴的です。ジョンを罵倒し続け、それなのにジョンとHしてしまうエキセントリックさと、終盤でのクラブでの歌、沈み込んだフランクとのコーラス場面の優しさと叙情の対比が新鮮に思えました。

 音楽とは別に、ある種純真で素朴で社会性のない傷ついた心を持つ人物の生き様と再生、周囲にいるそういう人物への愛情と接し方というようなところがテーマとなっていると思います。ドタバタしたエキセントリックさからしんみりと叙情的な終盤への変化が最後にそれを味わい思い至らせるという構成になっています。

2014年10月18日 (土)

グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札

 女優を引退してモナコ公妃となったオスカー女優グレース・ケリーのその後を描いた映画「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」を見てきました。
 封切り初日土曜日、TOHOシネマズ渋谷スクリーン5(234席)午後7時の上映は3割くらいの入り。

 26才の若さで引退してモナコ公妃となって6年後、グレース・ケリー(ニコール・キッドマン)は、公妃としての生活になじめず、多忙の中なかなかかまってくれない夫レーニエ3世(ティム・ロス)に不満を持ち、アルフレッド・ヒッチコック(ロジャー・アシュトン=グリフィス)からの映画出演・女優復帰のオファーに心を動かされていた。折しもフランスのド・ゴール(アンドレ・ペンヴルン)はフランス企業が課税逃れにタックスヘイブンのモナコに移転することに腹を立てて、モナコに移転したフランス企業への税金徴収とフランスへの支払をモナコに要求し、国境を封鎖した。さらに王室内にもド・ゴールに通じる者がいる疑いが生じ、レーニエ3世の姉アントワネット(ジェラルディン・ソマーヴィル)が元首の地位を狙い陰謀を企て、モナコと王室は危機に陥る。それを見てグレースは…というお話。

 作品のメインストーリーは、王室での暮らしになじめず、夫との間にもすきま風が吹き、女優への復帰に心動かされていたグレース・ケリーが、考えを改め、モナコと王室の危機に際して、夫への愛情と献身を背景に自らの機知で対処してモナコを救うというような展開です。そういう展開ですから、前半の夫と王室から心が離れていたグレース・ケリーが、夫と和解し愛情と献身を示す後半へと舵を切る部分が、本来は見せどころのはずなのですが、そこが今ひとつ見ていてハッキリしません。率直に言って、前半かなり動きが少なく台詞で語る場面が多く昼間遠出した疲れもあってところどころうつらうつらしたので、私が見落としたということかもしれませんが、何というか、まわりから反対されているうちに何となくあきらめ、公妃で居続けると決めた以上それに合わせるしかないと踏ん切りを付けたのかなぁというようなニュアンス。実生活では、何か劇的なことがあって決心するということよりも、何となく決めていくことが多いとは思いますが、映画としてはもう少し何か納得しやすいターニングポイントがあった方がよかったように思えます。

 映画としては、ラストのグレース・ケリーのスピーチが、最大のと言うかほぼ唯一の見せ場です。すべてをここに向けて作っている感じで、さすがにここは心動かされます。
 小国モナコが、隣接するというか包囲されている大国フランスの実力行使と武力による威嚇を前にどう対処するか。グレース・ケリーのスピーチは、平和憲法を持ち憲法前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言した日本国民が努力すべき道を指し示すもので、感慨深いものがあります。この国に、米軍の威を借るとともに自らも軍備を拡大しふつうに戦争ができる体制を目指す、パワーポリティックス信奉者が満ちあふれて政権を取っている現在、この映画のメッセージは、とりわけ日本では貴重なものに思えました。

2014年10月13日 (月)

マダム・イン・ニューヨーク

 英語にコンプレックスを持つインド人主婦のチャレンジを描いた映画「マダム・イン・ニューヨーク」を見てきました。
 封切り16週目月曜日祝日、キネカ大森シアター3(40席)午前10時20分の上映は3割くらいの入り。

 インドの中・上流家庭の主婦シャシ(シュリデビ)は、料理上手でインドのお菓子ラドゥを贈答用に販売していたが、忙しいビジネスマンの夫サティシュ(アディル・フセイン)に会議中に電話してすげなくされたり、英語がうまくしゃべれないために娘サブナ(ナビカー・コーティヤー)には学校での面談に来るのも恥ずかしがられ馬鹿にされることに不満を持っていた。ニューヨークに住む姪の結婚式の準備のために家族に先だってニューヨークを訪れたシャシは、英語が聞き取れないためにカフェでコーヒーを頼むにもパニックを起こして大騒動を引き起こしてしまい、ますます自信を失ってしまう。「4週間で英語が話せる」という英会話学校の広告を見て、飛びついたシャシは、陽気なゲイの英語教師デヴィッド(コーリー・ヒップス)のクラスで、さまざまな国から来た生徒たちに囲まれて英語の勉強を始めるが…というお話。

 家族の間での人間関係・距離感を考えさせられる映画です。主人公のシャシの英語コンプレックスをストーリー展開の中心に据えていますが、シャシが求めているのは英会話力ではなく、家族に敬意を払われる(リスペクトされる)こと。家族の日常の中で、敬意、感謝、愛情をどう表していくか、どう受け止めていくか、現実には行き違い・思い違いを生じやすい問題です。
 シャシが英語をうまくしゃべれないことを露骨に蔑んでいる娘は論外として、夫サティシュの言動はちょっと考えさせられます。サティシュの主観としては、シャシが英語を苦手としていることに気遣っての言動と見られることが多く、結婚式での「シャシはラドゥを作るために産まれてきた」という発言も、ストーリーの流れからはいかにもシャシにはかちんとくる言い回しで観客からは場を読めないヤツと見えますが、サティシュ自身はほめ言葉で言っているつもりであることも明らかです。フェミニストの視点からは上から目線のパターナリズムオヤジと評価することになるのでしょうけど、でもきっと善意の夫がこういう発言しそうだよねとも思ってしまう。それが主婦側からこう見えるというところ、肝に銘じておけということなんでしょうね (^^;)

 公式サイトのストーリーで、シャシは「インドのごくふつうの主婦」と書かれていますが、私には中流以上、むしろ上流家庭の生活に見えます。家庭内で十分尊重されていないという気持ちを持つ点で主婦層を代弁しているのでしょうけれど、生活の不安はなくお菓子作りに専念できて、夫からあっさりニューヨークに5週間行ってきていいと言われるような暮らしをしていて、英語がうまく話せないことが悩みというのは、贅沢な悩みと感じられるのではないでしょうか(インドで英語が話せないということは、日本で英語が話せないことより相当厳しいだろうとは思いますが。でも、JAZZを「ジャーズ」と読んだくらいで笑い転げるかなぁ)。
 ラストシーンは、私は、シャシがニューヨークタイムズを拡げて一瞥し微笑んで、サティシュがホホォという顔をするという形にした方が、ストーリーとしても画としてもよかったと思います。この映画のラストシーンと、シャシと英会話学校の生徒ローラン(メーディ・ネブー)との関係の落とし方が、よくも悪しくも現代インド社会での女性の状況を象徴しているのだと思いました。

2014年10月12日 (日)

海を感じる時

 1978年、当時18才の中沢けいの群像新人賞受賞作を、30余年を経て映画化した映画「海を感じる時」を見てきました。
 封切り5週目日曜日、全国6館東京で2館の上映館の1つテアトル新宿(218席)午前10時45分の上映は、2~3割の入り。市川由衣のフルヌードばかりが話題になる中、観客の多数派は男性一人客ですが、意外に女性客もけっこういました。

 父が早死にし母子家庭に育った中沢恵美子(市川由衣)は、高校の新聞部の先輩高野洋(池松壮亮)に部室で、君が好きなわけじゃない、ただキスをしてみたいだけだとキスを迫られ、応じてしまうと、さらに体を撫で回されるが、チャイムが鳴ると洋は手を止め授業に出ろよと言い捨てて出ていく。恵美子が喫茶店に洋を呼び出し、ずっと好きだったと告白しても、洋は女の人の体に興味があっただけ、君じゃなくてもよかった、君といると体を求めてしまう、もう会わない方がいいとつれない対応に終始する。その後も会う度にキスをし体を撫で回しながら冷たい態度を取る洋を、恵美子は追い続け、必要としてくれるのなら体だけでもいいと関係を迫る。月経が遅れ、妊娠したみたいと告げた恵美子に、洋は金は出すと答え、産みたいという恵美子に対し、ダメだと突き放す。恵美子は、大学生となり東京に行った洋の下に通い、洋が送り返してきた恵美子の手紙を見て、恵美子と洋の関係を知った母(中村久美)は恵美子を詰り、受験にも失敗した恵美子は家を出て東京で花屋で働きながら洋との関係を続けるが…というお話。

 つれない男から冷たくあしらわれながら唯一男から受け入れられる体・セックスのつながりで追い続けていた女が、生活上自立し、男との関係を相対視しセックスなんてたいしたことじゃないと開き直ってしまうことで、力関係が逆転する、男女関係の機微がテーマであり、ストーリー上の見どころと思えます。
 ただ、この身勝手な冷血漢、鬼畜のような男との関係がこのような展開を見せるのは、ひとえに、この男に他の女性が現れなかったから、性欲故にこの女との関係を絶つことができず、この女抜きでは生活が成り立たなくなってしまったことがこの男の弱点となったためと考えられます。
 体だけ、誰でもいいと言われながら慕い追い続ける女、男を呼び出してたどたどしく告白する喫茶店のBGMが「まちぶせ」(音量が小さめだったのではっきりわからなかったけど、たぶん石川ひとみじゃなくて、三木聖子)という気まずい場面にも象徴される不器用でイタイ女と、レトロなタッチの台詞でクールを気取りながら中身もなくもてない男の、どこかかっこ悪い青春グラフィティである故に成立した作品という感じです。

 話題の市川由衣のフルヌード、繰り返されるセックスシーンを見ても、ほとんど興奮を覚えません。
 市川由衣の裸体は、冒頭の、ポスター等にも採用されている場面の、あえて腕を寄せて前屈みの姿勢を取ることでことさらに鎖骨を浮き出させた、実態以上にやつれたカットの印象を引きずり、その後のふつうの姿勢の映像でも今ひとつ肉感を感じません。同じ体でももっと肉感的に、エロスを感じさせることは可能なのに、あえてその素材を魅力なく見せているのかと思えます。ラスト近くの公衆浴場のシーン、他の客が全くいないのも違和感がありますが、市川由衣の座り方、あんな風に椅子も使わずにタイルに直にべちゃっと座るの、気持ち悪くないんだろうか。ヌードに興奮するよりそういうことの方が気になってしまいました。私がもう枯れてきている印?
 セックスシーンも、全然楽しくもうれしくもない感じです。市川由衣だけじゃなくて、池松壮亮も、行きずりの中年男(三浦誠己)も、あまり気持ちよさそうじゃない。それに、2人とも、あまりに早い。セックスシーン自体が見せ場じゃない(ポルノ映画じゃない)とはいえ、えっ、もう?と思う。たいして気持ちよくもないセックスなんぞにどうしてそんなにこだわってるの?というメッセージを浮き立たせる意図なんでしょうけど、そういうものなのか、ちょっと寒々しい思いがしました。
 ラスト近く、行きずりの中年男とのセックス(それも寒々しいんですが)を知らされて、恵美子を罵った上でレイプまがいに(恵美子が抵抗はしませんが、実質はレイプと言ってもいいでしょう)恵美子を犯して立ち去った洋を、恵美子がいつもとおんなじじゃないと評するのが、辛辣でもあり、哀しい。これが恵美子の悟りでもあるわけですが、もっといい関係/いいセックスがあるというメッセージもあって欲しい。

2014年10月 5日 (日)

フランキー&アリス

 多重人格に苦しむ黒人女性が医師とともにその原因解明に努める映画「フランキー&アリス」を見てきました。
 封切り3週目日曜日台風接近で強雨の中、全国9館東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午前9時40分の上映は2割くらいの入り。
 2日続けて主役がフランキー(どちらも Franky じゃなくて Frankie )の映画というのは、意図したわけじゃなくて、午後仕事の関係で午前9時台の映画を探しててそうなっただけ (^^ゞ

 1978年のアメリカ。売れっ子のストリッパーとして順調に暮らしていたフランキー(ハル・ベリー)は、ある日、自分が知らないうちにドレスを買い込み預金の残高が乏しくなっていたことに気づき、ナンパした相手の黒人に人種差別的な態度をとり錯乱して警察に保護され、精神科の診療を受けることになる。フランキーの診療を受け持たされたオズワルド医師(ステラン・スカルスガルド)は、フランキーの中に白人の差別主義者「アリス」と幼児のような「天才」が同居していることに気づく。オズワルドは、催眠療法を用いて、アリスや天才を引きだし、フランキーの中にアリスが生まれた原因を探るが…というお話。

 フランキーの中になぜアリスという人格が生まれたのかの原因究明・謎解きに向けたサイコ・ミステリーとでも呼ぶべき作品です。そこを書いてしまうと、作品の興味がかなり減殺されるので、さすがにそこは書けませんが、それに触れずに論評するのが難しい作品でもあります。
 黒人の心の中に人種差別主義者の白人が潜むことの哀しさ、フランキーを護ろうと懸命な母の哀しさというところが見どころでしょうか。

 フランキーの中には、人種差別主義者のアリスとともに幼児言葉を話す「天才」( Genius )も潜んでいるんですが、タイトルはフランキー&アリス(原題も Frankie & Alice )。登場する場面が少ないとは言え、「天才」の立つ瀬がないように思えます。作品全体に、「天才」の存在を設定した意味が希薄ではありますが。

 茫然自失のフランキーを映す冒頭のシーンが1957年、その後アリスが登場して事件が引き起こされる時代が1978年と21年の落差があります。1957年時点でフランキーはミドルティーン以上であったと考えられますので、1978年には30代後半。そうすると結婚披露パーティーにフランキーが入り込んで傷害事件を引き起こすことになる元お友達だった花嫁もやはり30代後半ということになります。う~ん、毎度のことですが、私にはやはり女性の年齢は判断できない。

2014年10月 4日 (土)

ジャージー・ボーイズ

 1960年代の伝説のグループ「ザ・フォー・シーズンズ」の栄光と試練を描いた映画「ジャージー・ボーイズ」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午前9時50分の上映は2割くらいの入り。

 ニュージャージー州の貧しい地区で育ったフランキー・ヴァリ(ジョン・ロイド・ヤング)は、泥棒稼業の不良仲間トミー・デビート(ビンセント・ピアッツァ)に美しい声を見いだされ、不良仲間のニック・マッシ(マイケル・ロメンダ)、歌作りに長けたボブ・ゴーディオ(エリック・バーゲン)とともに4人組のグループ「ザ・フォー・シーズンズ」を結成し、レコード会社に売り込んだ。バックコーラスにしか使ってくれないレコード会社に業を煮やしたトミーは高利貸しからレコード制作費用を借りてレコーディングを行い、ボブが作った歌「シェリー」が大ヒットし、グループは人気者になる。公演続きで家に帰らなくなったフランキーは、うちに帰るとヤク中になった妻から不在と浮気を罵られ、一人娘のフランシーヌを慰めていた。ボブはフランキーに2人の稼ぎでの投資を持ちかけ、トミーはグループの会計から金を持ち出し、居場所のなさを感じたニックは意欲をなくしていった。そんなある日、舞台の袖に高利貸しが現れ巨額の借金が発覚し…というお話。

 伝説のグループの足跡をたどるストーリーですが、リード・ヴォーカルのフランキー・ヴァリの心情の描写が味わいどころになっています。
 フランキーが、自らの実力で人気を勝ち得たことを認識しながら、もともと控え目な性格でトミーに見いだされなければ歌手になるなどあり得なかったという経緯を思って、トミーが背負った巨額の借金をグループで返すと決断するシーンには胸を打たれます。
 そして、最愛の一人娘フランシーヌを失ったフランキーが、ボブがフランキーを立ち直らせるために作ったという「君の瞳に恋してる」を歌い上げるシーンには涙が出ます。
 容姿が重視される歌手の世界で、ひときわ身長が低いフランキーが活躍しのし上がっていくところに、私のひいき目が働いているという面があるでしょうけれど。

 映画の中で度々グループのメンバーが観客に向かって語り出すシーンがあります。別の評価もあるでしょうけれど、私は、ストーリーが中断されて映画の中から現実世界に引き戻される感じで、しらけました。映画は、エンディングまで映画の作品の世界に浸れるように作って欲しい。

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