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2014年8月

2014年8月31日 (日)

ソウォン/願い

 幼女強姦事件の被害家族の苦しみと再生を描いた映画「ソウォン/願い」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、全国3館東京では現在唯一の上映館新宿武蔵野館3(84席)午前10時の上映は5~6割の入り。

 町工場で働く父ドンフン(ソル・ギョング)と文具店を経営する母ミヒ(オム・ジウォン)の娘の8才の少女ソウォン(イ・レ)は、土砂降りの雨の中遅刻して学校に向かう途中、酒に酔った性犯罪歴のある男に立ちはだかられ「傘に入れてくれ」と言われ、そのまま近くの廃屋で激しく殴打され気絶したところを強姦されて、瀕死の状態で警察に通報し、救助された。警察から呼ばれて病院に駆けつけたドンフンは、医師から、肛門と大腸と小腸の一部を切除しないと助からないと言われ、同意するしかなかった。警察の依頼でソウォンへの質問を担当した心理療法士(キム・ヘスク)に犯人の顔写真を名指ししたソウォンの証言で犯人が逮捕されるが、逮捕を聞いて警察に駆けつけたドンフンの姿を見てマスコミが被害者を知り病院に押し寄せた。マスコミのカメラを避けてドンフンはソウォンを抱き上げて逃げるが、ようやくベッドに寝かせてみると人工肛門から便が噴き出していて慌てて拭き取ろうとソウォンのパジャマを脱がせようとするドンフンにソウォンは恐怖感を持ち泣き出した。ドンフンは心理療法士にソウォンのカウンセリングを依頼するとともに、父を避ける娘の心を何とか癒そうと娘の好きなアニメキャラココモンの着ぐるみを手に入れ、ココモンの着ぐるみを着て娘の前に現れて娘と筆談やジェスチャーで会話するが…というお話。

 忙しい母親とテレビや電話にかまけておざなりな対応をする父親に、きちんとかまってもらえない不満を持ちつつも、健気で素直に育ったソウォンの姿、深刻な被害に遭い深く傷つきながらも、大人からの問いかけに真摯に対応しようとするソウォンのやはり健気な姿、心理療法士の問いかけに学校に行きたい自分の思いとでも恥ずかしくて行けないという不安に揺れながら語る姿、さらには母と父を思いやる姿。理不尽な被害と、このソウォンの健気さに、ただひたすら涙しました。
 内にこもる場面はあっても、癇癪も起こさず愚痴も言わないソウォンは、被害者として健気すぎるようにも思えますが…

 うちに帰ると寝転んでテレビで野球を見てソウォンにちゃんとかまってやらない父だったドンフンが、事件を機に犯人を憎み、心を閉ざす娘のために何とかしたいと奮闘する姿は、ごく普通の被害者家族の苦しみを描いていると見るべきか、父親の自覚を強めて成長する姿を描いていると見るべきか。

 ドンフンが勤める町工場の経営者(キム・サンホ)、2週間欠勤を続けるドンフンにかまわないと言い、さらに金に困っているだろうと金を貸し、裁判でもドンフンよりも興奮して被告人や裁判官に怒鳴りつける熱血ぶり。人情に厚いというか、こういう従業員思いの家族的な経営者、韓国にはまだいるんですね。

 酒に酔っていたから心神耗弱って主張、そう簡単に認められるとは思えないんですが。被告人自身が、酒に酔うと記憶が飛ぶなんて言ってるわけで、そう認識してるなら酒飲むなって判断になりそうに思いますし。それに訳がわからないくらい酒に酔ってたら、男の場合、できるんだろうかという疑問も…
 韓国では、被告人と被害者の父を刑務官の立会なしで面会させるんでしょうか。日本だと弁護士以外の面会は確実に刑務官が立ち会いますけど。
 ドンフンらは12年の刑を軽すぎると激高するのですが、人が死んでいない事件で12年というのはかなり重罰だと思います。被害者にとっては、どんな判決が出ても被害が回復されるわけではありませんから、不満は残ります。それはそれとして受け止めるべきですが、裁判制度上被害者の事情だけで判決をするというわけに行かないわけで、メディアの描き方にはもう少し節度があるべきだと思います。軽すぎると激高し嘆く被害者・遺族の様子ばかり強調するメディアのために、被害者・遺族がどんな判決を見ても軽すぎると嘆くのがスタンダードになってきているように思えます。そういう風潮が、ドンフンが、軽い刑なら俺が始末を付けるなどと言い出すことへとつながっているのではないかと私には思えます(重罰を煽るメディアは、刑が軽すぎるから被害者の復讐心を国家が代行しきれず抑えられないのだというでしょうけど)。
 私には、裁判官が述べた判決主文の中で、懲役12年の方よりも、最後に損害賠償請求を棄却していることの方が気になりました。韓国の法制度は知りませんが、刑事裁判に付随して損害賠償請求も審理するということで、有罪で被害もかなり重いのにどうして請求棄却なのか、理解できません。実刑で刑務所に行く被告人からは現実に賠償金を取ることはできないでしょうけど、損害賠償の判決で被告人の行為の違法性や被害者の被害がはっきりと認定されるはずで、その判断を得ることで被害者の気持ちが整理できる部分もあると思います。それが請求棄却になるとしたら、そっちの方が被害者には我慢ならないのではないかと思うのですが。

2014年8月30日 (土)

プロミスト・ランド

 シェールガス採掘権の契約営業担当者の挫折と転機を描いた映画「プロミスト・ランド」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国9館東京で2館の上映館の1つ新宿武蔵野館3(84席)午前11時10分の上映は9割くらいの入り。

 農村出身のスティーヴ・バトラー(マット・デイモン)は、グローバル社の営業担当として農村地帯の地主たちからシェールガス採掘権を破格の安さで取得し続けていた。良質のシェールガスの埋蔵が確認されたある農村地帯で、同僚のスー(フランシス・マクドーマンド)とともに農場主と契約を進めていたが、住民説明会で地元の教師フランク・イェーツ(ハル・ホルブルック)から採掘法の欠陥のために土壌汚染が生じる危険を指摘され、しかもフランクが指摘したシェールガス鉱脈の評価についての最新のデータがスティーヴが村の有力者に示した数字より遥かに高くスティーヴが買い叩くために嘘の数字を示したことも発覚してしまい、村の有力者は3週間後の住民投票を提案する。農場主を回るスティーヴとスーを尻目に、どこからか現れた青年ダスティン・ノーブル(ジョン・クラシンスキー)が村の酒場で自分はネブラスカの農場の生まれだがシェールガスの採掘で土壌が汚染され牛が死に農場主は全てを失ったと告白し、翌日からグローバル社は出て行けというポスターやステッカーが次々と貼られ、スティーヴは反撃を画策するが、ダスティンの正体は?住民投票の行方は…というお話。

 快調に進んでいた営業が躓き、行く先々でダスティンに先を越され、酒場で仲良くなった地元の小学校教師アリス(ローズマリー・デウィット)までダスティンに奪われ…という行き詰まりの中で、スティーヴがどうするかが作品のポイントとされ、公式サイトのキャッチ・コピーは「人生はいつでも、やり直せる。」なのですが、見終わっての感想としては、大企業のあまりの悪辣さとそれを知ったスティーヴのささやかな抵抗という印象でした。
 スティーヴが手に入れたダスティンの話が嘘だという証拠は、写真の農場はネブラスカじゃなくルイジアナというのですが、ネブラスカじゃないからダスティンが自分の農場で起こったことだというのは嘘としても、でもルイジアナでそういう被害が現に起きてるなら告発自体は本当じゃないのか。会社の悪行を知っても、そこにはなお触れないスティーヴは、本当に「やり直した」のか?

 スティーヴが舌先三寸で調子のいいことを言い続けて村人たちにサインさせた契約書、スティーヴが説明しない部分にどういう条項があるのか、仕事がらとても気になりました。

2014年8月10日 (日)

サンシャイン 歌声が響く街

 スコットランドに住む家族とそのパートナーの愛と諍いを描くミュージカル映画「サンシャイン 歌声が響く街」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国11館東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午前10時55分の上映は4~5割の入り。

 スコットランドのリースに住む結婚25年の夫婦ロブ(ピーター・ミュラン)とジーン(ジェーン・ホロックス)のもとへ、アフガニスタンでの兵役を終えた息子のデイヴィー(ジョージ・マッケイ)と娘リズ(フレイア・メーバー)の恋人アリー(ケヴィン・ガスリー)が帰ってきた。地元の病院に看護師として勤めるリズは、同僚のイヴォンヌ(アントニア・トーマス)に兄を紹介し、デイヴィーとイヴォンヌは意気投合する。ある日ロブの元に、24年前に関係を持ちその翌日立ち去ったきり音信不通だった女性の娘から、葬儀の案内状とあなたの娘だという手紙が届いた。リースの港湾労働者のパブを貸し切って開かれたロブとジーンの銀婚式パーティーで、リズにお小遣いをせびられたジーンはロブの上着から財布を出す際に手紙を見つけて隠し子の存在を知る。そのパーティーでアリーはリズにプロポーズして断られ、それをからかった客を脅しつけたデイヴィーにイヴォンヌは失望する。連れ立ってパーティー会場から立ち去るジーンとリズとイヴォンヌを見て呆然と立ち尽くすロブとデイヴィーとアリー…というお話。

 リース(エディンバラの郊外東側)を離れずグラスゴー(リースから西へ50kmくらい)まで行ったら鼻血が出たというロブと、女友達とキャンピングカーでインドまで行こうと計画していたがロブと出会って中止したジーンの夫婦。ジーンは現在も働き続け、ロブは引退のもよう。5年前までは、ジーンが手をつなごうとすると振り払われていたが、母の死に悲嘆するジーンを慰めてくれたのをきっかけにスキンシップができるようになり昔のは照れだとわかったという熟成型の夫婦関係が、ちょっと微笑ましい。子どもたちが出かけて2人きりだからもっと寄り添おうと誘うジーンの笑顔がいい感じ。ソファーで頬寄せて何か(たぶんテレビ)を見ているだけなのですが。もっと普通におおっぴらにイチャイチャしてもいいと私は思いますけど。
 でもその夫婦仲でも、24年前の不倫とそれでできた子どもの存在が発覚するや、ジーンはロブに目の前から消えてと言い、この25年間は何だったのかと言い募ります。2人で積み重ねた年月がそれでなくなるわけじゃないと思うんですが。24年間不倫の関係が続いていてずっとだまされ続けていたっていうことならその台詞もわかりますけど。人間関係・夫婦関係は、かなり危うい基礎に乗っかっているということですね。気をつけましょう。
 結婚25周年のロブ。すごく老けて見えるし、仕事をしているところが出てこなくて引退していると見えますので、一体いくつなんだろうと思っていたら、俳優は私と同学年。俳優の歳に合わせて考えたらまだ50代前半(一応)。それであんなに老けて見えるとか、脳梗塞(?)で倒れたり…私も注意しないと。

2014年8月 3日 (日)

ボディガード

 丸の内ルーブル閉館イベント最終上映作品「ボディガード」(1992年、アメリカ)を見てきました。
 最終日最終上映の丸の内ルーブル(469席)午後3時の上映は4割くらいの入り。

 かつてレーガン大統領のシークレット・サービスを務め今はフリーのボディガードフランク・ファーマー(ケビン・コスナー)は、人気絶頂の歌手兼女優のレイチェル・マロン(ホイットニー・ヒューストン)の警護を依頼される。爆弾や脅迫状が送られていたことを知らないレイチェルはフランクの指示を無視して出歩き、フランクはスタッフからレイチェルはタレントだ、ステージを拒否できないと詰め寄られる。ステージで観客が舞台に殺到してフランクに守られて自宅に戻ったレイチェルは、どこへでも付いてくるのなら男とデートもできない、あなたとデートするしかないとフランクを誘い、積もる話をするうちにうち解けた2人はフランクの部屋で一夜を過ごすが…というお話。

 一応サスペンスなんですが、やはり22年前の作品、今から見ると仕掛けはかなりシンプルで、犯人像は早々に見えてしまいます。
 そういう点からも基本的なテーマは、ケビン・コスナーのダンディズムとプロ意識で、周囲への警戒の様子はわりと着実・周到に描写されている印象を持ちましたが、何と言っても、後からどう言い訳しても、クライアントとHしてしまうのはプロとしては明らかに失格。映画にロマンスを持ち込むためにそうせざるを得ないかも知れませんが、やっちゃってから、今襲われたら自信がないとか、過ちを犯したとか言っても説得力がありません。

 丸の内ルーブル閉館イベントで来館者サービスの記念のクリアファイル先着3000名ってサイトに書かれていたのですが、最終日の最終上映でも残っていたのが、私はもらえてよかったけど、ちょっと哀しい。

2014年8月 2日 (土)

2つ目の窓

 奄美大島の自然/海を背景に命とそのつながり、思春期の戸惑いと成長を描いた映画「2つめの窓」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国12館東京で唯一の上映館テアトル新宿(218席)午前10時45分の上映は4割くらいの入り。

 幼い日に両親が離婚し母岬(渡辺真起子)とともに奄美大島に住みついた海を怖がる無口な高1男界人(村上虹郎:新人)は、岬が自分を放って男と関係を持つことに苛立ちを感じていた。ユタ神様として島の人々に頼られてきた母イサ(松田美由紀)が余命幾ばくもないことを知った娘の杏子(吉永淳)は、戸惑いを感じていた。死期が近づき家に戻ってきたイサを父徹(杉本哲太)は温かく迎え、イサは杏子に、自分の命は杏子につながっている、いつか杏子が生む子どもにもつながっているから死ぬのは怖くないと語りかける。界人は東京にいる父篤(村上淳)に会いに行き母を守ってやれと諭される。界人に思いを寄せる杏子は、思いを告げ寄り添うが、母親の男性関係に嫌悪感を持ち続ける界人は、杏子にどう接してよいか戸惑うばかりだった。ある夜界人は岬を男性関係のことで罵り、杏子からあんたの覚悟が足りないだけと批判されるが、嵐の中岬が行方不明になり…というお話。

 家庭の事情を背景に戸惑いを持つ思春期の少年と少女が、奄美大島の自然と風俗の下で家族との語らい、思いを寄せる相手との交流の中で成長を見せるというのがテーマになっています。
 もともと制服のままで海に飛び込んで泳ぐ天然の行動力を持つ杏子が、母から子へと命がつながると語られ、余命幾ばくもないとはいえ親子3人で和やかに過ごし、父母からも界人への思いを温かく見守られて、肯定的な考えを進め成長を見せるのに対して、幼い頃の両親の離婚を引きずってか海に入るのが怖いといい母親の男性関係に苛立ち、杏子から思いを告げられても素直に振る舞うこともできない界人は、母親が行方不明になって初めて自分の気持ちに素直になり、ようやく成長を見せるという展開です。先に成長し解放された杏子が、遅れている界人を成長させ解放するというイメージです。
 2人の関係は、杏子が界人に思いを寄せ、杏子が積極的に思いを告げ誘い迫り、界人がためらいを見せ最後にようやく…という展開なのですが、ラストシーンをみると、界人が積極的になり、2人で泳ぐ美しいシーンも界人がほぼまっすぐ泳ぐのを杏子が少し回り込む感じで、界人が優位の構図になっています。積極的に行動する女性が最後には男を立てる形を採るのが賢明というように読めるのが最後にちょっと気になりました。遅れていた界人が最後に成長したイメージを増幅強調する意図かも知れませんが。2人が交錯する形で喜びを爆発させるようなエンディングにした方が私はよかったと思います。

 死があるからこそ、生/性の喜びがあるという構造で、冒頭のヤギの死、入れ墨男の死体、イサの死と死のイメージが重ねられます。ヤギの死(屠殺)のシーンは目を背けたくなり、何のためにこういうシーンを比較的長回しで入れるのだろうといぶかしく思えますが、後半になり全体像が見えてきたところで納得します。

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