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2014年6月29日 (日)

300 帝国の進撃

 ペルシア戦争に着想を得た歴史アクション映画「300 帝国の進撃」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ2(588席)午前11時50分の上映は1~2割の入り。

 アテナイでは、10年前のマラトンの戦いで、指揮官テミストクレス(サリバン・ステイプルトン)が艦上のペルシアの王ダレイオス(イガル・ノール)を弓で射殺し、駆け寄った息子クセルクセス(ロドリゴ・サントロ)は復讐を誓いつつ退却する。失意のクセルクセスをペルシア兵に拾われて海軍指揮艦に登り詰めたアルテミシア(エヴァ・グリーン)が鼓舞し、ペルシアは再びギリシャに攻め寄せる。アテナイは各ポリスに同盟を求め、陸路を進む100万人のクセルクセス軍にはスパルタの王レオニダスが不戦の神託のために正規の出兵ができない中を300人の精鋭部隊のみを率いてテルモピュライで戦い(こちらは前作「300」)、テミストクレスは民主制に移行したアテナイの「自由」を守る戦いと兵を鼓舞して、奇策を用いながらペルシアの大艦隊に緒戦の勝利を続ける。テミストクレスの力量に舌を巻いたアルテミシアは、テミストクレスを旗艦に呼び寄せて手を結ばないかと誘うが…というお話。

 民主主義と自由を守るために数で圧倒的に不利であるにもかかわらず立ち上がった勇気あるアテナイ対邪悪なペルシアの大軍という、「文明の衝突」的な単純なスローガン好きの人が喜ぶような構図の戦争映画です。ギリシャ側で民主制を採っていたのはアテナイだけ(それも女性や奴隷には参政権なし)で、アテナイ以外にとっては「民主主義」と「自由」のための戦いではないでしょうし、アルテミシアに刎ねた首に口づけさせていかにも「サロメ」のイメージを植え付けていますが、もちろん史実ではないでしょうし、そもそもキリスト教も存在しない時代の話にそういう印象付けをするやり方には疑問を持ちます。
 映像としては、スプラッター系の対戦型格闘ゲームを見ている感じです。
 前作の「300」は、私は見ていませんが、スパルタ王レオニダスがごく少数の精鋭のみを率いてテルモピュライの戦いに臨んだという史実に基づくもので、そのレオニダス王が率いた精鋭部隊が300人と言われていることから「300」というタイトルが出て来たはずです。今回の続編は、テルモピュライの戦いと並行して進んでいたアテナイサイドのエピソードで、「300」という数字は何の意味もありません。300人で戦ったスパルタ軍の精鋭部隊は、アテナイの「民主主義」を守る戦いなんて望んでなかったでしょうし。そういう作品に「300」というタイトルを付ける神経は、私には理解できません。

 民主主義と正義のアテナイ対邪悪なペルシアをテーマにした対戦型格闘技ゲームの、ものすごく単純な作りに、唯一陰影を与えているのがペルシアの邪悪な指揮官アルテミシアです。ギリシャ人に生まれながら、幼い頃戦乱の中でギリシャ軍の兵士に目の前で母親をレイプされて殺された上、自らもギリシャ兵に数年間監禁されてレイプされ続けた挙げ句にぼろ布のように捨てられたところをペルシア兵に拾われて剣術を仕込まれて最強の兵士となって海軍指揮官、ダレイオス王の懐刀に成り上がります。この設定が、この作品ではただアルテミシアのギリシャを憎む気持ちと残虐さを支えるだけなのですが、こういう設定をするのなら、テミストクレスに、そういった事実も踏まえてギリシャのひいてはアテナイの正義とは何か、それでもなお守るべきものは何かといったことを若干の苦渋・苦悩をにじませつつ語らせて欲しかったなと私は思います。対戦型格闘技ゲーム志向の娯楽作品には荷が重いのでしょうけれど。

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