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2014年4月13日 (日)

ウォルト・ディズニーの約束

 ディズニー映画「メリー・ポピンズ」制作過程を描いた映画「ウォルト・ディズニーの約束」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前10時10分の上映は3割くらいの入り。

 「メリー・ポピンズ」の後新たな作品ができず蓄えがなくなりロンドンの家を手放す危機に陥りながら、ディズニーの映画化の申込みを拒み続けていた原作者パメラ・トラヴァース(エマ・トンプソン)は、顧問弁護士の勧めもあり2週間の約束でハリウッドにウォルト・ディズニー(トム・ハンクス)を訪ねた。作品の改変や勝手な造語、アニメ化、ミュージカル化を拒否するパメラは、脚本や音楽の提案をことごとく拒否する。パメラの頑なさに手を焼いたウォルトは自らパメラと膝詰め談判し、現場のスタッフもパメラの意向をくみ取り次々と新たな提案をしパメラも軟化していくが、まわりからは些細なことに見える食い違いからパメラはまた心を閉ざしてしまう。パメラのこだわりが自らの子ども時代の父への思いにあると感じたウォルトは…というお話。

 弁護士の目には、これは交渉、もう少し拡げて駆け引きの話と見えます。経済的に追いつめられ客観的な状況としてはメリー・ポピンズの映画化に同意するしかないというか、できるだけ高く売りたいパメラと、長年オファーを続け既に承諾がないままに準備を始めて投資しているが故に何とか合意したいウォルトの2者の設定は、それだけなら後は相手の状況と条件を予測した上での条件闘争的駆け引きとなるはずですが、パメラの側に作品への思い入れというか、作品に投影された父への思いがあり、対価よりも映画の表現の点で譲りたくないというこだわりがあり、他方経済的には優位なはずのウォルトには自分の娘と映画化すると約束していることから採算を度外視してでも映画化を実現したいという条件がありしかもそれをパメラに話してしまっているという弱みがあるので、交渉の常識から外れてパメラ側に引きずり回されてしまいます。ついでにいうと、契約書にサインをもらえないままに、脚本や音楽作りを始めて投資しているウォルトは、しかし契約書にサインはしないが制作に関与して注文を続けるパメラが最終段階でやっぱりダメと拒否したら、投資額の相当な部分をパメラに請求できるはず(日本の法律家業界では「契約締結上の過失」とか「保護義務」という業界用語で論じる話です)で、ディズニーを支える多くのビジネスロイヤーたちが強面でパメラ(直接にはパメラの顧問弁護士)を脅すことになると思いますが、パメラは破産寸前だし怖くないと開き直るという関係にもあります。
 パメラの決断のポイントやそこに至るウォルトの駆け引き、さらにはパメラの心を溶かす運転手ラルフ(ポール・ジアマッティ)など、いかにも映画としての見せどころも含めて、交渉での経済外的要素について、考えてしまいました。

 仕事がうまく行かない、サボり癖が付き酒に逃避するダメ父(コリン・ファレル)とお父さん大好きの純朴な少女ギンティ(アニー・ローズ・バックリー)の父娘愛が、第2の、人によってはこれが1番の見どころとなります。優しい父を慕い幸せいっぱいの喜びにあふれたギンティの表情と、病に倒れうつむく父を何とかしたいと思うひたむきな視線。娘を持つ父親の身には沁みる/刺さる映像が多々あります。そして幼いかわいい娘を残して先立たざるを得ない父の無念…
 こういう設定とシーン、自分の娘がギンティの年頃の時に見たらもう顔ぐしゃぐしゃにして泣いてたと思いますが、娘の年がだいぶ違ってくると、ふつうに悲しいという程度でした。やっぱり人間/私は自分に引き寄せてしか考えられないものだなとも思いました。

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