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2014年4月

2014年4月29日 (火)

アメイジング・スパイダーマン2

 スパイダーマンの新シリーズ第2作「アメイジング・スパイダーマン2」を見てきました。
 封切り5日目祝日、新宿ミラノ1(1048席)午前10時30分の上映は4~5割の入り。

 大学の卒業式に向かう途中、3人組の男が乗っ取り暴走するプルトニウム輸送車に遭遇したピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)は、周囲の人をはじき飛ばされたパトカーなどから救いながら、こぼれ落ちるプルトニウム容器をかき集め、犯人を追いつめ、恋人グウェン・ステイシー(エマ・ストーン)が待つ卒業式に駆けつける。設計図の束を抱えながら歩いていて暴走する車の前から助け出されたオズボーン社の技師マックス(ジェイミー・フォックス)は、スパイダーマンが多数の中から自分を助けてくれたことに特別な絆を感じ、誕生日の日、スパイダーマンが誕生パーティーに突然現れると夢想しながら出社したが、上司に配電システムの故障を修理するために残業を命じられ、修理中に感電してしまう。オズボーン社の幹部は不祥事を隠蔽するためにマックスの記録を削除するが、目が覚めたマックスは電気エネルギーを体内に集め放出する怪物「エレクトロ」になっていた。父親の死の床に呼ばれたピーターの親友ハリー・オズボーン(デイン・デハーン)は、オズボーン社の社長の座を譲られるとともに、父親の体を蝕んだ難病が自分にも遺伝していることを知らされ、父親が秘密裡に続けてきた研究から治療のためにはクモの遺伝子を取り込むしかないと思い込む。オズボーン社の施設を抜け出して街へ出たマックスは、電気を吸い取っていたところを警官隊に囲まれ、やってきたスパイダーマンと話し合う中を警官に狙撃され、群衆がスパイダーマンに声援を送り自分を怪物と呼ぶことに怒り、暴れたところをスパイダーマンに取り押さえられ、スパイダーマンを憎むようになる。ピーターを通じて呼び寄せたスパイダーマンに血を分けて欲しいと頼み、自分の血を入れたら君が死ぬかも知れないと拒否されたハリーは、拘束されていたマックスを解き放ち、スパイダーマンを襲い血を流させろと命じ…というお話。

 人間の過ちと自責の念、そこからの使命感を軸としていた前作に対し、この作品の基調はスーパーヒーローの孤独、でしょうか。
 恋人グウェンとの関係で、自分のそばにいることでグウェンを危険にさらしてしまうこと、前作で死んだグウェンの父から言われたグウェンに近づくなという言葉から、近づけない、しかし近づかずにはいられないというせめぎ合いがあり、家族での記念撮影や食事会を断りついにはグウェンから別れを言い渡されつつも、結局は会いに行ってしまい、しかしまたグウェンは距離を置くためにオックスフォード(ロンドン)への留学を申し込むという行きつ戻りつの展開。
 マックスからは、一方的な思い込みを持たれた挙げ句、警官隊に撃つなと断って話し合いをしている最中に警官隊がマックスを狙撃し、群衆がスパイダーマンをヒーロー視してマックスを怪物を罵ったことでマックスから恨まれるという理不尽。
 ハリーに至っては、血を分けてくれと言われて、自分の血を注入したらハリーが死ぬかも知れないということから今はできないと言ったら、人を救うのが仕事だろ、自分を助けてくれないのかと恨まれる…
 正義の味方と評価されることで、いつの間にか人を救うことが当たり前とされて救わなかったら恨まれるというのは、人の世の非情と身勝手さを感じさせ、むなしく思えます。人権派弁護士に対してもそういう過剰な期待を抱く人も時々いていやな思いをすることがありますけど…

 オズボーン社の電気技師のマックス、配電システムを設計提案しながら会社での地位は低く、誕生日にも上司に残業を命じられて、同僚の手助けを得られずに一人で修理するうちに感電してしまいます。そういう流れなら、怨みはオズボーン社やその幹部に向かうのが自然の流れだと思うのですが、マックスの怨みはスパイダーマンに向かい、オズボーン社の御曹司のハリーと手を組んだりさえします。大企業を悪役にしたり、労働者が勤務先の大企業を恨み闘うという構図は避けたいのでしょうか。

 例によって、エンドロールの後に、続編があるからねというあからさまなアピールがあります。エンディングからして続編があることは十分に予測できるところで、それで自然と予想させて終わる方が上品だと思うのですが。

2014年4月27日 (日)

8月の家族たち

 父親の失踪を機に久方ぶりに集まった家族の思惑のズレ・対立・感情のもつれを描いた映画「8月の家族たち」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿武蔵野館3(84席)午前11時の上映は7~8割の入り。観客の年齢層は高め。

 認知症気味で大量の薬を服用する舌癌の妻ヴァイオレット(メリル・ストリープ)と2人暮らしの元教師ベバリー(サム・シェパード)は、先住民のジョナ(ミスティ・アッパム)を住み込みの家政婦として雇い、その数日後失踪した。それを聞いて、姉マティ・フェイ(マーゴ・マーティンデイル)とその夫チャールズ(クリス・クーパー)、長女バーバラ(ジュリア・ロバーツ)、別居中のその夫ビル(ユアン・マクレガー)と14歳の娘ジーン(アビゲイル・ブレスリン)、次女アイビー(ジュリアン・ニコルソン)、三女カレン(ジュリエット・ルイス)とその婚約者スティーブ(ダーモット・マローニー)が次々と駆けつける。数日後、ベバリーは湖で死体で見つかり、自殺と判断される。ベバリーの葬儀を終え、全員で食卓を囲む中、ヴァイオレットは次々と議論をふっかけ、険悪になり…というお話。

 長く別々に暮らしていた家族・親族が集まり、疎遠になっていた関係を反映して互いの近況を知らず批判し合うという、ありがちなシチュエーションに、中心となるヴァイオレットが毒舌を吐きつつ、次第に家族の秘密を暴露していくという展開を合わせることで、ミステリー的な色彩も持たせた人間関係ものになっています。大人になってしまえば家族もこうなるかもしれないという思いとそうなりたくないなぁという思いが頭をよぎる作品です。
 最初は薬呆けでジョナを「インディアン」と呼んで毛嫌いするヴァイオレットが、ストーリーが展開するにつれて(バーバラが薬を全部捨てさせ、医者のところに乗り込んでこれ以上処方したら訴えてやると一喝したためですが)落ち着き、いつのまにか頭もシャープになっていく様子が、秘密が明らかになっていく過程と重なってうまく作られているように思えます。

 エコロジストで正論を唱えるバーバラが、夫にうんざりすると言われ若い女と浮気されて別居し、娘にも父とともに去られ(もっとも、バーバラもお父さんっ子で、父ベバリーが失踪したと聞くとすぐに駆けつけて、ヴァイオレットから「私が舌癌になった時には来てくれなかったのに」と泣かれますが)、一族の中でも孤立気味なのが悲しい。清く正しく生きようとする姿を、いかにも肩肘張って、まわりに受け入れられない存在と描くのは、私にはそこはかとない悪意が感じられていやな感じがします。
 カレンの若作りの痛々しさも、ちょっと見ていて辛い。
 伯母の息子のリトル・チャールズ(ベネディクト・ガンバ-バッチ)と密かに交際を続けるアイビー、子宮頸癌で子宮を摘出したから子どもはできないからいいでしょと言い切ります。近親者間の肉体関係の問題が子どもの遺伝子問題だけとしたら、子どもができなければ誰としてもいいということにもなります。そこ、ちょっと考えさせられました。大人同士なら、いいような気がしますけど…

2014年4月26日 (土)

そこのみにて光輝く

 失意の日々の中での出会いと少しの希望を描いた映画「そこのみにて光輝く」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午前9時50分の上映は2~3割の入り。

 石切場での発破の際に事故で人を死なせ仕事を辞めて酒とパチンコに明け暮れる佐藤達夫(綾野剛)は、パチンコ屋で火を貸してくれと言うなれなれしい見知らぬ若者大城拓児(菅田将暉)にライターを渡してパチンコ屋を出るが、拓児は自転車で達夫の後を追い、家に寄って飯を食って行けという。拓児の家は海岸沿いのバラックで、寝たきりの父(田村泰二郎)、やつれた母(伊佐山ひろ子)とともに姉千夏(池脇千鶴)が住んでいた。拓児は人を刺して刑務所からの仮釈放中で、千夏を愛人とする造園業者(高橋和也)の下で働き、千夏は疎ましく思いつつも拓児を預けていることから別れられずに関係を続け、夜は場末の売春宿で身を売って暮らしていた。石切場への復帰を誘う親方(火野正平)の誘いを断る達夫に、拓児は姉からの独立を求めて石切場で働きたいといい、達夫は千夏にあんなところで働くのはやめろと言って、何様のつもりかと反発されつつ、千夏と拓児とともに石切場での生活を考え始めるが…というお話。

 まわりに何かと話しかける気短な崩れた格好の兄ちゃんタイプの拓児、現実の世界で話しかけられても関わり合いになりたくなくて無視するでしょうけど、人なつこくて話してみると気のいい兄ちゃん。その拓児を媒介に、拓児を見放せずに造園業者と腐れ縁の愛人関係を切れない千夏と、人を死なせた自責の念とトラウマで未来を展望できない達夫が知り合い、惹かれあう、人間関係の妙と、底辺で生きる若者の人情の機微を味わう作品だと思います。
 達夫と拓児が、今どき信じられないほどの頻度で煙草を吸い続けるのは、底辺の肉体労働系労働者の世界を意識してか、煙草会社の差し金か…綾野剛の煙草の吸い方、かなり独特。サマになっていないと評価していいのか、ああいうのが今風なのか。
 拓児が起こした事件後の展開が、比較的簡単にあきらめてしまい、現実的なのも、大きな物語ではなく、この世界で生きるしかない現実の中での機微を描きたいからなのでしょう。

 メインの3人以外で独特の存在感を示す脳梗塞で寝たきりの父。ただひたすら性欲だけが残って、始終「はるこ~」と妻を呼び続けるという設定。そんなに続けてできるものかと疑問を感じるというか感心してしまうところもあるのですが、それでいやになった妻から「自分でやれよ」と怒鳴られ見放されてしまいます。息子からは親父のようになりたくはないと言われますが、脳梗塞なんていつそうなるかもしれないし、それで見放されてしまうのは、やはり哀れ。倒れる以前の人間関係ができていなかったのか、倒れる前は固い絆があっても倒れてしまうとそうなるのか…予備軍としては心もとなく切ない。

2014年4月20日 (日)

白ゆき姫殺人事件

 殺人事件の夜から失踪した同僚が噂とワイドショーで犯人へと仕立て上げられて行くサスペンス映画「白ゆき姫殺人事件」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、新宿ピカデリースクリーン3(287席)午前11時20分の上映は7~8割の入り。

 国定公園しぐれ谷で「白ゆき石鹸」で有名な日の出化粧品のOL三木典子(菜々緒)が滅多刺しにされた上焼かれた死体で発見された。三木とコンビを組んでいた同僚の狩野里沙子(蓮佛美沙子)は元同級生のワイドショー制作会社の契約社員赤星雄治(綾野剛)に連絡し、三木と同期入社の地味なOL城野美姫(井上真央)が怪しいと話す。グルメレポートくらいしかできなかったtwitter中毒の赤星は、狩野からの電話を逐一tweetしながら聞くうち、城野が殺害したものとほぼ確信し取材を始める。同僚の満島栄美(小野恵令奈)は城野が上司の篠山係長(金子ノブアキ)とつきあっていたが三木に奪われたと語り、篠山は城野から一方的に弁当を渡されて迷惑だったと語る。さらに日の出化粧品の社員たちは事件当日先輩社員の送別会を行っていたが三木は1次会終了後8時頃気分が悪いと別れ城野もその後を追うように立ち去り、出入りの業者が三木が城野の車に乗るところを目撃し、同僚が9時頃に大きなカバンを抱えて茅野駅に猛ダッシュで駆け込む城野を目撃し、城野はその後会社に母が危篤と嘘の電話をしたまま行方不明となっていた。赤星の取材で構成した番組がワイドショーで流され、赤星は上司からほめられるが…というお話。

 赤星の取材を軸に構成していて、同じ場面が話者によって少しずつ変わっているところが大きなポイントになっています。他の人の話すストーリーの陰にその人しか知らない会話やエピソードが入ることで同じ会話の解釈が変わるというレベルではなくて、会話の内容自体が違ったり会話の相手やその時の人間関係の様子やそれを示す各人の表情も変わったりしています。私たちが映画などの映像を見るとき、映像自体は客観的なもの、間違いのないものとして捉えがちですが、そもそもそれぞれの話者が語る過去の事実自体がそれぞれの話者の記憶する事実ですから、違って当たり前というわけです。そのことをこの映画では城野の幼なじみの谷村夕子(貫地谷しほり)に、あんた私が話したことが全部事実と思うか?人は自分が記憶したいように記憶すると語らせてあえてクローズアップしています。その意味で、この作品は、これまでの「藪の中」志向の作品以上に、過去の事実/真実に迫ることの難しさをうまく描いているように思えます。そう考えるとき、終盤で示される城野の語る「真実」も、あくまでも城野の記憶の中の不確かな事実と見るのが「正しい」見方と言えるかもしれません。

 終盤、こういう展開ですから誰でも予測できることでしょうからそこは言ってしまいますが、城野の容疑がでっち上げとわかると、赤星は上司からドヤされ、ワイドショーでは「制作会社の取材不足のため関係者にご迷惑をおかけしました」とコメントし、赤星は契約を更新しないことを示唆され、ネットでは赤星を非難する声が続出します。
 確かに、赤星は、取材内容を端からtweetするという、記者としての資質を根本的に疑わせる軽率な人物ですし、取材方法もだまし討ちをするし、編集でも話の一部を切り取って違うニュアンスにしてしまうなど、問題があります(でもだまして映像を撮ったり編集で全然違うニュアンスにするのは、現実のテレビ取材でありがちなことではないかと、私は思っています)。
 しかし、これを契約社員だからダメだとか、個人の資質の問題にして、そこばかり非難するのは、問題を矮小化するものだと思います。制作会社に取材・編集を丸投げし、そのコストも絞って下請いじめをし、取材・映像のチェックを十分に行わず、そして有期契約の編集者を使い捨てにして育てていこうとしない、そういう姿勢で番組を作ってうまく行かなかったらトカゲの尻尾切りで平然としているテレビ局(この場合ワイドショーだからテレビ局ですが、この構造はあらゆる分野の大企業についていえることです)のやり方こそが一番問題なのだと思います。ネット世論では、弱い者・個人を悪者にして袋だたきにしがちで、こういう構造の問題点の指摘は(そういう指摘は「左翼的」とみられ)不人気な傾向にありますが。この作品では、テレビ局のコメントに対して、「えっ、それだけ」というtweetを当てることで、テレビ局側の姿勢に疑問を呈していますが、その後は現実のネット世論にありがちな傾向に合わせてひたすら赤星個人への非難が続いています。

 城野に殺人容疑をかけた取材が来る中で、城野の大学時代の友人前谷みのり(谷村美月)と小学校時代の友人谷村夕子(貫地谷しほり)と病床のおばあちゃんだけが城野がそんなことするはずがないと頑張ります。他の知人・友人・教師・同僚・上司が城野に不利なエピソードを語りやりかねないという中で、こういう人たちの姿は少し感動的です。こういうところで人間性が試されるのだと思いました。
 それにしても赤毛のアンが愛読書の初心で純情で地味な城野。好きになった相手が、中学の時のクラスメイトでサッカー選手、はいいけど、掃除の時間にふざけて雑巾を蹴ってそれが城野の頭に当たり雑巾が頭に乗った時に他の男子生徒とハイタッチしてるの。いや、いくら中学生男子が悪ふざけしてるって言っても、さすがにそういうときは「あ、やべー」か「あ、ごめん」でしょ。こういう見てくれはいいけど、格好はいいけど、性格の悪い男を好きになるか…:はい、僻みですよ、女性の観客が美人で性格の悪い三木になぜ男はでれでれするのかと思ってるのと同じでしょうけど。その次が、城野にお手つきしてすぐ三木に乗り換えるし取材が来たら交際なんかしてない勝手に弁当渡されて迷惑なんて平気で嘘付いて切り捨てる上司。事件に翻弄される点もそうだけど、城野の不幸を思って涙ぐんでしまいます (/_;)

2014年4月19日 (土)

ネルソン・マンデラ釈放の真実

 アパルトヘイト(人種隔離)政策下の南アフリカ共和国で、長らく身柄拘束されていたネルソン・マンデラの釈放に至る過程での謎のフランス人ビジネスマン「ジャック」ことジャン・イヴ=オリヴィエの暗躍を描いたドキュメンタリー映画「ネルソン・マンデラ釈放の真実」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国唯一の上映館ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3(60席)午前9時40分の上映は4割くらいの入り。

 「ネルソン・マンデラ釈放の真実」という日本語タイトルが付けられているのですが、映画のほとんどは、南アフリカのアパルトヘイト政策に対する経済制裁とそれに対する南アフリカ政府の対応、アメリカやコンゴの仲介や要請、アンゴラ独立戦争を巡るソ連・キューバとアメリカ・南アの対立、ナミビア独立戦争を巡る南アフリカの姿勢、その過程での捕虜交換の交渉で、ネルソン・マンデラ釈放はその中で実現していったという位置づけになり、ネルソン・マンデラ釈放についての交渉や議論がメインにはなっていません。原題の Plot for Peace が南アフリカのアパルトヘイト政策による国内の対立、アンゴラ独立戦争、ナミビア独立戦争という一連の戦乱を解決するという視野で、この作品の全体像にフィットするのに対して、邦題はいかにも売らんかなの付け方でうんざりします。
 高齢となった当時の関係者の現時点でのインタビューと当時の記録映像で構成されているのですが、この映画で功労者とされるジャン・イヴ=オリヴィエ自身が主な語り手であり、冒頭からジャン・イヴ=オリヴィエがカード(トランプ)をテーブルに並べてカードを正しい配置に並べる必要があると語るシーンが繰り返し挿入され、まるでジャン・イヴ=オリヴィエがすべてを操っているかのようなニュアンスになっているのが、かえってうさんくさい印象を与えます。記録映像とインタビューで、派手なシーンを加えずに淡々と作るのならば(眠くはなりますが)、こういう妙な作りのシーンは挟まない方がよかっただろうと思います。

2014年4月13日 (日)

ウォルト・ディズニーの約束

 ディズニー映画「メリー・ポピンズ」制作過程を描いた映画「ウォルト・ディズニーの約束」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前10時10分の上映は3割くらいの入り。

 「メリー・ポピンズ」の後新たな作品ができず蓄えがなくなりロンドンの家を手放す危機に陥りながら、ディズニーの映画化の申込みを拒み続けていた原作者パメラ・トラヴァース(エマ・トンプソン)は、顧問弁護士の勧めもあり2週間の約束でハリウッドにウォルト・ディズニー(トム・ハンクス)を訪ねた。作品の改変や勝手な造語、アニメ化、ミュージカル化を拒否するパメラは、脚本や音楽の提案をことごとく拒否する。パメラの頑なさに手を焼いたウォルトは自らパメラと膝詰め談判し、現場のスタッフもパメラの意向をくみ取り次々と新たな提案をしパメラも軟化していくが、まわりからは些細なことに見える食い違いからパメラはまた心を閉ざしてしまう。パメラのこだわりが自らの子ども時代の父への思いにあると感じたウォルトは…というお話。

 弁護士の目には、これは交渉、もう少し拡げて駆け引きの話と見えます。経済的に追いつめられ客観的な状況としてはメリー・ポピンズの映画化に同意するしかないというか、できるだけ高く売りたいパメラと、長年オファーを続け既に承諾がないままに準備を始めて投資しているが故に何とか合意したいウォルトの2者の設定は、それだけなら後は相手の状況と条件を予測した上での条件闘争的駆け引きとなるはずですが、パメラの側に作品への思い入れというか、作品に投影された父への思いがあり、対価よりも映画の表現の点で譲りたくないというこだわりがあり、他方経済的には優位なはずのウォルトには自分の娘と映画化すると約束していることから採算を度外視してでも映画化を実現したいという条件がありしかもそれをパメラに話してしまっているという弱みがあるので、交渉の常識から外れてパメラ側に引きずり回されてしまいます。ついでにいうと、契約書にサインをもらえないままに、脚本や音楽作りを始めて投資しているウォルトは、しかし契約書にサインはしないが制作に関与して注文を続けるパメラが最終段階でやっぱりダメと拒否したら、投資額の相当な部分をパメラに請求できるはず(日本の法律家業界では「契約締結上の過失」とか「保護義務」という業界用語で論じる話です)で、ディズニーを支える多くのビジネスロイヤーたちが強面でパメラ(直接にはパメラの顧問弁護士)を脅すことになると思いますが、パメラは破産寸前だし怖くないと開き直るという関係にもあります。
 パメラの決断のポイントやそこに至るウォルトの駆け引き、さらにはパメラの心を溶かす運転手ラルフ(ポール・ジアマッティ)など、いかにも映画としての見せどころも含めて、交渉での経済外的要素について、考えてしまいました。

 仕事がうまく行かない、サボり癖が付き酒に逃避するダメ父(コリン・ファレル)とお父さん大好きの純朴な少女ギンティ(アニー・ローズ・バックリー)の父娘愛が、第2の、人によってはこれが1番の見どころとなります。優しい父を慕い幸せいっぱいの喜びにあふれたギンティの表情と、病に倒れうつむく父を何とかしたいと思うひたむきな視線。娘を持つ父親の身には沁みる/刺さる映像が多々あります。そして幼いかわいい娘を残して先立たざるを得ない父の無念…
 こういう設定とシーン、自分の娘がギンティの年頃の時に見たらもう顔ぐしゃぐしゃにして泣いてたと思いますが、娘の年がだいぶ違ってくると、ふつうに悲しいという程度でした。やっぱり人間/私は自分に引き寄せてしか考えられないものだなとも思いました。

2014年4月12日 (土)

アデル、ブルーは熱い色

 第66回(2013年)カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「アデル、ブルーは熱い色」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、東京で3館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午後0時20分の上映は9割くらいの入り。18禁に期待を寄せてか男性1人客が比較多数を占めているように見えましたが、映画のテーマとパルムドールも手伝ってか18禁映画にしては女性1人客も目につきました。

 文学を学ぶ高校2年生のアデル(アデル・エグザルコプロス)は、3年生のトマ(ジェレミー・ラユルト)が見つめているのを友人たちに冷やかされ、通学バスで話したのを機会にトマとデートすることになるが、その途中交差点ですれ違った青い髪の女性(レア・セドゥー)と視線が合い心に衝撃を受ける。トマとHしたもののアデルの心はすれ違った女性に囚われ、アデルは翌日トマに別れを告げる。傷心のアデルは同級生に誘われてゲイの集うクラブに行くがなじめず抜け出して1人でバーに入ったところ、そこはレズビアンが集うバーで、偶然にもアデルと道ですれ違った青い髪の女性がいた。その女性はエマと名乗り美術学校の4年生だというが、同伴していた女性たちに引っ張られて去ってしまう。翌日アデルの下校時にエマが待っており、アデルは友人たちを置いてエマと美術館を巡り林の中のベンチでエマがアデルのデッサンをし、アデルはたちまちのうちにエマの虜となる。エマと同居して数年がたち、希望通り教師となって幼い子どもたちに国語(フランス語)を教えるアデルと、アデルをモデルに作品を描き続け個展を目指すエマは幸せな日々を送っていたが、エマのパーティで招待客の旧友のリーズ(モナ・バルラベン)と親しく話し続けるエマの姿に不審を抱いたアデルは、エマがリーズをモデルに絵を描いて遅くまで戻らないある夜、かねてからアデルを誘っていた同僚の教師と肉体関係を持ってしまい…というお話。

 作品としては、アデルがエマの虜になり、エマと暮らすようになるまでの前半と、エマとの暮らしが続きリーズの登場とアデルの嫉妬、同僚との浮気という展開の後半の2つに分かれます。国語(フランス語)の授業の中で「一目惚れ」などが語られ、エマとの衝撃的な出会い(トマとデートした夜でさえ、エマとHしている夢を見てしまう/ひとりHしてしまう)に、上級生男子との恋、同級生女子の戯れを挟んで同性愛に目覚めつつ揺れるアデルがエマとの再会を機に突っ走る前半は、テンポもよく、きちんと作り込まれている印象を受けます。これに対して後半は、パーティーで会ったアメリカの映画俳優サミール、同僚の教師、エマの旧友(愛人?)のリーズと攪乱分子が登場しますが、今ひとつキャラクターを使い切れていない印象があり、原作(コミックだそうです)を追うために作って流しているような印象を受けました。ほぼ3時間(179分)の長尺ということもあり、後半が冗長に感じられました。アデルの切ない思いを引きずるエンディングを見せるためには、後半がある程度必要でしょうけれども、もっと圧縮してもよかったんじゃないかと思います。

 トマとすぐHしちゃったり(それも騎乗位で)、同級生の女子から好きと言われたらその場ですぐねちっこいキスをしたり、不安定な心で多情気味のアデルが、エマに一途な恋心を持ち心の安定を得ていく様子が好ましく微笑ましい。
 アデルの心の安定度は、髪をいじる/髪型を変える頻度に表れるようで、最初の方では髪を縛ってアップにしたかと思うと引っ張って一部崩したりばらしてみたりと頻繁に髪をいじっています。これがエマとうまく行くと髪を触らなくなります。そういうあたり、アデルのメンタル面での成長が感じられたのですが、後半でパーティーのあたりからまた髪をいじり始めますし、同僚ともHしちゃうし、その後も「行きずり」「一夜限り」の関係は持つしと、結局元に戻っちゃうのか、成長してなかったのかなぁと思えてしまいます。
 好きな人がいて思い続けているのに、無性に寂しくて浮気/その場限りの関係を結んでしまう、その結果ますます想い人から遠ざかられる切なさというのが後半のテーマですが…。無性に寂しいから浮気をがまんできないというのを許せるか/共感できるか、そこはちょっと私には難しいところです。

 アデルとエマのレズビアン・セックスのシーン、きれいに撮れていると思うし基本的には微笑ましく見えるのですが、エマが何度かアデルのお尻を叩く(スパンキング)のは違和感がありました。女性同士の関係にあえて暴力的契機を入れる必要はないと思うのですが、それは私の先入観なりイデオロギッシュな見方でしょうか。アデルの父もエマの義父も料理自慢という、マッチョでない家族関係(アデルの父には少し権威主義的な態度も見えますが)を設定していることなど、自由と平等の感性をベースにした映画に思えるだけに、私にはちょっと残念に思えました。

2014年4月 6日 (日)

ラヴレース

 伝説のポルノ映画「ディープ・スロート」(1972年)の主演女優リンダ・ラヴレースを描いた映画「ラヴレース」を見てきました。
 封切り6週目日曜日、この時点で全国9館東京では唯一の上映館のヒューマントラストシネマ有楽町シアター2(63席)午前11時15分の上映は3割くらいの入り。

 厳格なカトリック信者の父母と暮らすリンダ(アマンダ・セイフライド)は、友人パッツィ(ジュノー・テンプル)に連れられていったクラブで知り合ったバー経営者チャック・トレイナー(ピーター・サースガード)と結婚して家を出る。チャックは、リンダにオーラルセックスを求め、仕込んでいく。バーの経営に行き詰まり、金に困ったチャックは、バーで知り合った男と話を付けリンダに売春をさせる。怒ったリンダに対し、チャックは暴力で従わせる。チャックはポルノ映画制作者にリンダを売り込み、映画出演させようとするが、リンダは容姿もプロポーションも貧弱で演技もまるでダメと断られたため、持参のリンダのオーラルセックスのビデオを見せ、採用される。リンダが主演して制作されたポルノ映画「ディープ・スロート」は大ヒットし、リンダはマスコミで引っ張りだこになるが、出演料は安くリンダがちやほやされてもおもしろくないチャックは、華やかなパーティーから帰ってきたリンダをそのまま6人の男が待つ部屋に引き込んで売春をさせ…というお話。

 「ディープ・スロート」の制作秘話という類の映画と思って見に行ったら、DV夫に売春とポルノ映画出演を強いられたという予想を超えて重い映画で驚きました。
 自分の妻に売春をさせる、売春を強いる夫って、どういう神経をしているのか、想像もできない。
 もっとも、チャックの借金は事業上のものですから(2万5000ドルとか言ってましたけど)、妻に売春をさせたり、ポルノ映画に出演させて1250ドルとかとっても桁が違い、そのあたりでチャックの行動・動機の信憑性に疑問も生じるのですが。
 6億ドルの興行収入(「タイタニック」に匹敵)を上げたと言われる(公式のデータはない)伝説の大ヒットポルノ映画の主演女優の出演料は1250ドルというのも、制作関係者の良識を疑います。その大ヒットを受けたあとの話でも、続編に出たら2倍の2500ドルやるって…

 娘がポルノ映画に出演してそれが社会現象ともなりテレビで性革命のシンボルと扱われる様子を見た時と、その後自伝を出版して夫の暴力とそれにより売春やポルノ映画出演を強いられたことを明らかにした時の、両親の心情が切ない。
 特に、リンダが夫から売春を強いられて両親の家に逃げ帰った際に、しばらくここにいさせてくれと言うリンダの話を遮って聞かず、カトリックでは離婚は禁じられている、嫁いだ娘が帰ってきたら近所に何と言われるか、夫の言うことに従えと追い返した母親が、真実を知った時の後悔はいかばかりかと思います。もっとも、そのあたりは母親ドロシー(シャロン・ストーン)の演技が今ひとつ情がない感じ。父親ジョン(ロバート・パトリック)の方が、情を感じさせてくれると、私には見えました。

 「ディープ・スロート」には、高校生の時にお世話になった記憶があります(^^ゞ。といっても、映画が公開されたのは私が中学生の時で、映画を見たわけではなく、高3の夏休みに、英語が苦手な私が長文読解で辞書なしで長文の英文を読むのになれるためにペーパーバックを買って読んだということですが(スラングばかりなので辞書を引いてもわからない単語が多く、辞書を引くのをあきらめるという読みで)。そういう青春時代の想い出の作品の裏側という触れ込みもあって、見たのですが、華々しく登場した女優がこういうひどい目に遭っていたことは知りませんでした。制作サイドの阿漕さと合わせて、認識を改めておきたいと思います。

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