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2014年3月

2014年3月30日 (日)

フルートベール駅で

 2009年1月1日警察官に撃たれて死んだ黒人青年の最後の1日を描いた映画「フルートベール駅で」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国10館東京2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午前10時20分の上映は2割くらいの入り。アメリカでは公開時7館での上映から最終的に上映館は1063館になったというサンダンス映画祭作品賞(審査員グランプリ)・観客賞W受賞作ですが、日本での興行成績は望み薄に思えます。多くの人に見てもらいたい作品なのですが。

 2008年12月31日未明、前科者で2週間前に遅刻で勤務先のスーパーを解雇されたが解雇を恋人に隠したままの22歳の青年オスカー・グラント(マイケル・B・ジョーダン)は、恋人のソフィーナ(メロニー・ディアス)から浮気を責められ仲直りしようとしたところに幼い娘タチアナが眠れないと夫婦の寝室を訪れて3人で寝た。朝仁なりオスカーはタチアナを保育園に送り、誕生日を迎えたオスカーの母ワンダに電話で祝いの言葉を述べた。ソフィーナに更生を誓ったオスカーは、スーパーに再度雇ってくれるように頼みに行くが断られ、昔の仲間にまたマリファナを売ろうと声をかけるが逡巡し思いとどまる。ワンダの誕生祝いに親戚一同が集まったのち、オスカーとソフィーナは新年のカウントダウンを街中で迎えるべく、タチアナをソフィーナの姉に預ける。タチアナは銃声がすると脅えるが、オスカーはあれは爆竹の音だよとなだめ、ソフィーナとともに地下鉄で移動した。地下鉄の中で喧嘩を売られたオスカーは、相手に殴り返し仲間たちも巻き込んだ乱闘になった。警察が出動し、オスカーたちは別れて行動するが、オスカーは警察官にホームに引きずり出された。座らせられ、何もやっていないというオスカーに対し、警察官はオスカーをうつ伏せにして顔を踏みつけ手錠をかけたのち、後ろから銃で撃ち、車内で目撃し携帯で撮影していた乗客は騒然となるが…というお話。

 マリファナの売人でけんかっ早い刑務所帰りの青年が、それでもなんとかまじめにやっていきたいと、仕事をしようとし、売人もやめるつもりでマリファナを廃棄し、という時点で、22歳にして人生を打ち切られてしまう。幼い娘に愛情を注ぎ、恋人とも折り合いを付け、母親思いでもある青年が、突然命を奪われる。その家族の悲しみ、本人の無念がテーマとなります。
 幼い娘の無邪気さ、愛らしさ、オスカーが街に出る際の不安な様子、そしてラストのまなざし。エンドロールで娘タチアナ・グラント本人の映像も出ますが、幼くして父親を奪われた娘の気持ち、また幼い娘を残して死ぬことになるオスカーの悲しみを思うに付け、涙なしには見られません。

 地下鉄の車内からホームに引きずり出してすぐの暴行なので、警官の横暴を多くの乗客が目撃していた上、携帯で撮影していたために、警察も事件をもみ消すことができなかったわけですが、そうしたビデオ等がなかったら、オスカーの死も闇に葬られていたかもしれません。そういう意味では、携帯やコンパクトビデオカメラが普及した現在は、こういった権力犯罪が露見しやすい時代といえます。そんな中で無抵抗のというか手錠をかけ押さえ込んでいる相手を銃で撃つってどれだけ異常な奴かとも思いますが。

 息子を警察官に撃たれたワンダが、それでも自分が車ではなく地下鉄で行けと言ったのが悪かったと後悔し泣く姿は痛ましい。明らかに悪いのは警察官なのに、被害者の母親が自責の念を引きずるのは、母親というのはそういうものというところもありますが、あまりに哀しい。

2014年3月29日 (土)

ダラス・バイヤーズクラブ

 HIV陽性で余命30日と宣告されたカウボーイが、製薬会社・政府と闘いながら未承認薬を売りさばく社会派映画「ダラス・バイヤーズクラブ」を見てきました。
 封切り6週目土曜日、ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午後0時10分の上映は3~4割の入り。

 1985年、テキサスでロデオと賭博、酒、ドラッグ、女に溺れる日々を送っていたカウボーイのロン・ウッドルーフ(マシュー・マコノヒー)は自宅にしているトレーラーハウスで倒れた。後日電気技師として勤める作業場で機械に足を挟まれた同僚を助けようと電源を切るときに気を失ったロンが病院で目覚めると、医師は血液検査の結果HIV陽性と判断され余命は30日だとロンに宣告した。ロンはその病院で製薬会社が臨床試験中の未承認新薬AZTを職員から横流しを受けて服薬していたが、管理が厳しくなり、職員はメキシコの医師を紹介する。体調が悪くなったロンは藁をもつかむ思いで紹介されたメキシコの医師を訪ねたが、その医師はAZTの処方を拒否し、AZTには重篤な副作用がある、むしろ副作用のほとんどない薬が多数あるとロンに教えた。医師の指示に従い未承認薬の服用を続けるうちすっかり回復して体調がよくなったロンは、この未承認薬をアメリカに持ち込み、エイズ患者たちに売りさばくことにした。密輸した未承認薬を売れば重罪になると注意されたロンは、会員制の「ダラス・バイヤーズクラブ」を設立し、会費として月400ドルを徴収し、会員には薬を無料で配るという体裁を取った。入院中同室だったトランスジェンダーのレイヨン(ジャレッド・レト)と組んで入院患者やエイズ患者支援団体にAZTの副作用を声高に指摘し、未承認薬の効果を語るロンに感化されて、エイズ患者はダラス・バイヤーズクラブに列をなし、病院の医師と製薬会社の知らせを受けた政府はロンの未承認薬を押収し罰金を言い渡した。ロンは弁護士に政府と製薬会社に対する裁判を起こさせるが…というお話。

 1980年代の南部のエイズとゲイに対する強い偏見の下で、HIV陽性と余命30日を宣告されて孤立し絶望的な状況に陥ったロンが、メキシコで医師免許を剥奪されながら情熱を持って地域医療に当たる研究熱心な医師の示唆と知恵に支えられながら、当時の医学的見解や政府と製薬会社の姿勢と主張に反して、未承認薬やビタミン、亜鉛、アロエなどで生きながらえて回復し、それらの未承認の民間療法ながら効果があるものの輸入・販売を禁止する政府と闘う姿は感動的です。ロンは善人とは言い難いですし、やっていることは法律違反ですし、消費者側の弁護士の目で見れば医薬品まがい・健康食品を高額で売りつける悪徳商法とさえ評価しうるものですが、無害なものを規制し重篤な副作用がある新薬を副作用に目をつぶって承認する政府と闘う姿勢は、爽やかです。ましてや、メキシコの医師の情熱はすばらしい(私は実はこのメキシコの医師の姿に一番感動してしまったのですが)。このあたりは、虐げられ窮地に追い込まれた者たちの権力との闘いを描いた映画ともいえます。
 病に倒れ、余命30日を宣告され、新薬AZTにすがり、メキシコで療養して新事実を知るに至る過程での、マシュー・マコノヒーの表情の変化と、ダラス・バイヤーズクラブを始めた後に何度か担当医イブ(ジェニファー・ガーナー)を訪ねて協力を求める際の爽やかに変化する表情が実にいい。アカデミー主演男優賞納得の1本です。

 未承認の薬の販売を禁止し、生命の危険がある患者には未承認の薬の購入を許すが医師の処方箋を必要とするという政府の決定は、法律家の議論としては、これを違法ということはかなり無理があるように見えます(少なくとも薬効があると表示して売るには)。それでも裁判を起こせと言われればとにかく起こすのが、アメリカの弁護士というところでしょうか。
 敗訴したら、サンフランシスコでゲイとエイズに理解のある裁判官でもう一度やれって、アメリカならでは(アメリカで現にそういうことができるのかどうかは、私はわかりませんが)。日本の弁護士としては、そういうことができるなら面白いなとは思うのですが。

2014年3月16日 (日)

それでも夜は明ける

 第86回(2014年3月)アカデミー賞作品賞受賞作「それでも夜は明ける」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿武蔵野館1(133席)午前10時の上映は8~9割の入り。

 1841年、ニューヨーク州サラトガに住むバイオリニストの自由黒人ソロモン・ノーサップ(キウェテル・イジョフォー)は、妻が3週間あまり仕事で娘とともに出張中、バイオリンの興行を誘ってきた白人に連れられて演奏旅行に出る。その終わりに飲まされた酒に酔いつぶれ目が覚めると、ソロモンは鎖につながれ、見知らぬ男たちからお前は南部から逃げてきた奴隷だと言われ、否定すると執拗に殴打された。ソロモンはニューオリンズに運ばれて奴隷として売られ、当初は比較的良心的な白人フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)の下で材木の運送などで知恵を出して重宝されるが、現場監督のティビッツ(ポール・ダノ)に言いがかりを付けられ反抗して恨まれ吊されたところを監督官に危うく救われる。フォードからティビッツはお前を殺すまでつけ狙うだろうと言われ、借金返済のために残忍な白人エッブス(マイケル・ファスベンダー)に売られたソロモンは、綿花摘みと、収穫が平均より低い者として鞭打たれる日々を送り…というお話。

 突然理不尽な犯罪によって監禁され、奴隷制度のある南部に送られて12年間奴隷として拘束され強制労働をさせられつつ生き延びて生還したというストーリーで、絶望的な状況でもあきらめない意志とその尊さが描かれています。
 この映画について、ソロモンが人間の尊厳を捨てなかったという紹介がなされがちですが、仲間が殴打されるのを黙認する様子や最後にはパッツィー(ルピタ・ニョンゴ)を鞭打つ場面からしてそのような評価には疑問があります。生き別れたというかむりやり引き離された妻子との再会のためにも、何としても生き延びるという意志と忍耐がテーマとみるべきで、むしろそのためには尊厳や矜持を捨ててでも耐えようとしたと評価した方が実態に合うと思います。
 自由黒人であり奴隷ではなかったのに理不尽に奴隷として拘束されたという設定は、当時の法律からしても明らかに違法なできごとで、衝撃的なのでしょうけれど、ソロモンはそれ故に12年後とはいえ自由の身に戻れたわけです。奴隷の多くはもともとアフリカで自由の身だった者が拉致監禁されてアメリカに連行され、あるいはその拉致監禁された奴隷の子どもとして生まれた者たちなのに、当時のアメリカの南部の法律では合法的に奴隷と扱われ、ソロモンのようにそこから抜け出すことはできませんでした。自由黒人だったソロモンが、理不尽に奴隷として拘束されたというストーリーからは、他の奴隷たちの理不尽な扱いへの視点が抜け落ち曇ることにならないか、やや危惧感を持ちました。
 実話に基づく作品ということなので、ソロモンと一緒にいた黒人奴隷たちがその後どうなったのかが描かれないのも、作品を見ての感想としては不満が残ります。高圧的で残忍なエッブスの下で生き抜くために綿花摘みに精を出しレイプにも耐え続けつつ、耐えられなくなってソロモンに殺してくれと頼んだパッツィーのソロモンの帰還の際の表情を見るにつけ、パッツィーの境遇の哀しさとそれに対する同情とともに、その後を描かずに終わるこの作品への欲求不満・不完全燃焼を感じます。
 そして、ソロモンの生還は、ソロモンのチャレンジや努力によってではなく、たまたまエッブスに雇われて工事をしに来た開明的なカナダ人のバス(ブラッド・ピット)によってもたらされます。多くの奴隷とは違うエリート黒人の物語で、しかも本人の努力によってではなく解決するという結論が、プロデューサーでもあるブラッド・ピットが正義の味方となって立ち現れるという役どころと相まって、私にはちょっと感動を削いだ感じです。奴隷制度の理不尽さを描くにしても、普通の奴隷が奴隷たちの協力と努力で解放または逃亡を勝ち取るという展開の方が、私には素直に感動できたと思うのですが。

2014年3月15日 (土)

グロリアの青春

 58歳バツイチキャリアウーマンの恋と生き様を描いた映画「グロリアの青春」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、全国5館東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ渋谷シアター3(60席)午前9時50分の上映は5割くらいの入り。観客の多数派は中高年層。

 夫と12年前に離婚した58歳のキャリアウーマングロリア(パウリーナ・ガルシア)は、妻に逃げられたシングルファーザーの息子、世界を股にかけるスウェーデン人スキーヤーと恋愛中のヨガ教室を開いている娘の2人の子が独立し、単身、クラブに入り浸っていたが、ある日意気投合した男性ロドルフォ(セルヒオ・エルナンデス)と一夜をともにした。グロリアは一夜限りのつもりだったが、1年前に妻と離婚したというロドルフォはグロリアをデートに誘い交際を申し込んだ。働かない元妻と娘から生活費の送金を求められ仕送りを続けるロドルフォの態度にグロリアは苛立つ。息子の誕生日に元夫の発案で元夫とその妻、息子と娘が集まる会合にグロリアはロドルフォを連れて行き、現在のパートナーと紹介する。家族の思い出話が続く中、ロドルフォはこっそり帰ってしまい、グロリアはその態度に怒る。グロリアを追い続けるロドルフォはグロリアをなだめてリゾートの高級ホテルにたどりついていい雰囲気になるが、そこへ娘から元妻がガラスに飛び込んで怪我をしたという電話が入り…というお話。

 58歳バツイチ女性の性生活と老いらくの恋が挫折・試行錯誤も含めて前向きに描かれ、いくつになっても人生を楽しめるさというメッセージが読み取れます。
 グロリアは58歳でも仕事があり、メイドも雇っている経済的に恵まれた地位にあり、そういう恵まれた環境だから人生を謳歌できるという印象もありますが。
 またロドルフォがいなくなった後、ロドルフォを探して男性トイレに乗り込んで個室の一つ一つまで開けていくグロリアの姿や、カジノで勝った後見知らぬ男とともに酔いつぶれるまで飲む姿は、たくましいとも評価できますが、厚かましさと恥知らずと虚しさ・おぞましさをも印象づけ、否定的な気持ちも呼び起こされそうです。
 グロリアもロドルフォも高齢者ですから美しい裸体とはいえませんが、ヌードもセックスもごく自然な感じで恥ずかしがらずになされていて、高齢者のセックスがごく普通のこととして描かれているのが、心地よく思えました。セックスシーンは何度かありますからR15+指定は当然のことと思いますが、それで興奮するというよりは微笑ましい感じがしました。それだけに、久しぶりに見たぼかしがとても残念に思えました。

 ロドルフォは、グロリアとデート中に娘からかかってきた電話に、今家にいると嘘をつき、グロリアからなぜ私といることを隠すのかと問われます。それに対するロドルフォの答えは、娘に何でも話す必要はない、恥をかきたくないというもの。恥だと思うのならどうしてデートするのだろう。既に離婚していて、また現実に新たな恋心を持ってデートしているロドルフォが、娘が描いている父親像との関係で娘を失望させたくなくて娘に知らせたくないというならわかる気がしますが、自分自身が恥ずかしく思うというのは私には理解できません。こういったロドルフォの姿勢は、ロドルフォがデート中に度々消えてしまうことと合わせて、高年齢男の不器用さと、ロドルフォ自身の恋愛への不向きさを示しているように見えます。ただ、ロドルフォの個性を超えて、男の老いらくの恋は概ね男の独り相撲・独りよがりの挫折と描かれる傾向があるように思え、この作品でもそれが反映されているようにも、私には感じられます。

2014年3月 9日 (日)

ハリケーンアワー

 ハリケーンで病院中が避難し保育器の中の新生児の娘と2人残された男のサバイバルを描いた映画「ハリケーンアワー」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、全国19館東京2館の上映館の1つ新宿ミラノ3(209席)午後0時45分の上映は2割くらいの入り。

 2005年8月、大型ハリケーンカトリーナに襲われたニューオリンズの病院で、出産予定日の5週間前の妻アビゲイル(ジェネシス・ロドリゲス)が腹痛を訴えたのに付き添って来たノーラン・ヘイズ(ポール・ウォーカー)は、看護師から妻の死と早産の娘が保育器の中で人工呼吸と点滴を受けていることを知らされる。医師は48時間たてば保育器から出せるだろうと言い、ノーランに付いていてやってくれと言うが、退避命令が出て患者らに付き添って避難してしまう。停電が発生し、バックアップのバッテリーも残量が少なくなり、ノーランは予備のバッテリーを探し出すが、充電器は手回しで1回に3分弱しか充電できない。ノーランは残っていた看護師を見つけ窮状を訴えるが、保育器を運ぶのは無理だと言われ、看護師も助けを呼んで戻ると言って避難してしまう。ノーランは3分足らずしかもたないバッテリーがなくなる度に充電に戻りながら解決策を求めて病院内を探し回るが…というお話。

 人工呼吸と点滴なしに生きられない新生児を抱え、病院のスタッフはいなくなり、バッテリーが尽きて3分足らずごとに病室に戻って充電しなければならないという条件で、飲料食糧が尽き、点滴バッグも空になり、さらには略奪者が訪れという危機に対応していくというシチュエーション・サスペンスで、そこが見どころであり、ほぼそれに尽きる作品です。
 妻の死を知らされ信じられないノーランが、沈み込みながら、看護師に妻に会わせろ(遺体はどこだ)と言わず、その後しばらくしてふと思いついてバックヤードに入り多数の遺体が廊下に放置されているのを見てその中に床に放置されている妻の遺体を見つけても、名札で確認するだけでシーツをめくり上げて確認することもなくシーツの上から君が必要だというの、混乱し取り乱しているからということかもしれませんが、少し違和感を持ちました。信じられなければますますすぐに妻のところへ案内しろと言うでしょうし、シーツをめくって死に顔を見てすがりつくのが素直に思えるんですが。他方、遺体を床に放置したり、遺体を前に悲しむ遺族に対してここは立入禁止だ規則だから出て行けという病院の姿勢もあんまりだなぁと思えます。
 妻の突然の死を受けて、気持ちを整理する余裕もなく、新生児と2人取り残され、事態への対処を求められる男の心情にあわれとある種の救いを感じます。

2014年3月 2日 (日)

ラッシュ プライドと友情

 1976年のF1グランプリを争った2人の天才ドライバー、ニキ・ラウダとジェームス・ハントを描いた映画「ラッシュ プライドと友情」を観てきました。
 封切り4週目日曜日小雨の中、新宿シネマスクエアとうきゅう(224席)午前11時30分の上映は4割くらいの入り。

 酒とドラッグと女に溺れる享楽的な生活を送りながら天才的な走りを見せドライバー仲間の人望もあるジェームス・ハント(クリス・ヘムズワース)と、禁欲的で徹底した車のチューンアップと冷静なドライビングで勝利するニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)。性格も生活態度もドライビングも対照的な2人は1970年F3のレースで相まみえた。終始ハントと競り合いながら最終回にコースアウトしてリタイアとなったラウダは、優勝したハントに中指を挙げて会場を去った。財閥の家に生まれたが父親に反対されて支援を得られず独力で銀行と交渉して巨額の融資を得たラウダは、資金不足のF1チームに乗り込み、チューンアップの才能と運転技術を見せつけ次第にのし上がり、1975年には名門フェラーリのエースドライバーに登り詰め、恋人マルレーヌ(アレクサンドラ・マリア・ララ)の精神的支援も得て、この年ワールドチャンピオンとなった。他方、初期からのパトロンヘスケス卿(クリスチャン・マッケイ)の資金で独自チームでF1参戦していたハントは、スーパーモデルのスージー(オリビア・ワイルド)と結婚したものの酒もドラッグも浮気もやめられずスージーから愛想を尽かされ、ヘスケス卿は破産してチームは解体、友人らの推薦でたまたまドライバーの欠員が生じた名門マクラーレンのドライバーに収まって1976年のシーズンを迎えた。序盤戦、ラウダが圧倒的リードするがハントが盛り返しつつあった8月1日ドイツGP。世界一危険なサーキットと言われたニュルブルクリンクは悪天候に見舞われ、ラウダは危険すぎるとレースの中止を訴えるが、主催者が召集したドライバー会議でハントら多数が反対し、レースは決行され…というお話。

 常に死と隣り合わせを意識し、楽しまなきゃやってられないと、酒とドラッグと女に溺れる享楽的な生活を送る一方で、レース直前にはいつも緊張して吐いてしまうハントと、レースには20%の死の危険がある、それは承知の上だがそれを超える危険は受け入れられないと悪天候下のレースの中止を訴えるラウダ。一般的には、ハントの方が支持され、またハントの生き様をうらやむと思いますが、冷静に頭を働かせながら20%の死を受け入れると言い切るラウダには凄みを感じますし、またプロとしてみた時には正論とも言えるでしょう(もしレースの死のリスクが20%だったら年間16戦やったら生存確率が3%弱になってしまいますが、それはさておき(^^ゞ)。運命のドイツGPの直前、恋人として支えてきたマルレーヌと結婚し、結婚して幸せになったことで守るべきものができ自分が弱くなる、迷いが生まれると、ラウダに言わせることで、それまで人間味のない敵役に見えたラウダを観客にアピールする演出が巧みです。

 クラッシュして炎に包まれ顔と肺に重度の火傷を負って瀕死の重傷のラウダを見守り看護するマルレーヌ、傷も癒えぬ身でレースへの復帰の意思を見せるラウダを観る辛そうなマルレーヌの表情など、ラウダ側の沈痛な思いと不屈の闘志の映像が続いた後、ラウダの復帰記者会見が開かれます。映画の観客はもちろんのこと、経過を考えれば誰でもがラウダの復帰にエールを送りたい心情だと思える中で、1人の記者が、「奥さんはその火傷の顔を見てどう言ったか」「正直その顔で結婚生活を継続できるのか」と質問し、ラウダは記者会見の席を蹴ります。人間性のかけらも感じられない最低の記者だと思いますが、同僚の記者たちは「目立ちたがりな奴」と茶化す程度で普通に受け止めていますし、本人に至っては会場にいたハントを捕まえて言ってやったぜとばかりに得意げに振る舞う始末。怒ったハントが、その記者を小部屋に連れ込んで顔を殴りつけ「奥さんにその顔の感想を聞くんだな」と言い残して去るシーンが印象的です(見ていて、ハントが記者の顔を殴りつけるのを、つい「もっとやれ」「殴るだけじゃなくて踏みつけてやれ」とか思ってしまった自分が、また怖かったのですが)。
 このシーンは、ハントのラウダへの友情を示しているわけですが、同時に、レーサーたちが命がけで闘っている場面に自らリスクを負わない無責任な部外者が小賢しい介入をするんじゃないというプロの意識の表れでもあると思います。
 この作品の中で、このシーンとそれに続くラウダの復帰戦が、実は一番の見どころと、私は思います。

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