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2014年2月

2014年2月23日 (日)

福島 六ヶ所 未来への伝言

 福島原発事故で避難した住民、地元で米作りを続ける農家、六ヶ所村に帰省した住民、漁業を続ける住民らの思いを描いた映画「福島 六ヶ所 未来への伝言」を見てきました。
 初公開(2013年2月9日)から1年余、全国各地で自主上映を積み上げ、久しぶりの映画館での2週間通し上映となった中日の日曜日、この時点で全国唯一の上映館オーディトリウム渋谷(136席)午前10時30分の上映は4割くらいの入り。

 福島第一原発から5km圏の大熊町に事故の1年半前に自宅を新築した、幼児を抱える夫婦は、福島原発事故後東京に避難し、新宿区の団地に住んでいる。自宅に戻ることもできず二重ローンを抱え、第2子を孕み将来に不安を感じながら生活している。郡山から長野県に避難した女性は、帰りたいという思いと子どものことを考えれば帰れないという思いにひき裂かれる。福島で有機農業による米作りを続ける農業者は放射能を減らしつつおいしい米を作るべく努力を続けるが米が売れない。六ヶ所村に帰省した女性は、好きだった場所に核燃サイクル施設ができたことに不本意な思いを持ちつつ、核燃のおかげで出稼ぎをしなくてもよくなった、核燃がなくなったらそれで生活している人たちはどうなると複雑な思いを語る。反対運動の先頭に立っていた漁師は、福島原発事故のために捕った魚から放射能が検出され魚を捨てさせられる日々を嘆く…というお話。

 福島原発事故については、特に悲惨なケースではなく、ありがちな、ある意味ではやや恵まれている避難者を取り上げて、避難者自身が自分たちは恵まれている方だから不満は言えないという意識を持ちつつ思い惑う様子を描き、福島原発事故の被害者の裾野の広さを感じさせています。既にメディア等を通じて聞き知っている典型的に悲惨なケース以外でも苦しんでいる避難者が多数いるのだ、恵まれているように見えてもやはり故郷を追われ避難していることは辛いのだということを思い起こさせます。
 安全な食べ物を求める消費者と、その消費者と連携し努力してきた有機農業者が、どんなに努力しても微量の放射能は検出され、農業者は途方に暮れ、消費者側でも自分の子どもに食べさせられるかと悩む様子が描かれ、簡単ではない問題の所在を示しています。
 六ヶ所村の核燃サイクル施設については、監督自身が12年にわたり住みついていただけに強い思い入れがあるはずですが、あえて核燃サイクル施設が来たおかげで出稼ぎをせずに済むようになった、核燃サイクル施設がなくなったらそれで生活している人たちはどうなるといわせて既にできている施設を巡る問題の解決が簡単でないことを示しています。その問いかけを入れたら、次には核燃のない村の産業と生活の再生を語る人を入れるのが、たぶん核燃反対の立場でのオーソドックスな対応と思いますが、そこはたぶんあえて、避けられています。
 そういった解決困難に見える問題も、連帯すべき仲間の間での対立現象も、すべては原子力事業者とその利権、原発事故から発しているもので、この映画に登場している人々の全員が原子力産業の被害者なのだということになると思います。JCO臨界事故の教訓から脱原発を主張するようになった東海村の村上村長の決断が必要だという発言を入れて、方向付けをしていますが、全体としては声高に反・脱原発を主張するよりは、問いかける形の作品になっています。

 映画館が渋谷のラブホ街のまっただ中(ユーロスペースと同じビル)にあるのですが、すぐ近くにライブハウスO-EASTができたため、女子中高生の群れをかき分けないとたどり着けないというありさま。目的が映画じゃなくてラブホだったら逃げ帰ったかも。
 映画上映後に、島田恵監督のトークショーがありましたが、風邪で声が出ず、大部分はゲストのお話でした。残念。それにしても、監督は私とほぼ同じ年のはずですが、挨拶の様子が今なお初々しい (*^_^*)

2014年2月22日 (土)

エヴァの告白

 理不尽な運命に翻弄されながら生きた女性の志を描いた映画「エヴァの告白」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国10館、東京で2館の上映館の1つ新宿武蔵野館2(84席)午前9時45分の上映は3~4割の入り。

 1921年1月、両親を目の前で兵士に殺害されたポーランド人エヴァ・シブルスカ(マリオン・コティヤール)は妹のマグダ(アンジェラ・サラフィアン)とともに戦火を逃れすし詰めの移民船でニューヨークのエリス島に辿り着いた。しかし、移民局の審査官は、マグダは感染症の疑いがあるとして隔離し、エヴァに対しては居住予定先の叔母の住所が実在せず叔父の迎えもないとして強制送還を示唆した。エヴァに一目惚れした男ブルーノ(ホアキン・フェニックス)の工作でエヴァは移民局を脱出し、ブルーノの元に身を寄せるが、ブルーノは女たちを劇場で踊らせ売春をあっせんすることを生業とする男だった。エヴァは自分の生活費と妹の治療費を稼ぐため、ブルーノがあっせんする客を取るようになるが…というお話。

 理不尽な運命に翻弄され、売春を繰り返しながらも、妹を救い出し一緒にアメリカで生きていくのだという強い意志を示し続けるエヴァの志(折れない心)がテーマとなっていて、マリオン・コティヤールのまなざしのアピール力で魅せ感動させるという趣向の作品だと思います。
 レイプされても、売春をしても、心は強く高潔にという主人公の強さとその姿勢の肯定というのは、考え方としてわかるのですが、一面ではそのような場合に折れない心を提示することが適切か(普通のレイプ被害者やセックスワーカーはどう評価される?)、他面で今どき「耐える女」としての強さだけを強調することにどれだけの意味があるのかという疑問も感じます。折れない心と志を持っていても、状況に対して常に受動的で、自ら打開策を求めて積極的に行動する姿が見られない(叔母の家を探し求め、叔母に借金を申し入れるところは一応積極的な行動とは言えますが、あくまでも親戚頼み他人頼みです)エヴァは、現代の映画の主人公としては物足りなく思えます。
 エンドロールの最後に、“ THE END ”が表示された後、“ Keep your head ”の文字が浮かぶのは、エヴァのように志を持ち続けよという趣旨でしょうか。それとも、単にまだ映画館が暗いけど「慌てるな」という意味?

 エヴァに思いを寄せるブルーノが、エヴァに一度頬に手を触れて拒絶された後、売春をあっせんしながら自らはエヴァに肉体関係を求めないというあたり、見ていて少し不思議。そもそも一目惚れして連れてきた相手を、売春させる男って、どういう気持ちなんだろう。ブルーノの場合、エヴァに売春させなければ自分の生活ができないという様子でもないし、エヴァが客を取ることが悔しいという様子でもなく、それでいて従兄弟のオーランドとエヴァが親しげにしていると激しく嫉妬しています。う~ん、やっぱりわからない。

 “ judge ”が何度か「見下す」と訳されていました( “ Do you judge me ? ”が「私を見下してる?」など)。判断としての judge にはいい判断の場合も含まれるはずですが…裁判官には見下されているという思いが一般的ということでしょうか。

2014年2月16日 (日)

アメリカン・ハッスル

 FBIに司法取引でおとり捜査への協力を強いられ追いつめられた詐欺師の活路を描いた映画「アメリカン・ハッスル」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、東京大雪の翌朝、サイトでは1番スクリーンが予告されていた封切り3日目の「エヴァの告白」を突如降ろして「アメリカン・ハッスル」を1番に持ってきた新宿武蔵野館1(133席)午前10時の上映は3割くらいの入り。

 銀行融資詐欺と絵画贋作販売で財をなした詐欺師アーヴィン・ローゼンフェルド(クリスチャン・ベール)とビジネス・パートナーにして愛人のシドニー(エイミー・アダムス)は、融資詐欺の顧客を装ったFBI捜査官リッチー・ディマーソ(ブラッドリー・クーパー)に引っかかってシドニーが逮捕され、おとり捜査への協力を強いられる。当初は同類の詐欺業者4人を売れと求めていたリッチーは、アーヴィンが話を進めるうちにFBI捜査官が架空のアラブの富豪に扮して政治家たちの贈収賄のおとり捜査をするのに協力しろと要求をエスカレートさせる。アラブの富豪の協力が得られるとカジノの設置計画を進めたい市長カーマイン(ジェレミー・レナー)はカジノ開設のためにパーティーを開くが会場の控え室にはマフィアが集い、アラブの富豪との面会を求め…というお話。

 詐欺の尻尾をつかまれ愛人のシドニーの詐欺容疑で脅されてFBIに捜査協力せざるを得なくなり、功名心に駆られたFBI捜査官から無謀な要求を突きつけられ、友情を感じた市長を売ることに躊躇し、マフィアが絡んでばれたら妻子ともども皆殺しの恐れを抱き、ついでに妻と愛人の板挟みもあり、八方ふさがりのアーヴィンが、どうやって活路を見いだすのかを主な興味としてみせるサスペンス・コメディというところです。
 アーヴィンのメインの業務は融資詐欺。銀行から融資を受けたい人に、銀行に特別なコネがありそれによって融資を受けられるかのように言って手数料として5000ドルを取るというものです。具体的にその後どうするかは言ってなかったようですが、たぶん、銀行が問題なく融資できるような条件を作ったり(担保も出させてますし)危ない借り主にも貸してくれるような銀行を選んで、つまりアーヴィンが口をきかなくても融資が受けられる案件をさもアーヴィンのおかげで本来なら融資が受けられないのに特別に融資を受けられたかのように思わせる手口と思われます。日本でも、消費者金融についてそういう手口で紹介している連中がいて「紹介屋」と呼ばれています。金に困っている連中は簡単にだませるとアーヴィンは語っていますが、困窮する庶民をだまして金をむしり取るアーヴィンには同情しかねます(怨恨や金に困って犯罪を犯す人たちやあまり考えずに犯罪を犯した人たちにはそれほどではないのですが、貧しい人やお年寄りをだます詐欺師にはどうにも許せない思いを持っています)。
 しかし、この作品では、それを遥かに超えてFBI捜査官があまりにもひどい。そもそも最初にシドニーを留置場ではない何もない部屋に監禁した挙げ句にアーヴィンの悪口を言ってくどくところからして職権濫用の色魔としか言いようがない。この捜査官その後もシドニーをくどき続けますが、ただやりたいだけというのが見え見えでクラブのトイレの個室に押し込んだりシドニーの部屋に押しかけてやらせろと言い続け、シドニーはのらりくらりでかわしますが、見ていて吐き気がするほど低劣な人物。そして自分が手柄を立てたいばかりにおとり捜査で市長に賄賂の入ったアタッシェケースを押し付けて市長が受け取りを拒否して帰ったのをアーヴィンに呼び戻せと命じ、汚れた金は受け取りたくないがカジノ開設を熱望する市長に出資者のアラブの富豪をアメリカ市民にしないと許可が下りないと持ちかけて市民権付与の口利きを国会議員に求めることに同意させ贈賄側に巻き込んでいきます。これ、おとり捜査としてもひどすぎ。犯罪を犯す意図を持っている人に「機会を与える」だけのおとり捜査を超えて、犯罪を犯す意思がなかった人を説得して犯罪を犯す意思を誘発し犯罪に巻き込むのは、いくらおとり捜査が認められているアメリカでも違法なんじゃないかと思います。

 電子レンジを爆発させ、自分の行動でアーヴィンが殺されかけても動じない妻ロザリン(ジェニファー・ローレンス)のノーテンキさと、妻の座に自信を持って愛人に啖呵を切る迫力は、ジェニファー・ローレンスの快演というべきでしょうか。
 トンデモ捜査官からアーヴィンが裏切ったと煽られ執拗に迫られてもかわし続けるシドニーの愛人としての自信と一途さも見どころです。これは見比べたら愛人を選ぶよねぇと思ってしまいますが。

2014年2月11日 (火)

ビフォア・ミッドナイト

 紆余曲折を経た中年カップルの転機と絆を描いた恋愛映画「ビフォア・ミッドナイト」を見てきました。
 封切り4週目火曜日祝日、ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2(62席)午前11時30分の上映は満席。実は2月2日日曜日に満席で入れなかったリターン・マッチで30分前に行ったのですが既に残りわずか。15分前には満席のアナウンスがありました。

 アメリカ人の作家ジェシー(イーサン・ホーク)とフランス人の環境活動家セリーヌ(ジュリー・デルピー)は、双子の娘エラ(ジェニファー・プライア-)とニナ(シャーロット・プライア-)を連れ、ギリシャにバカンスに来ていた。ジェシーは別れた妻との間の息子ハンク(シーマス・デイビー=フィッツパトリック)が一足先にアメリカに戻るのを空港まで送り、息子の素っ気ない態度に寂しい思いを募らせる。環境活動に行き詰まってパリでフルタイムの仕事をすると言い出すセリーヌと、息子を取り戻したい思いからシカゴへの移住を言うジェシーの間で思惑のズレが見え、友人たちが娘を預かりプレゼントしてくれたホテルでの一夜を満喫するはずだった二人は・・・というお話。

 18年前に列車の中でセリーヌにジェシーが声をかけ、一夜を共にするがそのまま別れ、9年前にジェシーが書いた本を見てセリーヌが会いに行って再会し、少なくともジェシーは結婚して息子がいたが、セックスしてその時セリーヌは妊娠し・・・という過去があり、18年前が「ビフォア・サンライズ」(1995年)、9年前が「ビフォア・サンセット」(2004年)で、この作品が3作目なんだそうな。前作も前々作も見ていませんが、この作品の会話の中で、2人の過去がそのように紹介されています。
 紆余曲折を経て一緒に暮らす中年になったカップルが、年を経たことで見せる落ち着き・余裕・絆の深さと、年を取り性的な魅力を失ったことへの焦り・自信喪失・不安感の下で、いちゃつきじゃれ合いながらも詰問・なだめ・そらし・なじり・否認の会話を続けていきます。作品のほとんどが、会話で進み、派手なアクションやできごとは登場しません。背景やシチュエーションがこじゃれていますが、会話自体はどのカップルにもありそうな内容と展開で、日常の延長として我が身にもありそうなこととして感じられます。2人の会話の展開をうらやましいと感じるか身につまされるか・・・
 子どもを預かってもらって久しぶりの2人だけの夜、いい夜(Hな夜・・・)にしたいと思いながら、些細なことをきっかけに亀裂を深めていく2人。日頃表に出せなくて貯め込んだ不満や猜疑心・嫉妬が表面化して暴走する様子は、他人ごととして、あ~ぁと思うとともに、どこか身につまされるような。つきあいの長さは、不満を貯め込んだ長さでもあり、しかし共にした想い出の多さと相手のツボへの理解の深さでもあるということを考えさせられました。

2014年2月 2日 (日)

ウルフ・オブ・ウォールストリート

 レオナルド・ディカプリオ主演最新作の18禁映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を見てきました。
 封切り3日目日曜日、丸の内ピカデリー2(586席)午後1時15分の上映はほぼ満席。ディカプリオ様の御利益か、R18+映画にしては女性客がけっこう多い。

 1987年名門投資銀行に就職したジョーダン・ベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)は、ブローカーとしてデビューするやブラックマンデーに遭遇し、会社は倒産、うさんくさい安価な店頭取引株を言葉巧みに売りつけ5割もの高率の手数料で小銭をかせぐ零細業者に勤め、頭角を現し、たまたま街で声をかけてきた近所のドニー(ジョナ・ヒル)とともに独立する。ジョーダンは、貧乏人から小金をむしり取るのではなく、富裕者に優良株を買わせ信用させたのちに舌先三寸で怪しげな店頭取引株を大量に売りつけることに方針を転換し、瞬く間に業績を伸ばし、莫大な金を稼いでウォール街の風雲児となるが、FBIのはぐれ者刑事がジョーダンに目をつけ…というお話。

 価値のない株を舌先三寸で売りつけたり不正行為を重ねて大金をかせぎ、薬物とセックスに溺れる生活を続けるバブル紳士たちの乱痴気騒ぎと、当然いつかはやってくる祭りの終わりというストーリーで、ほとんどそれだけと言っていい映画です。
 ジョーダンがFBIに追われる犯罪の容疑もマネーロンダリングが何件とか言われるだけで具体的内容もハッキリせず映画の中ではその犯罪に該当するシーンの描写もなく、FBIの捜査の進展や証拠固めの過程の描写もなく、法律や裁判の面ではすっきりしません。本人の手記が原作なので、書いた本人が十分理解していないのかもしれませんが。
 そういう説明というかポイントが押さえられないままに、いかがわしい金儲け、乱痴気騒ぎと隠蔽工作のシーンが流れ続けるので、展開のメリハリに欠け、3時間の長尺は見ていてちょっと辛い感じでした。

 ジョーダンが入社してすぐ目をかけて教えてくれた先輩のマーク(マシュー・マコノヒー)の言葉。株が上がるか下がるかは誰にも、もちろんブローカーにも、わからない。大事なことは2つ、リラックスすること、数字ばかり扱っていると頭がちかちかする、1日2回以上マスをかけ、やりたくなくてもするんだ、それからドラッグだと、舌先三寸とセックスと薬物漬けのバブリーなブローカーの生活を教えてくれます。ジョーダンはある意味ずっとそれを忠実に実行することになるわけですが。でも、1日2回以上って…(@_@)それにコカインとかやったらリラックスじゃないでしょ…

2014年2月 1日 (土)

小さいおうち

 昭和初期の小市民の昂揚した日々と有閑マダムの不倫を描いた映画「小さいおうち」を見てきました。
 封切り2週目土曜日映画サービスデー、新宿ピカデリースクリーン6(232席)午前10時の上映は9割くらいの入り。

 昭和初期、雪深い米沢から東京に女中奉公に出た布宮タキ(黒木華)は、最初の主人の紹介で東京郊外の丘の上に立つ赤い煉瓦屋根のしゃれた家に住む平井家に奉公することになる。おもちゃ会社に勤める平井雅樹(片岡孝太郎)を会社の社長や同僚、部下たちが尋ねて声高に議論や放談がなされる中、場になじめないデザイン部門の新人板倉正治(吉岡秀隆)は抜け出して雅樹の息子の恭一(秋山聡→市川福太郎)の部屋に行き絵本を読んでやるうちに寝込んでしまい、上司らが去った後雅樹の妻時子(松たか子)と談笑していた。嵐の夜、電車の運休で雅樹が出張から帰れなくなったことを知らせに平井家を訪れた正治は、風雨にばたつく雨戸の釘付けをした後時子から泊まっていくよう求められ、夜半にラッチが壊れてバタバタする玄関のドアを固定しているところに現れた時子に口づけされ立ち尽くした。雅樹から取引先の縁者との見合いを断る正治を説得するよう指示された時子は、正治の下宿を度々訪ねるが…というお話。

 昭和初期の中産階級の小市民たちが、洋風の文化を楽しみながら比較的優雅に昂揚した浮かれた日常を過ごし、日中戦争を機会に金儲けを企み議論し、南京陥落に大喜びしといった様子を描き、それを現在の老人となったタキ(倍賞千恵子)が手記に書いて現在の若者の健史(妻夫木聡)に日中戦争中、2・26事件の頃の暗い世の中でそんなうれしそうで明るい生活してたはずがないと言わせて、意外かもしれないが実は…というように浮かび上がらせています。
 こういう描写が戦争への嫌悪感・恐怖感を希薄化し、戦勝に浮かれる小市民を描くことで1億総懺悔的に上層部の戦争責任を相対的に薄め免罪していくことにつながるのか、明るい世相の中でも戦争はやってくる・進んでいくと警戒心を強める方向に働くのかは議論がありうるのかもしれません。私は現在の世相からすると、前者の思いを強くするのですが。

 夫の部下に誘いかける時子のいかにも罪悪感のない風情、上司の妻に手を出しながら平然とその上司と不倫相手の自宅を訪れる正治の厚かましさに、私は呆然とします。これも小市民のしたたかさなのでしょうか。上司の妻に手を出してそれでも平然と仕事を続けその上司の自宅を訪れる上に、それを重々承知のタキにも色目を使うこの人物は、私には無節操と厚顔無恥の極みに見えますが、正治に思いを寄せるタキの語りで伝えられるために好意的に描かれています。そうすると、映画のニュアンスとしては、不倫の勧めというようなことになるでしょうか。

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