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2013年11月

2013年11月30日 (土)

もらとりあむタマ子

 大学卒業後実家でぶらぶらしている無職女性の不機嫌な日常と微かな決意を描いた映画「もらとりあむタマ子」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国5館、東京では唯一の上映館武蔵野館1(133席)午前10時の上映は、入場者プレゼント(監督特製カード)付きで5割くらいの入り。観客の多くは男性一人客。

 離婚した父善次(康すおん)が1人で小さなスポーツ用品店を経営し炊事洗濯掃除もこなす横で、日がな一日ぶらぶらと過ごす大学卒23歳の坂井タマ子(前田敦子)。秋が過ぎ冬も過ぎて春になり、やおら父に面接用の服をねだり髪を切り写真館に赴き、秋にバッシューを買いに来た写真館の息子の中学生仁(伊東清矢)に写真を撮らせ口止めするが、仁の父が知ることになり父善次の前で写真を渡されてまたぶーたれてしまう。夏になり、法事の話に行く善次について訪れた伯父の家で伯父の妻よし子(中村久美)が善次にアクセサリー教室の先生曜子(富田靖子)を紹介したことを聞き、またしても仁を使って曜子の様子を探らせるが…というお話。

 テーマとしては、こんなにも若者が就職や生きること自体に苦しむ世の中が来ているのだなぁ、こんなことでいいんだろうか、こんな社会に誰がしたというようなことを感じ取らせようとしてるのかなという印象でした。
 もっとも、父親が仕事に家事に追われるのを手伝いもせずにただぶらぶらし続け不機嫌にしているタマ子に、テレビニュースを見て「ダメだぁ、日本」と繰り返し言わせ、最後にはとどめを刺すように、それを聞いた善次に「ダメなのはおまえだ」と言わせていて、見ている側も社会よりもタマ子に問題があると思わせていますし、就職活動も、エントリーシートは書いたものの「今の私は、本当の私ではありません」「私に色をつけてください」では採用されるわけもなく、やはりタマ子の姿勢の問題と思わせてくれます。少なくとも、制作サイドは、正面切って、今の社会の問題を浮かび上がらせるという意図ではなさそうです。

 娘を持つ父親としては、実家でぶらぶらと手伝いもせずにいる娘に、ご飯を作り、食べたら食器もそのままの娘に文句ひとつ言わず食器を洗い、洗濯をし、掃除をし、店員も雇えずに1人で切り盛りする店も手伝えとも言わないで仕事をして至れり尽くせりでめんどうを見た挙げ句、離婚した母親が勤務先の職員旅行でバリ島に行くというので「私も海外旅行してみたい」と言ったのに「一緒に行ってくればいい」と言いそれにタマ子が「知らない大人ばかりの中にいけない」というのを聞いて「じゃぁ、お父さんと行くか」と言うや「絶対、無理」と言われてしまう善次が哀れ。そこまで言われても突き放せないのが父娘関係ということでしょうか。考えさせられます。

 ストーリーは大きな展開があるわけでもなく、起承転結やクライマックスを作ってのエンディングという構成でもなく、どこか曖昧なままにあっさりふっつり終わります。
 その結果、特別に前田敦子のファンである(観客の大半が男性一人客でしたから、そういう客が多いかも)というのでなければ、タマ子の様子の変化か、仁の飄々とした演技が見どころ(それくらいしか見るところがないとも)なんでしょう。
 前半ものすごく不機嫌な様子でものを食べ続けるタマ子が、後半は食べる前に「いただきます」というようになったとか、食べてるときの顔がふつうくらいになったとか。前半は下着も善次に洗わせていたタマ子が後半では洗濯をするようになり、でも善次がタマ子の下着を干すときは少しためらいながら干しタマ子が父の下着を干すときは片手でつまんで1か所だけで吊すというように相手への思いに温度差を感じさせるとか。前半では店の手伝いをしなかったタマ子が後半では善次がやっていた朝の看板出しをするが、タマ子が出すと看板は斜めに置かれ玄関マットも斜めだとか。
 あとどうでもいいけど、前田敦子って左利きだったのねとか、善次が湯飲みを持つとき人差し指と小指が浮いててこの人カラオケでもそうやってマイク持ちそうとか…

2013年11月24日 (日)

ミッドナイト・ガイズ

 28年ぶりに出所したギャングとボスからその殺害を命じられている引退した元ギャングの友情と苦悩を描いた映画「ミッドナイト・ガイズ」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国2館、東京で唯一の上映館ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(173席)午前10時10分の上映は5割くらいの入り。観客層はメインの3人の男優がいずれも70代というキャスティングからして中高年中心かという予想を裏切り意外に若者が来ていました。

 ギャング組織の襲撃事件で罪を全部かぶって服役し28年ぶりに出所したヴァル(アル・パチーノ)は、その間唯一連絡を続けていた仲間のドク(クリストファー・ウォーケン)に迎えられる。ヴァルの希望に従い薬屋に侵入してバイアグラなどを盗み出し娼館で大騒ぎし、孫のアレックス(アディソン・ティムリン)が働くレストランで食事をするが、ドクは組織のボスクラップハンド(マーク・マーゴリス)から、ヴァルが事件の際に興奮したボスの息子の乱射が元で始まった銃撃戦の過程でボスの息子を射殺してしまったことを理由にヴァルを殺害することを命じられていた。ドクの態度に不審を感じたヴァルは、おまえが刺客かと尋ね、ドクはそれを肯定する。期限が明朝10時と聞いたヴァルは、まだ9時間あまりあると、ドクとともに別のギャングのスポーツカーを盗み、療養所で死を待つ身の元仲間ハーシュ(アラン・アーキン)を連れだし、ハーシュの希望でまた娼館に戻った後、スポーツカーのトランクに閉じ込められていた裸の女シルヴィアの話を聞き、車の持ち主のギャングたちジャーゴニュー兄弟のアジトに乗り込み…というお話。

 ギャングのボスから最初は従わなければおまえを殺すと言われ後には孫が「事故」にあってもいいのかと脅されて元仲間のヴァルの殺害を命じられているがためらい続けるドクと、ドクの告白を受けて明朝午前10時までの命と知りつつそれを受け入れるヴァルの2人の仲間を思う気持ちと葛藤・苦悩を描く心理描写が見どころの作品です。
 それに加えて、着実に迫る悲劇を前に、最後のバカ騒ぎに興じるオジイたちのダンディズムと滑稽さ、哀しさを味わう作品だと思います。

 バイアグラを「ひとつかみ」飲んで(よいおじさんはまねしないように!)4連戦で娼婦を圧倒したヴァル、ずっとやりたかったことはないかと聞かれて3人プレイがしたかったと娼館の経営者ウェンディ(ルーシー・パンチ)を口説き落とし絶賛されるハーシュと、オジイたちのお盛んぶりが際立ちます。役柄上の年齢は不明ですが、実年齢「後期高齢者」のアラン・アーキンの達者な様子を見ると、53歳おじさんとしては、そうか歳をとっても大丈夫なんだと、ちょっと希望を感じます(^^ゞ
 緑内障や高血圧の錠剤を粉砕してストローで鼻から吸い込むヴァル。実際にこういうことするとどうなるんだろうと、好奇心を持ってしまいます。 

2013年11月23日 (土)

2ガンズ

 上官の指示に従い麻薬取締官と海軍兵士が麻薬組織から奪った大金をめぐり、各組織が争奪戦を繰り広げるアクションサスペンス映画「2ガンズ」を見てきました。
 封切り4週目土曜日、新宿ミラノ1(1064席)午後1時40分の上映は…5%くらいの入り。

 メキシコの田舎で麻薬組織のために働いていたボビー(デンゼル・ワシントン)とスティグ(マーク・ウォールバーグ)は、マークは麻薬取締局(DEA)から、スティグは海軍情報部からの指示で麻薬組織に対する潜入捜査に当たっていた。組織犯罪の証拠を押さえるために組織が銀行の貸金庫に預けた金300万ドルの強奪をそれぞれに上官から指示された2人は、首尾よく銀行を襲い貸金庫の金を奪うが貸金庫には4300万ドルもの金があった。互いに相手の素性を知らないボビーとスティグは強奪後相手を捨て駒にしようとするが、スティグがボビーを撃って奪った金を海軍情報部に届ける。スティグがボビーを殺したかに疑義を持った上官はスティグを連れて現場を訪ね、ボビーの死体がないことを見るとスティグを射殺しようとし、スティグは危うく逃走する。ボビーはスティグの住んでいた部屋に潜入し、待ち構えていたスティグと対峙するがそこで海軍に襲われ…というお話。

 組織の陰謀渦巻く中で、たまたま知り合った2人の男がそれぞれの思惑で動き戦いながら友情に目覚めていく友情物語が基本的なテーマです。
 それをガンアクションと若干のウィットの味わいで飾っている映画というところでしょう。
 「ドーナツの名物店の前で銀行強盗をするな」とか、「ロシアン・ルーレットの経験は?」「ふつうは頭に銃口を当てる。しかし、それでは聞きたいことを何も聞けずに終わってしまう。愚かな行為だ」というような台詞が繰り返されるあたり、おとぎ話的なリズムと効果があり、巧さを感じました。
 ボビーの愛人で同僚のデビィ(ポーラ・パットン)、裏のある役柄なので最後まで絡むかと思いましたが、ちょっとあっけない感じがしました。

2013年11月17日 (日)

いとしきエブリデイ

 夫の受刑中4人の子どもを育てる妻と子どもたちの様子を描いた映画「いとしきエブリデイ」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国で5館、東京で唯一の上映館のヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)正午の上映は3割くらいの入り。

 夫イアン(ジョン・シム)が受刑中で、4人の子どもステファニー(ステファニー・カーク)、ロバート(ロバート・カーク)、ショーン(ショーン・カーク)、カトリーナ(カトリーナ・カーク)を抱えた妻カレン(シャーリー・ヘンダーソン)は昼はスーパーで働き、夜はパブに勤め、子どもたちを母や知人に預けたり手を引いてイアンとの面会に通っていた。父親不在の中で子どもたちは成長し、イアンの外出許可の出た日は一緒に公園でサッカーをし子どもたちの目を盗んでイアンとカレンはひとときの情事を楽しむが、イアンは麻薬を持ち込んで刑期を延長されてしまう。子どもたちはイアンと電話で話したり面会で話すのを楽しみにしているが、いつしかカレンはパブの客を部屋に上がらせ…というお話。

 本物の幼い4人兄弟の日常を5年かけて撮影し続けたというこの作品の見どころは、幼い子どもたちの愛らしさとその成長ぶり。子どもが出てくる映画では少女の方に目が行きがちな私にも、この映画ではショーン君のかわいさが印象に残りました。その天使のようなあどけなさ愛らしさを、親はどの程度見る/楽しむことができるのか、子どもが一番子どもらしい、親にとって至福の時期に、この作品のように受刑中だったらほとんど会えないわけで、それを通じて、親はなくても子は育ち、親の喜びはよほど自覚的に子どもと接しないと充分には味わえないというメッセージを感じます。そして、そのことは、受刑中の場合だけでなく、仕事優先の生活をしていても同じです。

 度重なる面会のシーン。集団の面会室で、仕切りなしに面会し、ハグしたりキスしたりできるし、ふんだんにしています。受刑中も妻・夫、恋人、そして子どもとの人間関係をかろうじてでも維持していくことは、受刑者の再起のためにもとても大事なことだと思います。この映画でも、面会で子どもたちと話し抱きしめ、妻とキスし抱擁して監房に帰ったイアンが悲しみに暮れる様子が繰り返し描かれています。何度も面会に来てくれる妻と子どもたち、その妻子をごく短時間しか抱きしめられず生活を支えてやれない自分とその境遇に後悔の念を募らせているのです。そういった人間的な感情と自主的な後悔・反省が、厳しく何でもかんでも制限し人間味を失わせるやり方よりよほど受刑者の更生につながると、私は思うのですが。
 日本では、面会は全てアクリル板越しで、触れ合うことはできませんし、アクリル板越しの面会ですら子どもは会わせてくれません。家族関係、人間関係の維持を考えれば、子どもとの面会も認めるべきでしょうし、アクリル板越しでなくふつうの部屋で触れあえるようにすべきだと思います。受刑者に対しては何でもがまんさせればいい、厳しく制限すればいいと言いたがる人たちが多いですが、周囲との人間関係を断ち切り孤立させ、出所後の就職も困難にしてしまえば、守るべき家族や人間関係もなく「失うものは何もない」という状態になりがちで、それで収入もなければ再度犯罪を犯すという誘惑に抵抗できなくなるでしょう。厳罰主義者の方々はそれも自己責任というのでしょうけれど、受刑者が立ち直れず何度も犯罪を犯したり刑務所に入り続けることは、犯罪被害者が増えるということからも刑務所のコストがかかるということからも望ましいことではないと思います。

2013年11月16日 (土)

ケンとメリー ★雨上がりの夜空に★

 忌野清志郎ファンの親父がマレーシアで結婚式を挙げる娘の元に駆けつけるコメディ映画「ケンとメリー ★雨上がりの夜空に★」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、新宿ミラノ3(209席)午後2時20分の上映は1割程度の入り。観客の多数派は中高年層。
 東急レクリエーション経営の109シネマズ系列で、映画館では定価1000円、facebookでシェアして友達に紹介すると500円のディスカウント映画企画「1000taku」4作品の1つですが、ディスカウントの効果はあまりないような気が…

 妻に先立たれたサラリーマン片倉健(竹中直人)は、妻の死後インドネシア、カンボジア、タイを転々とし今はマレーシアにいる娘縁(北乃きい)の結婚式に向けてクアラルンプール行きの飛行機に乗り、嵐に遭いダッチロールする機中から縁に電話し「お父さん、縁の結婚なんて絶対に認めてないからな」といい、縁から結婚式には来るなといわれて電話を切られてしまう。嵐のために見知らぬ僻地の空港に降ろされた片倉は、言葉が通じずバスにもタクシーにも乗せてもらえず財布も盗まれ途方に暮れ、空港に現れたど派手な龍の装飾付きのトラック「小龍」に乗る中国人モウリス・マー、通称メリー(フー・ビン)と財布泥棒を追ううちに携帯も壊れ負傷してしまう。片倉はメリーに腹を立てつつも、メリーのトラックに乗せてもらいクアラルンプールを目指す。結婚式は翌日の午後6時、順調にいけば8時間の行程で、十分間に合うはずだったが、トラック運転手のたまり場で、かつてメリーが結婚直前で逃げた元婚約者の妹が村に運ぶ医療品の貨物を運ぶ手段がなく途方に暮れていたり交通違反で警察に追われたりとハプニングが続き…というお話。

 癌宣告された病床の妻を抱えながら仕事を休まず妻の死に目にも会えなかったことを悔やみ続け、その後娘ともぎくしゃくし娘と向かい合えなかったことを悔やむケン(片倉健)と、元フィアンセと結婚する直前に怖くなって逃げたことがトラウマになっているメリーが、RCサクセッションの歌「雨上がりの夜空に」とその中国人バンドのカバーを接点に喧嘩したり心を通わせながらのドタバタ道中を繰り広げ、少し心境の変化と成長があって問題を克服するというヒューマンドラマがメインストーリーになっています。

 クアラルンプールで園児に日本語を教える縁役の北乃きいの表情のさまざまな変化が微笑ましく思えます。クアラルンプールで園児が「バイバイキーン」と言ってさよならの挨拶をするのは、もっと微笑ましいというか、マレーシアの人にとっては嘆かわしいでしょうけど。

 「ケンとメリー」というタイトルは、1960年生まれの私の世代には、当然に「いつだって、どこにぃーだって…」の日産スカイラインのコマーシャルソング「ケンとメリー 愛と風のように」(1972年、BUZZ)を思い出させますが、それは一度も登場しません。
 作品中繰り返し流されるのは、RCサクセッションの「雨上がりの夜空に」。清志郎のオリジナルを始めさまざまなバージョンが流された上、最後には主演3人による演奏・絶唱でサビの「こんな夜におまえに乗れないなんて、こんな夜に発車できないなんて」がリフレインされます。歌としては、車の歌ではあるのですが、そこは清志郎ですから違う含みがあるわけで、繰り返されるとちょっと恥ずかしい…
 ケンメリで中高年層にノスタルジーを覚えさせ、RCサクセッションでそれより少しだけ若い層のやはり中高年を引っ張る、そういう企画なんでしょうね。今わりと、忌野清志郎回顧ムードがありますし。

2013年11月10日 (日)

四十九日のレシピ

 母の急死に茫然自失の父と、夫の子を孕んだ愛人から離婚を突きつけられて失意の里帰りをした娘が、母が残した四十九日には大宴会をというリクエストに押されて再生の道を歩む姿を描いた映画「四十九日のレシピ」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、渋谷TOEI2(296席)午前10時20分の上映は1割足らずの入り。

 2人目の妻乙美(執行佐智子)の突然の死に茫然自失状態の熱田良平(石橋蓮司)の元へ、ロリータファッションの少女井本(二階堂ふみ)が突然やってきた。井本は「イモ」って呼んでくださいと自己紹介して乙美の部屋に上がり込み、乙美が残した「四十九日のレシピ」を探し出し、驚く良平に、乙美から四十九日までダーリンと百合っちを世話するように頼まれた、もうバイト代もらってるからこのレシピに沿ってやると宣言する。不妊に悩んでいた百合子(永作博美)は、夫浩之(原田泰造)の愛人から妊娠したことを告げられ離婚を求められて、離婚届に判をついて置いたまま家を出て実家に帰るが、そこで若い女(イモ)が父良平の背中を流しているのを見て驚く。百合子の沈む姿を見、イモが乙美のレシピで食事を作る姿を見るうちに、良平はレシピに書かれているように四十九日の大宴会をやろうと言い出す。イモが連れてきた昔乙美に世話になったという日系ブラジル人3世のハル(岡田将生)も入り交じって、大宴会に向けて古い家を明るく改装したり準備を進めていくが、そのために作り始めた乙美の年表がほとんど埋められず、子どもを産まなかった女の人生はこんなに空白ばかりなのかとショックを受けた百合子は、この空白を埋めてみせるとイモとともに乙美が書いた絵手紙を取りに戻ったり乙美の知人に会いに行くが…というお話。

 妻に先立たれてあらゆる意欲を失い呆然として畳に寝転び妻の遺影を眺める良平。若い頃というか仕事をしている時期ならさておき(現に、良平は若い頃に百合子の母である最初の妻にも先立たれています)、引退して妻と2人暮らしになって妻に先立たれた男ってこういう感じになるんでしょうねと、しみじみ思ってしまいます。
 釣りに出る際に渡されたお弁当(乙美の得意のコロッケパン)からソースが垂れていてそれに文句を言って持たずに出たのが妻との最後だったことを思い出して悔やみ続ける良平。確かにそういうパターンだと悔やむとは思いますが、人は死に際して最後だけで判断するのでしょうか、また最後だけで評価されるのでしょうか。交通事故や心臓発作等も考えれば、人の死がいつ訪れるかはまったく予想できず、それを前提に常に「一期一会」の気持ちで接せよという方針もあるでしょうけど、全体で考えるべきじゃないかなぁと思います。最後は/死に様は望みから外れていても、悪い人生/関係じゃなかったよねって評価もありなんじゃないかと。
 夫の茫然自失と後悔を読み切ったように、井本に自分の死後夫が落ち込み続けないように背中を押すように託す乙美は、できすぎた妻というべきでしょう。死を前にした夫が妻が新たな生活に進めるように手紙で指示を出しておく「P.S.アイラブユー」を見たときには、非現実的に思えたのですが、世話女房と引退すると産業廃棄物の古き日本型の夫婦に引きつけてみると、あるかもしれないと思ってしまいました。

 女たちの側では、子どもを産まない女の人生、母となることが大きなテーマになっています。子どもができずに夫の愛人から離婚を求められる百合子、子どもを産まないと伯母珠子(淡路恵子)から嫌みを言われ詰られる百合子。子連れの良平と結婚し、自分には子ができず、百合子からも幼い頃作っていったお弁当をたたき落とされ、長じても「おかあさん」とは素直に呼ばれないままの乙美。他方で、母の愛人が来ると外で遊んでいなさいと追い出され、挙げ句の果ては「この子の父親に預けるから」と言われるなど、母から疎まれて育つカイト。同じ境遇だったイモ。
 子どもができないことで周囲からプレッシャーを受け自分でも引け目を持つ女の姿を描きつつ、それでもさまざまな人に慕われる乙美の姿や、子どもを持たないことで得られる喜びや悲しみがあると珠子に言い返す百合子の映像を見せることで、それでいいじゃないかと言っているのだと思います。子どもを産むこととその子どもを愛せるかは別だと、カイトとイモを通じて語っていることと合わせて。
 女の生き様側では、永作博美の表情の語りが生きていたと思います。特に序盤、珠子との会話、そしてあえて台詞のないラストが印象的でした。

 戦災で祖父と自分だけが生き残り、母から教わることができず、幼い百合子からも拒絶され、そんな自分が母になれるだろうかと戸惑いながら、家事などの知識を聞くと絵入りのレシピに書き取り続けた乙美。祖父を介護して老人施設に残り、依存症の人たちの更生施設リボンハウスでボランティアを続けた乙美。良平と百合子が作りだした年表の顛末を見ると、その幸少なく見える平凡な乙美の人生が、実は多くの人との絆に支えられた彩り豊かな人生であった…世間に認められた立派な人生、波瀾万丈の人生ばかりがいい人生ってわけじゃない、そういうメッセージが実はメインテーマなのかもとも思えました。

2013年11月 9日 (土)

デッドマン・ダウン

 組織に妻子を殺され復讐する男を描いたアクション・サスペンス映画「デッドマン・ダウン」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、新宿ミラノ2(588席)午後2時30分の上映は1割くらいの入り。

 ギャング組織が経営する不動産屋に雇われた殺し屋兼用心棒のヴィクター(コリン・ファレル)は、実は2年前にアルフォンス(テレンス・ハワード)が手がけた地上げの際に別室で寝ていた幼い娘が流れ弾で死に、裁判を起こそうとていたところアルフォンスが雇ったアルバニア人たちに妻を殺され、自分も殺されかけたが危うく助かり、その復讐のために名前を変えて組織に潜入していたのだった。ヴィクターは、妻のおじから武器の提供を受けながらアルフォンスの部下を順次殺害し、死体に妻子とともに写った写真の破片をおいて、アルフォンスを追い詰めていった。アルフォンスのマンションの向かいのマンションに住むベアトリス(ノオミ・ラパス)は交通事故で顔の左半分に目につく傷を受け、近隣の子どもたちからは怪物と罵声を浴びせられ物を投げつけられ、復職もできずにいたが、飲酒運転の加害者は3週間で釈放され、恨みに思っていた。バルコニーからヴィクターが組織の人間を殺害するところを目撃したベアトリスは、ヴィクターを誘い、警察に通報しないことと引換に、交通事故の加害者を殺害することを要求した。一方、組織の新入りでできたばかりの子どもの名付け親をヴィクターに頼み子どもと妻を励みにしているダーシー(ドミニク・クーパー)は、手柄を立てようとして謎の連続殺人者を追い、ハンガリー人の墓にたどりつくが…というお話。

 組織に対する連続殺人を巡るミステリー部分は、公式サイトの紹介等では一応伏せられているのですが、映画の序盤で、ヴィクターがアルフォンスの組織にアルフォンスを殺害するために潜入してもう1年4か月になることが、妻のおじとの会話であっさりと明らかにされてしまうので、犯人が誰かではなく、ヴィクターが計画通りに復讐を実現できるのかが基本的な興味になります。ですから、そこのところはあっさり書きました(↑)。
 ヴィクターが、生前の妻と娘のビデオを繰り返し見ているシーン、幼い娘が靴紐を自分で結べるようになったとか、1人で寝られるようになったとかたどたどしく語る映像が胸をえぐります。やっぱり娘を殺されると憤怒で理性が吹き飛ぶでしょうね。
 殺し屋となっているヴィクターが、アルフォンスの部下やアルフォンスに雇われたアルバニア人に対しては情け容赦なく殺すのに対して、アルフォンスの部下でもその幼子を抱く姿を見ているダーシーや、ベアトリスから頼まれた交通事故の加害者については、躊躇する姿に、ヴィクターの人間性が感じられ、救われる思いもします。

 ベアトリス側では、引きこもり復讐心に燃えていたベアトリスが、次第にヴィクターに惹かれ外出や職場復帰に意欲を見せていくところも、救われる気がします。
 それにしてもベアトリスに怪物(Monster)と罵声を浴びせ、頭に何か投げつけていく子どもたち、中学生くらいに見えましたが、なんて残酷なのだろうと思う。日本でもホームレスを襲撃する中学生・高校生の事件が時々報じられますが、殺伐としたいやな世の中だなぁと思う。
 そうした中で、何度もくじけそうになりながら、ベアトリスが立ち直っていくところは、もう少しベアトリス自身の強さを表現できるともっとよかったと思いますが、この作品を見ていて一番ホッとするところかもしれません。

2013年11月 4日 (月)

セイフヘイヴン

 ニコラス・スパークス原作のミステリー仕立ての恋愛映画「セイフヘイヴン」を見てきました。
 封切り2週目月曜日祝日、全国5館東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ渋谷シアター3(60席)正午の上映は2~3割の入り。

 ボストンから警察に追われ髪を切りブロンドに染めてアトランタ行きの長距離バスに飛び乗り経由地の小さな港町サウスポートに降り立ったエリン(ジュリアン・ハフ)は、ケイティと名乗って海辺のレストランに職を得、森の中の古い家を借りて住み着く。妻を癌で亡くし息子ジョシュ(ノア・ロマックス)と娘レクシー(ミミ・カークランド)を育てているアレックス(ジョシュ・デュアメル)が経営する雑貨屋で留守番の娘レクシーに勧められて注文した黄色のペンキを持ち帰ろうとして重さにため息をつく「ケイティ」を見かねて家までペンキを届けたアレックスは、町まで歩いて通う「ケイティ」によかれと思って夜中に自転車を届ける。翌朝、受け取れないと、自転車をアレックスに返した「ケイティ」は、謎のお隣さんジョー(コビー・スマルダーズ)から南部ではいらない物でももらっておくものだと諭され、アレックスに謝りに行く。アレックスの息子ジョシュが海に落ちたのを「ケイティ」が見つけてアレックスが飛び込んで助けたりなどして次第に「ケイティ」とアレックスは親しくなっていく。しかし、そんなある日、アレックスは、友人の警官レッドを尋ねて警察署に行った際、第1級殺人でのエリンの指名手配書を見つけてしまい…というお話。

 ミステリー仕立てのラブストーリーですが、ミステリー部分は、謎のお隣さんジョーと事件を執念を持って追い続ける刑事ケヴィン(デヴィッド・ライオンズ)の役割と謎解きに、納得できるかが勝負になります。私は、ちょっとどうかなと…

 ニコラス・スパークスの小説が原作の映画ですし、謎がどう解かれるかは置いて、最終的な行方は大方想像できると思いますから、ここはラブストーリーを楽しんでおくべきかと思います。
 その中で、妻を癌で亡くしたアレックスが、早々に「ケイティ」を気に入りなついていく娘レクシーと、「ケイティ」をうさんくさい目で見て亡き母の部屋を神聖な場所と考え母の思い出を引きずり続ける息子ジョシュに挟まれ、亡き妻が部屋の机の引き出しに残した子どもたちへの手紙をときおり見つめながら、それでも「ケイティ」に惹かれていく様子が見せどころになります。
 自分の死を控えて、死後に読ませるために数々の手紙をしたためたアレックスの妻の思いが泣かせどころになっています。あまりにもできすぎた妻に感動するというか、圧倒されてしまいます。
 そして、娘のレクシーが、ものすごくかわいい。
 女性の観客はケイティの境遇に同情し、男性の観客は妻と娘に恵まれたアレックスをうらやましいと思い、その結果としてよかったねと思って映画館を後にするという作品だろうと思います。

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