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2013年9月

2013年9月29日 (日)

マン・オブ・スティール

 スーパーマン/クラーク・ケントのエピソードゼロ「マン・オブ・スティール」を見てきました。
 封切り5週目日曜日、新宿ミラノ3(209席)午後1時40分の上映は3~4割の入り。

 高度の文明を発達させ遠い宇宙に惑星探査を行い植民してきたが資源乱開発の結果爆発で消滅する運命となった惑星クリプトンで、今や稀な存在となった自然に生まれた赤ん坊のカル=エルを、クーデターを起こしたゾッド将軍(マイケル・シャノン)らの部隊から守るため、父ジョー=エル(ラッセル・クロウ)は、宇宙船で黄色い太陽を回る惑星に送り込む。その直後ジョー=エルはゾッド将軍に殺害されるが、ゾッド将軍は元老院の応援隊に捕らえられて幽閉され、しかしその後時を置かずクリプトンは爆発してカル=エルの母らも死亡、ゾッド将軍らは解放された。地球でジョナサン・ケント(ケビン・コスナー)とマーサ・ケント(ダイアン・レイン)夫婦に育てられたクラーク・ケントことカル=エル(ヘンリー・カビル)は、特殊な力を持っているが義父から力を隠すように言われてきた。義父の死後、青年となったクラーク・ケントは人命を救助しては姿を隠すという生活を続けていたが、カナダの氷河の下に埋もれた宇宙船でジョー=エルが残した映像から自らの出自を知ることになり、その時に命を救ったデイリー・プラネット紙の記者ロイス・レイン(エイミー・アダムス)に宇宙人と気づかれる。ロイスの調査がクラークの足元に及んだとき、宇宙船で地球にやってきたゾッド将軍が地球人に紛れ込んだ1人のクリプトン人の存在を指摘して24時間以内の引き渡しを求め…というお話。

 惑星の滅亡とクーデターの危機から自らを犠牲にしても我が子を救おうとする父母、不思議な力を持ちながらその力を封印するように指示され、時に人命を救うため思わずその力を使ってしまっては周囲から怪しまれて苦しむ少年時代のクラーク、自分は何者なのかと疑い苦しむクラークという哀しくも抑えた重い前半と、ゾッド将軍登場後のひたすら戦いが続く後半にハッキリと分かれる作品です。
 前半は、辛い部分の多い親子愛が描かれていて、叙情的です。前半のクライマックスとなる義父の死の場面、助けようとするクラークに対して、その力を見せてはいけないと右手を挙げて示し、黙って死んでいく義父の姿は感動的です。
 それに対し、後半は…スーパーマンが空を飛ぶシーンの異常なまでの速さ、戦闘シーンでのぶつかり合う速さとぶっ飛ばされて飛んでいく速さは驚くほどですが、それに寄りかかりすぎで次第に飽きてきます。いや、ゾッド将軍が地球に登場する前の、抑えに抑えてきたクラーク・ケントが初めて空を飛ぶシーンとかは、その速さが快感なんです。また、戦いのシーンの異常なスピードも、最初の方は圧倒され、スリリングに思え、いいんですよ。でも、延々とそれを続けられると…。後半はなんか昔の怪獣映画を思い出してしまいました。ただひたすらにはね飛ばし合いビルを壊し続け、怪獣はやっつけたけど街は全滅みたいな…目から光線も発してますし…

 スーパーマンが生まれた惑星クリプトン。再処理工場では日常的に大量に放出され、原発事故の際にも大量に放出されて、初期に強い放射線を出すために住民の被ばくに大きく寄与した恐れがありながら測定ではなかなか補足できないやっかいな放射性希ガスが(キセノンと)クリプトンです。フクシマ後の現在、あまり使って欲しくない名前です。
 タイトルのマン・オブ・スティール(鋼の男)。あれだけのスピードでビルに衝突し(衝撃力を受け)、床・道路・大地をすべり(摩擦力を受け)続ければ、鋼でも軽く壊れ摩耗して消えてしまうと思うのですが…地球には存在しない元素が検出されたとかいってるのですから別の金属を考えた方がよかったのでは?

2013年9月28日 (土)

凶悪

 死刑囚から余罪を告白されその首謀者を告発する雑誌記者を描いた映画「凶悪」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午後2時10分の上映は7割くらいの入り。

 雑誌「明朝24」の記者藤井(山田孝之)は、上司芝川(村岡希美)の指示で編集部に手紙を書いてきた死刑囚のヤクザ須藤純次(ピエール瀧)に面会し、須藤から3件の殺人事件を告白され、全ての首謀者は自分が「先生」と呼んでいた人物であり、首謀者がのうのうと娑婆にいることが許せないと言われた。調査の結果「先生」と呼ばれる人物は不動産ブローカーの木村孝雄(リリー・フランキー)で、うち1件の被害者が行方不明でありその被害者の土地の周辺で「先生」と呼ばれる人物が売却に動いていたことがわかり、藤井は芝川に須藤の告白は信用できると報告するが、芝川は不動産ブローカーとヤクザが組んで人を殺しても当たり前すぎて記事にならないと却下する。あきらめきれない藤井は、須藤との面会を続け、1人で調査を続けるが…というお話。

 首謀者とされる木村の凶悪さの程度ですが、貸した金の返済を迫る時に借り主の首を締めやり過ぎて殺してしまった木村が知り合いのヤクザ須藤に助けを求めて死体を無事に処理してもらえたことから、味を占めたというのか、大胆になり、老人を殺してその財産を奪ったり生命保険金を得るという錬金術を編み出していくという経緯で、どちらかというと元は小心者の木村が須藤の力を背景に悪のりし暴走していくという感じです。そういう意味では、木村が絶対的な「首謀者」とも言いきれないように思えます。躊躇を見せない冷酷さは、木村にも備わっていますが、頭に血が上りやすく輪をかけて実力行使・暴力に躊躇しない須藤との組み合わせがことを悪化させていると読めます。木村の凶悪さを評価する際には、木村が2件目の殺人事件を思いつき計画する過程が重要なポイントになると思うのですが、この作品ではそこがあまり描かれていません。そこはもう少し丁寧に描写して欲しかったと思います。
 木村の犯行の凶悪さは、老人の命を金に換える錬金術というか犯罪ビジネスの性質にあると思うのですが、3件目の保険金殺人では多額の借金を抱えた家族が木村の誘いかけに承諾しむしろ殺人を求めているという点に考え込まされます。この作品では、藤井が認知症の母親(吉村美子)を抱えその世話に苦しみ繰り返し老人ホームに入れようと迫る妻(池脇千鶴)に曖昧な態度をとり続け、さらには妻から時々母親を殴っておりもう罪悪感も感じないと言われ、1件目の死体遺棄に関わりその後「事故」で植物状態となっている土建屋の妻が正直なところ死ぬのを待っている状態とつぶやく場面を入れることで、老人に対する(ささやかな?)悪意が社会一般に存在し他人ごととは言えないことを示しています。つまり木村の持つ凶悪さは、多くの人の心をも蝕んでいるかもしれず、またこの社会が内包しているのではないかという問題提起が感じられます。

 他方において、ある種小心者の側面を持つ犯罪者のそれほど大規模とも言えない(判明しなかった事件を含めると潜在的には大規模であるのかもしれませんが)一連の犯罪に「凶悪」というタイトルを振るのは、警察が気がつかなかった犯罪を雑誌記者が独自に調査してスクープしたことへの興奮と自己主張の強さ故でしょうけど、権力と闘ったり権力犯罪を暴くこととは無縁の部分で一個人の犯罪を暴き立てることに血道を上げる雑誌記者の自己満足が私には鼻につきます。映画では、ストーカー殺人事件の遺族への取材に行った藤井に対して、遺族が面白おかしく書くばかりで被害者のことなんて考えちゃいないと雑誌記者を批判する場面を入れることで、多少は問題意識を見せているということなのでしょうけれども。

 弁護士の目には、東京拘置所の受付後面会室に行くためのエレベーターに至るまでの1階の廊下の雰囲気が右側へのカーブも含め非常にリアルなのが感心しました。
 法廷も、証言台の位置が(裁判官側から見て)後方過ぎるんじゃないかなという点に違和感を持ちましたけど、全体としてはかなり本物の雰囲気を出しています。
 そういった刑事施設・裁判系のビジュアルの水準は高めの作品だと思いました。

2013年9月22日 (日)

ウルヴァリン:SAMURAI

 X-MENシリーズからスピン・オフしたウルヴァリンを主人公としたシリーズ第2弾「ウルヴァリン:SAMURAI」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、シネマスクエアとうきゅう(224席)午前11時50分の上映は3~4割の入り。

 自らの爪で誤って恋人のジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)を殺してしまい失意に暮れカナダで隠遁生活を送っていたローガンことウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)は、予知能力を持つ武道の達人の不思議な女性ユキオ(福島リラ)に連れられ、1945年に長崎で助けた男であり現在は日本の大実業家となり死の床にいる矢志田市朗(ハル・ヤマノウチ)に会いに行く。矢志田はローガンにおまえの治癒能力を自分に移しておまえはふつうの死を迎え自分は生き続ける双方にとってよいことだと伝え、ローガンはジーンを思い苦しむが、その後すぐ矢志田の死亡が伝えられた。矢志田の葬儀の席上、僧を装ったヤクザが矢志田の孫娘マリコ(TAO)を連れ去り、そのヤクザたちを矢志田家に仕える忍者たちが追う展開となり、ローガンはマリコを連れ去ったヤクザと戦い、マリコとともにマリコの故郷長崎に向かうが、持ち前の治癒能力が働かず、ヤクザに撃たれ刺された傷が治らず…というお話。

 登場人物が、最終的にはきれいにグループに整理されますが、途中の段階ではそれぞれの立場が錯綜して見え、ややわかりにくいかなと感じました。最後まで立ち位置を整理してみても、なお忍者グループの頭目のハラダ(ウィル・ユン・リー)がアダマンチウムロボットがローガンを襲うのを止めに入る理由はわかりませんでした。

 ローガンをめぐり、想い出の映像のジーン・グレイ、端整な顔立ちで剣の使い手ながらしとやかに振る舞うマリコ、武道の達人ぶりを発揮してローガンを度々助けに入るユキオの3人の女性が絡みますが、ユキオだけが結ばれません。私の目には美貌のしとやかに振る舞うお嬢様のマリコよりも、直情型で積極的なユキオの方がずっと魅力的に見えます。貧困のためにゴミあさりをしていて拾われて育てられたという出自に、庶民の弁護士としては好感を持つという面もあるかもしれませんが。
 そのあたり、ちょっと余韻を残すラストなんですが、エンドロール途中にいかにも続編作るぞという感じのこの作品の設定とはまるで無関係のエピソードが入って、その余韻が台無し。このエンドロール途中の予告編的な代物はない方がずっとよかったと思う。

 ミュータントの蛇女、最後結局どうなったのだろう。それまでの流れからしてあれくらいでは死んだように思えなかったのですが。
 矢志田家を守る忍者軍団。代々矢志田家に仕えていたというのなら、1945年の長崎でもローガンより先に忍者たちが矢志田を救ったはずじゃないんだろうか。

2013年9月21日 (土)

黒いスーツを着た男

 アラン・ドロンの再来と言われているイケメン俳優主演のサスペンス映画「黒いスーツを着た男」を見てきました。
 封切り4週目土曜日、全国2館、東京では唯一の上映館のヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(173席)午前10時40分の上映は1割くらいの入り。

 自動車ディーラー会社で修理工から成り上がり支配人を任され10日後には社長の娘と結婚する予定のアル(ラファエル・ペルソナ)は友人のフランク(レダ・カテブ)、マルタン(アルバン・オマール)と車の中でふざけ合っているうちよそ見をして歩行者をはねてしまった。アルは車から降りて様子を見るが被害者は倒れたまま動けない。フランクらに呼ばれアルは車に戻り、車は修理して売却し、何事もなかったように振る舞う。部屋の窓から事故を目撃したジュリエット(クロチルド・エム)は救急車を呼び、翌日、意識不明の被害者が入院中の病院を訪ね、被害者の妻ヴェラ(アルタ・ドブロシ)に事故の状況を伝える。被害者はモルドバからの不法移民で、アスベストが漂う危険な建設現場で働いていた。新聞のひき逃げ事件報道で被害者の入院先を知ったアルは密かに病院を訪ねるが、そこに行き会わせたジュリエットは、アルを見て目撃した犯人と気づき後を追う…というお話。

 交通事故をきっかけに積み上げてきた人生を失う男の物語という風情ですが、しょせんはひき逃げ犯のアルが、怖くて逃げてしまった、社長の娘との結婚を10日後に控えている、社長にも婚約者にも話せない、被害者とは会いたくない、金は払うというのを、「悪い人じゃない」といってジュリエットがかばい、しかも恋人がいて妊娠3か月のジュリエットがそのアルとHしちゃうというのは、イケメンは得だ、イケメンなら何でもありかと思ってしまいます。
 アルがジュリエットとHしたのは口封じかと思いきや、その後ジュリエットに付きまとってふられてしまうシーンもあり、婚約者がありながらアルが何考えてんだかという気がします。ジュリエットの対応は、そこはちょっとホッとしますけど。

 作品の流れ・イメージとしては、アルに金を要求するヴェラとその友人たちは悪役に見えますが、病院からは1日1500ユーロ(1ユーロ130円で換算して19万5000円)もの治療費を要求され、被害者は意識不明で収入がなく妻も行かなければすぐに解雇されるような不安定な仕事という状況で、要求した金額が初回8000ユーロ(同じく104万円)、被害者死亡後の2回目2万ユーロ(同じく260万円)の合計2万8000ユーロ(同じく364万円)。人が死んだケースでの要求としては、弁護士の目からは考えられないような控えめな請求。これが何か過酷な要求に見えるのは、やはりイケメンは正義、不法移民(モルドバ人)は悪い奴という意識、差別感のなせる技としか思えないのですが。
 フランスの保険制度のことはわかりませんが、日本で言えば、自賠責保険(強制保険)で死亡事故なら3000万円まで保険でまかなわれますので、保険を使えば加害者のアルも資金捻出のために不正行為に手を染める必要もなく、被害者・遺族ももっと賠償金を得られたわけで、どちらもハッピーな結果となるはずです。
 それができない事情は、ひとえにアルがひき逃げをしてしまい事故を隠蔽し続けようとするからです。それはあくまでも加害者側の勝手な事情で、それを被害者に押しつけるのは酷いことだと思います。その意味でも、本来的には、この事件ではもっと被害者側に同情が集まるような描き方をするのが公平だと思うのですが。
 交通事故の場合、よそ見運転でもそれは過失犯ですから、すぐに救急車を呼び警察にも通報して事故の申告をすれば、刑事事件としては罰金か執行猶予で済み、刑務所に行くことはほとんどない、そして民事の賠償も保険でまかなえるのが通常ですから、ひき逃げはむしろ割に合わないと、弁護士の感覚では思いますし、刑事政策的にもそういう認識を一般に広めることがひき逃げを防ぐために重要なはずでした。しかし、近年の「交通事故も重罰化」の中では、過失犯なら実刑はほとんどないとは、もうとても言えなくなってしまいました。そうすると、刑務所に行くのが怖いからそのまま逃げるというアルのようなパターンが増えるのでしょうね。

 原題の Trois mondes は、フランス語で「3人」の意味(ふつうの辞書的な訳だと「3つの世界」でしょうけど)。交通事故を起こしたアル、目撃したジュリエット、夫を事故で失ったヴェラの3人が事故を契機に人生が変わり巻き込まれていくという趣旨だろうと思います。邦題の「黒いスーツを着た男」は加害者のイケメン男に焦点を当てるもので、被害者側を対立者、向こう側の人間に感じさせるこの映画の描き方にあっているとも、それを原題よりも助長するともいえそうです。私は、原題の方がより中立感があると思うのですが。

2013年9月16日 (月)

スーサイド・ショップ

 自殺用品専門店を営む家族を描いたブラックユーモアアニメ「スーサイド・ショップ」を見てきました。
 封切り2週目月曜日祝日、全国3館東京では唯一の上映館ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)、台風東京通過後の午後3時30分の上映は5~6割の入り。観客の多数派は若者でした。

 人々が暗い顔をしてさまよい、公共の場所で自殺をすることが禁じられ、警官が自殺死体を見つけると違反切符を切る陰惨な都会で、自殺用品専門店を営み、確実に死ねる、死ねなかったら返金するといって、毒物や首つり縄、腹切りセットなどを売るデュヴァシュ一家。その経営者ミシマと妻ルクレスの間に産まれた赤ん坊のアランは、一家の伝統に反して、よく笑い、陽気な青年に成長する。死にたいと漏らしながら商売柄自分が死んではいけないと両親に諭される姉マリリン、死を売り物にすることに内心悩み精神科医に休養を指示される父ミシマらを尻目にアランは級友とある計画を進め…というお話。

 開始早々の多くの人が死にたいと思いさまよう陰惨な都会の様子は、昨日「日本の悲劇」を見ていたこともあり、ヨーロッパの中では自殺率(人口10万人あたり自殺者数)が高いフランスよりも自殺率が高い(近年ではフランスの約1.5倍)日本の近未来を、私に思い起こさせました。
 このアニメ上の都会では公共の場所での自殺が禁じられ、自殺者・自殺未遂者には違反切符が切られて、自殺未遂者は本人が罰金を取られ、自殺者の場合遺族が罰金を請求されるという設定です。自殺死体を見つけると、警察官はその場で切符を切って遺体の手に握らせ、遺体を放置したまま立ち去ります。
 こういった都会の陰鬱な姿と、自殺用品専門店の様子をブラックユーモアを込めて紹介する序盤は、変わった雰囲気もあり、興味を持って見ていられましたが、アランが生まれて以降のストーリーが展開していく部分は、エピソードが少なくひねりが足りず、間が持たない印象です。79分(1時間19分)の短い作品なのですが、それでも持て余して途中で眠くなりました。ストーリーで持たせるなら、あと2ひねりくらい必要だったんじゃないでしょうか。

 アランの父がミシマと呼ばれているのは、最初は単にフランス人にしては変な名前だと思っていただけですが、ミシマが体育教師の客に、校庭で自殺するなら切腹がいいと腹切りセットを勧め、その後も日本刀を振り回す様子で、あぁ三島由紀夫から取ってるんだと気がつきました。フランス人には、腹切り(HARAKIRIは、フランス人が読むと、日本人には「アハキヒ」に近い音に聞こえます)といえば、いまでもミシマなんですね。

 3Dで見ましたが、平面の人物が近くにいるか遠くにいるかくらいの画面、そりゃ立体的に見えてはいますけど、これを3Dにする意味は見出せませんでした。

2013年9月15日 (日)

日本の悲劇

 リストラされ妻子に去られた息子と2人暮らしの末期癌の父親が部屋にこもり飲食せずに死を図るという映画「日本の悲劇」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、台風接近に伴い新宿区には大雨・洪水警報が出される中、新宿武蔵野館スクリーン2(84席)は2~3割の入り。観客の大半は(天候の影響もあってか:デート日和とは言えませんから)一人客でした。

 肺癌で入院していたが余命3か月と宣告され手術を断って家に帰ってきた父親(仲代達矢)を迎えた息子義男(北村一輝)が布団を敷き、出前の寿司を用意したのに対し、父親は、もう寝ないからいいと言い、煙草をやめず焼酎を飲む義男にやめた方がいいと言い、見納めだからと顔を見つめた。翌朝、父親は部屋の戸を釘で打ち付け、ここから一歩も動かない、何も食べない、何も飲まないと宣言し、妻(大森暁美)の遺影を見つめながら、回想にふける。開けてくれと叫ぶ義男に対して、父親は、声をかけるのは毎朝1回安否確認だけにしてくれ、答えなくなっても開けずにその後半年か1年たって、おまえが働けるようになってから開けてくれと言い渡し…というお話。

 妻に先立たれ、リストラされ心を病んで長らく働かずにいて妻子にも去られた息子と2人の暮らしはどこかギスギスして気詰まり、そして自分は末期癌となれば、生き続けようという意欲も失われるというところ。男やもめ、父親と息子の2人暮らしって、そんなものなんでしょうね。
 長時間労働で妻からは家庭を顧みないと文句を言われていたのに、会社にリストラされ、それで心を病んで出奔・自殺未遂・精神科入院を経て退院してきたら妻(寺島しのぶ)は離婚届を父に託して子を連れて実家に帰っており、その日に母親が倒れて意識不明で4年間介護の後に死亡、母親が死んだら父親の体調が悪化し、そこへ東日本大震災に遭って実家に帰った妻子は行方不明、父親も肺癌とわかり入院という次々と義男を襲った不幸。いかにも現在の日本社会の状況をよく示していて、これだけ重なるかなぁとは思うものの、誰に起きても不思議はないリアリティがあります。こういう時代に社会保障給付を切り下げ、生活保護受給者を減らす方向の改革ばかり主張する人々が政権を取っていることで、この悲劇はこれからますます深刻に、日本の庶民にとってリアリティのあるものになっていくことでしょう。
 ただ、義男君、せめてリストラされたところで弁護士に相談して欲しかったなと、労働者側の弁護士としては、切にそう思います。よほど一方的に労働者側が悪いのでなければ、何らかの解決方法はあると思います。

 過去の幸せだった頃の回想のごく一部を除きモノクロで、シーンはすべて部屋のセット内で部屋のパターン3つ(台所、父親の部屋、台所方向から見通した廊下)、カメラの向きとの組み合わせでも5パターン(台所の奥からと廊下から、父親の部屋の父親の顔の正面と後方、台所方向から見た廊下)、登場人物は4人(+赤ちゃん)だけと、ものすごく倹約した撮影になっています。東日本大震災のシーンも、セットを揺らすこともなく音だけで表現し、揺れが収まったところから台所の映像が始まるという具合。テーマソングもバックグランドミュージックもなし。それはそれでできごと自体よりも感情・回想・内省に観客の注意を集中させる効果があるとは思いますが。

 「風立ちぬ」に引き続き、肺病を患う人の前で平気で煙草を吸うシーンが登場。ここのところ、「夏の終り」「タイピスト!」と立て続けに登場人物が次々と煙草を吸う映画を見続けて辟易しています。煙草会社から資金が出ているんじゃないかと疑いますが、それにしても、肺病病みの人の前で平気で煙草を吸うというデリカシーのかけらもない表現がこの時期に続くのはなぜかと思います。

 部屋にこもり、食事もせず水も飲まず寝ないで妻の遺影の前で正座して回想を続ける父親。義男の声かけが時間を追っている限りは(時間の逆転がない限りは)少なくとも丸3日間はそうしていたということになります。飲食はさておき、そんなに長時間寝ないで正座を続けられるものでしょうか。それと、部屋の中にトイレはないようですが、排泄はどうしたのでしょうか。

2013年9月14日 (土)

タイピスト!

 田舎町からパリに出て来て秘書になった少女が雇い主との恋と職のためにタイプ早打ちコンテストに挑むビジネス恋愛映画「タイピスト!」を見てきました。
 封切り5週目土曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午前10時の上映は1割足らずの入り。

 田舎町の商店の娘ローズ・パンフィル(デボラ・フランソワ)は、父親が進める縁談を断ってパリに出て、父親から保険会社を引き継いだルイ・エシャール(ロマン・デュリス)の秘書に応募し、1週間の試用期間で採用される。1週間後、不器用なローズは解雇を言い渡されるが、ローズのタイプ早打ちの才能を見抜いたルイは、ローズにタイプ早打ちコンテストに出るなら仕事を続けていいと伝える。ルイはローズを自宅に住み込ませてタイプの特訓をするが…というお話。

 ストーリーはローズがタイプの特訓をしてどんどん上達していき、コンテストで勝ち上がっていくという流れが中心ですが、作品としては、ルイに思いを寄せるローズと、ローズに魅力を感じながら素直になれないルイのラブストーリーの方が重きをなしているように見えます。
 タイプについては、我流の1本指打法で早打ちをするローズが、最初は10本指でのオーソドックスなタイピングを指導するルイに反発する展開で、おぉ1本指でコンテストに臨むかと思いましたが、そこはやはり通常のタイピングに矯正され、そりゃそうだと思うと同時に、少し残念。
 タイプ早打ちコンテストで、終了のブザーが鳴ると、選手は全員両手を挙げるのですが、そのしぐさと表情が意外に表現力豊かな感じ。直前まで真剣な顔してたのが一気に緩む落差に女優たちの魅力がにじみ出るように感じられました。

 恋愛ドラマとしては、ルイの設定がやや複雑。幼なじみのマリー(ベレニス・ベジョ)とつきあっていてお互いに結婚を考えていたところにフランスがドイツに占領され、ルイはマリーを未亡人にしたくないとマリーに黙って戦場に行き、その後レジスタンスを続けていたが、終戦直前にドイツ軍に踏み込まれ目の前で仲間を次々と殺される中を逃走して生き延び、仲間を助けられなかった悔恨に暮れる。他方、マリーはノルマンジー上陸作戦で間違って小屋に落ちたパラシュート部隊のボブ(ショーン・ベンソン)と結婚。ルイは近隣に住むボブと親友になるが、マリーへの思いも断ち切れないでいる。
 こういうルイのマリーへの未練と、自分が人を救えるのかという自信のなさ、愛する人を幸せにするために身を引くという行動スタイルが、ルイを前に進ませず、ローズとの関係に紆余曲折を生じさせます。それが、ストーリーの綾をなすのですが、ローズの一途さ、明るさ、映画全体の明るさの中では、違和感もあります。フランス映画で、ミッキーとミニーみたいな明るく軽いラブシーンは似合わないでしょうけど、もう少しルイを明るくしてもよかったかなと思います。

 原題は Populaire 。フランス語で、「庶民の」、「大衆的な」と、「人気のある」の2つの意味がある形容詞ですが、田舎娘が人気者になったということで、その両義でしょうか。

2013年9月 8日 (日)

夏の終り

 瀬戸内晴美(現瀬戸内寂聴)の自伝的恋愛小説を映画化した映画「夏の終り」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、テアトル新宿(218席)午前11時20分の上映は3割くらいの入り。

 妻子ある作家小杉慎吾(小林薫)と不倫関係を続けて8年になる相澤知子(満島ひかり)を、ある日かつて知子が好きになり夫と別れる原因となった男木下涼太(綾野剛)が尋ねてきた。その日は知子が留守で涼太は慎吾に応対されてそのまま帰ったが、風邪を引いて寝込む知子を置いて慎吾が妻の元へ帰った正月、知子は涼太を呼び出す。知子からそのことを聞いても、楽しかったかいと聞くだけの慎吾を尻目に、知子は涼太との関係を続け、慎吾がいる夜にも家を抜け出して涼太の家に泊まるようになる。しかし、涼太に帰らないように求められると、知子はあんたにはわからないと涼太を拒否し…というお話。

 共に過ごした8年の歳月を愛じゃなくて習慣になったと言いつつも慈しむ思いを持ち、しかしその相手が妻と別れる気配もないことに時に苛立ち、かつての愛と情熱を燃えたぎらせながら、その相手の性急さ狭量さにまた苛立つという、どちらにも満足できない知子の揺れる思い、焦燥感、悲しみがテーマとなっています。
 一見鷹揚に2人だけで飲んだりしている(そのシーンは映像としては出て来ませんが)慎吾と涼太ですが、涼太は知子に慎吾の態度は愛じゃないと言い、慎吾は涼太について他人のものばかり欲しがる男だと言います。涼太は知子に電話で泣きすがり、慎吾は知子に死にたいと言い募ります。知子も嫉妬に駆られ取り乱すシーンもありますが、恋する男たちのふだんは取り繕い取り澄ましながらも、きれいごとですまない見苦しい様子が、見どころになっていると思いました。

 現在と回想シーンが入り交じって展開しますが、回想シーンであることがはっきりとは示されないので、ちょっとストーリーを追いにくいように感じます。
 慎吾と知子が知り合うシーン、自信を失っていた作家が居酒屋で看板まで飲んでいて店の従業員の知子から女1人で生きる辛さを愚痴られ、他方で作品読んでます、先生は才能がある、もっと書いて欲しいと言い寄られ、旅行に行こうという流れになります。腕一本にかかっている作家という仕事をしていると、自信をなくしているときには特に、心のよりどころになる理解者が欲しいでしょう。そういう心の隙間に入り込まれると、溺れることもあるでしょうね。分野は違えど言論で勝負する場面が多い仕事がら、見ていてさもありなんと思ってしまいました。

2013年9月 1日 (日)

スター・トレック イントゥ・ダークネス

 2009年の映画「スター・トレック」の続編「スター・トレック イントゥ・ダークネス」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ2(588席)午前10時40分の上映は5割くらいの入り。

 未開の惑星の調査中に火山の大噴火を察知してその沈静化作業に火口に飛び込んだスポック(ザッカリー・クイント)を救出するために規則を破り宇宙船を原住民に見られ危険にさらした艦長ジム・カーク(クリス・パイン)は、スポックが規則違反を報告したため艦長職を解かれてしまう。ロンドンの基地でデータ保管庫が爆破され、その対策のためにサンフランシスコの本部に全艦長・副艦長が集められた会議の場が襲撃され、カークの慕うパイク提督(ブルース・グリーンウッド)らが殺害された。議長のマーカス提督(ピーター・ウェラー)は、カークに、敵対するクリンゴンの支配地域内の惑星クロノスに逃亡した犯人のジョン・ハリソン(ベネディクト・カンバーバッチ)をクリンゴンの支配領域外から魚雷を発射して殺害することを指令し、カークは副艦長にスポックを指名して任務に就いた。スポックからハリソンの殺害は規則違反であることを指摘され、クルーの前でハリソンを逮捕して地球に連行すると宣言したカークは、ハリソンの生命指標を追ってクロノスに侵入したところをクリンゴンの艦隊に囲まれたが、そこに単身現れたハリソンはクリンゴン人を撃退した上でカークに投降する。宇宙船USSエンタープライズの留置室内でハリソンはカークに意外な話をし始め…というお話。

 直感で行動し時に規則を無視するし艦を離れてすぐ前線に飛び出してしまうものの艦長が板についてきたジム・カークと、規則に基づいて意見し続けるものの恋人もできカークへの友情にジンときてしまうスポックの、少し円熟味のでたチームワークが作品全体を通じて安定感をもたらしています。
 カークとスポックらUSSエンタープライズ側だけでなく、敵対者も含めて、自分の仲間への友情が重んじられ優先され、そこがストーリーとしても大きなポイントになります。その意味で、「人類最大の弱点は、愛だ」というキャッチコピーはミスリーディングに思えます(もっとも、考えてみたら、USSエンタープライズ側でもスポックはバルカン人と地球人のハーフで地球人とは違うという設定ですから、ここでいう「人類」にはもともと宇宙人も含まれているのかもしれませんけど)。

 事件の真相についても、真の悪人はどういう人物でどこにいるか、戦争をしたがっているのは誰でそういう連中はどういう手口を用いるか、近時の政権と世相を背景に示唆的に思えました。
 「イントゥ・ダークネス」のタイトルは、今ひとつわかりませんでした。戦争をしたがる悪人の腹黒さ・心の闇が Darkness なんでしょうか。

 SFアクションとしても迫力のある映像は見応えがありますし、いろいろな点で、映画見たなぁという気持ちになれる作品かと思います。

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