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2013年7月

2013年7月28日 (日)

31年目の夫婦げんか

 代わり映えのない日常を変えたいと思った妻が申し込んだ滞在型カウンセリングに振り回される夫婦の回春ラブコメ「31年目の夫婦げんか」を見てきました。
 封切り3日目日曜日、全国15館、東京で3館の上映館の1つTOHOシネマズシャンテスクリーン1(224席)午前10時20分の上映は8~9割の入り。観客の多数派は中高年層。

 税理士のアーノルド(トミー・リー・ジョーンズ)とブティック勤めのケイ(メリル・ストリープ)は、結婚31周年を迎え、子どもたちも独立し、2人暮らしで代わり映えのない日々を送っていた。アーノルドが腰を痛めたのを機に寝室もともにしなくなり、5年近くセックスレスで、アーノルドの趣味はゴルフ番組だった。ある夜、意を決して「今日はしたい」とアーノルドの寝室を訪れたケイは、「今日は気分が悪い」と断られ、夫との関係を変えたいと思い、結婚カウンセリングの本を買い込み、その著者のカウンセラーバーナード・フェルド(スティーヴ・カレル)の滞在型カウンセリング1週間4000ドル也を申し込む。勝手に申し込んだことに腹を立てたアーノルドもケイに押し切られて渋々参加したが、夫婦の秘め事への質問や度々出される「課題」にアーノルドは反発し…というお話。

 スキンシップやときめきを求める妻と、22歳じゃないんだからそんなことやってられない、浮気もしていないし文句を言われることもないという夫のすれ違い。アーノルドの場合、妻がいやになっているわけでもなく別の女がいるというのでもないんだから、セックスレスだとしても、時々いちゃついてスキンシップを図ればいいのにと、私は思うんですが、「照れ」なんでしょうか。こういうケース、日本の中高年夫婦の方がよく見られるんじゃないかと思います。
 アーノルドの場合がどうかは今ひとつわかりませんが、年をとればだんだん体がいうことを聞かなくなってくるわけで、きちんとできなくなっていくでしょうし、いつかはできなくなるのですから、いちゃつき自体の楽しみ(ときめいたりほっこりしたり)を共有しておくことはけっこう大切な感じがします。

 男の生理と心理もけっこう繊細(センシティブ)なところがあって、さまざまな要素で萎えちゃうことはあるわけで、ケイが決定的に切れるシーン、そう悪意に決めつけるのはどうかと思いました。そもそも使わなければ機能は衰えるものですから、5年近くセックスレスで来て、しかも年も年だし(役柄上の年齢ははっきりしませんが、トミー・リー・ジョーンズの実年齢で見ると66歳)、スムーズにできると期待する方が間違ってると、私は思うのですが。
 他方、アーノルドがセラピーで妻とやりたかったけどできなかったことを聞かれて、3Pを言い出し、隣のキャロルと3人でやってみたかったと答えたとき、私はそこでケイがぶち切れるかと思ったのですが、そこは意外にあっさりスルーされました。現実に浮気したという話ではないからかもしれませんが、そっちには意外に寛大。

 64歳のメリル・ストリープ、黒縁細身のメガネで口角を上げる表情が、なんというか、かわいい(*^_^*)

 アーノルドがカウンセラーを評して、円満な夫婦に問題を起こさせて儲けている、「弁護士より悪質だ」って。やっぱりアメリカでは弁護士は嫌われているというべきか、セラピストよりはましと評価されたのをよしとすべきか…(-_-;)

2013年7月27日 (土)

クロワッサンで朝食を

 85歳のジャンヌ・モロー主演のヒューマンドラマ映画「クロワッサンで朝食を」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国2館、東京で唯一の上映館シネスイッチ銀座スクリーン1(273席)午前10時の上映は8割くらいの入り(1階席はほぼ満席)。上映開始30分前に行ったのに既にチケット売り場前には長蛇の列。観客の大半は中高年層でした。

 エストニアで2人暮らししていた母を看取り1人になったアンヌ(ライネ・マギ)に、パリにいるエストニア出身の女性を世話する仕事が持ちかけられた。パリに憧れていたアンヌは、これを受け、夜パリに着き、鍵を渡され、簡単な引継を受けるが、朝になり、アンヌが朝食を持って部屋を訪れるなり、件の女性フリーダ(ジャンヌ・モロー)は、朝食はいらない、家政婦などいらない出て行けという。アンヌに世話係を依頼したステファン(パトリック・ピノー)は、フリーダの昔の愛人で、今はフリーダの出資でカフェを経営し、ときおりフリーダの元を訪れていた。ステファンに、フリーダは朝食にはクロワッサンと紅茶しか摂らないと言われ、あきらめるなと激励されたアンヌは、クロワッサンを買って翌朝フリーダに出すが、「プラスチックを食べさせるつもり?おいしいクロワッサンは、スーパーじゃなくてパン屋で買うものだ」と言われる…というお話。

 役者の格から言って、ジャンヌ・モロー主演なんですが、ストーリーはアンヌを中心に展開します。
 12年前に離婚した飲んだくれの元夫につきまとわれて適当にあしらい、2年前から勤務先の介護施設を退職して老母の介護に専念していたら母親も死に、葬儀に駆けつけた息子と娘にゆっくり話したいと言っても子どもたちにはすぐに帰らないといけないと言われ、孤独感を募らせるアンヌ。序盤はその流れを雪深いエストニアの灰色の背景で描き、閉塞感・喪失感を募らせます。そこから憧れのパリに場所を移しますが、対照的にカラフルな映像を配するのではなく、雪はなく、凱旋門やエッフェル塔といった観光地を撮しながらも、色を抑えめにし、アンヌが散歩する夜のパリの通りを中心に地味目の映像を続けて、穏やかな幸福感・好奇心という感じの心情へと移していきます。そのあたりが、ちょっと巧い。
 エッフェル塔の前で写真を撮る観光客に囲まれひっそり通り過ぎるアンヌ、ルーブルには行ってみたいとアンヌが言うとパリッ子はそんなところへは行かないと言い放つフリーダ、そのフリーダもエストニア出身で引きこもり状態と、エストニアとパリの間でフリーダ、アンヌの間合い、アイデンティティが微妙に映し出されます。
 原題の Une Estonienne a Paris は、パリにいる1人のエストニア人(女性)。フリーダを指すのか、アンヌを指すのか。たぶん両方なんでしょうね。

 その2人の主人公と別に、男性客には、ちょっと気になるステファンの立ち位置。若い頃に愛人関係にあり、出資してもらいカフェを持たせてもらった今は年老いたパトロン女性とどうつきあっていくべきか。ステファンは、別の女性との関係を繰り返しながら、フリーダを見捨てることもできずに、家政婦を世話し続け、時々様子を見に訪れるという状態を保っています。その状態で、家政婦が気に入らない、もっと会いたいと言われたとき、どうするか、いつまで続けるか。道徳観からも人情からもなかなかに難しい問題だと思います。

 ストーリーは比較的シンプルで、過去に周囲といざこざを起こし、パリでのエストニア人社会との交流も絶ち心を閉ざす孤独な老人と、その心を開かせようと試行錯誤する同郷の家政婦の心の交流を描いたものです。それぞれの場面での心情はよく描かれていますが、ストーリーとしてはもう少しあれこれあってもよさそうに思え、95分の作品ということもあり、ラストには、えっこれで終わり?という思いが残ります。ヨーロッパ映画にありがちなパターンではありますが。
 フリーダに「最後にセックスしたのはいつ?」と聞かれて「私は好きな人としかしないから」と答えていたアンヌ。ステファンとHしちゃったのかどうかが気になりました。

2013年7月21日 (日)

風立ちぬ

 宮崎駿監督作品「風立ちぬ」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、TOHOシネマズ渋谷スクリーン3(297席)午前11時50分の上映は満席。宮崎駿監督作品のブランドイメージは衰えず。ジブリのと言うよりは、日本アニメ映画興行界の絶対の切り札というところ。宮崎駿監督作品と聞けば、「見ねば。」ですね。

 少年期から飛行機に憧れ、イタリアの飛行機設計技師カプローニに憧れていた堀越二郎は、東京帝大で航空機の設計を学び同級生の本庄とともに三菱(後の三菱重工)に就職し、陸軍・海軍からの注文を受けて戦闘機の設計に従事する。二郎は、休暇で訪れていた軽井沢のホテルで、関東大震災の際に危急を助けた令嬢里見菜穂子と再会し、婚約するが、菜穂子は結核にかかっていた。軽井沢のホテルで親しくなったナチスに愛想を尽かして出国したドイツ人カストルプとの関係を疑われて特高に目をつけられた二郎は、上司の黒川の家の離れに隠れ住まい日夜仕事に明け暮れるが、高原の病院で結核を治すとして入院していた菜穂子が病院を抜け出して二郎の下を訪れる。二郎はそのまま菜穂子を帰さず、黒川夫妻を媒酌人に密かに祝言をあげるが…というお話。

 公式サイトに掲げられた宮崎駿監督の企画書には、「飛行機は美しい夢」と題して「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたい」とあります。
 戦時中に軍の注文で戦闘機を設計していた技術者を描いて、本人の気持ちの中では美しい飛行機を作りたかっただけとして、技術者・職人の心意気のような部分だけを取り出して美化することには、私は疑問を持ちます。
 本庄が二郎に語る言葉に、俺たちは武器商人じゃない、ただ美しい飛行機を作りたいだけだというのがありましたが、爆撃機を作りながら(本庄は爆撃機担当)そういう言い方が許されるのであれば、核兵器の設計・製造をする技術者は自分は美しい爆弾のフォルム(形態、形状)を追求しているだけだとか言えば、サリンを製造する技術者は自分はより純粋な化学物質の精製を追求しているだけだと言えば、良心の呵責を免れあるいは技術者としての賞賛を得られることになるでしょう。
 本庄が、三菱が戦闘機を受注する金で日本中の飢えた人々を救えるがそれでもその金が戦闘機に使われるから俺たちの仕事があると言ってみたり、二郎の夢の中でカプローニが飛行機は殺人のためにも使われるが自分は飛行機がある方がいい(飛行機の話をしながらなぜか「ピラミッドがある世の中とピラミッドがない世の中」という問いかけ方をしていますけど)と言うように、貧しい人々の救済・福祉をせずにその金で先端技術(実際には多くの場合軍事技術)の開発を行うことの是非が問いかけられ、技術開発の優先が選択されます。そしてその後の展開では、その選択で切り捨てられた側への目配りや悩みは見られません。問題提起をしているのならば、その後の挫折の中で悩みなり後悔が表現される場面があってしかるべきだと、私は思うのですが。
 現代では、さまざまな分野で、特に核兵器開発や原発の推進などをめぐって、科学者・技術者の良心が問われています。兵器に使われることを知りながら開発すること、危険性を知りながらそれを隠して推進することに、批判の目が向けられることが増えています。そこにあえて目をつぶり、技術者としてより美しい合理的な技術を開発したかったと言えば(本人はそう思っていれば)それで免責され技術者として賞賛されるというのは、ヒロシマ、チェルノブイリ、フクシマを経た今、私ははっきり間違いだと思います。
 宮崎駿監督は、夢は狂気を孕む、その毒は隠してはならないとも述べています。より正確に引用すると、企画書には次のように書かれています。「私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。」 しかし、この映画では、二郎の「挫折」は言葉だけで、二郎の人生自体が美しく讃えられるべきことを印象づけています。公式サイトやポスター、宣伝類のあらゆる場面で「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。」と記載されています。この映画は、私には堀越二郎の戦闘機開発にかけた熱意と人生をほぼ無条件に讃えているとしか思えません。

 堀越二郎と菜穂子の関係ですが、ただ結核患者を隔離して死ぬのを待っているとしか思えない高原の病院に送り込んだのはまぁ実情を知らなかったのだと解釈するとしても、同居してから病床の妻を置いて早朝から夜更けまで会社で仕事を続け深夜に帰宅した後も仕事を続けながら結核患者の妻と同室で煙草を吸う(その後、黙って高原の病院に戻った妻のその後は描かれませんが、呼び戻しはしなかったということでしょう)家庭を顧みないワーカホリックの姿はどう考えるべきでしょう。戦時中の条件を前提にすればそういうものだったかもしれません。しかし、あえてそれを今映画化するときに、それはどういうメッセージになるのでしょう。そういった関係を美しい愛と描くのはいかがなものかと思います。

 二郎の夢に登場するカプローニの言葉で、創造的な生活はせいぜい10年だというのがあり、カプローニはだからもう引退すると言っています。監督生活35年に及ぶ宮崎駿監督がこの言葉を言わせた心情はいかに。

 絵としては、森などの緑系の美しさはさすがです。二郎が設計した戦闘機が墜落して(その時点では墜落は描かれていませんが)軽井沢に向かう電車が、私にはとても美しく見えました。カストルプが食べる山盛りのクレソンが、ポパイのほうれん草みたいでユーモラスです。
 予告編がひと渡り終わり、最後にいつものうっとうしい「No more 映画泥棒」が終わった後、東宝のロゴマーク、ジブリのロゴマークが続き、当然に本編が始まると思ったところで、ジブリの次回作・高畑勲監督の「かぐや姫の物語」の予告編が始まり、しらけました。その後、もう一度同じく東宝のロゴマークとジブリのロゴマークが続いて、さすがに今度は本編ですが、なんかあ~あという気持ちで入りました。

2013年7月20日 (土)

パリ猫ディノの夜

 昼と夜で2組の飼い主の元、違った顔を見せる猫をめぐる冒険を描いたアニメ「パリ猫ディノの夜」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国唯一の上映館新宿ピカデリースクリーン10(115席)午前11時30分の上映は、この日から先着1000名に特製ティースプーンの入場者プレゼント付きで4割くらいの入り。観客の多数派は女性客でした。

 ギャングのヴィクトル・コスタに警察官だった父親を殺されて失語症になった少女ゾエは、警察官でコスタを追いながら連続宝石泥棒の捜査に追われている母親のジャンヌと家政婦のクロディーヌとともに暮らしていた。しかし、ジャンヌは仕事で忙しくゾエをかまってやれず、ゾエはトカゲをくわえて訪れる猫ディノに癒される日々を過ごしていた。ある日、ディノが持ち帰ったダイヤモンドがあしらわれた魚のブレスレットを見たジャンヌはそれを怪しみ、ゾエは夜窓から出て行くディノの後をつける。ディノが夜別の家で若い男ニコにかわいがられているのを知ったゾエは、うちに帰る途中、次の犯行の打ち合わせをしているコスタに見つかって逃げるが…というお話。

 絵の美しさや迫真性、細部の描き込みを競うアニメ・CG映画の多い中で、あえてマンガっぽい粗くてぺったりした絵で作っているのが印象的です。絵本というか紙芝居が動いているようなイメージ。
 さらにいえば、2010年の作品のフィルム上映ということもあってか、最初の方、画面の左側で流れ星が流れるような画面のノイズもありました。
 そのあたりが、かえって新鮮な感じもしますし、味わいがありました。

 ディノがくわえてきたトカゲを帰ってきた母親に見せようとするゾエに対し、ジャンヌは部下からの電話にかまけてゾエの方も見ないで、ゾエは部屋に閉じこもってしまう。ゾエの部屋に行き、さっきはごめん、何を見せたかったのと聞くジャンヌに対して、ゾエがトカゲを見せると、気持ち悪いといって放り投げるジャンヌ。う~ん、ありがちな母娘関係で、ゾエが悲しむ様子が身につまされます。
 そして、ディノが通る度に吠えついて飼い主から、うるさいとスリッパをぶつけられる隣家の飼い犬リュフュがかわいそう。アニメではありがちないじられキャラではありますが。
 コスタが狙う秘宝「ナイロビの巨像」が笑えます。

2013年7月15日 (月)

ワイルド・スピード EURO MISSION

 ど派手なカーアクションで売るワイルド・スピードシリーズの第6弾「ワイルド・スピード EURO MISSION」を見てきました。
 封切り2週目月曜日祝日、TOHOシネマズ有楽座(395席)午前10時の上映は…わりと入っていたような気がするけど忘れてしまいました。日がたってしまったので(^^ゞ

 リゾート地で平穏な日々を過ごすドミニク(ビン・ディーゼル)の元へ、宿敵のアメリカ政府捜査官ホブス(ドウェイン・ジョンソン)が突然現れ、国家機能を麻痺させるテロを計画して必要な装置を集めているショウ(ルーク・エバンス)の陰謀の阻止のための協力を求めた。ホブスは一味の中に死んだはずのドミニクの恋人レティ(ミシェル・ロドリゲス)がいることを指摘し、協力の対価として全員の恩赦を約束した。ドミニクは妹のミア(ジョーダナ・ブリュースター)と結婚し父親となったばかりのブライアン(ポール・ウォーカー)らとともに、ショウのアジトを襲うFBIに帯同し逃走するショウを追跡するが…というお話。

 カーアクションは、ショウの追跡、ドミニクが見つけたレティと繰り広げるレースで、比較的ふつうに展開し、その後、ショウが狙うパーツの争奪戦に登場する戦車との戦闘、ショウが逃走のために用意した飛行機(輸送機)にワイヤーをかけて引きずりながらの疾走とエキサイトしていきます。前作で、巨大な金庫を引きずり振り回しながらの追跡・戦闘がクライマックスとなった名残か、この作品ではチタン製超強力ワイヤーが要所で登場します。
 この作品では、カーアクションが売りなんですが、どちらかというとアクションよりも、ドミニクの自分たち仲間は家族だ、家族を見殺しにしないという信条とそれをめぐる葛藤がテーマというか見どころになっているように思えます。特に敵方に回っているレティとの対峙の場面などでのドミニクの悩ましい表情が渋くて痺れる。
 もっとも、そういいながら、絶対的な主人公のドミニクとブライアン、ドミニクの妹でブライアンの妻のミアは守られますが、この作品で仲間のジゼル(ガル・ギャドット)は死に、予告編と思われる東京でのカーアクションシーンでジゼルと東京に行って暮らそうといっていたハン(サン・カン)も死にますので、意外に仲間は守られない印象ですが。(もっとも、この作品では死んだことになっていたレティが生きていたということになって登場していますから、ジゼルやハンが復活しないとはいいきれませんけどね)

 最初の方の、ホブスが現れるシーンで、ドミニクと同棲していた新しい恋人(名前も出なかったなぁ)が、最初はホブスに拳銃を突きつけていたのに、ホブスがレティの写真を示すと、悩むドミニクに、行きなさいよと勧め、子どもができたばかりの夫ブライアンに対して妻のミアがレティを探しに行けと勧めます。ふつうなら危険だから行かないでくれというはずのところが妙にものわかりがいいというか、ノリがいいのはこの作品の性質でしょうか。

 それにしても、公式サイトの情報のなさは、あきれるほど。ほんと、何も書いてないに等しい。なんだかんだで見てから書くまでに5日もたってしまったので、思い出しながら書くのに、全然使えなかった…(-_-;)

 次回作は舞台が東京と予告されているのですが、果たして東京の中心部でど派手なカーアクションのロケが可能なのか、そちらの方が気になるところです。

(2013年7月20日記)

2013年7月14日 (日)

劇場版銀魂完結篇 万事屋よ永遠なれ

 週刊少年ジャンプ連載マンガ・TVアニメ「銀魂」の映画化第2弾「劇場版銀魂完結篇 万事屋よ永遠なれ」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ1(1064席)午前11時30分の上映は5%足らずの入り。前作で大行列を見て上映館を増やしたのでしょうね。ラフ画入りのメモ帳冊子に映画にも登場のS(人間:沖田)とM(豚:土方)と三角木馬(馬:近藤)の三位一体フィルムを挟んだ入場者プレゼント付きでこのガラガラさ加減は、ほとんどどんな映画でも空いてる新宿ミラノ1ということを考えても悲惨。まぁ私は空いてる方がいいからそれでいいんですが。

 映画泥棒/時間泥棒により5年後の江戸にタイムスリップし周囲からは坂田銀時に見えない姿にされた坂田銀時は、クールになり成長した新八と神楽がそれぞれに万事屋を名乗っていがみ合う姿を見、5年前に自分が失踪し江戸には白詛(びゃくそ)と呼ばれる致死率が高い疫病が蔓延して、金持ちは宇宙に脱出し、地球に残るのは貧しい者とこれを機に政府を潰そうとする攘夷志士、法の緩みを利用するゴロツキ、逃げるのが性にあわない頑固者だけになっていたことを知らされる。白詛の正体が人造の兵器で15年前の攘夷戦争の敵の生き残りが元凶とにらんだ銀時は、その相手魘魅(えんみ)を探しだし斬りかかるが…というお話。

 マンガかTVアニメか、あるいは映画の前作のどれも見ていない人(私はマンガもTVアニメも見てません。映画だけ見ました)には、お薦めできない映画です。基本的に、おなじみのキャラが5年後の江戸ではこう変わっていて(多くは荒んでたりやつれてたりの方向。神楽は萌えるファンがけっこういるかも)、そのギャップに一喜一憂し、終盤で闘いに飛び込みながら活き活きとし出す様子を見て、またギャップを楽しむという風情の作品です。だから、もともとのキャラを知らないとその楽しみが味わえません。そして前作もそうですが、かなり多数のキャラが登場する原作のファンサービスのために中盤から終盤にかけて多数のキャラが入り乱れ、やはりもともとある程度キャラになじんでないと誰が誰やらわからなくなります。
 私の趣味としては、エリザベスがキン肉マンみたいになっているのが哀しかった。トシ(土方)&エリーのマヨ友達のシーンは気持ち悪くも笑えましたが。

 最初の映画泥棒と場末のポルノ映画館ネタは、あまりに引っ張りすぎでだらけました。最初だけは、映画ファンのほとんどが、映画本編前に強制的に見せられる「No more 映画泥棒」の警告フィルムにうんざりしているところを捉えて、溜飲を下げさせてくれますが、だらだらと続け繰り返されると眠くなります。もともとゆるいギャグ系でテンポはよくないのですが、ガラガラの映画館で見ていると、間延びとすべりが冷え冷えと感じます。こういう映画の場合は、満員状態で見た方がいいかも。

2013年7月13日 (土)

モンスターズ・ユニバーシティ

 2001年のピクサーアニメ「モンスターズ・インク」の前日談、マイクとサリーが怖がらせ屋としてモンスターズ・インクで働くまでを描いた映画「モンスターズ・ユニバーシティ」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、シネマスクエアとうきゅう(224席)午前11時の上映は1割くらいの入り。公開初週末2日間の動員60万人超、興行収入8億円超という2013年最高のオープニング興行成績のこの作品が、土曜の午前中、2D吹き替え版というハンデがあったとしても、このガラガラぶりは、空いてる映画館好きにとって新宿ミラノがいかにお得かを示しているといえましょう。

 幼い頃から怖がらせ屋に憧れていたマイク・ワゾウスキは、猛勉強の末、名門のモンスターズ・ユニバーシティ怖がらせ学部に入学した。身体能力と容貌のハンデを勉強で乗り越えようとするマイクは、名家の出でうなり声の才能を過信するサリーことジェームズ・P・サリバンとそりが合わない。ある日、マイクは、ナイト教授の授業に現れたハードスクラブル学長から、「あなたは怖くない」と評価され、一つ覚えと評価されたサリーともども怖がらせ学部を追い出されてしまう。怖がらせ屋への夢をあきらめきれないマイクは、大学主催の「怖がらせ大会」で優勝して怖がらせ学部への復帰を認めさせようとするが、6人組の団体戦のためメンバーさえ足りなかった。そこに現れたサリーも入れて急ごしらえで作ったチーム「ウーズマ・カッパ」ははみ出し者の混成チームで、他の参加チームから笑いものにされるが…というお話。

 チビで身体能力に欠け、容貌にも恵まれず(かわいすぎる!)、そのハンデを猛勉強で獲得した知識で補って戦い続けるマイクの「あきらめない物語」が、メインテーマですが、いろいろ共通点を感じる私にはしみじみします。
 これと、もう一人の不器用で憎めないサリーとの友情物語、怖がらせ屋としての才能に欠ける混成チーム「ウーズマ・カッパ」のメンバーをマイクがなだめすかし個性を活かし自信を持たせて勝ち抜いていく落ちこぼれ成長物語の側面が合わさり、ふつうに素直に感動できる作品に仕上がっています。

 モンスターズ・インクとのつながりでは、モンスターズ・インクでは性格の悪いライバルとなるランドールが最初は自信のないかわいげのある新入生だったのがちょっと印象的。終盤でほとんどどさくさ紛れにロズを登場させたのはファンサービスでしょうか。
 エンドロールの後、若干のサービスがあります。それにしても、ナメクジは速いのにカタツムリはとんでもなく遅いのはなぜ?
 最初に上映される短編アニメ「ブルー・アンブレラ」もあわせて、ピクサーの自己主張が強すぎる構成になっているように感じました。

2013年7月 7日 (日)

さよなら渓谷

 紆余曲折を経て同棲するレイプ事件の被害者と加害者の屈折した関係を描いた映画「さよなら渓谷」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、全国14館東京2館の上映館の1つ新宿武蔵野館スクリーン1(133席)午前10時45分の上映は8~9割の入り。

 ひなびた渓谷の地に住む尾﨑俊介(大西信満)とかなこ(真木よう子)は、隣の子どもが殺害された事件で実母立花里美(薬袋いづみ)が逮捕された後、俊介が里美と不倫関係にあり子どもが邪魔になったのではないかと警察に疑われ、押し寄せるマスコミの記者たちの追及を受ける。俊介は容疑を否認して帰宅したが、かなこが警察に俊介と里美の密通を申告し、俊介は逮捕される。俊介の過去を調べ始めた週刊誌記者渡辺(大森南朋)と小林(鈴木杏)は、俊介が学生時代に起こした集団レイプ事件の被害者水谷夏美が就職後婚約者に事件がばれて破談となり勤務先にいられなくなり退社しその後結婚したが夫から暴力をふるわれ2度にわたり自殺未遂をした上失踪していることをつかんだが…というお話。

 レイプ事件を背負い婚約者からは婚約破棄された上に職場に噂を流されて退職に追い込まれ、その後事情を知って結婚した夫からは不貞を疑われ強く迫られれば誰にでも体を開くのか大勢でやられるのがいいのかなどとなじられて殴りつけられ、離婚して自殺未遂をし…と傷つけられ続けた夏美が、加害者を怨み、「私より不幸になってよ」「私が死ぬことであんたが幸せになるなら私は絶対に死なない」などとなじるのは理解できます。
 またそう言われた俊介が精神的に金縛り状態になり、反論はもちろん何を言われてもされても抵抗できない状態になることも理解できます。そうならないで開き直ったり逆ギレする輩の方が多いかもしれませんけど。
 しかし、紆余曲折を経たとしても、何度も傷つけられてきた被害者が加害者と抱き合いセックスする、被害者が加害者に欲情するというのは、私には理解できません。それは、私が加害者・被害者をステレオタイプに押し込めているということなのか、この作品がレイプ被害者の心情を理解せず歪曲しているということなのか。いろいろなケースがあるだろうという主張なのでしょうけれども、また人間の性格も心情もさまざまですからそういうことが絶無ではなくあり得るのかもしれませんが、えてしてそういう紹介は加害者側の言い訳に用いられ過大評価されていく傾向にあります(いやよいやよも好きのうちなる言葉が果たしてきたように)。
 人間の複雑さ、時を経ても気持ちを整理できず様々な感情に翻弄される夏美の容易ならぬ心情は、真木よう子のさまざまな表情だけでも表現されているとは思いますが。

 事件当事者の自宅前に押し寄せ、被疑者のみならずその家族や被害者の情報も執念深く調べ、その過程でその関係者にあらぬ疑いや噂を振りまき続けるマスコミが、事件被害者や被疑者の家族など罪もない人々を傷つけ立ち直りにくくしていくということが度々起こっていると思います。政治家や高級官僚の事件ならまだしも、ごくふつうの事件での興味本位の報道のために、どれだけ多くの人たちが傷つけられているのか、ため息が出ます。この作品では、週刊誌記者の視点で見る場面が少なからずありますが、そういった点への反省はほとんど感じられません。

 真木よう子のHシーン、露出度はさておき、ものすごく生々しい。予告編で既に2人の関係が推測できていますから、哀しさが先に立ってしまい、性的な興奮は覚えませんでしたけど。

2013年7月 6日 (土)

奇跡のリンゴ

 農薬被害に苦しむ妻のため無農薬リンゴの栽培にチャレンジするリンゴ農家を描いた映画「奇跡のリンゴ」を見てきました。
 封切り5週目土曜日、新宿ピカデリースクリーン4(127席)午前11時25分の上映は3割くらいの入り。

 幼い頃から好奇心が強く発明を試みては失敗していた三上秋則(阿部サダヲ)は、高校の同級生の木村美栄子(菅野美穂)と見合い結婚して婿入りしリンゴ農家を経営することになる。虫害に弱いリンゴは毎年16回農薬を散布せねばならず、美栄子はそのたびに皮膚が爛れ寝込んでいた。それを見た秋則は無農薬栽培の実現を試みることにして、義父(山崎努)に頼み込み、了承を得て、農薬の代わりに酢や茶などさまざまな食品をリンゴに撒布するが、ことごとく失敗する。何回も失敗を続けるうちに資産も使い果たして車も売り畑も半分売り子どもたちの食事や学用品にも困るようになり、周囲の目は次第に厳しくなって木村家は村八分状態になるが…というお話。

 世の中の主流に外れる志を持って決意し、その志を貫こうとして村八分になり、収入が閉ざされて生活に困っていくという様子の描写には、身につまされるものがあります。
 長いものには巻かれろが、楽な道ではありますが、それができないタイプの人はそれなりの割合でいるわけで、しかし昨今の日本ではそういう人が生きにくい世の中になる方向にものごとが動いているように思えます。
 また零細自営業者の1人として、努力したからといって収入が保証されず、収入が閉ざされることに不安を持たざるを得ない立場は、とてもよくわかります。
 そういう主流から外れた方向性という点でも収入のリスクという点でも、個人的には思い入れを感じざるを得ない作品です。しかし、だからストレートに共感できるかというとそうでもなく、家族をこういう目にあわせちゃいかんよねとか、距離を置いて自分に言い聞かせる見方も、あわせて持ってしまうというか共感よりそちらに傾きがちでしたけど。

 実話に基づくという制約のためかとは思いますが、阿部サダヲ主演にしてはコミカルな場面がほとんどなく、展開としても極めてストレートで遊びがなく、映画としてはもう一ひねり欲しいなぁという感想を持ちました。
 映画作品としては、お義父さんちょっと可愛そうかな、もっと幸せにしてあげたかったなという気がします。
 リンゴ畑、せめてラストの方ではもっと青々とした元気いっぱいの下草が欲しかったなと思います。実話に基づくなら、撮影時期さえあわせればそういう画が撮れるはずなのに、ちょっと手抜きしてるんじゃない?と最後に思ってしまいます。

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