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2013年4月13日 (土)

君と歩く世界

 5歳の息子を抱え失業しストリートファイトにのめり込むバツイチ男と両足を失ったシャチ調教師の巡り会いを描いた映画「君と歩く世界」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前9時30分の上映は1割足らずの入り。

 5歳の息子サム(アルマン・ヴェルデュール)を抱え失業中のバツイチ男アリ(マティアス・スーナーツ)は、食べ物を拾い歩き盗みながら、スーパーのレジ係で賞味期限切れの食品をこっそり持ち帰って暮らす姉アナ(コリンヌ・マシエロ)のところに転がり込む。腕っ節だけが取り柄のアリは警備のアルバイトをする中でクラブの用心棒として男と口論になって帰るステファニー(マリオン・コティヤール)を送り、太ももをあらわにした姿を売春婦みたいだと罵りつつ部屋に上がり込み、ステファニーのボーイフレンドに追い返されながら電話番号を書き置いていた。シャチの調教師としてショーを指揮していて事故に遭い両足を切断されたステファニーは、失意の中、アリを呼び出す。ステファニーを海に連れ出し、泳ごうといいだしたアリは、ステファニーから断られると俺は泳いでくるといってステファニーを置き去りにして海に飛び込む。アリが泳ぐ姿を見て、その気になったステファニーは、アリを呼び戻して、海中まで運ばせ、トップレスで泳ぎ出す。アリは警備のアルバイトに飽き足りず、上司に勧められて路上での賭け格闘を始め、最初はそれを止めたステファニーも格闘の場についていき…というお話。

 「君と歩く世界」というタイトル、「オスカー女優マリオン・コティヤールと名匠ジャック・オディヤールが挑んだ両脚を失った女性の驚くべき再生と希望の物語」という公式サイトのイントロダクションのキャッチコピー、そしてマリオン・コティヤールに焦点を当てた予告編、どれをとっても、観客は両脚を切断されたマリオン・コティヤールが周囲なり恋人なりに励まされて立ち直っていくというヒューマンドラマを予想して見に来るはずです。もちろん、私もそうでした。
 しかし、原題はフランス語で " DE ROUILLE ET D'OS "、英語でのタイトルも " RUST AND BONE "で、どちらも「錆と骨」。各種の解説を見ると、殴られて口を切ったときの血の味を意味するタイトルのようです。これを似ても似つかぬ「君と歩く世界」なんていう甘いラブロマンスのような邦題に替えてしまう、日本の配給会社なのか、映画興行界全体か知りませんが、観客を騙して平気な体質には、毎度のことながら呆れます。
 内容としても、マリオン・コティヤールの物語というよりもアリ(マティアス・スーナーツ)の物語という感じで、私はむしろ息子を足手まといに思うろくでなしのバツイチ男が昔取った杵柄の格闘技を通じて再起し息子への愛情にも目覚めていく「リアル・スティール」の、息子が格闘に関わらず代わりにステファニーが格闘シーンに関わるバージョンのように見えました。アリの物語としては、アリの立ち直りは基本的には格闘技を通してであって、アリにとってステファニーはちょっとした気まぐれと行きがかりでつきあっている(お世話になっている?)セフレの域を出ないように思えます。その結果、マリオン・コティヤールは、もちろん、相応に登場しますし、トップレスで泳いだりセックスシーンにも何度もトライし、予告編でも売りになっているシャチとのシーンなど感動的で、存在感はあるのですが、物語的には脇役に見えます。少なくとも、予告編や番宣で煽られてマリオン・コティヤールの映画と思って見に来たマリオン・コティヤールファンには期待に反することになるでしょう。

 「不器用なアリの真っ直ぐな優しさに触れ、ステファニーはいつしか生きる喜びを取り戻し、輝かしい未来へとふたたび歩き出していくのだった…」。公式サイトのイントロダクションに書かれている言葉ですが、それはないだろうと思います。
 海に行ったシーンでも、アリはただ自分が泳ぎたいというだけで、ステファニーを置き去りにして海に行ってしまいます。ステファニーをクラブに連れて行っても自分は目の前で女をナンパしてステファニーを置き去りにして帰ってしまいます。アリの女性への姿勢で一貫しているのはただ「やりたい」というだけです。息子にはすぐ怒鳴りつけ殴りつけることや、警備員として上司に言われてアナの勤めるスーパーに従業員を監視するカメラをつけてその結果アナが解雇されるなどの行状を見ても、アリは、自分の行動で人がどうなるかなど気にも留めずにただ自分がやりたいことをやっているだけの身勝手で単純な何も考えていないマッチョ・DV男に見えます。
 ステファニーにとっては、アリの身勝手でただ自分のやりたいことをするだけの姿勢、自分に対しても「やりたい」だけとあらわにする姿勢がかえって、哀れみや腫れ物に触るような特別扱いを感じさせずに、普通の女として扱われている安心感につながるということなんでしょうけど、それは適切な評価だったのでしょうか。
 むしろ、被害に苦しむ女性に、悲劇のヒロインを気取るな、優しい白馬の王子様などいつまで待っても現れない、周りにいるのは優しい気持ちで腫れ物に触るような扱いをする常識的な男たちとそうでなければ脳天気な発情男くらいだから、その程度の男を手がかりに基本的には自分で立ち直ろうとアピールしているのかなと思えました。

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