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2013年4月

2013年4月29日 (月)

ハッシュパピー バスタブ島の少女

 低湿地帯の見捨てられた集落に住む少女の喪失・危機との対峙を描いた映画「ハッシュパピー バスタブ島の少女」を見てきました。
 封切り2週目月曜日・GW前半の3連休最終日、ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午前11時40分の上映は4~5割の入り。

 低湿地帯の集落「バスタブ」に父親のウインク(ドゥワイト・ヘンリー)と2人で住む少女ハッシュパピー(クヮヴェンジャネ・ウォレス)は、大人たちの教えから、バスタブは南極の氷が溶けて水位が上がると水没してしまう、自分が人間が洞窟で生きていた頃に生まれていたら野獣オーロックスの餌になっていただろうなどと考えながら、「世界一お祭りが多いバスタブ」でがらくたと家畜に囲まれながら楽しく日々を送っていた。ある日、大嵐が訪れて、バスタブの家屋の多くが床上浸水し、ハッシュパピーと父は小舟で住民たちを探し回り、生き残った住民たちはバーだった建物に集結、ウインクらは堤防を爆破して水を引かせるが、泥と残骸だらけの土地が現れただけで再建の希望は見出せなかった。バスタブに住民がいることに気づいた政府は強制退去を指示、住民が収容所に送られるが…というお話。

 目力というのでしょうか、愛する者・集落・生活環境の喪失や危機に対峙しあるいは驚き悲しむハッシュパピーの目がとても印象的な作品です。憂い、哀しみ、怒りをたたえたハッシュパピーの顔のアップというか目のアップが多用され、それでもっている感じです。まったくの素人の6歳の少女の演技とは思えません。アカデミー賞主演女優賞最年少ノミネートも納得です。ちなみにこの年のアカデミー賞主演女優賞は22歳にして2度目のノミネートだったジェニファー・ローレンスが受賞しましたが、サンダンス映画祭グランプリ受賞のインディペンデント映画でアカデミー賞主演女優賞ノミネートというパターンは、「ウィンターズ・ボーン」でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたジェニファー・ローレンスと同じ。ちょっと因縁と期待を感じます。
 ハッシュパピー役のみならず、父親のウインク役もオーディションで選ばれた素人のパン屋さんだとか。

 前半で、生き物を見ると手当たり次第耳を寄せて心臓の鼓動を聞くハッシュパピーの、あどけなく敬虔な姿が印象的です。カニの腹に耳を当てて心臓の音が聞こえるのかは疑問に思いましたけど。
 ハッシュパピーと父ウインクが腕相撲をし、世界一強いと叫ぶシーン、「ながくつしたのピッピ」を想起させ、私には微笑ましく思えました。
 そういうハッシュパピーのあどけなさと雄々しさが共存するところに、魅力を感じました。

 映像が全体に暗く、バスタブの集落も自然というよりもがらくたが多く廃墟のイメージで、海のシーンでも青く美しい海ではありません。最初の方の祭りのシーンなどを除くと重苦しい感じの場面が多く、エンターテインメントとして見るのは、難しいです。氷の中から復活したオーラックスが群れをなして襲ってくるシーンが、様々な破壊・圧迫をまとめて象徴しているわけですが、これが全体の暗さ・陰鬱さ・重苦しさを救っていると感じるか、浮いていると感じるかは、意見が割れそうです。幼くしかし雄々しいハッシュパピーにどこまで共感のまなざしを送れるかで評価が決まる作品だろうと思います。

2013年4月28日 (日)

リンカーン

 アメリカ合衆国第16代大統領リンカーンの奴隷解放の憲法修正第13条の成立と南北戦争終結の正念場を描いたスティーブン・スピルバーグ監督の最新作「リンカーン」を見てきました。
 封切り2週目日曜日・GW前半3連休の中日、新宿ミラノ2(588席)午前11時50分の上映は3割くらいの入り。アメリカでは人気が高い歴史上の人物とはいえ、日本では監督の知名度とアカデミー賞主演男優賞受賞(ダニエル・デイ=ルイス、実に3度目の主演男優賞です)の話題を重ねても、公開最初の週末興行成績は「名探偵コナン 絶海の探偵」の4分の1で「クレヨンしんちゃん バカうまっ! B級グルメサバイバル!!」にも及ばず3位。内容が地味なだけに日本での興行成績は厳しそう。

 1865年1月、前年11月に大統領に再選されたリンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)は、有利な戦況の下で南北戦争が近いうちに終結することを見越しつつ、終戦までに奴隷を解放する憲法修正第13条を成立させることを目指していた。奴隷解放宣言に反対した民主党は前年の選挙で64議席を減らしていたが、共和党内にも奴隷解放を進めることなく南北戦争を終結させられるのであれば憲法の修正は必要ないと考える保守派が多数を占めていたため、リンカーンは選挙で落選した議員たちの任期満了を待てず、1月中の議決を目指すことにした。共和党全員が賛成しても憲法修正に必要な3分の2には20票足りないため、リンカーンは、国務長官ウィリアム・スワード(デヴィッド・ストラザーン)に指示して落選議員に次の職を世話して取り込むなどの説得を続け、共和党内の奴隷解放急進派タデウス・スティーブンス(トミー・リー・ジョーンズ)には信条に反して穏健な演説をするよう説得し、南部連合軍からの和平交渉使節はワシントンには入れずに足止めし、ギリギリの工作を続け…というお話。

 票読みで足りない議会で憲法修正第13条の成立に向けて、反対派への説得工作、共和党内の不満分子の抑え込み、南北戦争の終結のために憲法第13条が必要だという主張とそれに反する南部連合軍和平交渉使節をめぐる情報の操作といった、政治の場面での妥協と権謀術数がこの作品の軸となっています。理想・理念を貫いているように見える政策でも、シンプルな理想を語るだけでは実現することはできず、多くの妥協と強い意志に裏打ちされた工作が必要だというメッセージです。そしてそれは政治の場面のみならず、多くの人の協力や多くの人との交渉が必要な仕事・プロジェクトでも共通することで、そういったビジネス誌記事っぽい教訓話として見ることもできます。
 さらにこの作品では、政治活動のためのパーティー中に体調が悪いと言っていた息子が死亡し、それを悲嘆するとともになじり、長男のロバートは絶対従軍させるなと言い募る妻メアリー・トッド(サリー・フィールズ)、若者の大半が従軍する中で自分だけが従軍しないではいられないと反発するロバート(ジョセフ・ゴードン=レヴィッド)への対応に悩まされる家庭人としてのリンカーンも描かれています。政治家たちとの折衝、妻や長男との摩擦に疲れ、幼い末子タッドが最も気が休まる相手というリンカーンの様子は、中年男にとっては共感するというか身につまされるところです。
 アメリカ人にとっては、人気のある歴史上の偉人の実像に迫るという関心で見る映画となるでしょうが、日本では、スピルバーグの名前やアカデミー主演男優賞のニュースだけで見に来る客(それが大部分かも)を除けば、ビジネスでの交渉ごとを家族との軋轢に悩みながら進める男の物語として中年男の気概と悲哀を感じさせる映画として見られる作品かなと思います。

 リンカーンとは別に、この作品で異彩を放っているのが、共和党の奴隷解放急進派のスティーブンスです。黒人と白人は同じ人間であり、いかなる場面でも差別されてはならないという長年の主張を、憲法修正第13条を通すために、引っ込めて、奴隷解放のみで足り参政権は主張していないと演説します。理念こそ重要なはずの急進派が老練さを見せる場面に、むしろすがすがしさを感じさせるのは、展開の巧みさ故でしょうか。このスティーブンスと黒人メイドの関係がまたいい感じで、その点からもスティーブンスの存在感がありました。

2013年4月27日 (土)

桜、ふたたびの可奈子

 幼い娘を交通事故で失った母の再生を描いた映画「桜、ふたたびの可奈子」を見てきました。
 封切り4週目土曜日・GW初日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(173席)午前9時50分の上映は2割程度の入り。中年カップルが多数派のように見えました。

 小学校入学の日に、小学校の前で交通事故に遭い死んだ娘可奈子の死を受け入れられない母桐原容子(広末涼子)は、可奈子の部屋で自殺を図るが何ものかの通報により駆けつけた救急隊員に命を救われ、その後可奈子はそばにいると言って見えない可奈子を連れ歩き可奈子の食事を用意する。可奈子の死を認めずに奇異な行動に走る妻を夫(稲垣吾郎)は諫めるが、ある日飼っていた犬ジローが逃げ出したのを追って行くうちに倒れていた高校生の妊婦正美(福田麻由子)と知り合った容子は、正美を見舞ううちに、生まれた女児夏月を可奈子の生まれ変わりと信じ込んだ。可奈子の法事にも出ず可奈子が生きていると言い続ける容子に耐えられず離婚を切り出した夫は、容子から夏月を養子にしたい、それが済んだら離婚してもいいと言われ、それで容子が幸せになれるなら一緒に育てようと答えた。容子は正美に養子の申し出をし、正美の心は揺れ動くが…というお話。

 容子の視点で見るか、夫の視点で見るか、夫婦で見るとなかなか微妙な作品かなと思います。
 入学の様子をカメラに収めようとカメラを探して目を離したすきに娘が交通事故死した母親の哀しみと自責の念は察するにあまりあります。娘の死を受け入れられずに、娘は生きている、生まれ変わりがいると思い込むあたりは、同情するところとついて行けないところが相半ばしますが。それでも、幼い夏月がママと言ってごらんと言われて「ママ」と呼んだのを聞いた容子が「ママって呼ばれることがずっとなかったから」と感極まるシーンは、やはり泣いてしまいました。
 仏壇の前で手を合わせ、49日、1周忌、3回忌と墓前で親族と法事を進め、容子に可奈子は死んだんだと諭し続ける夫は、容子の心情からはずれていていかにもデリカシーに欠けるように見えますが、でもおそらくはそれが普通の感性で標準的な夫なのだろうと思えます。心が壊れ、奇異な行動をとり続ける妻にどこまで耐えられるかというテーマは、これまた重くつらいものがあります。
 最終的には、生まれ変わりで処理しているところが、現実感を欠きますが、喪失と希望、夫婦の心情という点ではまあまあのところかなという印象を持ちました。

 桜の美しさと、子どもたちのかわいさが印象に残る作品です。容子が、生まれ変わりじゃないかと思って、「好きな食べ物は?1.カレーライス、2.ハンバーグ、3.オムライス」とオムライスだけ少し間を取ってこう言って欲しそうな様子で誘導しても「ハンバーグ」と答えたり、好きなおやつで、アイスの誘惑にめげずにせんべいと答えたりする姿がいじらしい。生まれ変わりの子が(前の)お母さんの名前を聞かれた答え、私には「まちよ」に聞こえた(台本では当然「容子」のはず)のですが、そのあたりもご愛敬かなと。

2013年4月14日 (日)

キング・オブ・マンハッタン

 成功した大富豪が損失隠しの帳簿改ざんと交通事故隠しの偽装工作で追い詰められていくサスペンス映画「キング・オブ・マンハッタン」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、全国で16館、東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午前10時05分の上映は2~3割 の入り。実は先週日曜日昼過ぎまさかの満員で「ザ・マスター」に転進した挙げ句の再トライでしたが、ガラガラで拍子抜けです。

 ニューヨークのヘッジファンド経営者ロバート・ミラー(リチャード・ギア)は、60歳の誕生日を迎え、一族の家族全員がそろう中、私の最大の業績はここにいる家族だとスピーチする。事業も家庭生活も順風満帆に見えるロバートだが、パーティーの後会社に行くと妻(スーザン・サランドン)に伝えて向かった先 は投資先の愛人ジュリー(レティシア・カスタ)宅で、離婚する気はないのねとなじるジュリーを慰め、明けて向かう先ではロシアへの投資で被った赤字を隠すために借りた4億ドルあまりの借金の返済を迫られ、金曜日には資金を引き揚げると宣告された。ロバートはスタンダード銀行への会社売却交渉中で、買収が成立するまで損失隠しのための帳簿改ざんと借金を隠し続けようとするが、スタンダード銀行の代表メイフィールドは2時間経っても交渉に姿を現さず、交渉は進展しない。約束に遅れたために怒るジュリーをなだめて別荘で一夜を過ごそうと車を運転するうちに居眠りをしたロバートは事故を起こし、ジュリーは即死、車は爆発炎上してしまう。事故の発覚を恐れたロバートは、ロバートに恩のある黒人青年ジミー(ネイト・パーカー)を公衆電話で呼び出して自宅まで送ってもらう。ロバートの娘で投資管理者のブルック(ブリット・マーリング)は帳簿改ざんに気づいてロバートを追及し始め、担当刑事のブライヤー(ティム・ロス)はロバートを疑い、ジミーに対してかばうと司法妨害で10年間は刑務所行きだと迫る。次第に追い詰められたロバートは…というお話。

 仕事も家庭も充実しているように見える成功した大富豪の内実は…という仕立てですが、ロバートは悪人ということでもなく、リチャード・ギアの飄々とした焦り・苛立ちとでも表現すべき演技と相まって、懸命に努力してきたのにどこかもの悲しいという印象です。
 仕事の面での挫折は、ロシアの銅鉱山への投資。これが100万ドルの投資で事業としてはもくろみ通りにいっていたのにロシア政府の方針転換のために利益が出なくなってそれが4億ドルあまりの赤字に転化という泣くに泣けない話。それ自体は本来問題にならないはずが、買収話があったために赤字を隠そうとして 帳簿を改ざんし一時的に借金で乗り切ろうとしたことが問題を深刻にしてしまいます。これとて、メイフィールドにとっては、それを知ってもそんなことは気にする必要もないということがらに過ぎないわけですが。
 妻からは、愛人の存在は先刻ご承知で「耐え続けていた」ということなのですが、破産寸前の綱渡りを続けるロバートからすれば、贅沢三昧をして慈善事業への寄付を要求し続ける妻は重荷でしかなく、そういう妻の様子からすれば愛人への逃避もニワトリが先か卵が先かの話かなという気がします。ワーカホリックで 家庭を顧みなかった夫が定年後妻とゆったりしようとしたときには妻に愛想を尽かされて三行半を突きつけられるという構図は近年ではありきたりにさえなってきていますが、夫の稼ぎを湯水のように使いその苦労を思うことなく罵り引退に当たってはできる限り搾り取って後は「金の切れ目は縁の切れ目」ということだとやはり夫の側に同情してしまいます。
 事故についても、疲れて居眠りしてしまった過失犯で、被害者も自身が運転者にもたれかかって寝ている同乗者ということですから、すぐに申告していれば大事にならないものが、これまた買収への影響と愛人の発覚を恐れて逃亡してしまったというもの。ただ呼ばれて車で自宅まで送っただけのジミーを10年間刑務所に放り込むと脅す警察の方が悪辣に思えます。

 仕事柄、警察がジミーに対して捏造した証拠写真を見せ、存在しない証拠をあると騙して追及するシーンは、気になり、また悩ましいところです。偽造を見破るには、偽造の可能性を追求する諦めない心、検証方法を考える頭とセンス、対象物を比較検討して偽造を見抜ける目が必要です。現実の世界では、怪しくても、 なかなかそれを立証できません。それでたいていは諦めてしまうのですが、やっぱりけっこうあるかもねぇとも思ってしまいます。

2013年4月13日 (土)

君と歩く世界

 5歳の息子を抱え失業しストリートファイトにのめり込むバツイチ男と両足を失ったシャチ調教師の巡り会いを描いた映画「君と歩く世界」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前9時30分の上映は1割足らずの入り。

 5歳の息子サム(アルマン・ヴェルデュール)を抱え失業中のバツイチ男アリ(マティアス・スーナーツ)は、食べ物を拾い歩き盗みながら、スーパーのレジ係で賞味期限切れの食品をこっそり持ち帰って暮らす姉アナ(コリンヌ・マシエロ)のところに転がり込む。腕っ節だけが取り柄のアリは警備のアルバイトをする中でクラブの用心棒として男と口論になって帰るステファニー(マリオン・コティヤール)を送り、太ももをあらわにした姿を売春婦みたいだと罵りつつ部屋に上がり込み、ステファニーのボーイフレンドに追い返されながら電話番号を書き置いていた。シャチの調教師としてショーを指揮していて事故に遭い両足を切断されたステファニーは、失意の中、アリを呼び出す。ステファニーを海に連れ出し、泳ごうといいだしたアリは、ステファニーから断られると俺は泳いでくるといってステファニーを置き去りにして海に飛び込む。アリが泳ぐ姿を見て、その気になったステファニーは、アリを呼び戻して、海中まで運ばせ、トップレスで泳ぎ出す。アリは警備のアルバイトに飽き足りず、上司に勧められて路上での賭け格闘を始め、最初はそれを止めたステファニーも格闘の場についていき…というお話。

 「君と歩く世界」というタイトル、「オスカー女優マリオン・コティヤールと名匠ジャック・オディヤールが挑んだ両脚を失った女性の驚くべき再生と希望の物語」という公式サイトのイントロダクションのキャッチコピー、そしてマリオン・コティヤールに焦点を当てた予告編、どれをとっても、観客は両脚を切断されたマリオン・コティヤールが周囲なり恋人なりに励まされて立ち直っていくというヒューマンドラマを予想して見に来るはずです。もちろん、私もそうでした。
 しかし、原題はフランス語で " DE ROUILLE ET D'OS "、英語でのタイトルも " RUST AND BONE "で、どちらも「錆と骨」。各種の解説を見ると、殴られて口を切ったときの血の味を意味するタイトルのようです。これを似ても似つかぬ「君と歩く世界」なんていう甘いラブロマンスのような邦題に替えてしまう、日本の配給会社なのか、映画興行界全体か知りませんが、観客を騙して平気な体質には、毎度のことながら呆れます。
 内容としても、マリオン・コティヤールの物語というよりもアリ(マティアス・スーナーツ)の物語という感じで、私はむしろ息子を足手まといに思うろくでなしのバツイチ男が昔取った杵柄の格闘技を通じて再起し息子への愛情にも目覚めていく「リアル・スティール」の、息子が格闘に関わらず代わりにステファニーが格闘シーンに関わるバージョンのように見えました。アリの物語としては、アリの立ち直りは基本的には格闘技を通してであって、アリにとってステファニーはちょっとした気まぐれと行きがかりでつきあっている(お世話になっている?)セフレの域を出ないように思えます。その結果、マリオン・コティヤールは、もちろん、相応に登場しますし、トップレスで泳いだりセックスシーンにも何度もトライし、予告編でも売りになっているシャチとのシーンなど感動的で、存在感はあるのですが、物語的には脇役に見えます。少なくとも、予告編や番宣で煽られてマリオン・コティヤールの映画と思って見に来たマリオン・コティヤールファンには期待に反することになるでしょう。

 「不器用なアリの真っ直ぐな優しさに触れ、ステファニーはいつしか生きる喜びを取り戻し、輝かしい未来へとふたたび歩き出していくのだった…」。公式サイトのイントロダクションに書かれている言葉ですが、それはないだろうと思います。
 海に行ったシーンでも、アリはただ自分が泳ぎたいというだけで、ステファニーを置き去りにして海に行ってしまいます。ステファニーをクラブに連れて行っても自分は目の前で女をナンパしてステファニーを置き去りにして帰ってしまいます。アリの女性への姿勢で一貫しているのはただ「やりたい」というだけです。息子にはすぐ怒鳴りつけ殴りつけることや、警備員として上司に言われてアナの勤めるスーパーに従業員を監視するカメラをつけてその結果アナが解雇されるなどの行状を見ても、アリは、自分の行動で人がどうなるかなど気にも留めずにただ自分がやりたいことをやっているだけの身勝手で単純な何も考えていないマッチョ・DV男に見えます。
 ステファニーにとっては、アリの身勝手でただ自分のやりたいことをするだけの姿勢、自分に対しても「やりたい」だけとあらわにする姿勢がかえって、哀れみや腫れ物に触るような特別扱いを感じさせずに、普通の女として扱われている安心感につながるということなんでしょうけど、それは適切な評価だったのでしょうか。
 むしろ、被害に苦しむ女性に、悲劇のヒロインを気取るな、優しい白馬の王子様などいつまで待っても現れない、周りにいるのは優しい気持ちで腫れ物に触るような扱いをする常識的な男たちとそうでなければ脳天気な発情男くらいだから、その程度の男を手がかりに基本的には自分で立ち直ろうとアピールしているのかなと思えました。

2013年4月 7日 (日)

東京物語

 山田洋次監督50周年記念作品「東京家族」を見てきました。
 封切り12週目日曜日、キネカ大森シアター3(40席)10時50分の上映はほぼ満席。

 瀬戸内海の島で暮らす元教師の平山周吉(橋爪功)・とみこ(吉行和子)夫婦は、子どもたちが住む東京にやってきたが、医師の長男幸一(西村雅彦)は忙しく日曜日にベイエリアをドライブする予定だったが患者の容態が悪化してキャンセルになり、とみこは孫の小学生勇(丸山歩夢)と散歩に出るが勇が将来について既に諦めている様子に驚く。美容院を経営する長女滋子(中嶋朋子)も店から手が離せず2人が泊まっていても東京案内もできず、夫(林家正蔵)がお義母さんは感じがいい人だけどお義父さんは苦手だなぁといいながら近くの温泉に連れて行った。滋子から両親を東京見物に連れて行けと言われた舞台の大道具担当の次男昌次(妻夫木聡)ははとバスに乗せて自分は居眠りをしていたが、うなぎ屋で周吉から現在の仕事の将来見通しを問い質され反発する。滋子は幸一と相談して両親を横浜のホテルに泊まらせるが、ホテル暮らしに慣れない2人は1泊で予定を切り上げて帰ってきてしまい、滋子から今夜は町内会の宴会がうちであるのでいてもらっては困るといわれて泊まるところがなくなり…というお話。

 離れて住む両親が久しぶりに子どもたちを訪れても、それぞれの家族の住宅事情、仕事の都合などで十分に世話をしたり相手をすることもままならず、思惑がすれ違い、ストレスがたまり、しかし相手の事情もあるからと理解しがまんしようという姿を描き、家族とは何だろうというようなことを問いかける作品です。
 東京の子どもたちの悪意はないけれどもめんどうに思う疎遠な様子と、終盤で周吉の隣に住む中学生ユキ(荒川チカ)のあっけらかんとした純真な親切さが、村社会の人間関係の素朴な温かさと、「遠くの親類より近くの他人」を描いていて、故郷と少し前の時代の人間関係へのノスタルジーが感じられます。
 お母さんは感じがいい人だけど、お父さんは感じが悪いという評価が繰り返し登場し、年老いて引退した男は行き場がなく、産業廃棄物だよなぁと、つくづく感じます。周吉、昌次が席を外したすきにこっそり自分のウナギを半分昌次の重箱に移したりして(ごんぎつねか?)不器用に思いやってはいるんですが、評価されないんですね、これが。
 そういった人情の機微を手堅くそつなく描いていますが、内容的にはテレビのホームドラマだよねと思い、映画館で見るべき作品かということには、ちょっとどうかなと、私は思ってしまいます。

2013年4月 6日 (土)

ザ・マスター

 新興宗教団体の指導者とのめり込んだ元兵士の愛憎を描いた映画「ザ・マスター」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、TOHOシネマズシャンテスクリーン2(201席)午後1時40分の上映は7割くらいの入り。

 太平洋戦争末期を太平洋の島で過ごした海軍兵士フレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は、アルコール依存症で、終戦後写真家として働き始めるが、酒をやめられず客に暴力をふるい、仕事を失って放浪し、問題を起こし続けていた。ある日、忍び込んだ客船が、新興宗教「コーズ」が主催する結婚クルーズで、海軍時代に覚えた独特のカクテルで指導者ランカスター・ドッド(フィリッピ・シーモア・ホフマン)に気に入られたフレディは、ドッドと行動をともにするようになる。ドッドの妻ペギー(エイミー・アダムス)と娘らはフレディを疑うが…というお話。

 アルコール依存症で仕事を続けられずトラブルを引き起こし続け、友人の妹ドリスを思いながらまっすぐに進めずに逃げてしまい後悔するというフレディの挫折と苦渋に満ちた人生と行動スタイル、フレディに父親のようなまなざしを注ぐドッドとフレディの信頼と離反の愛憎劇の部分がメインで、新興宗教団体やその指導者像部分はそれを描く道具立てかなという感じでした。
 ストーリーとして追おうとすると、わかりにくかったり決着しないでそのままになる問題が多いように思え、今ひとつストンと落ちないところが残る感じがします。

 フレディの戦争末期の島での様子は、男だけの世界での欲求不満の塊のようで、ロールシャッハテストで見せられる絵がすべて性器に見えるとか、砂山で女性の裸体を作って腰を振るとか、まぁわかるけどそこまで頭の中がそればかりだったか、若い頃を思い出して赤面しつつも、どうだろうと思います。教団のパーティーでも、突然女性信者が全員全裸になって踊るシーンが出て来て、フレディの妄想だろうと思いますが、やっぱり男の性欲がむき出しの感じで、見ていてちょっと恥ずかしい。
 若い女性信者にモーションをかけられるドッドに洗面室で、浮気をするなら私にも私の知人にも知られないようにやりなさいと囁きつつ手でしごいて果てさせるペギーのしぐさと表情がすごいなぁと思いました。Hなシーンなんですが、それよりも夫を操る妻の手管というか凄みの方にドッキリです。

 仕事柄、ドッドがセラピーか洗脳かのテクニックとして、質問に対して即答する形式で尋問をするシーンがあり、ここでのドッドの尋問の仕方とフレディの回答の変化が、とても興味深く思いました。同じ質問を続けることによる心理的圧力、質問の流れによって相手を追い込んでいく組み立て、その中で最初ははぐらかし隠そうとしていたフレディが真実を答え、感情に溺れていく様が見応えがありました。ここのところ、もう少し突っ込んで時間をかけてくれると、私はうれしかったのですが。

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