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2013年3月

2013年3月31日 (日)

ジャックと天空の巨人

 童話「ジャックと豆の木」を映画化した「ジャックと天空の巨人」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ3(209席)午前11時の上映は2~3割の入り。

 かつて巨大な豆の木のツルを伝って天空の国ガンチュアから巨人たちが襲撃してきて、エリック王が巨人の心臓で王冠を作ると巨人たちは王冠にひれ伏したので王が巨人たちに天空に帰ることを命じて豆の木を切り倒し平和が訪れたという伝説が残る中世の国クロイスター。両親を亡くし伯父に引き取られて育ったジャック(ニコラス・ホルト)は、伯父に言われて馬を売りに城壁内に行った日、エリック王の伝説を演じる芝居小屋でお忍びで観劇中に酔っ払いに絡まれた王女イザベル(エレノア・トムリンソン)を助け、その後宮殿から逃げてきた修道士から緊急なので馬を高く買うと声をかけられた上で金は今は持っていない修道院で払うとしてこの豆を修道院に持って行って欲しい、絶対に水に濡らさないようにと言われる。豆を持ち帰ったジャックに伯父は怒り、代わりにジャックの父の遺品を売りに出かけてしまう。その夜嵐の中を宮殿から抜け出したイザベルがジャックの小屋にたどり着き話をするうち、ジャックの伯父が怒って落とした一粒の豆が床下で雨に濡れて急激に成長して小屋ごとイザベルを天空まで持ち上げてしまう。途中で落下したジャックから事情を聞いた王(イアン・マクシェーン)は騎士団の長エルモント(ユアン・マクレガー)に精鋭部隊を派遣してイザベルを救出するよう命じ、ジャックも志願するが…というお話。

 幼い頃に父親からエリック王の伝説の童話を読み聞かされて育ち冒険に思いを馳せるジャックと、同様に幼い頃母親からエリック王の伝説の童話を聞かされて冒険をしたいと思って育ったイザベラの対比と邂逅が物語の前半を形作っています。昔話の特徴ともいえる繰り返しパターンとジャックとイザベラが童話を聞くシーンの並行がマッチして設定の刷り込みとリズム感を効かせています。冒険をしたいという王女に対して、どんどん冒険するといいと勧める王妃の姿勢は爽快感があります。
 ジャックとイザベラのほかに、イザベラと父王、ジャックとエルモントの人間関係とその変化が、派手なCG、アクションとは別に見せどころになっていると思いました。

 ストーリーとしては、エリック王の伝説の王冠と水に触れたら一気に天上まで伸びる豆がキーポイントになりますが、問題の豆はいつどうやってできるのか、あれだけ伸びれば当然新たな豆ができているはずじゃないか、天空から落下して死んだ巨人を見てエリック王の伝説が真実だと悟った王はそれならどうしてその時点でその心臓で王冠を作ろうとしなかったのかなど、いろいろ疑問が残ります。豆は果たして下向きに伸びるかという疑問も…

2013年3月30日 (土)

愛してる、愛してない

 浮気して出て行く妻との別れの日の情景を描いた韓流映画「愛してる、愛してない」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、全国で2館、東京で唯一の上映館新宿武蔵野館スクリーン3(84席)午前9時30分の上映は7~8割の入り。観客層は圧倒的に中高年女性。見渡す限り男性は私を含めて3人。いずれも妻に引きずられてきたと見えます。この映画を男一人で見に行くのは、場末のポルノ専門映画館を女性が訪れるくらいの覚悟が必要と思えます。

 日本へ向かう飛行機に乗る妻(イム・スジョン)を送る車中、仕事場を自宅に移すという夫(ヒョンビン)に対し、妻は家を出ると通告、好きな人がいるのかと聞かれて、ええ、気がついてたでしょと答え、夫はわかったという。別れの日、荷造りをするといいつつボーッとしている妻を尻目に、夫は想い出のレストランに夕食を予約し、妻の荷造りを手伝い、コーヒーを入れ、何くれと妻の世話を焼く。降りしきる雨の中、子猫が迷い込み、子猫の飼い主という夫婦が上がり込み、豪雨でソウルへの道は閉鎖される。自宅に様子伺いの電話をかけてきた男に妻は雨で道が閉鎖されているから明日にすると伝え…というお話。

 妻に浮気されて別れを言い渡され怒る気にもなれず哀しみにうちひしがれつつ耐える夫と、別れを宣言したものの迷いを持ち怒らず引き留めない夫に苛立つ妻の心情・心象風景をテーマとした、情感に訴える、しかしそれだけの映画です。その心情描写に強い興味が持てれば、ひょっとすれば名作と評価できるかもしれませんし、そうでなければばかばかしい駄作と思うでしょう。エンドロールの際に流れるアコースティックギターのインストルメントが、雨だれ風のメロディに混じる金属弦のきしみで、この夫婦の切なさとぎこちなさ、痛みをよく表しているように感じられました。エンドロールの間に席を立つ客が目立ちましたけど。
 夫の側の視点からすれば、浮気をしてその男の元に行くために出て行くと妻に宣言されてしまえば、引き留めても事態は変わらないだろうし、変わったとしてもそれ以前の気持ちに戻れるではなし、引き留めるという選択は、基本、ないだろうと思うんです。そうすると、怒って追い出すか、きれいに別れるかだろうと。で、この夫はきれいに別れる方を選んだということなんだろうと、私は思います。夫婦ともにエネルギーが感じられず(そういう人が建築家であれ、何であれ成功するかという疑問はありますが、それは作りごとの世界として)、怒りを爆発させるという方向性はむしろ性格設定からしてもなさそうです。そういう点からは、私はこの夫の態度にはあまり違和感ありませんでした。
 妻側は、そういう夫の態度に不満を持ち、浮気をして出て行く妻の荷造りをどうして手伝うだの想い出のレストランに予約を入れていい想い出を残そうなんて身勝手などと毒づくのですが、浮気をして出て行く身勝手な女にそんなこと言われるか、と思います。押し寄せた女性の観客はこの映画で何を期待するのでしょう。ほかの男と浮気をして出て行く身勝手な私、でもそれを愛し続けてくれる優しい夫もいる、なんて罪な私とか、この妻に感情移入するのでしょうか。
 映画が始まる前に、主演のヒョンビンが出て来て、この映画の見どころはネコが迷い込んできたところからだとか解説を始め、「みなさん、愛してる」といって締めくくる映像がついています。率直に言って、これを見た段階で、ばかばかしくて帰りたくなりましたけど、女性ファンにはこれがいいんでしょうか。

 映画全体が、最初は車の運転席の映像、その後別れの日はすべて夫婦の家の中の映像ですし、安上がりの映画だなぁという印象を持ちます。
 最初の方で、夫は店が出せるほどの料理の名手と紹介されるのですが、ラスト近くで得意のパスタを作る場面が酷すぎる。パスタって、私の感覚では、ゆであがったらそれまでに作っておいたソースと手早く絡めてすぐ食べるものと思っていたのですが、そこから違うみたいですね。夫がパスタをゆであげて水切りして野菜を炒め始める、その後にタマネギを切り始める…そこから妻がパスタを引き継いで、パスタを延々と炒める…焼きそば作ってるのか?って思いました。そのあたりは、パスタについての見解の相違かもしれません。それにしても、夫がフライパンで野菜を炒めるシーンのアップがしばらくありますが、炒める手際、とりわけ箸の使いたかがど素人の基準でもぎこちなさ過ぎ。料理が上手って設定なら少しは練習してから撮ればって、ほとほと呆れました。

2013年3月24日 (日)

危険なメソッド

 女性患者と肉体関係を持ってしまった若き日のユングとそのフロイドとの師弟関係を描いた映画「危険なメソッド」を見てきました。
 2012年10月公開映画のDVD発売前の名画座上映、キネカ大森シアター2(69席)日曜日午前11時40分の上映は6割くらいの入り。観客層の多数派は中高年でした。

 妻の財力で裕福な暮らしをしつつ新進の精神科医として勤務していたユング(マイケル・ファスベンダー)は、新しい女性患者ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)から長時間の聞き取りとそのフロイド流の解釈により、幼少期の父親の折檻とそれに対するザビーナの性的衝動が病気の原因と判断するが、性的衝動を意識化したザビーナから迫られ肉体関係を持ってしまう。もともと医学を志していたザビーナは、ユングに自分も精神科医になれるかと尋ね、ユングからなれると答えられ、勉学に励み、ユングとも議論ができるようになっていく。妻バレしてザビーナに別れを切り出すユングに対し、ザビーナは困惑し憤激してユングの師フロイド(ヴィゴ・モーテンセン)を頼るが…というお話。

 フロイドとユングの訣別を、リビドー(性的衝動のエネルギー)をすべての中心に置くフロイドと、宗教や歴史に惹かれ民族の記憶などの「集合的無意識」を主張するユングの哲学的・学問的対立とともに、ザビーナがフロイドに伝えるユングの言動・ユング像を介したより人情的な原因に帰着させ、ユングの主張で重要な意味を持つ「アニマ(男性の中に潜む女性性)」「アニムス(女性の中に潜む男性性)」についてもザビーナとの討論から着想したことを示唆するなどしてユングが大成する過程でのザビーナの重要性を指摘する主張がメインテーマと見るべきでしょうか。学生時代に囓ったきりだったユングを久しぶりに思い出すとともに、権威主義的な中に時々はにかみを見せるマイケル・ファスベンダーの演技を通じて親しみを感じてしまいました。

 ザビーナの誘惑に最初は抵抗しつつも結局ははまってしまうユング。時代の違いがあるとは言え、医師にとって患者との肉体関係はかなり重大なタブーのはず。弁護士にとっては依頼者との関係ですが…我が身に置き換えて考えてみれば、それはどんなに魅力的な相手であれ依頼者とは絶対にない、"professor"と呼ばれる者の倫理観としてないと思うんですけど。す~ごい魅力的な人に迫られたらそうなってしまうのかな…(*@_@*)

 字幕ですが、ザビーナがユングに対して度々"May I ask you?" と呼びかけるのを「答えて」とか「教えて」としているんですが、その後にユングが"Of course"とか答えてるんですし、単純に「ちょっと聞いていい?」「ちょっといい?」の方がいいような気がしました。
 ザビーナが折檻されて性的興奮を覚えたという話をしているところで、"wet" をお漏らししたと訳してるのは、適訳なんでしょうか…

2013年3月23日 (土)

千年の愉楽

 若松孝二監督の遺作となった映画「千年の愉楽」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、テアトル新宿(218席)午前11時の上映は2~3割の入り。観客の多数派は中高年男性。

 紀州の山を背後に持つ海沿いの集落「路地」で長年にわたり産婆をしてきたオリュウノオバ(寺島しのぶ)が死の床で、写真の中の伴侶礼如(佐野史郎)と対話しつつ、自分が取り上げた路地の男たちのうち、魔性の魅力を放ち女たちが入れあげるが短命に終わる「中本」の血筋の男たち、半蔵(高良健吾)、三好(高岡蒼甫)、達夫(染谷将太)らの生き様を思い起こし懐かしむお話。

 中上健次の原作のうち「半蔵の鳥」「六道の辻」と「カンナカムイの翼」の前半を映画化したものと思われ、達夫の出生に関するエピソードを半蔵の出生時のエピソードにし、達夫は北海道に行ったきりとされて、達夫の話は付け足しのような感じで、短編が2.5話というような作りになっています。映画として特に分割はしていませんが、内容は、「半蔵編」「三好編」「達夫編」という感じで、ぶつ切り感があります。原作が短編連作だからしかたないという面もありますが、達夫のエピソードを半蔵に替えるなど設定の入れ替えをするのであれば、半蔵を軸にしてそれに三好を絡ませてみるとかして1本のストーリーにした方が見やすいんじゃないかと思いました。

 妖しい魅力を放つイケメンに女たちが言い寄り群がるという構図は、日本の村社会での奔放な性(せい)への許容性と女の性(さが)を描いていますが、そこでの女たちが開放的/解放的でありながら幸福感がそれほど見えず、おじさんにはうらやましいモテモテでやりたい放題の中本の男たちも幸せそうに見えず、閉塞感ややるせなさを感じさせています。若松監督の性についてのメッセージというよりも耽美的な映像を優先したものと見た方がいいかもしれませんが。
 中上ワールドで被差別部落を意味する「路地」の生まれの中本の男たちが美しい容貌と妖しい魅力で女たちを虜にする様は、差別感を薄めるのでしょうか。「アメリカン・ドリーム」の存在によって、出自に関係なく努力すれば報われるという期待が生じるとともに、それがごく稀なケースで大半の場合は努力してもやはり報われないにもかかわらず過大な幻想を与えることで差別・社会の実情から目をそらせ差別・格差是正の措置は見送られ放置されがちになるということが考えられます。中本の男たちの場合、「努力すれば」ではなく、もてはやされる資質自体が家系・血筋によるもので、中本の家系以外の「路地」の男たちには与えられる余地はありません。中本の男たちの存在が、出生地・血筋による差別を社会が改善克服すべきことを忘れさせるとすれば、「路地」の人々にはやりきれないばかりだと思うのですが。

2013年3月20日 (水)

プラチナデータ

 完璧なはずのDNA捜査システムで、システム開発者が殺人事件の犯人と名指しされるミステリー映画「プラチナデータ」を見てきました。
 封切り5日目祝日の水曜日、TOHOシネマズ六本木ヒルズスクリーン7(644席)は2~3割の入り。観客の多数派は若い女性(レディースデイ効果もあるとは思いますが)。

 近い将来の日本、警察庁は、ほぼ完璧なDNA捜査システムを構築し、国民にDNAの提供を義務づける法律の成立を待っていた。しかし、時々DNA捜査システムでも照合できないケースがあり、DNA法案反対運動家3人が銃殺されて肋骨を1本抜き取られるという連続殺人事件でも、犯人のものと思われる遺留物のDNAは照合できずNF( Not found )13と称されていた。数学の天才的な能力を持ちDNA捜査システムのプログラムを書いていた蓼科早樹(水原希子)とその兄が、居住していた新世紀大学病院8階の居室で同じ手口で殺害され、早樹の爪に残っていた皮脂のDNAがシステム開発責任者神楽龍平(二宮和也)のものと判断された。その解析を自分で行った神楽は逃走し、新世紀大学の監視カメラ映像とその偽装工作から神楽の犯行と判断した警視庁捜査1課の浅間刑事(豊川悦司)は、警察庁が極秘裏に準備した監視カメラ追跡システムを駆使して神楽の現在の動向を把握する志賀所長(生瀬勝久)の情報を元に神楽を追うが…というお話。

 科学捜査システムと警察組織をめぐるミステリーとドラマと予測される前半から、神楽自身の二重人格、父との関係、そして母との関係という内心と生育歴のどろどろしたというかおぞましいエピソードへと転換していく後半への落差、それに応じて慇懃無礼というか小生意気で粘着質の官僚から情緒的というか情緒不安定な青年へと演技幅を変えていく神楽役の二宮和也の姿が見せ場といえますが、あまりすっきりしない感じが残ります。
 後味という点では、ラストシーンのもったいぶり方は、これだからアイドル主演の映画は見たくないんだよと思わせてくれます。ミステリーの道具立てとして撮っておきたいカットなのだとは思いますが、ああするのなら何か別のシーンを考えた方がいいでしょうし、そうでないとしても最後のアップを顔じゃなくて手にすべきだと思います。

 神楽の逃げ方は、かなり無理な感じがします。バイクでああいう状況で逃げ切れるとは思えませんし、映画だからということであれば、それなりのカーアクションで振り切るべきで、何の工夫もなくだらだらと走り続けて、しかも一旦止まってそれで追跡者も遠巻きに止まってそのまま待ってるとか、何これ?と思います。
 浅間刑事の言動も、それこそ一介の警部補がそんな権限あるはずないと思うことが続きます。浅間がやれば何でも通るみたいな話なら、幹部サイドの警察組織がどうだとかいう台詞はやめた方がいいように思えました。

【原作を読んでの追記】(2013.5.22)
 映画を見た後で原作を読み、映画では相当な設定の変更がなされていることを知りました。
 原作では神楽とリュウをつなぐ重要な役割を果たすリュウの恋人スズランが、映画では登場しません。これは、単純に映像化しにくかったこと、映画化に当たって神楽の人物像を深めるよりもアクションの要素を重視したことからかと思われます。それ自体は、十分ありうる選択でしょう。
 NF13の性別を変更し、その結果、連続殺人の目的と犯行態様を変更したことは、あまり理解できません。原作の犯行目的もそれほど説得力があるとはいえませんが、映画で採用された遺体から肋骨を一本抜くというアイディアが映画の中でうまく活かされているとも思えませんし、その目的がうまく説明されているとも思えませんでした。また性別を変更したことで描きたかったと思われる部分が映画の中でうまく描けているとも思えませんでした。
 神楽がらみの部分では、原作に比べて神楽の逃走シーンが長く派手になっているのが目につきます。防犯カメラによる追跡システムからの逃走も、バイクでの逃走も、原作では、ほんの少しなのに、映画では大きな見せ場にしようというもくろみが強く感じられます。しかし、それがアクションシーンとして成功しているとは思えず、特にバイクでの逃走シーンなどこのレベルのアクションを長々と見せる意図が理解できませんでした。また、神楽のDNAが検出された検体も、原作では毛髪なのに、映画では被害者の爪から検出された皮脂。ふつう被害者の爪から加害者の皮脂が検出されるのって絞殺・扼殺死体でしょ。絶対あり得ないとは言いませんが、銃殺死体で被害者の爪から加害者の皮脂が検出されるって不自然だなと、映画を見たとき思ったんですが、これ、何のために原作の設定から変更したんでしょ。映画のラストシーンまで考えても理解できないんですが。

 原作についての感想記事はこちら

2013年3月17日 (日)

愛、アムール

 2012年の第65回カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作品「愛、アムール」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、2013年5月31日閉館の銀座テアトルシネマ(150席)午前9時(!)の上映は5~6割の入り。観客の多数派は中高年層。

 ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)の夫婦はパリの高級アパルトマンで悠々自適の老後を送っていたが、アン ヌの弟子のピアニストアレクサンドル(アレクサンドル・タロー:本人)の演奏会の翌朝、突然アンヌが固まったまま反応しなくなり、狼狽したジョルジュは医者嫌いのアンヌを説き伏せて医者に診療させ、医者の勧めに従って頸動脈の手術をさせるが成功率95%の手術に失敗し、アンヌは右半身不随となった。車椅子で自宅に戻ったアンヌは、もう2度と病院に戻さないでと言い、ジョルジュは約束した。ジョルジュの介護を受けつつ、自分は障害者じゃないと自力で動こうとするアンヌだったが、病状は次第に悪化し・・・というお話。

 悠々自適で夫婦仲も問題なく満ち足りた生活を送っていた老夫婦が、妻を襲った病魔により、ヘルパーの心のこもらない介護からの諍い、別居している娘との病院・老人ホーム入りについての方針をめぐる対立、妻自身の病状悪化への苛立ちと屈辱感、夫自身の介護疲れといった事情から、次第に疲弊していく様子が テーマであり、作品そのものとさえいえます。人生の勝利者であったはずの夫婦でさえ、病気によってこのような末路を迎えるという人生のあるいはこの社会の残酷さ、誰にも訪れうる避けることのできない運命に思いを馳せざるを得ません。
 妻に愛情を注ぎ、焦ることなく根気強く話しかけ介護を続けるジョルジュにおいてさえ、介護する側と介護させる側でのリズムというか、思いのズレが垣間見えます。自分が介護する側になったら、相手の思いをきちんと受け止められるか、不安に思いました。そして、主観的にはよかれと思って言っていることがわかる娘の言動も、ふだん姿を現さぬ子が時々やってきて言っても無責任でありがた迷惑と思える様子も、胸に染みました。それぞれが善意でも、それで解決できないことに、この問題の本質があり、だからこそ悩ましい。
 いろいろと身につまされる作品です。

2013年3月16日 (土)

オズ はじまりの戦い

 「オズの魔法使い」のディズニー版エピソードゼロ、映画「オズ はじまりの戦い」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、新宿ミラノ1(1064席)午前11時45分の上映は1~2割の入り。

 美女を見ると貴族の血を引く祖母の形見と称するオルゴールをプレゼントして口説くプレイボーイのペテン師マジシャンのオズ(ジェームズ・フランコ)が、サーカス団の怒れる怪力男に追われて熱気球で逃げたところ、竜巻に巻き込まれ、辿り着いた美しい国は「オズの国」と呼ばれ、同じ名前の魔法使いが空から降り立ち王となるという伝説があった。そこで美しく純真な西の魔女セオドラ(ミラ・クニス)に出会ったオズは、さっそく件のオルゴールをプレゼントしてセオドラを口説き、夢中になったセオドラにエメラルド・シティに案内される。エメラルド・シティでセオドラの姉エヴァノラ(レイチェル・ワイズ)に宮廷の財宝を見せられ、王となるには悪い魔女を倒さねばならないと告げられたオズは、エメラルド・シティに向かう途中で助けた翼のある猿フィンリーをお伴にし、途中で助けた陶器の少女とともに、魔女の森に向かう。エヴァノラに指示されたとおりに魔女の杖を奪うことに成功したオズは、そこで南の魔女グリンダ(ミシェル・ウィリアムズ)の美貌に思い直し、グリンダからエヴァノラがグリンダの父王を殺害しエメラルド・シティを乗っ取り、人々を苦しめていると聞かされる。オズがグリンダに言い寄る姿を水晶玉で見ていたエヴァノラは、オズの裏切りを知って怒りに震えるセオドラに魔法をかけ・・・というお話。

 軽薄で移り気なペテン師オズが、人々の希望や願いの重圧から、逃げだそうとしつつ逃げられなくなり責任感を感じていく成長ストーリーと、人間的(いや魔女的か)には1枚も2枚も上手のエヴァノラ・グリンダの「お姉様」的魅力と、オズの国の風景や植物・動物の映像・色彩の美しさで見せる作品です。視覚的には、現実世界でのモノクロ映像からオズの国でのカラー映像への切り替えの効果もあり、最初の方でのオズの国の風景の彩りは息を呑むほどです。
 「オズの魔法使い」では翼のある猿たちは、大昔の(オズが来る前の)北の魔女が作った金の帽子の持ち主に仕え、ドロシーがやってきたときには金の帽子は西の魔女が持っているという設定ですが、この映画では、金の帽子は登場しないまま東の魔女エヴァノラに仕えています。マンチキンは、「オズの魔法使い」では東の魔女の支配下にあるのですが、この映画では南の魔女グリンダの下で幸せに暮らしています。東の魔女は、「オズの魔法使い」ではどこへでも一瞬で移動できる銀の靴を履いていますが、エヴァノラはどこへでも一瞬で移動できる様子はなく、「オズの魔法使い」でドロシーを魔女のキスで守ってくれる北の魔女はそんな者がいることさえ紹介されていません。このお話で、「オズの魔法使い」につなげられるのか、そのあたりはあんまり気を遣ってないなぁと感じます。

2013年3月10日 (日)

すーちゃん まいちゃん さわ子さん

 30代女性の何気ない日常と漠然とした不安、このままでいいのかという疑問とそれを振り切り乗り越えて過ごす日常を描いた映画「すーちゃん まいちゃん さわ子さん」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午前11時20分の上映は7割くらいの入り。

 カフェ「FRAULEIN」の厨房を任せられている料理好きのすーちゃん(柴咲コウ)は、かつてあるレストランでバイト仲間だった今はメーカーの営業社員のまいちゃん(真木よう子)、自宅で祖母の介護をするWebデザイナーのさわ子さん(寺島しのぶ)と、今も時々3人で集い出かけおしゃべりする友達でいる。30代独身の3人は、まいちゃんが不倫相手の誠意のなさに悩み、すーちゃんは密かに思いを寄せるマネージャー(井浦新)から思われていると思いきや後輩の店員(佐藤めぐみ)に出し抜かれ、さわ子さんは出前を取ったら配達に来たのが同窓生で思わぬ再会から恋がスタートするが・・・というお話。

 当面の生活に困らずやっていけている30代独身女性3人の平穏な日常と少しのときめきと落胆、漠然とした不安と、このままでいいのかという疑問と若干の焦燥感、しかしまたその不安と焦燥を振り切り乗り越えるたくましさとその後も続く日常を描いた映画です。疑問や焦りはあっても、ある程度の動揺があったり泣いたりいっとき号泣してみても、それを乗り越えていく姿がすがすがしく思えます。
 すーちゃん、まいちゃん、さわ子さんと並んでいても、さわ子さんはやや出番が少なく、まいちゃんはキャリアを捨てて専業主婦になることへの戸惑いと後悔に沈み、すーちゃんが名実ともに主人公としてたくましく見える構成になります。前半は、けっこうまいちゃんも光ってたんですけどね。
 でも、3者3様の独身30代女性の恋愛、仕事、家庭の、それも順風満帆でもなく悲惨でもなく、いかにもありそうな条件の中での小さなときめきと落胆、漠然とした不安などを示すことで、あるあると共感させることを狙った作品で、見る側もふつう、そういう味わい方をすると思います。
 すーちゃんがカフェ「FRAULEIN」(娘さん・独身女性)の黒板に毎日書くひとことが、すーちゃんのその日の気分・気持ちを表していて微笑ましかったり切なかったりします。

2013年3月 9日 (土)

逃走車

 レンタカーに乗り込んだ男が事件と陰謀に巻き込まれ警察に追われるサスペンス・アクション映画「逃走車」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、東京で3館の上映館の1つ新宿ミラノ3(209席)午前11時20分の上映は1~2割の入り。

 南アフリカのヨハネスブルグに元妻のアンジーに会いに来たアメリカ人受刑者のマイケル・ウッズ(ポール・ウォーカー)は、セダンを予約していたのにミニバンが置いてあり、レンタカー会社に文句を言うが要領を得ず、元妻との約束の時間が迫るためそのまま車に乗り込む。途中、見覚えのない携帯が鳴り出し怪しげなメールが届くが無視していたところ、ダッシュボードには拳銃があり、携帯にかかってきた電話にどういうことかと怒鳴ると、相手はスミス刑事と名乗り、配車の手違いなので指定する場所に来て欲しいという。承諾したマイケルはそこに向かおうとするが、同じ名前の通りが50もあるといわれ、英語がなかなか通じずに迷ってしまう。ぬかるみにはまった車を発進させるとその反動で後部座席が倒れ縛られた女レイチェル(ナイマ・マクリーン)が転がり出てきた。検察庁勤めで警察署長が重大犯罪に関与している証拠を握った自分を消そうとして警察が拉致したと主張するレイチェルを無視してマイケルは指定された場所に行くが、銃撃され車で追われ、ようやくレイチェルの言葉を信じるが・・・というお話。

 全編が車の中からの映像で、観客が車内に同乗しているような感覚の映像が展開するところが売りの映画です。
 予告編からはカーアクションが中心の映画と予想しますが、時間的にはカーアクションの割合はそれほど多くはありません。
 サスペンス映画としてのストーリー展開はそこそこいいかなと思いますが、手に汗握るカーアクションを期待して見ると、ちょっと拍子抜けするかも。

 マイケルが運転する車、何度撃たれても窓ガラスが割れません。映像としてもそうですし、洗車のシーンがありますが水が入ってくる様子がありません。今どきのミニバンは、銃で撃たれても窓ガラスは割れないものなんでしょうか。
 マイケルの設定がよくわかりません。ひき逃げで刑務所に入り、今回は元妻のアンジーとの何らかの手続の必要があってヨハネスブルグを訪れてアメリカ大使館でアンジーと待ち合わせということなのですが、途中仮釈放申請が却下されたという書類が映ります。仮釈放の申請が却下されたなら一体どうやって刑務所を出て来たのか、頭を抱えてしまいます。アンジーと待ち合わせた要件は不明。仮釈放でなく刑務所を出て来たとすると、アンジーとの手続が刑の執行停止を認めさせられるほどの重要なことだったということでしょうか。
 レイチェルの証言もすごい。結局、私が調べたところ警察署長が関与していることがわかったというだけで、それ以上具体的な証拠に何も触れていません。いくらレイチェルが検察庁勤務でも、また死を前にしての切迫した証言だとしても、これだけで警察署長を有罪にできるはずがないと、弁護士としては思うのですが。

2013年3月 3日 (日)

フライト

 機体故障が相次ぐ中で奇跡的な不時着を成功させ多くの人命を救った機長が体内からアルコールとコカインが検出されて追い詰められるクライムサスペンス映画「フライト」を見てきました。
 封切り3日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン2(301席)午前9時10分(!)の上映は5割くらいの入り。観客層は中高年がわりと多い感じでした。

 アル中でヤク中の機長ウィトカー(デンゼル・ワシントン)は、愛人の客室乗務員トリーナ(ナディーン・ヴェラスケス)と遅くまで深酒をしコカインで目覚ましをしてアトランタ行きの定期便に乗務した。その日は天候が悪く、離陸直後に乱気流に巻き込まれ手動操作で巧みに乱気流を乗り切ったウィトカーは、こっそりウォッカの小瓶3本を飲み操縦を副操縦士(ブライアン・ジェラティ)に任せて眠ってしまう。機体の激しい揺れで目を覚ましたウィトカーは、機体の故障を察知し、次々と指令を出し副操縦士が対応できないのを見るとベテランの客室乗務員マーガレット(タマラ・チュニー)を運転席に呼び込んで手伝わせながら、背面飛行で落下を防ぎ草原を見つけて胴体着陸した。102人の乗員乗客のうち、背面飛行時に客席から落下した子どもを助けに行き機体が元に戻るときに頭を打ったトリーナら2人の乗員と4人の乗客が死亡したが、96人は生還した。マスコミはウィトカーをヒーローに祭り上げたが、トリーナの死を聞いて沈み込んでいたウィトカーは表に出ず、病院に薬物の急性中毒で運び込まれていたニコル(ケリー・ライリー)と意気投合する。機長を支援する乗員組合のチャーリー(ブルース・グリーンウッド)に呼び出され、ウィトカーの血液からアルコールとコカインが検出されたことを知らされ動揺するウィトカーに、乗員組合が雇った弁護士(ドン・チードル)は血液検査の報告書を潰すと宣言するが・・・というお話。

 飲酒が事故原因と直接は関係なく、事故調査委員会が10人のパイロットにフライトシミュレーターで事故を再現して操縦させたら10人とも墜落全員死亡となりウィトカーの手腕故に多くの人命が救われたこと自体は明らかとなったものの、ウィトカーがアル中で当日も飲酒しコカインを服用して乗務していた事実が明らかになれば少なくとも機長としてのキャリアを失い遺族から訴訟提起され、飲酒と死亡の因果関係が認められれば最悪の場合終身刑もありうるという状況の下、ウィトカーが事故調査委員会の調査にどう対応するかが焦点となります。
 いつも通りだったと言ってくれと迫るウィトカーに11年のつきあい故に悩みつつそんなはずがないと断るマーガレットの複雑な思い、飲酒の上突然訪ねてきたウィトカーを拒絶する元妻(ガーセル・ボヴェイ)と息子、両足に障害を負いキャリアを失った副操縦士の非難と、おとなしく過ごし飲酒については記憶がないというよう指示するチャーリーと弁護士。それらの中で動揺し続けるウィトカーの姿が見どころとなっています。

 一度嘘をつくと次々と嘘をつき続けなければならなくなるとアル中患者のミーティングで告白する患者の話とそれを聞いて苦しそうに席を立つウィトカーの姿が1つのシンボルとなっています。
 嘘というのはそういう性質のもので、私自身、戦術としてであれ嘘をつくことは得策でないと常々考えています。世の中、そうではない人もたくさんいるようで、嘆かわしく思うことが多々ありますが。組織を守るために嘘をつくしかない/嘘をついてもいいと考えている人々にこそ、見て欲しい映画かなと思います。

 弁護士の目からは、乗員組合が雇った弁護士とウィトカーの信頼関係が十分にできず、弁護士が組合の方針で動き、常識的には組合の方針と利害が一致するはずと判断して、ウィトカーのアル中の度合いと心の動揺を図りかねたところに弁護方針の破綻を見てしまいます。弁護士側からは、本人が事実と心情について十分に話してくれず、助言に従わなければ、弁護士がどれだけ頑張ってもどうしようもないとはいえますが。
 また、事故調査委員会のエレン・ブロック(メリッサ・レオ)が放った最後の質問は、質問者としては計算し尽くした落としに行く質問ではなかったはずですが、これが心の堰を突き破る一矢となるあたり、人情の機微というか心の綾が描かれていて興味深いところです。こういうことがありうるから(滅多にありませんけど)尋問というのは奥が深い、人間というのは簡単ではないと思うのです。

2013年3月 2日 (土)

世界にひとつのプレイブック

 最愛の人を失い心が壊れた男女の立ち直りとふれあいを描いた映画「世界にひとつのプレイブック」を見てきました。
 封切り2週目ジェニファー・ローレンスのアカデミー賞主演女優賞受賞が発表されて初めての週末の土曜日、新宿武蔵野館スクリーン1(133席)午前10時30分の上映は7割くらいの入り。

 高校教師の妻ニッキ(ブレア・ビー)が同僚の歴史の教師と自宅のシャワールームでHしているのを見つけたパット(ブラッドリー・クーパー)はその場で間男をボコボコにし、それ以前にも妻と歴史の教師が横領をしていたとありもしないことを申告していたこともあって、精神病院に収容された。8か月後、母親(ジャッキー・ウィーバー)が裁判所にかけ合い、パットを退院させるが、パットに対してはニッキの自宅や勤務先に行ってはならない接近禁止命令が出されていた。ニッキとの復縁を望み、ニッキはわかってくれると思い込み続けるパットは、一緒にアメフトの試合を見ようなどと自宅でじっとさせたい父親(ロバート・デ・ニーロ)の言葉を無視し、心配した友人がパーティーに招き妻の義妹のティファニー(ジェニファー・ローレンス)を紹介しても、ニッキとの復縁ばかりを考えていた。夫を交通事故で失い、やけになって職場の全員とセックスしてもめごとになり勤務先を解雇されその後も寂しさから男を誘い尻軽の未亡人と評判になっていたティファニーは、パットと友達になろうとするが、パットはニッキに手紙を渡せないかと頼み、ティファニーはダンス大会に一緒に出場することを条件に承諾し・・・というお話。

 パットのニッキへの執着、私には理解できませんでした。浮気していて、それも自宅に男を連れ込んでってかなりサイテーだと思いますし、それで接近禁止命令も申し立てているわけですし。まぁ、パットの精神病がそれ以前からあったわけで、パット側の視点では描かれていないさまざまな問題・事件があったのかもしれませんけど。いずれにしても、そういう状態でニッキと復縁できると思うのも疑問ですし、そういう女と復縁したいと思いますかねぇ。それでもそう思うという設定に、病気の影響とか、男のあわれさを感じさせようということでしょうか。

 ジェニファー・ローレンスのアカデミー賞主演女優賞受賞作品という頭で見に行くと、ジェニファー・ローレンスが登場するまでが長く、またジェニファー・ローレンスの演技時間が主演というわりには短いと感じてしまいます。作品の視点・展開はパット中心で、パットの精神状態、ニッキへの異様なこだわりの描写にかなりの部分が費やされ、ティファニーのキャラはパットから見たフシギちゃん+傷ついて攻撃的になっている自我の強い女という描かれ方をしているように思えます。
 脚光を浴びた「ウィンターズ・ボーン」、「それでも、愛してる」に引き続き(主演してヒットした「ハンガー・ゲーム」は見てませんので)逆境の下で傷つきながら生き抜くという役柄のジェニファー・ローレンスは、ある意味手慣れた感じで役に溶け込み、傷つき素直になれない意地っ張りで自己主張の強い女を22歳という実年齢を感じさせずに演じています。容貌にはあまり華やかさのないジェニファー・ローレンスが、演技力なのか独特のキャラクターを評価されてか、弱冠22歳にして映画界で確固とした地位を築いていることには、好感を持ちます。
 ラストへの展開は、やや唐突というか都合がよすぎる気もしますが、幸せ薄い女の役が続くジェニファー・ローレンスにはもっと幸せになって欲しいという思いが、私にはあるので、まぁいいところかなと思いました。

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