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2013年1月

2013年1月27日 (日)

アルバート氏の人生

 男性と偽って働き続ける孤独な女性の生き様を描いた映画「アルバート氏の人生」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国で5館東京で唯一の上映館TOHOシネマズシャンテスクリーン1(224席)12時50分の上映は8割くらいの入り。

 19世紀のダブリン、孤児として育ち、育ての親を14歳で失い、5人の男に階段の下でレイプされて捨てられ、1人で生きるために男性と偽りアルバート・ノッブスと名乗ってウェイターとして40年にわたり働いてきた女性(グレン・クローズ)は、貴族たちも愛好するモリソンズホテルでウェイターとして働き、高い評価を受けてきたが、人付き合いを避け、チップを貯め込むことを生きがいにしていた。貯め続けてきた金があと半年もすれば600ポンドに達するというとき、アルバートは自分で煙草店を持ちたいという思いを強め、店舗の空き物件を見つけ、そこで店を営業する自分の姿を夢想する。ある日、自分と同じように男性と偽って働く女性に出会ったアルバートは、その女性が働く女性と「結婚」し共同生活をしていることを聞いて衝撃を受け、それに習って自分も女性と結婚して一緒に店を持とうと思い、モリソンズホテルの若いメイドヘレン・ドウズ(ミア・ワシコウスカ)をデートに誘うが、ヘレンには若くわがままで野心的な恋人ジョー・マキンス(アーロン・ジョンソン)がいて、ヘレンにアルバートから金を巻き上げるよう指示し・・・というお話。

 長年にわたり地道に誠実に勤め続けこつこつと事業資金を貯めてきた50代半ばの人物が、いざその実現に向けて動き出したら、計画には現実性があまりなく、若く美しい女性にあれこれねだられて散財し振り回され、その恋人の若い男と争いになり敗北するという、悲しい物語。地道に生きてきた人は、最後まで地道に生き続けるのをよしとせよ、最後にひと花咲かせようとか色気を出すなといわれているようで、中高年世代には、よりもの悲しく思えます。いい歳したおじさんが、若く美しい女性に思いを寄せ、しかも相手が乗り気でないのに独り相撲で勝手に妄想を膨らませ・・・という展開は、ますます哀しい。ヘレンに言い寄り始めてからのアルバートの空気の読めなさ加減は、見ていて恥ずかしいほどですが、でも、恋は盲目、恋するおじさんってそんなものだという気がしますしね。
 それにしても、女が、パートナーとしての女を選ぶときでも、若くて美しい女を選ぶというのは、それはそれであわれを誘うような気がするのですが。

 アルバートの生き方は、早くに親を失い1人で生きざるを得なかった女性の悲しい姿ではありますが、同じように男性と偽って暮らすヒューバート(ジャネット・マクティア)はより素直でより明るい人生を送っていることと比べても、不器用に思えます。
 そういう不器用な生き方をする人たちへの理解と共感を示すという映画と見ておきたいと思います。

2013年1月26日 (土)

ストロベリーナイト

 過去の傷を持つ女性刑事のテレビドラマシリーズを映画化した「ストロベリーナイト」を見てきました。
 封切り初日土曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前10時20分の上映は7割くらいの入り。初日とはいえ、舞台挨拶なしの土曜日午前中でこの入りはさすがはテレビの威力。

 警視庁捜査1課姫川班班長の警部補姫川玲子(竹内結子)は、管内で発生した龍崎組傘下の暴力団構成員の殺人事件が他の2件のいずれも同じ龍崎組傘下の暴力団構成員が殺害され左目が切られていた殺人事件と同一犯とみて設けられた合同捜査本部で龍崎組の組長の跡目争いの内部抗争と見る組対4課と対立し、さらにはたまたま受けた「犯人は柳井健斗」というタレコミ電話に対して上層部から柳井健斗には触れるなという命令を受けたため、会議に出席せずに1人で柳井健斗を追い続けた。柳井健斗(染谷将太)は、9年前に発生した殺人事件で警視庁が父親が性的虐待を続けていた娘の住まいを見つけ出してレイプ殺人に及んだとして逮捕したが被疑者が容疑を否認して自殺した事件の被害者の弟であり自殺した被疑者の息子だった。警視庁は、被疑者の死後、被疑者にアリバイがあることを知ったが、それを黙殺して被疑者死亡で事件を処理していた。目の前で父親が容疑を否認して拳銃自殺した柳井健斗は、姉の恋人だった暴力団構成員に追いすがり叩きのめされた。今回の殺人事件の被害者は、その柳井健斗の姉の元恋人だった。姫川は柳井健斗のアパートの前で張り込むうち、訪ねてきた不動産業を名乗る牧田(大沢たかお)から柳井健斗の情報を探り出すべく繰り返し接触するが、他の2件の殺人事件に加え龍崎組若頭が殺害され組対4課がマークしていた対象が龍崎組若頭補佐の牧田だった。捜査会議に欠席し続け牧田と密会を続ける姫川に組対4課の怒りが爆発するが、事情を知らされていない姫川班は困り・・・というお話。

 家族を暴力団の手で奪われ復讐に燃えた過去を持つ牧田と、同様の境遇の柳井健斗、自身がレイプ被害にあった過去の傷を抱える姫川玲子の3者の哀しみと暗い思いが物語のバックボーンになっています。
 姫川玲子が禁断の恋に落ちるというのですが、見ている限りどうにも「恋に落ちた」みたいな幸福感というかときめきが感じられず、絡みのシーンでもどこか寒々とした感じがします。心の傷を引きずっているからということかなとも思いますが、傷ついた過去を持つ者同士が傷をなめ合っているとさえいいにくいような、投げやり一歩手前くらいの竹内結子の表情には複雑な思いを持ちました。
 姫川に思いを寄せながら部下として信頼を得る菊田(西島秀俊)が、牧田と対峙しおまえには姫川は無理だと囁かれ、さらには目の前の車の中で姫川が牧田とHしているのを察しつつ車の中で待たざるを得ないというあたり、同性として、その心情は察するにあまりあるというところ。
 どこから見ても、幸せな思いをする人が出て来ない、三浦友和が久しぶりにちょっと渋くてよく見えたかなくらいが救いの重苦しさが残る映画でした。

2013年1月20日 (日)

ももいろそらを

 財布を拾った女子高生と落とし主の天下り官僚の息子らが織りなす青春群像劇「ももいろそらを」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国唯一の上映館、オープン1か月の新宿シネマカリテスクリーン2(78席)午前11時の上映は4割くらいの入り。

 河原で30万円の入った財布を拾った女子高生川島いづみ(池田愛)は、財布に入っていた学生証から落とし主の自宅を訪ねるが表札の名前を見て天下り官僚の息子の財布とわかり、届けるのをやめる。釣り堀でボーッとしていたいづみは隣にいた印刷屋の親父(桃月庵白酒)が不景気で困った、機材を引き上げられたら仕事ができないとぼやくのを聞いてその財布を渡す。全部渡されても困る20万円だけ借りる、必ず返すからと財布を戻されたいづみは、中学時代からの友人薫(藤原令子)と蓮実(小篠恵奈)にカフェでの支払をきっかけに財布を拾ったことを知られてしまい、学生証から持ち主がイケメン高校生と知った蓮実に引っ張られて財布を返しに行く。持ち主の高校生佐藤光輝(高山翼)は謝礼として3万円を渡すが、後日、いづみを訪ね15万円足りないといいだし・・・というお話。

 誰とでもため口というか、大人に対してもむしろ命令口調・けんか口調でがんがん行くいづみの気っぷのよさというか、ずぶとさ、りりしさに支えられた作品かなと思います。新聞を隅々まで読んで採点する、ボウリング場と釣り堀に通う今ふうでない(おじさん波長の)女子高生が、奔放に育ったある種今どきの女子高生らしいしゃべりを見せる展開に、おじさんがギャップ萌えするというようなキャラかなという気がしました。私には好みですが、普通のおじさんにはきつすぎるキャラに思えますけど。
 ももいろそらをのタイトルは、最終段階でその意味が登場しますが、それを想像で補ってもらうためにモノクロにしたのでしょうか。でもごく普通にはそのラストがうまく撮れないからモノクロにしたんじゃないかと思われてしまうだろうラストでした。それに続くエンドロールが、エンド「ロール」とも呼べない体裁であまりにあっさりしていたのも、ビックリというかむしろ爽やかというか・・・

2013年1月19日 (土)

ルーパー

 タイムマシンが発明され封印された30年後の未来から犯罪組織が始末するために送ってくる敵対者を殺す処刑人の運命を描いたSF映画「ルーパー」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、新宿ミラノ1(1064席)午前11時45分の上映は1割足らずの入り。

 2044年のアメリカで、30年後の未来の犯罪組織から始末するためにタイムマシンで転送されてくる敵対者を待ち受けて銃殺する処刑人「ルーパー」の1人ジョー(ジョセフ・ゴードン=レヴィッド)は、報酬の銀塊をため込みフランスで暮らす夢を見ながらも薬物と娼婦に溺れる生活を送っていた。30年後の未来では、タイムマシンが発明されるがその使用は禁止され、犯罪組織だけが証拠を残さずに敵対者を殺害するために密かに使い続けていたのだった。未来の犯罪組織から送り込まれてきたエイブ(ジェフ・ダニエルズ)に指示されて働くジョーたちルーパーには失敗は許されず、そして生きながらえても30年後には秘密を守るために抹殺される運命が待っていた。ある日、ジョーが指示された時刻に標的の転送を待っていると、時刻に遅れて現れた標的は30年後のジョー(ブルース・ウィリス)だった。戸惑うジョーを襲った30年後のジョーは逃走して町に潜伏し、ジョーはその後を追うが・・・というお話。

 タイムループもののタブーともいうべき自分同士の対決というアイディアが売りの映画です。タイムループものでは、未来からの介入が未来に影響を与えてしまうという問題のため、未来から来た者は過去にできる限り影響を与えない、過去の自分に見られないということを心がけて動くのが常ですが、この作品ではそういうことは端から気にしてません。そもそも未来からの介入でその未来自体が変わってしまうことを考え始めたら、パラレルワールドに開き直るしかありません(それでもその未来から来た人が戻る未来はどの未来?という疑問が出て来ますし)し、考えてもわからないことですから、気にしない方がいいのでしょう。
 宣伝では前に出ませんが、タイムマシンとともに、超能力TKパワー(念力:テレキネシス Telekinesis の略でしょうね)が基本的な道具立てになっています。これは未来とどう関わるのかよくわかりませんが。この非合法のタイムマシンと超能力という組み合わせが、SFなのに前向きの夢ではなくうさんくささだけを感じさせます。
 刹那的なワル男が、なじみだった娼婦と連れ子に寄せる思いと決断から来るラストは、確かに意外で(公式サイトで書かれている「どんでん返しに次ぐどんでん返しの先に待ち受ける、驚愕の結末」とまでは思えませんが)少し心地よい。設定のアイディアとこのエンディングで成り立つ映画というところでしょうか。

 その設定ですが、未来では科学捜査が進みあらゆる犯罪に足がつくので殺人が犯せないから、犯罪組織は殺したい人物を30年前に転送してそちらで殺害して死体も始末させるという説明だったと記憶しています。それなのに、30年後のジョーが30年前にやってきたのは目の前で妻を殺され、妻を殺した犯罪組織のトップ「レインメーカー」を子ども時代に抹殺するため。30年後の世界では殺人は犯せないはずじゃなかったの?ジョーの妻の殺人事件はどう処理されたの?
 あと、犯罪組織から逃げたジョーが、「1年後」のキャプションが入る前に1度また未来から転送されてきた人物を撃っているシーンが入っていたように思えるのですが、これは何なんでしょう。ジョーは組織に戻ったのか、それならその後ずっと組織を離れて上海で暮らしているのはなぜなのか、ちょっと納得できない感が残りました。私の見間違いでしょうか。

2013年1月13日 (日)

もうひとりのシェイクスピア

 シェイクスピア別人説を材料にエリザベス1世時代の宮廷の権力闘争と芝居と言葉の力を描いた映画「もうひとりのシェイクスピア」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、新宿武蔵野館スクリーン2(84席)午前10時20分の上映は7割くらいの入り。

 エリザベス1世時代のイギリス、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア(リス・エヴァンス)が評判の芝居を見ていると、宰相のウィリアム・セシル(デヴィッド・シューリス)の軍隊が上演中止を命じ、劇作家ベン・ジョンソン(セバスチャン・アルメストロ)を逮捕した。セシルの娘婿の地位を利用してベンを釈放させたエドワードは、ベンに自ら書いた戯曲「ヘンリー5世」の脚本を渡し、これをベンの名前で上演するように求めた。おもしろくないベンは中身を読みもせずに役者に渡し上演させたが、観客は熱狂して脚本家の登場を要求、ベンが当惑している間に役者のウィル・シェイクスピア(レイフ・スポール)が名乗り出てしまう。エドワードは、その後もベンに次々と脚本を渡し、シェイクスピアは人気作家の地位を確立する。宮廷では、老齢のエリザベス1世(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)の後継をめぐり、スコットランド王のジェームズ1世を推すウィリアム・セシル、ロバート・セシル(エドワード・ホッグ)父子と、エリザベスの隠し子と噂されるエセックス伯を推すサウサンプトン伯(ゼイヴィア・アミュエル)の対立があった。エセックス伯らを宮廷から遠ざけるためにアイルランド遠征に追い払いエセックス伯の後任の相談役に息子のロバートを就任させたウィリアム・セシルの陰謀に巻き返しを図るエセックス伯らに対し、武力蜂起によるのではなく芝居の力で民衆を立ち上がらせようと提案したエドワードはロバート・セシルを悪役にした「ヘンリー3世」を上演させ、興奮した民衆は宮廷を目指すが・・・というお話。

 シェイクスピアの正体よりも、エリザベス1世時代の宮廷の権力闘争とその中での人間関係・思惑の交錯を描いた人間ドラマと考えた方がいいでしょう。渋好みの人向けの映画です。
 歴史ミステリーと銘打ち、現にいくつかのどんでん返しもあるのですが、公式サイトのストーリーで最初から最後までストーリーが書いてあるのは、親切なのか、ネタバレなのか(一番核心の部分はさすがに「衝撃的な真実」とだけ書いてありますが)。
 書く才能にあふれ、知的で理想に燃えるエドワードと、父親の力で地位をなした陰気でせむしのロバートの対立構造ですが、単純な対比になっていないところがいい。終盤のエドワードとロバートの直接対決で、エドワードを思慮深い改革のリーダーから世間知らずのお坊ちゃんに落とし込むシーンは圧巻です。そういう含みもあり、年を取った後のエドワードのもの悲しい目が印象的です。また、人を見る目はあるというエドワードの計画が、見込んだベンとシェイクスピアの対立で頓挫するところも象徴的です。
 宮廷の人間関係も、エドワードを引き取り教育して娘と結婚させたウィリアム・セシルの狙い、それを横で見ていたロバートの思い、奔放でありながら側近の言葉にのみ耳をかたむけ冷酷でもあるエリザベス1世、単純で激しやすいエセックス伯と、性格の悪さ・陰湿さは感じますが、セシル父子の用意周到さ・思慮深さが目につきます。やっぱりこういう人たちが生き残っていくんだろうなって。
 それにしても、エリザベス1世って Virgin Queen と呼ばれたんじゃなかったでしたっけ・・・

 宮廷の権力闘争劇としては、エドワードは抑え込まれた異端者として見ることができますが、同時に貴族として民衆の「力」は認めるものの自らが民衆を指導するというかコントロールするという意識がありありと見え、ベンらに対する態度もいかにも偉そうで、しょせん貴族の遊びという印象が残ります。この映画のベースとなっているシェイクスピア別人説自体、商人の息子にあんな作品が書けるものかということが理由の1つとされているわけですし。特に、民衆側からの視点で描かれた「レ・ミゼラブル」を見た後だと、そう見えてしまいます。

2013年1月 6日 (日)

フランケンウィニー

 科学好きの少年が死んだ愛犬を生き返らせるというパペットアニメファンタジー「フランケンウィニー」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前9時20分の上映は3%の入り。日曜日の午前9時台に映画見に行くかなぁってことでもありますが、同じ時間の「レ・ミゼラブル」はけっこう並んでましたし「レ・ミゼラブル」で並んでる観客から「なんでレ・ミゼラブルがスクリーン1じゃないの」って声が上がってました。私もそう思います。まぁ私はスクリーン1だから見てみようかと思った(やはり映画は大きなスクリーンで見るのが一番)わけで、動員に効果がないわけじゃないんでしょうけど(「レ・ミゼラブル」はほっといても客が来るし)。

 科学好きの少年ヴィクターは、いつも屋根裏にこもり、愛犬のスパーキーが一番の友達だった。同じクラスのフシギちゃんがペットの白猫オヒゲくんの糞占いでヴィクターに「何かが起こる」と予言した日、スパーキーは車に轢かれて死んでしまった。スパーキーの死の傷が癒えないヴィクターは、理科のジクルスキ先生の電気ショックの実験にヒントを得て、スパーキーの死体を掘り出し雷の電撃で生き返らせる。ヴィクターはスパーキーを屋根裏部屋に隠したが、スパーキーはじっとしていられずに走り回り、ヴィクターの同級生のエドガーに姿を見られてしまう。エドガーは、ジクルスキ先生が企画した科学展での優勝を狙い、ヴィクターを脅して金魚を生き返らせるが、なぜか金魚は透明金魚として生き返った。エドガーは自慢げに透明金魚を持ち歩くが、そうするうちにヴィクターがスパーキーを生き返らせたことが知れ渡り、同級生たちは次々と死んだペットを生き返らせ・・・というお話。

 昔懐かしいパペット(人形)をコマ撮りして動かすという手法(今はストップモーション・アニメーションというらしい)のものすごい手間のかかるアニメですが、昔見た作品のようなかくかくした動きがなくものすごくスムーズな動きです。最初は登場人物は全部パペットじゃなくてCGアニメだと思ったくらい。87分の作品ですが、そういう撮り方をしてることからすればよくこれだけ長時間の作品にしたなと思えます。
 パペットが、リアルじゃないんですが、目元とか妙に情感があるように思えます。スパーキーはとんでもなく愛らしいし、ヴィクターのママの表情やしぐさはどこかなまめかしい。
 ヴィクターの同級生のナソルが生き返らせたペットの芋虫がまたかわいい。トシアキの生き返らせたガメラっぽい亀の怪獣と闘うというので、えっこの芋虫が巨大化してモスラになるんだろうかと、一瞬思いましたが・・・
 ヴィクターの同級生の競争意識が非常に強く何でもビデオ撮影する小ずるいキツネ目の少年トシアキは、監督の日本人像を象徴しているのでしょうね。突然日本語を話すシーンがありそこで日本人の設定と気付きましたが、やっぱり日本人はいいイメージは持たれていないと再認識しました。

2013年1月 5日 (土)

レ・ミゼラブル

 ヴィクトル・ユゴー原作の大ヒットミュージカルを映画化した「レ・ミゼラブル」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、シネマスクエアとうきゅう(224席)午前11時40分の上映は7割くらいの入り。

 妹の子どもたちに食べさせるためにパンを盗もうとして投獄された囚人24601号ことジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は5年の刑期が脱獄の度に延長され19年目の1815年に仮釈放された。危険人物と記載された黄色い身分証を見せる度に宿屋から追い出されたジャン・バルジャンは、司教(コルム・ウィルキンソン)に夕食とベッドを与えられるが、夜中に銀の食器を盗んで逃走し、憲兵に捕まった。しかし、司教は憲兵に銀の食器はジャン・バルジャンにあげたものだ、銀の燭台もあげたのに忘れたのかといって、ジャン・バルジャンに銀の燭台を渡し正直者に生まれ変われとささやいた。司教の許しに戸惑い考え込んだジャン・バルジャンは身分証を破き捨てて身を隠し、7年後モントルイユの町で工場を経営する市長となっていた。工場で働くファンテーヌ(アン・ハサウェイ)は工場長の気まぐれでクビになり悪徳宿屋の主テナルディエ(サシャ・バロン・コーエン)に預けている一人娘コゼット(成人後アマンダ・セイフライド)への仕送りができなくなり娼婦に身を落とす。クビになったのは市長のせいだとファンテーヌからなじられたジャン・バルジャンはファンテーヌの望みを受け入れてコゼットを連れてくると約束したが、ジャン・バルジャンを追い続けるジャベール警部(ラッセル・クロウ)からジャン・バルジャンを見つけたという報告を受け、悩んだ末に冤罪で裁判を受ける男の法廷に赴き、自分がジャン・バルジャンだと告白する。3日待ってくれという懇願を聞き入れないジャベール警部を振り切ってモントルイユを出たジャン・バルジャンは、テナルディエに大金を払ってコゼットを連れ出しパリで身を隠すが・・・というお話。

 スリと詐欺とゆすりで生きている強欲なテナルディエ夫婦とセクハラ工場長を除いたすべての登場人物がそれぞれの苦悩を抱え苦しみ悩む生き様に涙を誘われます。ジャベール警部でさえ、悪意の権力濫用警察官ではなく、法律に従って正義と秩序を実現するという信念で生きていて、市長をジャン・バルジャンとして告発しそれが間違いだと判断した折には自ら懲罰を求め、ジャン・バルジャンに命を助けられた後目の前を行くジャン・バルジャンの逮捕を自ら断念したとき自らの確信が揺らいだがために生きていけないと判断します。
 同僚にテナルディエからの手紙を見られてもみ合いになり、それを見た工場長の気まぐれな判断で解雇され、解雇されるやたちまちのうちに生活ができず娼婦に身をやつすファンテーヌの哀れさは、アン・ハサウェイの熱演もあり、ただただ涙を誘います。しかし、同時に、労働者の弱みにつけ込むセクハラ工場長やその恣意で簡単に解雇され解雇されると直ちに生活基盤を失う非正規労働者の姿は、現代の日本でも他人事とはとても思えません。
 フォンテーヌとジャン・バルジャンの悲劇はストーリーの軸をなしますが、脇役では、テナルディエの娘エポニーヌ(サマンサ・パークス)の恋が泣けます。どうしようもない悪い親の下でけなげにまっすぐ育ったエポニーヌが、革命を志す青年マリウス(エディ・レッドメイン)に思いを寄せながら、マリウスがコゼットに一目惚れし夢中になるのにコゼットの住まいを探し出してマリウスに教えつつテナルディエには教えず通報もせず、最後はマリウスをかばって銃弾に倒れます。コゼットとマリウスの恋はいかにも未熟な者同士の一目惚れで、それよりはずっとマリウスを見つめていたエポニーヌの恋をこそ成就させてあげたいのが人情というものだと思います。エポニーヌが報われない恋に殉じ、死ぬ間際にようやくマリウスに抱かれてほほえんで死んでいく様はあまりにも切ない。あと脇役では革命蜂起グループの少年ガヴローシュのバリケード上に立つ姿。コゼットとマリウスはラストでの希望の象徴だからかもしれませんけど、コゼットとマリウスよりこの2人(エポニーヌとガヴローシュ)の方が感情移入できたなぁと思います。

 ジャン・バルジャンについての設定が原作と違っています。まず最初のジャン・バルジャンの釈放が、「仮釈放」というところで、あれ?と思いました。原作では刑期満了での釈放です。脱獄を繰り返した問題児のジャン・バルジャンを仮釈放するか、「危険人物」という評価なら仮釈放するかということも見ていて疑問に思いましたし。そして、ミリエル司教(映画では名前も出て来なかったと思いますが)に許された後、原作ではさらに少年プチ・ジェルベ(プティー・ジェルヴェー)が落とした銀貨を踏みつけて「返してくれ」というプチ・ジェルベを追い払うという行為に出てこれが強盗と評価され、1923年の裁判ではこのプチ・ジェルベに対する強盗が対象となっているのに、この映画ではプチ・ジェルベに対する犯罪は登場しません。その結果、ジャン・バルジャンが市長になった後もジャベール警部に追われる犯罪容疑は(映画中では明確な説明はなかったように思いますが、理屈上必然的に)仮釈放中に逃走したことに置き換えられています。さらに、1923年に別人がジャン・バルジャンと誤認されて裁判中にジャン・バルジャンが名乗り出た後、原作では(いったんは脱走しますが)裁判を受けて無期懲役となって監獄に入る(懲役中に作業していた船が沈没して死んだと判断されるが死体は上がらなかったという設定)のに、映画ではコゼットと逃走して身を隠し続けることになっています。他の人にとってはどうでもいい些細な違いなのかもしれませんが、私は、自分のサイトの刑事弁護の必要性を説明するページでジャン・バルジャンのケースを使っていることもあり、ジャン・バルジャンの法的な状態には関心を払っていましたので、そこはかなり気になりました(私のサイトでの記載が間違いだったかと気になって、原作を再チェックしてしまいました:映画との違いの点以外で若干の勘違いや不明と思っていたことが書いてあるのに気がつき、修正しましたけど)。

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