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2012年12月

2012年12月30日 (日)

大奥~永遠~

 男女逆転大奥シリーズ映画第2弾「大奥~永遠~」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午後1時30分の上映は3割くらいの入り。

 男だけが罹る疫病の蔓延で男が激減し政治の表舞台を女が担うようになって30年、徳川5代将軍綱吉(菅野美穂)の正室信平(宮藤官九郎)は子ができないままに「御褥下がり」の35歳を迎えることとなり大奥での権力を維持するために京都から公家の右衛門佐(堺雅人)を呼び寄せた。右衛門佐は学識で綱吉を魅了し、綱吉から御褥を申しつけられた際に自分は来年35歳となり一時の寵愛を受けてもその後は地獄と述べて大奥総取締の座を射止める。綱吉の子松姫の父伝兵衛(要潤)と綱吉の父桂昌院(西田敏行)、信平と右衛門佐の間で綱吉の次の子産みをめぐって権力闘争が強まる中、5歳になった松姫が熱病で死に、綱吉は世継ぎ作りに専念させられ若い男に次々と御褥を命じてゆくが一向に懐妊の兆候がなく・・・というお話。

 序盤、初恋の男阿久里(榎木孝明)が嫁いだ先の備後の守成貞(市毛良枝)邸での宴に招かれた綱吉が、もう休みたいと言い、寝所で成貞が侍らせた若者たちを全員下げさせ、成貞にも下がってよいと伝え、困惑する成貞の前で阿久里は残れと言い放ち、「夫を差し出せと」と絶句する成貞を追い出し、「上様、それだけはご容赦を」とひれ伏して懇願する阿久里に言い寄る綱吉の姿が圧巻。綱吉はその後も1月に5度も成貞邸に通い、すすり泣く成貞を尻目に阿久里に御褥を申しつけ、さらにはその息子をも餌食にした挙げ句、阿久里と息子は精を吸い尽くされてか病死、悲嘆に暮れる成貞は所領を返上して隠居とあいなります。このエピソード1本で、男女逆転の世の中、綱吉の横暴さ、反倫理的で強欲な独裁者の悪逆非道とその犠牲者の哀れさなどが一気に印象づけられます。この部分は巧みな展開・演出といえるでしょう。
 しかし、その後右衛門佐が登場してからの展開は、大奥に仕えるようになってほんの数日の右衛門佐がいきなり大奥総取締に任じられたことの不自然さ、権力闘争・権謀術数にのみ関心を払う右衛門佐が最後になって純愛を語ることの説得力のなさなど、今ひとつストンと落ちない感じがあります。
 そこに至る経緯からの不自然さを置いてそこだけを見ると、右衛門佐と綱吉の終盤のラブシーンは、しみじみします。おじさん世代としては「老いらくの恋」には、さまざまな思いが去来しますし、最初に会ったときから傲慢で勝ち気で強かな女だと思い、対等に振る舞いたかったという台詞はちょっとしゃれているかも(それが言える相手がどれだけいるかの問題はありますけど)。
 ストーリーの流れから行くと、綱吉が最も心を許せる相手は、桂昌院と密通していることへの嫌悪感を考慮に入れても、長年仕え続けた側用人で愛人でもある柳沢吉保(尾野真千子)だと思うのですが、綱吉の最後の心のよりどころが右衛門佐になるのは、女が最後に頼るのは男、あるいは恋愛は異性間というメッセージなのでしょうね。前作の吉宗(柴咲コウ)の英断ぶりと比較しても今回は綱吉の愚かな女ぶり・内心の弱さが強調されていることも含め、「男女逆転」と言いながら、作っている人たちの保守的な志向と性役割観を感じさせます。

2012年12月29日 (土)

ブレイキング・ドーン Part2

 「史上最強のヴァンパイア・ラブファンタジー」(公式サイトのキャッチコピー)だとかのシリーズ最終映画「ブレイキング・ドーン Part2」を見てきました。
 封切り2日目土曜日、新宿ピカデリースクリーン3(287席)午前9時40分の上映は7~8割の入り。カップル向けの映画ですが、土曜日午前ということもあってか意外に一人客も目につきました。
 全米歴代興収52位(第1作「トワイライト 初恋」が136位、第2作「ニュー・ムーン」が42位、第3作「エクリプス」が41位、第4作「ブレイキング・ドーンPart1」が54位)だそうです(全米歴代興行収入の情報はこちらから)が、日本ではこれまでの興行収入はいずれも10億円未満のようでランキングで探すのも困難(「ブレイキング・ドーン Part1」については2.8億円、日本国内歴代興行収入ランキング948位という記載を見つけました)。現時点の日本国内の歴代興行収入499位が19.2億円だそうですから、少なくともこれまでのシリーズ4本は日本では「ヒット」の記録には残らない映画です(日本国内興行収入の情報はこちらから)。このシリーズ、「大ヒット」という宣伝に強い違和感を持っていたのですが、日本国内興収を調べられてようやく納得感を得ました(封切り2日目に、新宿ピカデリーが1番手スクリーンを封切り3週目の「フランケン・ウィニー」と2週目の「レ・ミゼラブル」、2番手スクリーンを封切り3週目の「ホビット」にあてて、その次の扱いにしてるくらいだもの)。

 Part1で念願のエドワード(ロバート・パティンソン)との結婚を果たし、エドワードとの子どもを産む過程で瀕死の状態になり救命のためということでやはり念願だったヴァンパイアへの転生をも果たしたベラ(クリステン・スチュワート)は、Part2ではヴァンパイアとしての強力な力を得、人間の血への渇きを制御し、エドワードと娘レネズミ(マッケンジー・フォイ)との平穏な日々を送っていた。しかし、レネズミの姿を遠くから見たヴァンパイアのイリーナ(マギー・グレイス)はレネズミをヴァンパイアが恐れる「不滅の子」と判断し、ヴォルトゥーリ一族に上申した。ヴォルトゥーリの族長アロ(マイケル・シーン)はカレン一族を滅ぼすことを決意し、それを予知したアリス(アシュリー・グリーン)は雪が積もる頃ヴォルトゥーリが襲撃してくると予告して姿を消す。カレン家の長カーライル(ピーター・ファシネリ)は、レネズミが不滅の子ではないことを証明するために世界各地のヴァンパイアを集め、ヴォルトゥーリの説得と戦いの準備をする。雪の朝、ヴォルトゥーリの大軍がカレン家を訪れ・・・というお話。

 1巻で2度儲けようとしてPart1、Part2に分けた結果、Part1はほとんど結婚式と新婚旅行、妊娠、出産とストーリーはまっすぐに流れていくだけで、間延びした展開。Part2ではベラは最初からヴァンパイアで、公式サイトで監督が言うように「まったく違う映画」。原書第4巻では、1~3巻同様守られる弱いふつうの女性だったベラが、後半ヴァンパイアに転生するや他のヴァンパイアを圧倒し、ヴォルトゥーリ一族との戦いで中心的役割を果たすという大きな展開というかギャップが魅力となっていますが、映画はPart1、Part2に分けた結果、その対比・ギャップの魅力が消滅しています。
 ヴァンパイアになったベラの当惑とかも多少見せ場になっていますが、全体としてヴォルトゥーリとの対決準備と、次々と訪れる世界各地のヴァンパイアの紹介に追われ、ストーリーがたいして展開しないまま細切れのカットが続き落ち着かない感じがします。エンドロール前に登場人物の紹介(それもPart2には登場しない人も含めて)が延々と続くのも、ファンサービスなのかもしれませんけど、間延びした感じです。その途中で席を立つ客が少なからずいました。
 ラストについては、大きく評価が分かれるでしょう。私は不満派です(これまでの記事も含めて読んでもらえばわかるように、この作品全体に批判的だということももちろん影響しているとは思います)が、カミさんはよかったといっていました。

 冒頭の冬の風景映像が美しい。モノクロで、白のきれいさが際立つのですが、ヴァンパイアまたはベラの転生をイメージさせるためにこの美しいモノクロの風景映像を赤く色づけるのがグロテスクで悪趣味。映像としては、赤く塗ってない段階の冒頭映像が、この作品で一番きれいだったかなと思います。

2012年12月24日 (月)

恋のロンドン狂想曲

 ウディ・アレン監督の新作コメディ「恋のロンドン狂想曲」を見てきました。
 封切り4週目月曜日祝日、新宿武蔵野館シアター3(84席)午後0時45分の上映は6割くらいの入り。

 ある日若返りに目覚めてジムや日焼けサロンに通い始めたアルフィ(アンソニー・ホプキンス)は、妻に離婚を言い渡し、若い娼婦シャーメイン(ルーシー・パンチ)とつきあい結婚した。いきなり離婚されて悲嘆に暮れるヘレナ(ジェマ・ジョーンズ)は占い師に心酔し、死んだ妻が忘れられずに妻の霊と交信したがっているジョナサンと行動をともにする。ヘレナの娘のサリー(ナオミ・ワッツ)は大学医学部を出ながら作家になり一作目は売れたもののその後鳴かず飛ばずの夫ロイ(ジョシュ・ブローリン)が小説を書けずにいるので働きに出るが、勤務先の上司グレッグ(アントニオ・バンデラス)に惹かれ、他方ロイは向かいのアパートメントに住む娘ディア(フリーダ・ピント)に惹かれてゆく。2組の夫婦がそれぞれに歩み始めた恋の行方はいかに・・・というお話。

 年をとっても結婚していても恋のときめきを感じたいもの。でも、そうは問屋が卸さない、現実は甘くない、そういう作品ですね。相手を見る目の問題か自分の問題か、それぞれの躓きの原因はずらされてはいますが、結局は浮気心は起こしなさんなと言われているような。
 本人の気持ちの中ではヘレナが幸せかもしれませんが、その気持ちというか心というか頭というかがあっちへ行ってるようで、寒々しい。
 ラブコメと呼ぶには皮肉っぽすぎるように思えました。

2012年12月22日 (土)

鍵泥棒のメソッド

 売れない役者と殺し屋が入れ替わるコメディ「鍵泥棒のメソッド」を見てきました。
 封切り18週目土曜日、現時点で全国7館東京で2館の上映館の1つキネカ大森シアター2(69席)午前11時の上映は4割程度の入り。

 所持金千数百円家賃も滞納しまわりから借金しまくりの売れない役者桜井武史(堺雅人)は銭湯で羽振りのよさそうな男山崎(香川照之)が転倒して頭を強打し気を失ったのを見てロッカーの鍵をすり替えて男の車に乗り込む。男の財布にあったお金で方々に借金を返した桜井は、男の入院先に男の服を持って謝りに行くが男が記憶を喪失し自分が桜井武史だと思い込んでいるのを見て、そのまま立ち去り男の自宅に行った。男の携帯に出た桜井は話を合わせていたが、実は男は「裏社会の便利屋コンドウ」と呼ばれる腕利きの殺し屋で、桜井は暴力団員から次の殺人を請け負うハメになる。一方、余命幾ばくもない父親に花嫁姿を見せるために2か月以内に結婚すると決意した雑誌編集長の水嶋香苗(広末涼子)は、父を見舞った病院で呆然としている桜井と名乗る男(香川照之)の世話を焼くうちに、記憶を喪失した上金もなく売れない役者だと気付いて途方に暮れながらも一所懸命に役者の勉強を始めて生きていこうとする姿に感激し、プロポーズする。水嶋に好意を持ちつつもあまりの性急さに戸惑う山崎は、容態が急変した水嶋の父の葬儀に立ち会った後、記憶を取り戻す・・・というお話。

 危ない橋を渡りながらリッチな暮らしをしてきた山崎が記憶を喪失して金欠の役者として生き、売れない役者だが生真面目な桜井が金まみれになりながらも暴力団に見張られながら殺人を迫られるという人生の転換と予想外の危機に見舞われるという設定・展開と、水嶋と山崎の恋が成就するかがメインテーマのコメディです。
 確かに最初に結婚ありきの挙動不審ともいえるずれまくりの行動に引かされる水嶋ですが、所持金もなく定職もない状態におかれて記憶を失ったどん底状態の山崎の立場で、自力で生きられる大人の女性からそういう自分に手をさしのべ好意を示されれば、これはもう感激するしかないと思います。言ってみれば、金や地位に惹かれているのではなく純粋な愛を示されているわけですから。たぶん、自分が山崎の立場に立ったら水嶋と結ばれると思います。仮にその後記憶を取り戻し自分が金持ちだったとしても。もっとも、弱いだらしない男に、いわゆる「母性本能」をくすぐられ、「そういう男に尽くす自分」に酔ってしまうというパターンもあり、それだと先々思いやられる展開もありですが・・・
 恋にときめいて胸がきゅーんとなる「きゅーんのマシーン」が30代になると壊れてしまうと、水嶋の姉は言うのですが、ホントでしょうか。確かに52歳のおじさんには「きゅーん」という思いは忘却の彼方ですが、ときめきとかウキウキワクワクとかは・・・時々は感じたいなと思うのですが。

2012年12月16日 (日)

ボス その男シヴァージ

 タミル(南インド)の大スターラジニカーントの2012年春日本公開の「ロボット」の前作「ボス その男シヴァージ」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、全国3館、東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(183席)午前10時15分の上映は2割くらいの入り。

 アメリカで成功してインドに凱旋した実業家シヴァージ(ラジニカーント)は、タミル地方の都市チェンナイで大学と病院を開設していずれも無償で民衆にサービスすると宣言し、準備を始めた。役人はことごとく文句をつけ、賄賂を要求し、最初は賄賂を拒否していたシヴァージも仕方なく各所に賄賂を配り、ようやく建設が許可された。チェンナイで独占的に大学と病院を運営し多額の収入を得ている実業家アーディセーシャン(スマン)は、州の首相に働きかけて決定を覆させるが、州首相が要求した多額の賄賂をシヴァージが支払って再度許可を得ると、裏で手を回して州首相を落選させて新たな州首相を就任させた。シヴァージは裁判闘争を仕掛けるが、賄賂を渡したことを認めざるを得ず、裁判所は建設の凍結を命じ、シヴァージは全財産を失うことになった。全財産を失ったシヴァージは逆襲を開始、アーディセーシャンら資産家たちの裏マネーを策略を用いて奪い、その金で大学と病院を完成させてサービスを始める。アーディセーシャンはシヴァージに逆襲すべくシヴァージの弱みを探すが・・・というお話。

 インド社会にはびこる賄賂要求と地下経済、資産家たちの悪辣ぶりを告発する社会派的なテーマと、伝統的なタミル女性タミルセルヴィー(シュリヤー・サラン)に一目惚れしたシヴァージのラブ・ストーリーを、インド映画らしいど派手な衣装での歌と踊りを織り交ぜながら描いています。
 ラブ・ストーリー部分は、金にものを言わせて強引に言い寄るシヴァージと、迷信深く肌の色が黒いのが嫌だなどの無理な要求をしシヴァージが財産を失うと結婚しないと言い出すタミルセルヴィーは、どうもどっちもどっちという感じで、まぁ好きにしてよという気持ちになります。シヴァージの事業の部分とタミルセルヴィーへの求婚部分の連携が今ひとつで、流れにブツブツ感があります。
 タミルセルヴィーは、占い師のいうことに左右された挙げ句に役人の言に惑わされてシヴァージを売ることになるという、いかにも愚かな女という役回りで、インドのなのか、制作者のなのかはわかりませんが女性観(女性蔑視の目線)を表しているように見えます。
 派手な歌と踊りは、前半に集中していて(前半の草原での腹踊りが見どころといえるかも)、エンディングは意外に静かで残念な気がします。

 この映画は2007年の映画で、「ロボット」以前のタミル語映画の動員記録を持っていたそうです。2010年の「ロボット」が2012年春に日本で公開されたので、その勢いでその前の作品も公開となったのでしょうけど、この流れで3時間05分はつらく思えます。果たして日本でどれくらいの興行成績を上げられるでしょうか。

2012年12月15日 (土)

砂漠でサーモン・フィッシング

 イエメンの砂漠でサーモン・フィッシングをしたいという破天荒なプロジェクトに翻弄される男女の関わり合いを描いたハート・ウォーミングストーリー「砂漠でサーモン・フィッシング」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午前9時50分の上映は1割くらいの入り。

 政府機関に勤める水産学者のジョーンズ博士(ユアン・マクレガー)は、イエメンのシャイフ(アマール・ワケド)の投資コンサルタントのハリエット(エミリー・ブラント)からシャイフがイエメンの砂漠でサーモン・フィッシングをしたいと言っているが実現可能かと聞かれ、不可能と一蹴した。ハリエットの調査でイエメンの砂漠に大きな帯水層があり地下には低温の水が大量にあること、緑化プロジェクトで既にダムが建設されており川を作ることができることを知ったジョーンズ博士は、このプロジェクトが「理論的には」可能(火星に行くことも理論的には可能)として、費用は5000万ポンド(現在の為替レートで約62億5000万円)と当てずっぽうに伝えたところ、シャイフから直ちに5000万ポンドの送金があった。アフガニスタンでイギリス軍が犯した失態で窮地に追い込まれたイギリス政府の首相広報官パトリシア・マクスウェル(クリスティン・スコット・トーマス)は部下に中東に関する明るいニュースを1時間以内に探すよう厳命し、部下が見つけたこのプロジェクトを外交上の重要課題として実現を命じ、ジョーンズ博士は上司からこのプロジェクトへの専従を命じられる。シャイフに会いスコットランドで一緒にサーモン・フィッシングをして意気投合し、プロジェクトの実現に向けて手配をするうちにジョーンズ博士は、共働きの妻がジュネーブへの赴任を相談なく決めてしまい夫婦間の亀裂が表面化したこともあって、このプロジェクトにのめり込んでいくが、つきあい始めて3週間の恋人ロバート(トム・マイソン)が軍の作戦で砂漠の中で行方不明となったことを知らされたハリエットは自宅に引きこもってしまう。果たしてプロジェクトは実現するか、ジョーンズ博士とハリエットの思いは・・・というお話。

 妻は有能なキャリア・ウーマンで夫はあまり勤労意欲のない釣り好きの研究者という中年夫婦の危機と、交際し始めて3週間の恋人が軍事行動で行方不明・生死不明となって悲しみに暮れつつ恋人の顔もはっきり思い出せないと嘆く独身キャリア・ウーマンの恋の選択を組み合わせ、まっすぐには進めないラブ・ストーリーがメイン・ストーリーになっています。
 それにばかげた道楽を求めているように思えるシャイフの郷土への思い、子育てに翻弄されながら強気の決断・指示を繰り返す首相広報官の強烈な個性が相まって、コミカルな要素をうまく含んだハート・ウォーミングストーリーに仕上がっています。
 登場する主要な女性がいずれもやり手のキャリア・ウーマンで、それ故に愛を失う人、それ故に愛を勝ち取る人、愛を(たぶん)維持している(支配しているというべきか)人と3様に描かれているのでキャリアの問題からは中立になっており、キャリア・ウーマンの元気さが印象づけられます。

 中年おじさんとしては、相談なくジュネーブへの赴任を決めてしまい、仕事上の悩みを伝えても住宅ローンのために働き続けろという妻との関係に悩み、ハリエットとの関係を邪推されながら「半年後にはあなたは別れないでくれと泣きついてくる、それがあなたのDNAだ」と妻に断言されるジョーンズ博士の中年男の悲哀を、どこまでが他人ごとでどこまでが他人ごとでないかと切なく味わうお話かなという感じもします(‥;)

2012年12月 9日 (日)

007 スカイフォール

 50周年を迎えた007シリーズ23作目最新作「007 スカイフォール」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ2(588席)午前10時30分の上映は2~3割の入り。

 イスタンブールでMI6が各地に潜入させているスパイのリストが何者かに奪われた。襲撃現場に駆けつけたジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)にM(ジュディ・デンチ)は銃撃された仲間の救助を後回しにして犯人を追跡するよう指示し、ボンドは現場にいたスタッフのイヴ(ナオミ・ハリス)とともに犯人を追い疾走する列車上でもみ合いとなる。車で追うイヴの追跡が限界となったところで、もみ合うボンドと犯人が離れず狙撃は無理と報告するイヴにMはいいから撃てと命じ、イヴの撃った弾はボンドに命中し犯人を取り逃がしてしまう。その後、MI6本部が爆破され、スパイリストの一部がネットで公表され、Mは窮地に陥る。犯人の狙いはMにあると見たボンドは・・・というお話。

 最新鋭の武器・小道具を見せてきたシリーズのはずですが、今回はむしろボンドの老いを前に出して、前世紀の遺物扱いのボンドが意地を見せるという趣向です。銃撃されて行方不明となり死亡扱いされた3か月後にMI6に現れたボンドが再登録のために試験を受けるが体力テスト、銃撃テストで不合格というシーンは身につまされます(私も、今もう一度司法試験受けたら通らないだろうし(^^ゞ)。ダニエル・クレイグの無精ヒゲが白いのもやはり老いを感じさせます(私も実感しているのですが、髪よりヒゲが先に白髪が多くなりますよね)。
 アクションも、最初の方のバイクで屋根の上を疾走するカーチェイスと疾走する列車上での追跡・格闘が見せ場で、その後も基本はむしろオーソドックスでアナログな格闘・銃撃が続き、終盤など最新のテクノロジーを使わせないという意図でスコットランドの高原が戦場に選ばれるという具合。

 冒頭から続くMの指令の非情・冷酷さ、それが過去から続くものであることが示され、ボンドの忠誠心が試されるというテーマは一応ありますし、ソニー・ピクチャーズの例によって不親切の極みの公式サイト(今回はキャラクター紹介があるだけでも異例の親切さかもしれませんけどね)のわずか103文字の「ストーリー」でも「Mが過去の亡霊に付きまとわれるにつれて、007の忠誠心が試されることになる。」と38文字(36.9%!)も費やしてそう言っています。しかし、ボンドの葛藤は、復帰後はほとんど描かれず(復帰前の描写はごくわずかですし)、大きなテーマになっているようには見えません。

 シリーズとしての興味からは、初めてジェームズ・ボンドの素性(といっても幼少時代だけですが)が明かされること、新しい上司とスタッフを迎える展開があること(次作でもこの上司とスタッフは登場するんでしょうね)あたりが新味でしょうか。
 スカイフォール( skyfall )はボンドが撃たれて鉄橋から湖にそして滝( waterfall 、falls )から落ちる( fall )ことではなく(それもかけてるんでしょうけど)、ボンドの生家の館の名前あるいは周辺の地名(標識はあるけど他に建物が見当たらないので、それが建物の名前か地名かは不明)です。ボンドの過去を見せるとともに、老いたボンドが自らのルーツ・原点の地を闘いの場に選ぶという選択が、この作品を象徴しているように思えました。

 予告編で非常にセンセーショナルに使われているMの「ボンドを撃って」という発言、本編ではありません(予告編でもMは音声では Take a bloody shot (たぶん・・・)と叫んでいるだけで、「ボンドを」といっていませんが)。また、こちらはそれほどの意味はありませんが、武器開発担当のQのボンドに渡す専用銃は「どこで誰を撃ったか追跡できる」という発言も、本編では(少なくとも字幕では)ありませんでした。こういうの、いつも、嫌な気持ちになります。特にMの「ボンドを撃って」という発言はかなり衝撃的なわけで、予告編を見てこの作品を見る人の大半はどういう流れでこの発言に至るのかを興味津々で見ているはずです。それが、実際の作品では、そのものずばりの発言は登場せず、それに当たる発言は明らかに意味が違う。こういうことをされると興行サイド(予告編で「ボンドを」といっているのは字幕だけですから、日本の興行サイド)は客を映画館まで呼び込めば後は野となれ山となれ、そういう商売をしてるんだなと感じざるを得ません。

2012年12月 8日 (土)

ねらわれた学園

 未来からやってきた謎の少年が現代の中学校で人々の心を支配しようとするSF学園アニメ「ねらわれた学園」を見てきました。
 封切り5週目土曜日、新宿ピカデリースクリーン4(127席)午後5時35分の上映は8割くらいの入り。観客層は圧倒的に若者(言い訳ですが、私もこれは娘に引っ張って行かれたわけで・・・)。

 湘南の中学に通う関ケンジは、幼なじみのお隣さんのナツキにまとわりつかれいじられながらも、生徒会役員で巨乳のサーファー春河カホリに恋心を抱いていた。そのケンジらのクラスに転入してきたイケメンの転校生京極リョウイチは、女子の注目を集め、カホリはケンジに一目惚れする。ケンジはリョウイチと親しくなるが、その一方で、リョウイチは、中傷による心の傷から不登校となり落第した山際や生徒会長らの心を支配し、学園のルールを変えていき・・・というお話。

 ちょっとぼわっとした萌え系の巨乳美女とそれに憧れるおっちょこちょい系男子、その主人公男子に寄り添う一本気な幼なじみ女子と、イケメン転校生の4角関係という、学園もの青春ものライトノベルの王道というか毎度おなじみというかの設定です。
 ここに、その転校生は未来人で対するは超能力者という、おぉ涼宮ハルヒかと思わせる展開(普通人の元気なお姉ちゃんが涼浦ナツキってのはそういう意識?)、リョウイチに付きまとって出てくるポケモンみたいな親父(親父がこういう姿って、まさか「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉親父のアイディアじゃないでしょうね。年代的にそれはないと思うのですが。「タラ・ダンカン」のファミリエみたいな着想でしょうか)というあたりで、普通じゃなくなりますけど、同時になんか安直なアイディアという印象を持ちます。京極リョウイチの父(京極博士、ですよね)なんて、出てきたときホントにポケモンかと思いました。いきなり火か水でも吐くんじゃないかと・・・

 見ていて謎が残る、少なくとも私のようなおじさんにはなのか、原作を読んでない人間にはなのかはわかりませんが、最後まで見てもわからないところが多々ある作品でした。
 京極リョウイチがわざわざ未来からやってきた目的は、たかだか1つの学園で携帯電話を使わせないとか、あるいは学園を支配するくらいで達せられるのかという設定の基本的な疑問はおいても、ケンジは生きてるのか死んでるのかいつそうなったのかがよくわからず、ケンジの祖父は要するに何者でまたどうなったのかそれはなぜか、リョウイチの父は一度未来から現代にやってきたのでもう来れないというのにポケモンみたいな姿でリョウイチのそばにいるのはなぜか、ポケモンみたいなやつは実在ではなくホログラムなのか・・・

 風景の絵が幻想的で、その色使いがとてもきれいで、そのアニメ作りの技巧は昨今のCGやジブリ系とはかなり異なる趣で、一見の価値はあると思いました(要するに、中身はともかく、風景の絵がすごくきれいなアニメでした)。

2012年12月 2日 (日)

HICK-ルリ13歳の旅

 クロエ・グレース・モレッツ主演の青春映画「HICK-ルリ13歳の旅」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国8館東京では唯一の上映館のヒューマントラストシネマ渋谷シアター3(60席)12時20分の上映は5~6割の入り。

 ネブラスカ州の農村で暮らすルリは、13歳になったばかりの絵を描くのが好きな内気な少女だったが、母親が男と車でどこか旅に出てしまい、それを聞いたアル中の父親も車で出ていき、一人残されて、ラスベガスへの旅を決意する。13歳の誕生日に父親からもらったS&W45口径の拳銃とスケッチブックをバッグに詰めてヒッチハイクを始めたルリは、片足の不自由な青年エディ(エディ・レッドメイン)のトラックに乗り込むが、最初は気のいい青年だったエディが気まぐれで感情の起伏の激しい面を見せ始め口論になって車を降りる。草原で野宿していたルリは、そばで立ちションを始めたグレンダ(ブレイク・ライブリー)に車に乗せてもらうが、グレンダはルリにコカインを勧め、売店でのレジ泥棒を手伝わせたりする。最終的にグレンダの恋人がオープン準備をしているバーにたどり着くと、そこにはバーテンとして雇われたばかりのエディがいた。エディは、グレンダと恋人の邪魔をしちゃいけないといってルリを車で連れ出すが・・・というお話。

 ルリの旅先で会う大人はどこかいかれた人ばかりで、夢見がちなティーンエイジャーよ、世の中はそんなに甘くない君たちが思っている(願ってる)通りじゃないよ、でも諦めないで勇気を出して新たな世界に跳びだそう、そういうメッセージを込めた作品だと思います。安全を考えて日常を継続していくのか、新たな世界への期待を優先してリスクをとるのか、それを13歳にも決断させるのか。思想的な背景や紛争・闘争もないけど、60年代っぽいテーマを感じました。
 私には、「キック・アス」の無邪気で愛くるしくもおませなかっこいいヒット・ガールのイメージが消えないクロエ・グレース・モレッツが、思春期の哀しみと怒りをたたえた表情を見せ続けるところに、あぁこの子も大人になってきたんだという親目線の感傷が先立ってしまいます。

 原題のHICKは(HIKEじゃないですから)、ヒッチハイク (hitchhike) の略ではなく、田舎者、教養のない人の意味のようです。田舎者の都市への憧れとその憧れから来る行動ということか、無教養な人が旅・小さな冒険を経て成長していくということを示唆しているのでしょうか。

2012年12月 1日 (土)

のぼうの城

 関白軍2万余に囲まれた忍城の戦いを描いた映画「のぼうの城」を見てきました。
 封切り5週目土曜日映画サービスデー、TOHOシネマズ渋谷スクリーン2(197席)午前10時の上映は8割くらいの入り。

 天下統一に向けて最終段階の小田原北条氏攻めに向かう豊臣秀吉(市村正親)は、小田原城の支城攻めで腹心の石田三成(上地雄輔)に手柄を立てさせようと2万の軍勢を指揮して館林城と忍城を攻め落とすよう命じる。忍城主成田氏長(西村雅彦)は、北条氏から小田原城に援軍を出すよう求められ、家臣に秀吉に密通して生き残る、秀吉軍と戦わずに開城するよう言い渡して小田原城に向かった。日頃から武闘を嫌い農民と戯れて過ごし、農民からも「のぼう様」と親しまれていた城代の息子成田長親(野村萬斎)は、病に伏せる城代成田泰季(平泉成)に代わり、忍城を取り囲んだ石田三成軍の軍使長束正家(平岳大)に対するが、長束の尊大な態度に加えて城主の娘甲斐姫(榮倉奈々)を秀吉に差し出すよう言われ、事前の家臣の協議に反して戦うと宣言してしまう。城代が息を引き取り、忍城に結集した農民たちを前に、自分のせいで皆を巻き込んでしまったと泣いて謝る長親に農民たちは声を上げて士気を高めていく。緒戦で圧倒された石田三成は忍城の水攻めを決意するが・・・というお話。

 戦国時代の戦を題材にしていますが、厳しい局面での決断と人間の器をテーマにした作品だと思います。(ビジネス誌が戦国武将を題材に経営者論をやりたがるのと同じか)
 豊臣陣営で、諸大名の中で自ら総大将として戦功を立てたことがなく軽んじられている石田三成に手柄を立てさせたい秀吉(それは光成への寵愛とともに家康らを抑え込むためにもバランスをとりたいという策略もあるでしょう)、手柄を挙げたいと焦る光成、光成の軽率さを危ぶむ大谷吉継(山田孝之)、弱い者に対してはかさにかかる長束正家、成田陣営では城主への忠誠を重んじ心配性の丹波(佐藤浩市)、勇猛剛胆をよしとする和泉(山口智充)らの人物像と思惑が交錯し見どころとなっています。
 その中で、主人公の成田長親が、表情が飄々とし過ぎているところが、その人物像をつかみにくく感じられ、どこか「おもしろいけどストンと落ちない」という評価を産むような気がします。私は、長親なりの悩みも決断も描き込まれていたと思いますし、甲斐姫とのラストについても長親なりの苦悩の決断(甲斐姫を切り捨てたというよりは甲斐姫にもこれから落ちぶれて暮らす自分とともにいるよりも、また甲斐姫の父の城主の言いつけに背いた自分という関係も考えての決断)かなと思います。でも、友人にも内心を吐露することなく、葛藤もあらわにしない長親には、こいつ剽軽だけど目が笑ってないとかいう評価がされがちかとも思います。

 私の目には、職業柄ということもありますが、派手な戦闘シーンよりも、戦闘終了後ラスト前の成田長親が石田三成と対峙する交渉シーンが一番興味深く思えました。一応勝者として入城したものの現実の戦いでは敗北し大きな犠牲を払っている石田側と緒戦で勝利したものの水攻めで城壁を失い再度戦えば勝ち目はない成田側の、互いに戦いを再開はしたくない状況での有利な決着と落としどころを探る心理戦。短い場面ですが、自分ならどこまでの条件を出しどこで決着を図るかを考えて見ると、ちょっと痺れますね。戦は、戦自体の勝ち負けだけじゃないんだということを感じられることもいいなと思います。

 水攻めのシーンの水しぶきは確かに迫力がありましたが、広大な土地で大規模なセットを組んだという公式サイトのプロダクションノートの説明から期待し過ぎた私には水流が押し寄せるシーンの視界が狭かったなと残念でした。土地の問題よりもタンクの水量とかの問題なんでしょうね。

 長親の船上での田楽踊りのシーン、「西のサル」の寝小便とか、ひょうたん(千成瓢箪は秀吉の馬印ですよね)を腰に当ててそこから放水しているのとか、豊臣方の兵隊がみんな笑ってて、誰も怒ってないのちょっと不思議。戦国時代だし、親分のいないところでも親分を侮辱するやつは許さないとかいう点数稼ぎをする官僚タイプはいないってことでしょうか。それは少し和む感じでもありますが。

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