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2012年11月

2012年11月25日 (日)

ふがいない僕は空を見た

 ままならない人生にもがき悲しむ人々を描いた青春群像劇「ふがいない僕は空を見た」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、テアトル新宿(218席)午前10時30分の上映は4割くらいの入り。観客の圧倒的多数は中高年男性1人客。コスプレセックスを予告編冒頭に置いた18禁映画というのが効いてるんでしょうか。そういう目的で見る内容の映画じゃない感じがしますけど。

 アニメのイベントで知り合った主婦里美(田畑智子)とコスプレでのセックスに浸る高校生斉藤卓巳(永山絢斗)は、好きだった同級生松永(田中美晴)に告白されたのを機に里美に別れを切り出すが、結局はまた里美を訪れる。母に見捨てられ認知症の祖母と2人暮らしの極貧の中でアルバイトを続ける卓巳の同級生福田(窪田正孝)は店長にいびられ、同僚の田岡(三浦貴大)から手をさしのべられるが、素直に応じる気持ちになれず勉強しても仕方がない大学など行く金もないとうつむいてしまう。子どもができないことに文句を言い続ける姑(銀粉蝶)から不妊治療・人工授精を勧められて仕方なく応じたがそれもうまく行かない里美は、ある日、姑から里美と卓巳のセックスビデオを突きつけられる。ネットにアップされたコスプレ写真とセックスビデオをばらまかれ、卓巳は引きこもるが・・・というお話。

 予告編からも、公式サイトやポスターの扱いからしても、里美と卓巳の物語というイメージですが、卓巳の葛藤なり哀しみはそれほどのものじゃない、ある種贅沢な悩みに見えるし、里美の「闇」もマザコン夫への失望と姑との軋轢はわかるけどそれでも相当な部分で自業自得に思えます。
 脇役の福田の悩み苦しみが描き出されていくうちに、主役2人の悩みなんてどうでもよくなって、福田とあくつ(小篠恵奈)の屈折と忍耐に、うなりつつ、そちらにがんばれよとエールを送りたくなります。
 見終わっての感想は、群像劇で、主役2人ではなく、福田とあくつの方が気になったりしますし、卓巳の母(原田美枝子)と光代(梶原阿貴)が一番好感が持てるキャラだなとか思ってしまいます。

 里美と卓巳の逢瀬については、その他のできごととの前後関係がぼかされずらされて描かれ、その前後によりことの意味が変わってくるのでそこが気になるところを、同じシーンを繰り返しながら時間の前後関係を示唆していきます。その見せ方が巧みともいえますが、同じ場面を語り手や視点を変えるわけでもなく繰り返しただその前後につける場面をずらすだけですから、同じフィルム(動画ファイル?)を再利用・再々利用した節約作品という印象も残ります。

 露出度はそれほどでもなく、R18+指定の必要があったかどうか、私には疑問です。
 里美と卓巳のコスプレセックスの時、卓巳がよれよれのルーズリーフみたいなのを見ながら台詞を言ってるんですけど、せめて予め覚えられないのか、手に持つならきれいなイラスト付きの便せんに書くとかできないのか、せっかくコスプレにこるならそこで手を抜くなよと(というか、当人はそれでしらけないのかと)思いました。

 原作本も読みました(2013年8月4日)。

 原作本についてのコメントは→ふがいない僕は空を見た

2012年11月24日 (土)

人生の特等席

 82歳のクリント・イーストウッド主演で老スカウトの生き様を描いた映画「人生の特等席」を見てきました。
 封切り2日目土曜日、新宿ピカデリースクリーン3(287席)午前11時50分の上映は7~8割の入り。観客の多数派は中高年層でした。

 アトランタ・ブレーブスの伝説の名スカウトガス・ロベル(クリント・イーストウッド)は、視力が落ちて室内でもローテーブルを蹴飛ばし車はガレージをこすり階段で躓くという始末で、球団でもコンピュータデータの重視を主張するフィリップ(マシュー・リラード)がガスを引退させるよう主張し、ガスの盟友のスカウト部長ピート(ジョン・グッドマン)が擁護するが、契約期限の来る3か月後の再契約は厳しい情勢となっていた。ガスは近づくドラフトで注目されている高校生ボー・ジェントリー(ジョー・マッシンギル:新人)を獲得するかどうかの判断のため、ノースカロライナ州でジェントリーの試合を見て回るが、医師に失明の危険があるといわれ、観客席からジェントリーの姿がよく見えない状態なのにそれを誰にもいえずにいた。13歳から寄宿学校に入れられてその後父親とは会えば言い争いばかりのガスの娘ミッキー(エイミー・アダムス)は、法律事務所で夜も休日もなく働き続け7年目でパートナーへの抜擢を間近に控えていたが、ピートから頼まれてガスのスカウト旅行先を尋ねてきた。球場に現れたミッキーにガスは仕事の邪魔をするな、帰れといいだし、父娘はまたしても言い争いを繰り返すが・・・というお話。

 IT・データ至上主義的な風潮に対し、時代遅れのアナログ頑固爺が老いの一徹で闘い、圧倒的に不利な状況からの逆転勝利という、コンピュータ/デジタル(あるいはその他新しいもの)嫌いの人々には爽快なヒューマン・ドラマです。
 クリント・イーストウッドが、冒頭から前立腺肥大のせいと見られる長小便、トイレから出たらローテーブルに躓いて蹴倒す、車をガレージから出すのにガレージの枠を壊すと、次々と耄碌ぶりを披露します。4年前78歳の「グラン・トリノ」でさえ最後の主演作品と思われていたイーストウッドの老いの進行はあまりにリアルで泣けてきます。自分に引きつけても、親の世代を考えても他人ごとに思えない世代としては、こういう老いの描写にも親近感を感じてしまいますし、この状態にして意気軒昂で頑固な姿には、頼もしさやある種の憧憬さえ感じてしまいました。
 そしてアナログなスカウトたちや、ガスがかつて見いだしたが肩を壊して今はレッドソックスのスカウトを務める「炎のフラナガン」(ジャスティン・ティンバーレイク)、ミッキーら、ガスのまわりの人々の野球への愛情がしみじみと描かれ、オールドスポーツファンのノスタルジーと共感を呼びます。
 目がよく見えなくても音でわかるとか、いかな13歳まではスカウトの父に連れ回されて野球を見続けていたとしてもその後20年も野球の現場にいないミッキーが選手の能力を一目で判断できるとかは(ま、ミッキー、あのへっぴり腰でホームラン打てるかは目をつぶるとしても)、ガス側へのひいき目で見てもちょっとあんまりな気はしますが、細かいところは気にしないで幸せな気分になれればいいじゃないのって映画でしょうね。

 さて弁護士の目には、ミッキーのパートナー昇格戦とそれに嫌気がさしたミッキーの選択が気になります。
 会社側の味方をするのが嫌いな私には、主として大企業に奉仕する巨大事務所のことはわかりませんし、あまり興味もありませんが、寝る間も惜しんで働き最短の7年でパートナー(共同経営者)昇格の審査を受けるミッキーは、女性のパートナーは前例がないといわれて父親が野球のスカウトで下品な酒屋を連れ回され男社会には慣れているとアピールし、ライバルのトッドはアソシエイト(勤務弁護士)にふさわしいと述べ、担当している裁判で勝ったらという条件付きでパートナーにするという回答を取りつけます。巨大事務所は、それ自体会社のようなもののようですが、こういった積極的なアピールと足の引っ張り合いがものをいうのでしょうか。
 スカウト旅行先でも仕事を続け、資料を送り続けてプレゼンまでには帰るというミッキーに対して、事務所ではトッドがミッキーの戦術を批判し、経営者側はミッキーが早く帰ってこないならプレゼンはトッドにやらせるといい出します。最初の予定通りにプレゼンまでに帰るといっているのに、トッドにやらせるからゆっくり休んでから仕事に戻れという事務所に対し、ミッキーはこんなに寝る暇もなく働いてきたのにと逆上します。挙げ句の果てに、トッドがプレゼンに失敗した(プレゼンって、映画の流れからすると依頼者の前で訴訟戦術のプレゼンをするってことなんでしょうけど、「失敗」って誰が判断するの?依頼者の大企業が自分の顧問弁護士を連れてきて判断するってことでしょうか)といってミッキーに戻ってきてくれという事務所に対し、ミッキーは「考えておくわ」( I 'll think about it だったと思います)と言い残して電話を切ります。弁護士の場合に限ったことじゃないでしょうけど、一生懸命に仕事をし、疲れ切っているときに、なんでこういう連中のためにここまでやらなきゃならなかったのかってむなしくなる、ばかばかしくなることって、よくある。そこでキレちゃうかどうか、思い直すことの方が多いけど、やっぱりぶちキレることはある。身を置く場所は全然違うんだけど、そういうところでキレたくなる気持ちはよくわかるなと、そこでも共感してしまいました。

2012年11月23日 (金)

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

 少年少女パイロットが操縦するヒト型兵器「エヴァンゲリオン」が戦うバトルアニメの映画化新シリーズ第3部「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を見てきました。
 封切り7日目金曜日祝日、新宿ミラノ1(1064席)午前10時30分の上映は3~4割の入り。毎度のことだけど、前評判が高い映画でも新宿ミラノではたいていガラガラかそれほどでなくても余裕で見れる。ヱヴァンゲリヲンも、同じ新宿のバルト9は深夜分以外は予約で完売なのに、この違いは何?って思う。宣伝が下手なのか、歌舞伎町のイメージが悪いということなのか・・・まぁ混んでる映画館が苦手な私には助かりますが。

 さて、この「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」。公式サイトは、ストーリーはおろかキャスト・キャラクター紹介さえなし。不親切というレベルさえ超えた情報排除です。そして、主要な映画紹介サイトは、足並みをそろえて「諸事情によりストーリーを記載しておりません。」としています。「諸事情」は、書いている側の何を書いてもネタバレになるからという自主判断なのか自主規制なのかどこからかの圧力なのか。
 こういう姿勢を見ると、徹底的に書いてやろうかという気にもなりますが、なにぶん、TVアニメシリーズも見ておらず、「新劇場版:序」も見ていない私が、映画自体の中でも解説の少ないこの作品をどこまで理解できたか自体疑問で、ネット社会にあふれるほどいるこの作品のファンの検証に耐えられるとは思えませんので、いつも通りのレベルでやりたいと思います。以下、ネタバレですので、まっさらで見たい方はご注意ください。

 前作で綾波レイを助けるために碇シンジがとった行動が引き金となって第3インパクトと呼ばれる桁外れのエネルギー放出が起こり地上は荒廃した。その14年後、国連の特殊機関NERVに反旗を翻した葛城ミサトが艦長を務める新造戦艦AAAヴンダーのなかでシンジは目を覚ます。シンジに冷たい態度をとり、エヴァ初号機はこの船の動力となっている、あなたは何もしないでと言い渡すミサトに、事情がわからずに戸惑うシンジは、綾波レイの外見を持つアンドロイドの誘いでAAAヴンダーを去りNERVに向かう。そこで、父碇ゲンドウは、時が来れば渚カヲルとともに新たなエヴァ13号機に乗るようシンジに告げる。綾波レイと信じて話しかけてもレイの記憶がないアンドロイドに失望しつつカヲルと親しくなったシンジは、真相を知りたいとカヲルに詰め寄り、カヲルから第3インパクトの事実を告げられて失意に暮れるが・・・というお話。

 最初に、同時上映の「巨神兵東京に現わる」が数分間あり、ウルトラマンを見て育った世代としては、特撮と東京の町のミニチュアセットにノスタルジーを感じます。同時に、当時はリアリティを感じた特撮が、細部を一所懸命作っていることはわかるのだけど、いかにもおもちゃっぽく感じてしまいます。CGで目が肥えたせいかもしれませんし、CGでも人間の表情とか細かくやればやるほどかえって違和感を感じるのと同じことかもしれません。巨神兵が荒らし回るだけの、私の感覚ではただただ不条理な映像を、受け入れるように誘う挿入文がエヴァンゲリオンの世界観への導入となっているのかなという気もしました。

 前作では外部の人間社会との交流もあったのですが、今回は、NERVと反乱軍(ヴィレといっていたようですが、公式サイトにもなんの情報もありませんので綴りさえわかりません)以外の人間は出て来ず(滅亡したのでしょうか、そういう方向に見えますが明言はされなかったと思います)、狭い世界の中でのSFアクションアニメに純化した感じになっています。
 反乱軍サイドは、葛城ミサト、式波・アスカ・ラングレー、真希波・マリ・イラストリアスら女性陣が主導していますが、ミサトもアスカも歯を食いしばるシーンというかそういうイメージのシーンが多く、りりしさよりも痛々しさを感じてしまいます。マリだけが余裕があり妙に明るい感じですが、アスカの援護役で説明を担当しているだけで人物像が見えにくい印象です。本来もっと魅力的に描ける女性キャラが、あまり活かせていないという印象を持ちました。
 NERVサイドは、むしろ悪役になり、そういう仕分けがなされたことで、次回の最終作でどういう形にせよストーリーとしての決着はつけやすくなっているのでしょうけど、納得感のある結末・展開は難しくなるように思えます。

 前作で明るくなったというか可愛い女の側面を持たせようとした綾波レイが、今回は消滅したといわれ、綾波レイとは何者かが明らかにされます。この展開は、綾波レイのキャラを引き上げようと思ったがうまく行かず今どきは受けないキャラとして切り捨てようということでしょうか。アスカがいうとおりの「ガキシンジ」が次回成長を見せるかとともに綾波レイが復活するかも注目というところでしょうか。
 ちなみに、磯野家のようにみんな海に関わる名前を持つエヴァンゲリオン「一族」(血縁があるわけじゃないけど:碇、綾波、式波、真希波、渚)ですが、なぜ綾波レイだけが「綾波」と氏で呼ばれるんでしょうか。どうでもいい「謎」ですが。

 終わりに予告編がついていて、次回の最終作予定のタイトルは、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:A」ではなく、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」だそうです。

2012年11月17日 (土)

ゲットバック

 ニコラス・ケイジがかつての強盗仲間に娘をさらわれて1000万ドルを要求され、娘の救出のために奔走する映画「ゲットバック」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、東京では4館の上映館の1つ新宿ミラノ3(209席)午前11時50分の上映は、雨の中とはいえ、1割くらいの入り。

 凄腕の銀行強盗ウィル・モンゴメリー(ニコラス・ケイジ)は、ヴィンセント(ジョシュ・ルーカス)、ライリー(マリン・アッカーマン)らとともに、包囲する警察隊を出し抜いて鮮やかに銀行地下金庫から1000万ドルを奪取したが、逃走中に路上にいた男を殴りつけ射殺しようとしたヴィンセントをウィルが止めたことから口論となり混乱の中でヴィンセントは自分の脚を撃ってしまい逃げ遅れたウィルはパトカーを奪って一人で逃げるが追い詰められて逮捕される。8年後出所したウィルは、元妻と暮らす娘アリソン(サミ・ゲイル)を訪ねるがすげなくされ、アリソンは用事があるからとタクシーを拾って去ってしまう。その直後、アリソンの家の前に置かれた郵便物に入っていた携帯が鳴り出し、死んだと聞いていたヴィンセントから、娘をさらった、12時間以内に1000万ドルを持ってこいと要求される。ウィルは警察に駆け込むが、1000万ドルを秘密裏に取りに行くための捜査攪乱の芝居だろうと取り合ってもらえない。ウィルはヴィンセントが運転するタクシーを独力で追うが・・・というお話。

 カーアクションはありますが、基本的には、娘を思う親心の切なさと、かつての仲間との関係も含めた人間関係のドラマです。
 かなりの程度自業自得で、ライリーが言うようにむしろウィルが共犯者のことをひと言も言わずに一人で罪をかぶったために逮捕を免れたことを感謝するのが筋なのに、おまえのおかげで脚を失ったの1000万ドルが手に入らなかったおかげで俺の人生はむちゃくちゃになったのと逆恨みし、執念深くウィルに迫るヴィンセントの悪辣さ・性格の悪さ・人間としての卑しさが、この映画をわかりやすく感動的なものにしています。実際にこういう人がまわりにいたらものすごくうっとうしいけど、映画としては白眉の演技といえるかも。

 金塊が溶け落ちるシーンは、福島原発震災後の目にはメルトダウンを連想してしまいます(融点1064℃で、燃料棒よりかなり低いですけど)が、水に接触してあんなにきれいに固まってくれるんでしょうか。映画のテーマとは関係ありませんが、好奇心を持ってしまいました。

 ウィルが逮捕される前に、「罪を軽くするために」盗んだ1000万ドルを焼き捨てたという設定は、理解しにくいところです。盗まれた1000万ドルが出て来ないことで、1000万ドルの強奪あるいは強奪額(被害額)が裁判上立証できないということか、あるいは単独犯とは考えられないことからウィルが盗まれた金をまったく持っていないことが「分け前を受け取っていない」と評価され従って共犯者中の地位が低かったと評価されるということか・・・。前者だとしたら、銀行側が1000万ドル盗まれたといっても、その銀行側のいうことが信用できないってことで、それならとてもおもしろいところです。日本の裁判官は、銀行のいうことに、信用できないなんて判決を書くことはかなり稀だと思いますが、アメリカだと陪審だし、そういう判断もありうるということなんでしょうか。後者については、既に警察が包囲しているように、かなり有名な銀行強盗なわけだから、そうは解釈してくれそうにないけど。
 私の感覚では、手に持ったまま逮捕された方が、被害が回復されたことになって罪が軽くなると思うんですけどね。

2012年11月11日 (日)

リンカーン/秘密の書

 第16代アメリカ大統領リンカーンがヴァンパイアハンターだったという映画「リンカーン/秘密の書」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ2(588席)午前11時30分の上映は1~2割の入り。

 9歳の時に奴隷商人のヴァンパイアジャック・バーツ(マートン・ソーカス)に母親を殺害されたエイブラハム・リンカーン(成人後はベンジャミン・ウォーカー)は、復讐の機会を狙い続けていたが、バーツと闘って返り討ちにされかけたところを救ってくれた富豪のヘンリー・スタージス(ドミニク・クーパー)からヴァンパイアが他にも多数いてこれまでにも多数の人間が犠牲になってきたことを聞き、ヴァンパイアを倒すための訓練を受けた。エイブラハムは、法律を学びながら雑貨店で働きつつ、ヘンリーの指示でヴァンパイアと判明した人物を殺害し続けた。南部の洋館でのパーティーに招かれたエイブラハムはそこでヴァンパイアの首領アダム(ルーファス・シーウェル)と相まみえてアダムから意外な事実を聞かされる。ヴァンパイアとの闘いは個別に闘って倒していくことではらちがあかないと考えたエイブラハムは、大統領となり、奴隷解放宣言を行って南北戦争に臨む。これに対しヴァンパイアは・・・というお話。

 歴史上の有名人とヴァンパイアブームを結びつけた荒唐無稽かつかなり安直な発想の作品:原作者自身、2009年の小説デビュー作のキャンペーンで書店まわりをしているときに、あちこちの書店でリンカーン生誕200年のディスプレイと「トワイライト」のディスプレイが並んでいるのを見て着想したと述べていることが、公式サイトにも書かれています(-_-;)

 映像としては、暴走する馬の群れの中での対決と、ゲティスバーグに向かう列車中での闘いのシーンが大迫力で魅せてくれます。それ以外は、突然襲ってくるヴァンパイアと流血の嵐のホラー・スプラッターが大部分ですけど。

 南軍にヴァンパイアが合流してヴァンパイア軍団が攻めて来るという設定は、アメリカの権力者が気に入らない相手を「悪の帝国」とかその代表者をダース・ベーダー呼ばわりする感性と共通のものを感じます。

2012年11月10日 (土)

伏 鉄砲娘の捕物帖

 人と犬の血を引く「伏(ふせ)」と兄に誘われて伏狩りに参加する猟師の少女の心のつながりを描いたアニメ映画「伏 鉄砲娘の捕物帖」を見てきました。
 封切り4週目土曜日、テアトル新宿(218席)午後2時の上映は7割くらいの入り。観客の多数派は若者のカップルと女性2人連れ。

 山で祖父に学び鉄砲の腕を上げた猟師の少女浜路(はまじ)は、祖父が死んで一人となり、兄に呼ばれて江戸に出てきた。江戸の町では、人と犬の血を引き人に化けて暮らし人の生き珠を喰らうという「伏」に懸賞金がかけられ、狩られた6人の伏の生首が晒されていた。それを見てまだ子どもじゃないかと憤る浜路は、賞金稼ぎと犬の仮面をつけた白髪の青年信乃(しの)の争いに巻き込まれる。字の読めない浜路は兄の手紙を見せて信乃に兄の住む長屋まで案内してもらう。長屋でくすぶる兄は、仕官のために伏狩りで手柄を挙げたくて浜路を呼び寄せたのだった。兄に伏狩りを誘われた信乃は兄について吉原に赴くが、兄とはぐれたところで信乃に会い着物をプレゼントされる。兄を見つけたところで太夫凍鶴(いてづる)のパレードにぶつかり、浜路は凍鶴が伏だと見抜くが・・・というお話。

 作品全体が、南総里見八犬伝の翻案で、その中でさらに滝沢馬琴が登場して南総里見八犬伝の読み本を発表していて、信乃が看板役者の若衆歌舞伎でその南総里見八犬伝の贋作として伏姫の8人の子が今「伏」となっているという芝居を演じているという劇中劇があり、そこで南総里見八犬伝は恋愛ドラマだといわせています。その主張通り、全体としては、浜路と信乃のラブ・ストーリーです。
 最初に狩られた伏の生首を見て「まだ子どもじゃないか」と憤る浜路と、兄から伏狩りを誘われ兄の賞金と仕官のために特段迷いを見せず積極的に伏狩りに身を投じる浜路の間に矛盾や戸惑いはないのか。また賞金稼ぎからおまえが生き残りの伏だなといわれて闘う信乃、後ろ姿を見てきれいな毛並みをしていると思う信乃を、浜路は伏と疑いもしなかったのか。伏と知りつつ愛情をもつ後半はいいのですが、前半の浜路の心情がちょっとわかりにくいように思えます。狩る者と狩られる者がつながるとき狩りができるという祖父の教え、同様におあいこを求める浜路の感覚は、人間は獲物と自然に生かされているという思想で、そこには狩られる者への連帯感や感謝が組み込まれてはいるのですが。

 江戸に出てきて初めて貨幣経済にさらされた浜路。懸賞金によだれを垂らす兄を尻目に、「分割で」、そのわけを聞かれて「一夜のお大尽では悲しすぎる」といえるのは立派。見習わねば・・・人間としてのたがが外れ浪費癖で身を滅ぼすリスクと取りっぱぐれリスクをどう見るかという問題はありますが。

 気っぷのいい総菜屋の船虫(ふなむし)、オタクっぽい瓦版屋の冥土(めいど)ちゃんなどの脇役キャラも味わい深い。

 江戸の町の映像などの色彩のケバさ、着物の下にボクサーパンツやキャミソールといった出で立ちなど、たぶんあえてキッチュ感を出してるんでしょうけど、そのあたりの違和感をうまく流せるかも1つのポイントかなと思います。

2012年11月 4日 (日)

アルゴ

 1979年の在テヘランアメリカ大使館占拠事件の際に裏口から脱出してカナダ大使私邸に逃げ込んだ6人の救助作戦を描いた映画「アルゴ」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(183席)午前11時50分の上映は7割くらいの入り。

 1979年11月、イランから亡命した独裁者パーレビの身柄引き渡しを求めてアメリカ大使館を取り囲んでいた群衆が柵を乗り越えて乱入し、大使館員56名を人質にとってアメリカ大使館を占拠した。その際、混乱の中で裏口から6人の大使館員が逃げ出しカナダ大使の私邸に逃げ込んで匿われた。大使館占拠事件は一向に解決する気配もなく、6人は外出もできないままカナダ大使私邸内で隠遁生活を送っていた。人質救出作戦を検討するCIAの会議ははかばかしくなく、その中でトニー・メンデス(ベン・アフラック)はイランでロケが可能な映画制作をでっち上げて6人をカナダから最近来た映画制作スタッフと偽ってニセの旅券で空港から帰国させる案を提案、他に有望な案もないため承認される。イラン側に信用されるよう、ハリウッドの有名プロデューサーの協力を得てイランでの撮影に適した没脚本を買い取って公開の脚本読み会を開き大々的に発表して映画雑誌にも記事を載せてもらい、メンデスはイランに入国する。大使館員がシュレッダーにかけて廃棄した写真付きの大使館員名簿の復元作業が進み、大使館員の数が足りないことにイラン側が気付き、カナダ大使私邸のイラン人メイドも「カナダからの客」が長期にわたって外出していないことに不審感を持つ。イラン側はメンデスに映画のロケハンを許可するとともにスタッフとともにバザールで担当者と会うことを求めてきたが・・・というお話。

 一応冒頭の経過の説明で、民主的に生まれたモサデク政権を、油田の国有化というアメリカの国益に反する政策を嫌ってCIAが転覆させてパーレビ政権を生み出してその恐怖政治をアメリカが支援してきたが、民衆の怒りを買ってパーレビがアメリカに亡命し、次いで生まれたホメイニ政権の下でパーレビを裁判にかけて処罰するためにアメリカに身柄引き渡し要求があり民衆のアメリカに対する反発が強まっていたことを説明していて、事件に至る経過でアメリカ・CIAに原因があることを述べています。既に誰でも知っている事実であり、また簡単なさらっとした説明で映画が始まるとイラン民衆の興奮した映像や革命防衛隊の強圧的な印象によってあっという間にかき消される性質のものではありますが、それなりの公正さを示していることは注目しておきたいところです。
 そうはいっても、登場するイラン人は、カナダ大使私邸のメイドのサラ以外は、個別の人間としての描写に欠け、興奮した暴徒か、興奮し憤激する群衆、強圧的な兵士でしかなく、「文明の衝突」レベルのイスラム観、イラン人観にとどまっていることがありありとうかがえます。
 アメリカ映画ですから、まぁ当然といっていいでしょうけど、そういったアメリカから見た正義の土台を疑わないという条件での、関係者の善意と勇気とチームワーク、圧倒的に困難な状況でも絶望せずに最善を尽くし続けるメンデスのリーダーシップが生み出したスリリングな奇跡というのが見せどころの映画になっています。実話に基づく作品とされていますが、特に終盤のスリリングな展開はかなり脚色されているのだと思います。

 タイトルの「アルゴ」は、人質救出作戦のためにでっち上げたニセ映画のタイトルです。救出関係者の間で「 Argo fuck yourself ! 」が挨拶代わりになっています。
 さらにたどると、このSFファンタジーのニセ映画につけられたタイトルの Argo はギリシャ神話の「 Jason and the Golden Flees 」でジェイソン(最近は原語重視でイアソンと表記される方が多数派のようですが)らが乗り組んだ船の名前のようです。たぶん高1の時に、英語のリーダーの教材で半年くらい Jason and the Golden Flees を読まされたはずですが、そんなの全然思い出せませんでした。

2012年11月 1日 (木)

声をかくす人

 リンカーン暗殺の共犯として処刑された女性の裁判を描いた映画「声をかくす人」を見てきました。
 封切り6日目映画サービスデー、この時点で全国唯一の上映館銀座テアトルシネマ(150席)午前11時の上映は8割くらいの入り。

 1865年、南北戦争終結直後、南軍の残党によってリンカーン大統領が暗殺された。主犯の俳優ウィルクス・ブースは逃走中に射殺され、共犯者8人が逮捕された。そのうち1人はブースが足繁く訪れていた下宿屋を経営する女性メアリー・サラット(ロビン・ライト)で、犯人一味と共謀してアジトを提供した容疑だった。メアリーの息子ジョンは逃亡したまま行方不明だった。北軍に従軍し大佐となって帰還した若き弁護士フレデリック・エイキン(ジェームズ・マカヴォイ)は、元司法長官のジョンソン上院議員(トム・ウィルキンソン)の要請で渋々メアリーの弁護をすることになる。当初はメアリーの有罪を確信し気が進まないまま弁護を始めたエイキンは、民間人のメアリーを軍法会議にかけて不公正な手続で裁判を進行させる陸軍長官のやり方に反発し、調査を進めるうちにメアリーは無罪ではないかと思い始める。裁判でメアリーのために弁護を尽くすほど周囲から疎まれクラブでは資格を剥奪され恋人にも去られて孤立を深めるエイキンは、不公正な裁判の進行の中で全力を尽くすが・・・というお話。

 アメリカで初めて死刑を執行された女性メアリー・サラットの物語と、公式サイトでも映画評論でもそう紹介されているのですが、メアリー・サラットが本当に無実なのかどうかは断定しないという制作側の意図からメアリー・サラットの内心の描写はなく、事件前のメアリー・サラットも描かれないため、メアリー・サラット像は基本的に裁判の場とエイキンの面会の場での言動で描かれます。他方、メアリーの真実を追究するエイキンの活動はエイキンの視点で描かれますから、この映画は、むしろ世間から孤立し圧倒的に不利な不公正な手続の中で苦しみながらメアリーの弁護を続けた弁護士エイキンの物語と見ることができます。少なくとも私にはそう見えました。

 19世紀のアメリカの刑事裁判手続のことは私には全然わかりませんから、軍法会議ではなく通常裁判だったらどうなのかもわかりませんが、事前の情報が全くない証人にその場で反対尋問をすることを強いられるエイキンの苦悩は私にもよく理解できます。実は1990年代までの日本のごく普通の民事裁判ではそういうことがままありました。日本の裁判手続ではいまだに、アメリカのような「ディスカバリー」(証人尋問の関係でいえば、法廷審理前に相手方の証人予定者に予備的に尋問できる制度)手続はありませんが、証人については事前に陳述書が提出されることで多少は反対尋問の事前準備ができます。しかし、1990年代までは大事件は別としてありふれた民事裁判では陳述書の提出もなく主尋問を聞いてその場ですぐ反対尋問をさせられていました。そうすると反対尋問はかなりの部分が思いつきや機転に頼ることになり、成果を上げることはかなり困難です。手続の公正さに重きを置くアメリカでは、弁護士にとっては、ディスカバリーなく反対尋問をさせられるなんて考えられないことだと思います。
 しかも、裁判官は検察官の味方でエイキンの異議は次々却下され、検察側証人は怪しげな話をし放題、弁護側証人は証言前に圧力をかけられてエイキンが事前に聞いた話を法廷では覆すという始末。弁護士の立場から見たら、キレたくなるし泣きたくなるでしょう。
 加えて、被告人さえ、自分が無実だと主張しながら、具体的な事実関係をエイキンにも話さず、息子の関与を指摘するエイキンに法廷で食ってかかるし。もっとも、息子が共犯者だという主張が、メアリーが無実だということに論理的にはつながらないのでエイキンの作戦にも私は疑問を感じましたけど。
 このように、不公正な手続と不公正な裁判官に手足を縛られ、弁護材料も被告人の協力を十分に得られないという制約の中で、それでもベストを尽くそうとするエイキンの姿勢には、弁護士として涙します。まぁそういう事件でも受けてしまったら、そうするしかないんですが。

 エイキンの苦悩し試行錯誤する様子は、世間からの嫌われ者の弁護と弁護士の姿勢・生き様という点からも、弁護士は自ら被疑者・被告人を裁いてよいのかという刑事弁護でのありがちであるとともに果てしない議論からも、弁護士にとっては興味深い論点を提示してくれます。
 どちらも一般の方の理解を得にくい話で、そういう面からも、こういう作品が多数の人に見てもらえるといいんですが。

 この映画、日本の観客にはどういう評価を受けるんでしょうか。制作側の意図としてメアリーが本当に無実かどうかは断定しない姿勢とはいえ、娘の話等からメアリーは無実だというニュアンスが出され、裁判官もメアリーを有罪としつつも量刑では死刑を回避しようとしたのを政治で踏みつぶすという描かれ方をしているので、やはりメアリーに同情し政治的な圧力を加える権力を非難する見方が主流になるでしょうか。手続の公正さよりも実体的真実の方を重視する、つまり手続に間違いがあったからといって真犯人を野放しにするのは正義に反するという考え方が圧倒的に強い日本のマスコミや世論(さらにいえば裁判官も。たぶん)からすれば、果たしてこの映画がどれくらいの共感を呼ぶか、最後の解説で示されるジョン・サラットの運命(けっこう映画館を出るときの印象に影響を与えると思います)がどう評価されるか、なかなか興味深いところです。公開時点で全国1館、2週目で4館、3週目で7館というラインナップにも興行側の予想が見て取れるところですが。

 ところでこの映画のタイトル、邦題の「声をかくす人」っていうのは意味不明。メアリーは話をしないわけではなく、裁判でも無実だと主張します。具体的な主張をしたがらないという点では隠し事はしているわけですが、声を出さないわけではありません。
 原題の「 The Conspirator 」は「共謀者」で、アメリカでは共謀罪という犯罪の謀議をしただけで犯罪となるという規定があり(日本でもその導入が画策されていますが)、日本でも犯罪の謀議に加わりそのうち誰かが犯罪を実行したら実行していない人も全員正犯(幇助犯という犯罪を助けた人ではなく)になるという「共謀共同正犯」という法的な仕組みがありますが、下宿屋がアジトとして使われたというだけで、あるいはアジトを提供したとしてもそれだけで、主犯並みに死刑にしていいのかという問題提起になっていると思えます。
 邦題はそういう問題提起を消し去り、内容的にも見当違いなものになっていると思います。政治的な、あるいは当局に逆らうようなニュアンスは避けたいんでしょうかね。

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