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2012年9月

2012年9月30日 (日)

よだかのほし

 花巻を出て東京で一人暮らしする女性の故郷と父母への思いを描いた映画「よだかのほし」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国唯一の上映館新宿武蔵野館スクリーン3(84席)は5割くらいの入り。観客の多数派は男性一人客でした。ポルノでもオタクアニメでもないのにこの男性比率の高さは何?と思ってしまうくらい。

 幼いときに父(眞嶋秀和)を亡くし、10年前に自分が上京するときに再婚して家を出た母とはけんか別れして、それ以来一度も故郷に帰っていない28歳彼氏なしの塗料会社研究員本郷トワ(菊池亜希子)は、上司にも直言して遠ざけられて職場でも浮いていた。ジョギング中に知り合った同郷の老婆町子(北上奈 緒)が孫が花巻祭りで着るように届けたいという浴衣を見せてもらってほつれさせてしまったトワは、慣れない和裁に取り組み浴衣を直して町子に届けようとしたが、町子は予定していた日に現れない。花巻祭りに間に合わないと焦ったトワは一人で花巻に向かい、町子の言葉を頼りに町子が昔通った北上川・イギリス海岸沿いの喫茶店を訪ねるが、町子の孫は遠に成人して東京にいるという。呆然としたトワは仕方なく今は従姉夫婦が住む生家を訪ねるが・・・というお話。

 タイトルにも用いられている宮沢賢治の童話「よだかのほし」は、トワが幼いころ繰り返し父親に読んでもらった想い出の場面と、父親が死んで「よだかのほし」のように星になったと母親に聞かされたトワがどうやったら父親に会える、宇宙飛行士になれば会えるかと聞く死んだ父親への思いを象徴しています。 「28歳彼氏なし」とはいえ、トワ自身がよだかだという映画ではない、と私は思います。
 幼いときに死んでしまったという条件とはいえ、娘に本を読み聞かせた想い出をここまで胸に刻み込み大切に思い続けてもらえるのは、父親冥利に尽きるで しょうね。娘を持つ父親としては、トワが繰り返し幼いときの父親の姿を思い出し慕い続けるシーンにウルウルしてしまいます。父親世代の男以外の目には、度しがたいファザコンと映るのかもしれませんが。

 同僚の佐藤(深水元基)との関係は、ちょっとじれったい気もするけど、いい感じともいえます。トワがプラネタリウムの前で待っていたけど現れなかったのは誰かなというのが気になりましたけど。

 前日見た「ライク・サムワン・イン・ラブ」とは対照的に、行き詰まったトワが故郷を訪れることで前向きな気持ちになれる、何とかなるさ的な映画で、劇的な展開はなく叙情的な流れですが安心できます。

 父親が吹いていた龍笛が(最初と)終盤で象徴的な道具として登場しますが、町内の祭り囃子で龍笛を吹くんだろうか、トワが昔取った杵柄のフルートよりも練習したこともない龍笛の方がすっと音が出るのはなぜとか、気になってしまいました。

2012年9月29日 (土)

ライク・サムワン・イン・ラブ

 イラン人監督キアロスタミが日本人俳優・日本語で制作した(疑似)恋愛映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、全国8館東京2館の上映館の1つ新宿武蔵野館スクリーン2(84席)午前10時20分の上映は4割くらいの入り。観客の大半は一人客。

 引退して執筆と講演で暮らす84歳の元大学教授のタカシ(奥野匡)は、知人のヒロシに頼んで死別した妻に似た風俗バイト中の女子大生明子(高梨臨)を自宅に呼び、ワインを開けて語ろうとするが、明子はさっさと服を脱いでベッドに入ってしまう。翌朝、明子を大学まで送ったタカシは、明子が携帯を切っていたことをなじるノリアキ(加瀬亮)と遭遇し、ノリアキがタカシを明子の祖父と思い込んだのに調子を合わせる。テストが終わってタカシの車に戻ってきた明子はノリアキが乗り込んでいることに驚くが、タカシに示唆されて調子を合わせる。ノリアキをおろし、次いで明子とも別れて自宅に戻ったタカシに明子から助けを求める電話が入り・・・というお話。

 おそらくはノリアキの視点から入る観客はいないと思うので、男性客はタカシの視点、女性客は明子の視点で見るのだろうと思います。

 タカシの視点で見る男性客、特に中年以上の男性には、もう一度恋をなんて思ってもそうは問屋が卸さないって映画なんだろうと思います。
 タカシは、たぶん、肉体的なものでなく、恋というかときめきを求めていたのだと思います。早々にベッドインしてこっちに来てと言う明子とその夜どうなったのかは明確にはされていませんが、朝のシーンでタカシの着衣がそのままで毛布らしきものをリビングからベッドルームに持っていったのはそのままリビングで夜明かししたという意味だと私はとりました。明子は拒絶はしないでそれなりに対応はしているものの、タカシが求める会話や親しい心のふれあいは今ひとつ深まらずすれ違う感じが残ります。
 タカシを慕う隣人の女性もいますが、重度の障害を持つ弟を抱えて外出もままならないまま老いてゆく悩みを抱え、タカシはその女性には惹かれません。
 明子を拘束し一方的にのめり込むノリアキに対し、タカシは祖父と勘違いされたことを利用して注意し手玉にとったように振る舞いますが、結局は何も解決できません。
 そういう周囲の人々のやるせない状況に、年を重ね円熟したはずのタカシにも結局何もできない無力感、そしてタカシが望んだ恋愛ないしは疑似恋愛もうまくいかない虚しさ、そういったものを感じさせます。

 明子の視点で見る女性客には、誰かが何とかしてくれるとか何とかなるなんてことはないって映画なのかなと思いました。
 明子は、風俗嬢のバイトをしながら、どういう経緯で知り合ったのかはわからないけど(明子が風俗のバイトをしていることを知らない)明子を拘束したがる思い込みの強いDV男またはストーカー男のノリアキとつきあい、田舎から突然会いに来た祖母に電話で度々メッセージを残され、その中で公衆電話に貼ってある風俗嬢のステッカーの写真がそっくりと指摘され会うに会えない状況にあります。
 つきまとうノリアキにはその場しのぎの対応を続けますが、当然ノリアキはつきまとい続けます。殴られて負傷しタカシに助けを求めても、タカシには解決能力もなく、何も解決しません。
 そういう閉塞感、無力感、絶望感が、最後まで続きます。

 登場人物のピンチを、まさしく映画のように奇想天外なというか観客が期待するような展開で解決する、なんてことはないんだ、登場人物に特別な能力もないし神風も吹かない、そういうことを思い知らせてくれるという映画かなと思います。
 映画としては例外的な手法である意味で観客に驚きを与えるとはいえますが、でもそれなら観客にとって映画を見る目的は何かとも考えてしまいます。

2012年9月23日 (日)

最強のふたり

 フランスで興行成績歴代3位を記録した映画「最強のふたり」を見てきました。
 封切り4週目朝から雨の日曜日、新宿武蔵野館スクリーン1(133席)午前9時30分の上映は9割くらいの入り。雨の日曜日午前9時台の上映が満席近くなるのはすごい。新宿武蔵野館の場合、新宿駅から直結で傘ささずに入れるから雨はプラス要因かもしれないけど。TOHOシネマズ渋谷が封切り2週目のバイオハザードⅤと封切り3週目の踊る大捜査線THE FINALを押さえて最大スクリーンをあてがっているのも客の入りのよさを示しているのだと思います。

 パラグライダーの事故で首から下がマヒし妻アリスにも先立たれた富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、介護役の応募者から、失業手当受給のために就職活動認定を受けることが目的だから不採用にして欲しいというスラム街の黒人青年ドリス(オマール・シー)を選んだ。ドリスは、文句を言い試行錯誤しながらも次第に介護の仕事をこなせるようになり、クラシック音楽や美術、詩を好むフィリップと文化的なギャップを感じつつ遠慮せずに自分の言葉でフィリップと交流を深めていった。フィリップの文通相手との持って回った手紙にじれたドリスはいきなり相手に電話をかけるが・・・というお話。

 首から下マヒの大富豪とスラム街の黒人青年という、通常なら接触することのない2人が、黒人青年側があまり遠慮することなく振る舞いながら、友情を深めていく様子が感動的です。黒人青年が、あまりひねくれておらず、あけすけな物言いはするものの困っている相手には何とかしようということで素直に行動できるタイプだったことがこのストーリーを支えている感じですが。2人の、特にオマール・シーの笑顔が見ていてとても気持ちいい。それが、こんなうまく行かないでしょという思いをうまく抑え込んでくれるように思います。
 非黒人の観客には黒人青年の善意を、黒人の観客には介護業務はこなしながら使用人ではなく友人になっている黒人青年の希望とプライドを読み取るというところでしょうか。
 大半の観客が前向きで爽やかな気持ちで映画館を後にできる映画で、口コミによるロングランが期待できそうな作品です。

 実話に基づく作品ということですが、エンドロールで紹介されているように実話の方の介護役の青年の名前は「アブデル」で写真で見ても黒人ではなくアラブ系。設定を黒人に変えたのは、見た目だけで2人の差を印象づけやすいなどの映像技術的な事情でしょうか、それともアラブ系をいい方に(悪い方にも?)使いたくない政治的な事情?
 原題は「Intouchable」ですが、公式サイトの原題表示は「Untouchable」。フランス映画なのにどうして日本語サイトで英語表示するんだろ。

2012年9月22日 (土)

白雪姫と鏡の女王

 白雪姫と継母のバトルコメディ「白雪姫と鏡の女王」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、新宿ミラノ1(1064席)午前11時30分の上映は1割くらいの入り。

 雪のように白い肌と黒い髪を持つ白雪姫を産んですぐ王妃が亡くなったため父王(ショーン・ビーン)は男手一つで白雪姫を育てるが、男では教えられぬこともあると悟って世界一美しい后と再婚し、その後森で行方不明となった。以来、白雪姫(リリー・コリンズ)は城内で幽閉され、浪費好きな女王(ジュリア・ロバーツ)に厳しく徴税されて村人たちは歌って踊る生活ができず食べ物もなく飢え、王室も破産に瀕していた。ある日、森を旅していた隣国の王子(アーミー・ハマー)が7人の盗賊に襲われ逆さ吊りにされていたのを城を抜け出した白雪姫が見つけて縄を解いた。王子は城に迎えられ、女王は王子と結婚して夫と富を得ようとするが、王子は白雪姫に一目惚れしてしまう。女王はブライトン男爵(ネイサン・レイン)に白雪姫の殺害を命じるが、ブライトンは白雪姫を森に逃がす。7人の小人に助けられた白雪姫は、盗賊で身を立てる7人の小人に村人から盗むのはやめるようにいい、小人たちから剣術などを習う。女王は惚れ薬で王子の心を奪い、結婚式を企て、それを聞いた白雪姫は7人の小人とともに結婚式を妨害するために乗り込むが・・・というお話。

 あり得ないような断崖に建つ城(実際にあったら難攻不落だろうけど、攻められたとき逃げる道もないよね)にも象徴されるように、童話・ファンタジー・コメディですから、設定もストーリーも荒唐無稽なの、そこは気にしないでねって、そういう作品です。
 コメディとしては、ジュリア・ロバーツのわがまま女王ぶりというかその意識的なパロディを笑えるかどうかがポイントでしょう。「トリートメント」のグロテスクさとか、コルセットを締めるシーンとか・・・

 コメディの要素以外の部分では、18年間籠の鳥(女王は「引きこもり」っていってますけど)だった白雪姫が、村人の窮状を見、森で小人たちと過ごすうちに見せる成長ぶりが見せ場です。特に、姫を王子が助けに来るという結末を変えなきゃといって、自ら積極的に飛び出していく姿が印象的です。「目覚めのキス」も白雪姫の方からしに行きますし。王子のいまいちさえない様子とあいまって、現代では姫は王子の助けを待つのではなく、自分の道は自分で切り開く、自ら積極的にイケメン王子をゲットしに行くって、そういうメッセージになっています。
 目立たないところではありますが、父王が民衆の前で自分がすることを説明する場面で、「私が私に与えた権限で」といって苦笑いするシーンがあります。王の権限なんて根拠があるもんじゃなくていい加減なものという思いもあるでしょうか。
 そういった童話の世界自体の民主主義的・平等主義的視点からのパロディが垣間見えるのが微笑ましいと思いました。

 ラストで、それまでの話の流れからすると村人が歌って踊るのが素直な気がしましたが、いきなり白雪姫が歌って踊る、それもいかにもインド映画的な歌と踊りなのが笑えます。

2012年9月16日 (日)

夢売るふたり

 店の再建資金のために結婚詐欺を続ける夫婦を素材に男女の愛憎の機微を描いた映画「夢売るふたり」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午前10時40分の上映は7割くらいの入り。観客の多数派はカップル、次いで女性2人連れというところ。

 常連客が付き軌道に乗っていた小料理屋を火事で失い、絶望して飲んだくれる板前の貫也(阿部サダヲ)と、また出直せばいいと前向きに励ます妻里子(松たか子)は、貫也が不倫相手から手切れ金を渡されて酔いつぶれていた常連客(鈴木砂羽)を介抱するうちに一夜の関係を持ちその手切れ金を渡されて帰ってきたのを機に結婚詐欺で再建資金を調達しようと思いつき、貫也が板場で働く店の常連客に次々とアプローチして落としていく。女たちから金を引き出すことに躊躇する貫也を里子は叱咤するが、子どもを抱えたシングルマザー(木村多江)に容赦なく貢がせようとする貫也の態度に里子は反発を覚え・・・というお話。

 私の目からは、なによりも松たか子の魅力満開の作品でした。かいがいしく働き夫を支え笑顔を見せ続ける姿や、落ち込む夫を明るく前向きに励ます姿はもちろんのこと、浮気して帰ってきてしらを切る夫をいびる姿(男の浮気なんて妻には簡単に見破られるものですね。単純だし)や、けんかをしたり、夫から詰められて決定的な場面になるや「わかんない」とさっさと切り替える場面でさえ、とても魅力的です。松たか子の表情を追っているだけでうっとりしてしまいそう。
 一人Hしているところに(女の人の一人Hは目を開けてするんだろうか・・・)電話の音がして起き上がったらFAXで気がそがれて指をティッシュでぬぐいそのティッシュで鼻をかんだり(鼻かむかなぁ)、ショーツに生理用ナプキンを貼り付けてがに股になって穿いたり、衣服の匂いかいだりと、いかにも日常生活臭のあるシーンが度々挟まれることで、愛くるしい笑顔や憂い顔が「演技」ではなく自然な身近なものに見える効果があるのだと思います。その意味では、監督の演出の勝利といえそう。

 ラストが、いかにもあっけなく、説明がほとんどなくさらりと流されるので、例えば貫也と里子が別れたのかどうかも、ラストがラスト前からどれだけの時間を経過した後のことなのかも、自分で考えろということなんでしょうけど、ちょっと肩すかしの感じもしました。

2012年9月15日 (土)

踊る大捜査線 THE FINAL

 邦画実写映画興行成績歴代1位の「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」を擁する人気テレビドラマシリーズ「踊る大捜査線」の最終編と銘打った「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」を見てきました
 封切り2週目土曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午後6時40分の上映はほぼ満席。「THE MOVIE3」は「THE MOVIE2」の半分以下の興行成績でしたが、FINAL効果で浮上しますか。

 真下新署長(ユースケ・サンタマリア)の下経費節減のため慣れない部署の応援に追われる青島(織田裕二)らは、湾岸署管内で発生した6年前の少女誘拐殺人事件で無罪となった被疑者とその共犯者と目される人物が立て続けに射殺された事件の捜査で情報を与えられないまま、全ての情報を鳥飼管理官(小栗旬)に文書報告するよう命じられる。警察庁幹部らは、この事件で使用された拳銃が警察が押収した拳銃であり、警察官の犯行と見られるため、事件のもみ消しを図り、現場に情報を与えないことにした。青島は、情報がないまま鳥飼の指示に従い被疑者を「任意同行」したが、その人物が事件当日すみれ(深津絵里)が取り調べており完全なアリバイがあることに気付き、鳥飼にその釈放を求めるが、鳥飼は無視してその被疑者を送検し、事件は解決したとして捜査本部を解散した。 しかし、その後、真下の子どもが誘拐される事件が発生し、警察庁幹部らは、同一人物の犯行で、世間に発覚することは必至と考えて、青島に不当逮捕、室井 (柳葉敏郎)に警察官による事件発生の責任をとらせようとするが・・・というお話。

 踊る大捜査線はやっぱりすみれでもっているのか、大ヒットのTHE MOVIE2の夢よもう一度なのか、出番は多くはないのですが、すみれが印象的な映画でした。最初の、所帯を持って夫婦で揚げ物屋を営む姿はサービス映像としても、THE MOVIE2で撃たれた古傷が悪化して退職をいうシーンを長々とやってファンにTHE MOVIE2を思い出させた上で、重要な場面で決定的な役割。すみれさん、すごいって。

 THE MOVIE3に続いて上映時間のかなり多くの時間登場し続ける小栗旬。前作同様、小生意気なエリート官僚のいやらしさを見せつけてくれ、今回は、ストー リーの中心部分で活躍するのですが、最後に、結局そのいやらしさがエリート官僚のものというより鳥飼の個人的な動機と属性によるものと矮小化されてしまいます。官僚の醜さは警察庁幹部の連中で十分に描かれているともいえますが、若手エリート官僚の思い上がった別のいやらしさと見える部分がせっかく俎上に乗り得たのに問題から消されてしまい、残念な気がします。鳥飼の動機という点からも、そういうことなら警察官僚を続けるかなという疑問を感じ、私にはしっくりきませんでした。私には、THE MOVIE3もTHE FINALも小栗旬を重要な役にキャスティングしてというか、鳥飼誠一という中途半端なキャラに多くの時間を費やしたことが失敗だったと思えます。

 映画の内容上は、全然、「THE FINAL」じゃなくて、続編があっても何の不思議もない展開。「海猿」みたいに「THE LAST MESSAGE」のと題した作品が売れたら、平気で続編が作られるのかも。
 予告編で、さんざん流された銃声とともに青島が倒れる映像。本編でこのシーンに来て唖然としました。予告編では、さまざまなカットが本来の順番もシチュエーションも関係なく切り貼りされて全然別の印象を与えるつくりをすることが多いですが、それでもいくら何でもこれはひどいんじゃないか。
 公式サイトの手抜き・不親切ぶりも半端じゃありません。毎度私が文句を言っているソニーピクチャーズの映画の公式サイトとどっこいどっこいの無内容さ。人物相関図もなくキャスト紹介も役者の名前が並ぶだけで役名の記載もなし、そしてバーニングプロ独立後干されている水野美紀は真下の妻役で出演しているのに名前の記載もなし。
 いろいろな意味で制作サイドの姿勢に疑問を感じました。

2012年9月 2日 (日)

アベンジャーズ

 「日本よ、これが映画だ。」というありがたいご託宣のついたマーベルオールスター戦映画「アベンジャーズ」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、新宿ミラノ3(216席)午前11時50分の上映は5割くらいの入り。

 国際平和維持組織「シールド」では神の国アスガルドからもたらされた四次元キューブの調査を進めていたが、誤って遠く離れた宇宙との間のワームホールを開いてしまう。そこからアスガルドの邪神ロキ(トム・ヒドルストン)が現れ、研究を担当していたセルヴィク博士(ステラン・スカルスガルド)やシールドのエージェント「ホーク・アイ」ことクリント・バートン(ジェレミー・レナー)を魔法の力で操り、四次元キューブを強奪して、地球侵略のための新たなホールを開こうとする。危機を悟ったシールドの長官ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)は氷の中から発掘されて70年の眠りから覚めたキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)を自ら説得し、部下のブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフ(スカーレット・ヨハンソン)をカルカッタに派遣して人知れず貧しい人々のための医療に従事していたブルース・バナー=超人ハルク(マーク・ラファロ)を誘い出し、部下のフィル・コールソン(クラーク・グレッグ)にトニー・スターク=アイアンマン(ロバート・ダウニーJr.)を説得させ、ヒーローたちを結集する。彼らの手でロキが捕らえられ、そこにロキをアスガルドに連行しようとするマイティ・ソー(クリス・ヘムズワース)も現れたが、ヒーローたちは心を一つにすることができず、ロキを奪還するために現れたバートンらの攻撃にハルクが変身して暴れ回り仲間割れし、ロキの奪還を許してしまう。傷心のヒーローたちが見たものは・・・というお話。

 子どもならともかく大人が別々の物語のヒーローの共演、日本で言えばウルトラマンと仮面ライダーとガンダムの共演など喜ぶだろうかという批判を織り込んで、映画のかなりの部分がヒーローたちの召集、それぞれの事情と気持ちの説明に充てられています。戦闘シーンは最後に集中して、思ったよりは短く仕上げています。戦闘シーンが1時間もあったらどうみても怪獣映画になりますからね。その意味で、心情・ヒューマンドラマの方に目配りした意外に手堅い構成と言えますが、他方、ハリウッド大作としての大上段のと言うかスリルとアクションの魅力はそれ程でも・・・という印象で、「これが映画だ」って言われてもなぁ。

 改めて振り返るとマーベルがこの映画を作るためにそれぞれの映画の中に他の映画の登場人物を送り込んで周到に準備してきたことがわかります。それだけに「ハルク」のエドワード・ノートンに出演を断られたのは痛恨/痛快。
 もっとも、マーベルのヒーローが総出演しているわけでもなく、今やマーベルの稼ぎ頭とも言えるスパイダーマンは登場しませんし、X-MEN(ウルヴァリン)も登場しません。エドワード・ノートンに振られたらむしろハルクを諦めてウルヴァリンに差し替えるという選択もあったんでは?
 前半で抑制が効かずに暴れ回ったハルクが後半では一直線に敵にのみ向かっていきます。これだけ抑制できたら、これは既にハルクじゃないんじゃないかと思います。
 いろいろな意味でハルクが躓きの石になっているような気がしました。

 金にものを言わせて作った「銀河系代表」と呼ばれたサッカーチームや「4番ばかり集めた」と言われた野球チームが勝てるとは限らないのと同様、せいぜい2時間半の時間枠しかとれないメジャー映画でたくさんのヒーローを集めることが得策かという論点は、それでも世界でも全米でも歴代3位の興行成績を収めてしまっていることからクリアされているようです。日本でも邦画歴代興行成績上位がジブリの(あるいは宮崎駿の)アニメ以外は軒並みテレビドラマの映画化作品というのと同様、知名度があれば客は来るということですが。

 エンドロール直前のカットは続編を作るとも作らないとも言える微妙な言い回し。
 エンドロール後のカットは、たぶん日本版のために用意されたもの(背景からして・・・)ですが、何のために入れたのかまったく不明。ユーモアのセンスがきっと全然違うんだろうなって感じてしまいました。

2012年9月 1日 (土)

プロメテウス

 人類の創造主と見られる未知の生命体の探索と接触を描いたSF「プロメテウス」を見てきました。
 正規の封切りから2週目の土曜日映画サービスデー、シネマスクエアとうきゅう(224席)午前10時50分の上映は8割くらいの入り。観客の多数派は男性客。

 複数の古代文明の壁画に6つの星からなる共通のサインを見つけ出したエリザベス(ノオミ・ラパス)はこれを人類の創造主からの招待状と捉えた。この考えに応じて巨大企業ウェイランド社が1兆ドルの資金を拠出した宇宙船プロメテウス号が、2093年、目的の惑星に到着した。乗組員たちが訪れた古代遺跡のような空間は地球と同じ環境が維持され、遺体とホログラム映像が残されていた。遺体の頭部をプロメテウス号に持ち帰りDNAの分析をしたエリザベスは人類と完全に一致することを確認し、この惑星の住人が人類の創造主と確信する。しかし、その創造主が絶滅していると思われたことから、直ちに帰還すべきと主張する意見も出て、乗組員の間で計画の続行の意味について対立が生じた。そうするうちにエリザベスの恋人のチャーリー(ローガン・マーシャル=グリーン)が感染症に倒れ、エリザベスは妊娠を告げられるとともに体内で急速に成長する異物に脅威を感じる。アンドロイドのデヴィッド(マイケル・ファスベンダー)は惑星の住人のうち1人は生存していると主張して乗組員を先導するが・・・というお話。

 予告編でもキーポイントになっている古代文明に共通する6つ星のサインですが、このサインが何なのか、結局確認できず、時代の異なる文明で共通するところからして何度か宇宙人が訪れていたことを示唆しているのにその訪問に関しても何も語られないところに欲求不満を感じる映画でした。
 人類の創造主というところも、冒頭の示唆的な映像と、DNAの分析以外には、その動機もメッセージも出てきません。
 未知の生命体とのコンタクトという宇宙ものSFの定番の映画と割り切ってみた方がよさそうです。

 アンドロイドのデヴィッドの位置づけが、私にはちょっとわかりにくく思えました。チャーリーを陥れる動機が今ひとつ見えず、といって他の場面ではプロメテウス号の乗組員への敵意を示す場面がありません。アンドロイド故の思いなり、使命なり、あるいは不条理な役回りで敵対行動を続けるのならば、それはそれでサイコホラー的な色合いになるのでしょうけど、他の場面では乗組員の味方として行動されるとそうも見えず(2001年宇宙の旅のハルにもなれず)チャーリーの場面が浮いてしまいます(陥れるのなら隔離してやれよとも思いますし)。

 最初の方で、人工冬眠から醒めたエリザベスが吐きまくるシーン。冬眠からの覚醒時に体が異常を感じて吐き気がするというのは何となく納得できるんですが、人工冬眠から醒めたときの胃に吐くべき内容物が大量にあるというのはどう想像力を働かせても考えにくい。人工冬眠自体荒唐無稽な話ですから細部にこだわっても仕方ないともいえますが、できないはずのことをできることに「えいやっ」とやってしまう以外の部分は、それなりに説得力を持たせて欲しい。そういうのがSFなりの作り込みだと思うんですが。

 まぁ、そういうことはあまり気にしないで、映像の壮大さや迫力を純粋に楽しむという見方をした方がいいんでしょうね。

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