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2012年8月 5日 (日)

The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛

 ビルマ民主化運動のシンボルアウンサンスーチーの半生を描いた「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、全国15館東京3館の上映館の1つシネマスクエアとうきゅう(224席)午前10時35分の上映は1~2割の入り。観客の多数派は中高年層。

 イギリス人の学者マイケル・アリスと結婚して2児を出産してごくふつうの生活を送っていたアウンサンスーチーは、1988年母親の入院を聞いてビルマに帰国し、そこで軍事政権による学生デモへの弾圧・発砲を目にし、国民的英雄アウンサン将軍の娘が帰国していると聞いて訪れた民主化運動の指導者たちに説得されて国民民主同盟の旗頭となり、演説と遊説を始めることになった。軍事政権は政治活動を始めたスーチーに対し、激励に訪れて運動を支援するマイケルを強制的に出国させたり、スーチーを出国させようとしたりするが、スーチーが運動を続けることに業を煮やして1989年には自宅軟禁と称してスーチー家に集合していた活動家を排除し電話回線も切断し軍による監視を続けた。1991年には引き延ばしていた選挙が行われ、国民民主同盟が圧勝したが、軍事政権は選挙結果を無視して国民民主同盟の活動家を大量逮捕した。マイケルはスーチーの身を案じて奔走し、1991年、スーチーにノーベル平和賞が授与されたが、自宅軟禁は解けなかった。アメリカ政府に軍事政権に対する圧力をかけるように要請したり、ASEAN加盟に条件をつけるよう要請したり、マイケルの努力が続き、1995年にいったんは自宅軟禁が解かれたが、その後も状勢は一進一退を繰り返してスーチーの家族との面会は緩められたり制限されたりし、自宅軟禁も再度行われた。1999年、マイケルは余命幾ばくもないことを宣告されたが、軍事政権はマイケルの入国を拒否し続け、スーチーに対しては出国を勧めたが一度出国すれば二度と入国できないと知るスーチーはマイケルの危篤を聞いても出国できないと答える・・・というお話。

 政治活動家としてよりも、夫や子どもと切り離され、なかなか会えず電話での会話さえ盗聴され続けて途中で回線を切られる、会いに来ようとする家族は入国を拒否され自らが会うために出国すれば二度と戻れないために不治の病を宣告された夫にも危篤の夫にも会えないという、家庭人としての哀しみを前面に出したつくりになっています。
 映画の軸となっている夫婦愛には、何年も会えないままに心を通じることが可能かと考えさせられますが、映像的には久しぶりに会うシーンでのキスの情感があらゆる疑問符をうまく消しています。

 大観衆の前で演説台に上り、人前で話したことがないと告白するスーチーは、一面初心で爽やかではありますが、同時に国民的英雄の娘として生まれたというだけで民主化運動の旗頭にされてしまう運命の過酷さと、血統・生まれに対する信仰の強さについて、これでいいんだろうかと考えさせられます。ビルマに限ったことじゃないですが。

 ビルマの兵士や民衆に語りかけたり文字でアピールするときに英語を使うのかなという疑問は感じます(ビルマ語での演説シーンもあります:って、聞き覚えのない言葉で日本語字幕だけじゃなくて英語字幕もあったからビルマ語だろうって思うだけですが)。ビルマとミャンマーにしても、ビルマ(バーマ、Burma)が英語的な呼称なのに対してミャンマーの方が現地の言葉ということからすると、軍事独裁政権が変更したからビルマにこだわりたいということはわかるけど、それとは別の文化的な感覚が根底にあるのじゃないかって気もします。元イギリス植民地でもあり、英語が話せる人が多いのでしょうから、また簡単には言えないかもしれませんが・・・

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