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2012年7月

2012年7月22日 (日)

ル・アーブルの靴みがき

 移民排斥問題をテーマに裏町の庶民の善意を描いた映画「ル・アーブルの靴みがき」を見てきました。
 上映館を替えながら細々と続く封切り13週目日曜日、2013年5月末閉館予定の銀座テアトルシネマ(150席)午前10時の上映は4~5割の入り。

 港町ル・アーブルでヴェトナムからの移民の友人とコンビで靴みがきを生業とする老人マルセル(アンドレ・ウィルム)は、妻アルレッティ(カティ・オウティネン) と犬のライカとともに慎ましい生活を送っていた。港に放置されたコンテナで、ロンドンへの密航を目指す途上のアフリカからの密航者たちが見つかり、その 一人の少年イドリッサが逃走し、大きく報道され、警察はイドリッサを捜索していた。マルセルは、港で昼食を取っていたときに隠れていたイドリッサと遭遇 し、イドリッサを匿うハメになる。アルレッティは、病に倒れ、病院で助かる見込みはないと宣告されるが、医者にマルセルには黙っているように求める。マル セルは退院の日まで病院に来るなという妻をいぶかしく思いながら、近所のパン屋や雑貨屋、飲み屋のママの協力を得て、イドリッサを匿い、ロンドンの母親の 元に送ろうと画策する。マルセルがイドリッサを匿っていることに気付いたル・アーブル署のモネ警視(ジャン=ピエール・ダルッサン)は、マルセルを訪れ、 非公式に友人として忠告するとして、イドリッサを匿うことをやめるように諭すが・・・というお話。

 港でコンテナに入れられたまま2日間放置されたコンテナから、アフリカからの密航者が発見されたときに、密航者たちの状況やその背景を置いて一人の少年 が逃走中であることが大ニュースとして報道され続けるということに、またフランス語を話せるようなエリート階層の少年(父親が教師だとか)が、密航を余儀 なくされ、警察と警察に通報する市民たちに追われてフランスの裏町で逃げ隠れし続けねばならないということに、移民排斥問題の根深さとフランス社会の問題 を象徴させています。その姿は、現在の日本社会の状況ともダブって見えました。
 それと対照的に、下町の貧しい人々が、逃走中の密航少年を救うために協力する姿を人間の善意の象徴として描いています。貧しいマルセルがイドリッサを 匿ったり家族を探したりするだけでなく、それまではマルセルが代金を払わずにいることを非難していたパン屋や雑貨屋がマルセルがイドリッサを匿っているこ とを知るや積極的にパンや食料品を提供し、といった具合で、このあたりは胸が熱くなります。
 知事からの少年の身柄確保を急げという命令と、人情に挟まれたモネ警視の動き方も見どころになっています。

 イドリッサの行く末とともに、マルセルとアルレッティの老年の夫婦愛がテーマとなっていて、おじさんの観客にはしみじみします。

 予告編で「映画史上最高のハッピーエンド」と謳っています。確かにハッピーエンドですが、観客の予想を裏切りすぎると素直に爽やかな幕切れとは感じに くいというか、シリアスな問題を扱っているだけにこんなにうまく行くはずないでしょという気持ちが先立ってしまいました。

2012年7月16日 (月)

リンカーン弁護士

 マイクル・コナリーの同名のリーガル・サスペンスを映画化した「リンカーン弁護士」を見てきました。
 封切り3日目月曜日祝日、新宿ピカデリースクリーン8(157席)午前9時20分の上映は4割くらいの入り。

 高級車リンカーンの後部座席を事務所とする弁護士ミック・ハラー(マシュー・マコノヒー)は、麻薬の売人や娼婦たちを主要な顧客として司法取引での減刑 を勝ち取るが、違法すれすれの手段をものともせず依頼者から高額の費用をふんだくるちょい悪の敏腕弁護士だった。大手の不動産業者の御曹司ルイス・ルーレ (ライアン・フィリップ)が出会い系パブで知り合った女性に重症を負わせたとして殺人未遂で逮捕され、ミックを弁護人に指名してきた。相棒の調査員フラン ク(ウィリアム・H・メイシー)が入手した逮捕記録とパブの監視カメラに写っていた被害者がルーレを誘う映像から楽勝だと判断していたミックは、検察官 (ジョシュ・ルーカス)に対して強気の交渉を仕掛けるが検察官は乗ってこない。偽の逮捕記録をつかまされたと知ったミックは証拠を検討するうちにルーレが 真犯人であるばかりか、ミックが2年前に担当した殺人事件の真犯人でもあるのではないかとの疑いを持つ。無実を主張しながら2年前ミックに説得されて有罪 答弁をして無期懲役となっていたマルティネス(マイケル・ペーニャ)の無罪を証明するため、ミックはフランクに調査を指示するが、フランクはミックの留守 番電話にマルティネスを釈放する切符を見つけたという伝言を残して射殺される。罠にはめられ、身の危険にさらされるミックは・・・というお話。

 原作とは、調査員(原作ではラウル・レヴン)とミックの依頼者だった服役囚(原作ではメネンデス)の名前が違う、担当裁判官が男性になっている、映画で は秘書のローナもミックの元妻であることが明らかにされていない(私が聞き逃したのかもしれませんが)、原作では元妻のマギー(マリサ・トメイ)の家に いった夜にHしたかどうかを深酒のために思い出せなくて残念に思っているが映画では明確にHしてる、2年前の被害者レンテリアの顔の負傷が原作では顔の左 側なのに映画では顔の右側になっている、服役囚にミックが写真を見せたときの反応が違う、原作では示唆されているだけのコーリスへの働きかけが明示されて いる、マギーの家の前でミックとルーレが対峙するという原作にないシーンが挿入されている等の比較的細部での違いはありますが、概ね原作に忠実に描かれて いると言ってよいでしょう。う~ん、原作を読んでから見ると細かい違いにマニアックに目が行ってしまうんですね

 法廷シーンが多く、リーガルサスペンスファンにはうれしい作品ですが、弁護士の視点からは、わかるわかるという側面とともに違和感がありました。特にそ れを感じたのは、証人尋問で尋問者が地雷を踏むシーン。ルーレの母(フランシス・フィッシャー)の証言でミックの主尋問で不動産業者が客を案内してレイプ された事件がありそれをきっかけにルーレがナイフを常時携帯するようになったとだけ言わせ、検察官が反対尋問でどうしてその事件を詳しく覚えているのかと 聞いたのに対して、「自分が襲われた日は決して忘れない」と証言、凍り付いた検察官はそこで反対尋問を切り上げます。コーリスの反対尋問でコーリスがルー レの別事件の自白を聞いたとして被害者の特徴まで述べたときにも、同様に見えます(ここはミックの主観としては、違うわけではありますが)。こういう証人 のまったく予想外の証言というのは、敵性証人に事前に接する機会がまずない日本の裁判では、わりとあり得ます。ですから、尋問中に地雷を踏んで凍り付くと いうのは、日本の弁護士にとっては、もちろん可能な限り避けたいしそのために努力するわけですが、ふんふんよくわかるという思いです。しかし、アメリカの 場合、陪審審理開始前にディスカバリーの手続があり、そこで証人には予備的な尋問がなされているはずですから、こういった主要部分でのまったく予想外の証 言というのはそうはないと思います(コーリスについては陪審審理が始まってから言い出したのでディスカバリー手続が行われていても予備的な尋問はできなかったことになりますが)。重罪事件の陪審審理、それも依頼者が金持ちで費用面からもディスカバリーでの尋問を避ける理由もないケースで、ディス カバリーがまったく描かれていないのは、不思議な気がします。カリフォルニア州では、あるいはロサンジェルス郡ではディスカバリーが制限されるようになっ ているのでしょうか。作者が弁護士でない(ジャーナリストだそうです)ためにディスカバリーが失念されているなんてことでなければいいのですが。
 ルーレの高級車や時計(ロレックス)を見て狙いをつけたのではないかというミックの反対尋問に対して被害者が彼の車を見たことがないと証言した後、ルー レが他の女と出て行くのを見た、車に乗せていくのを見たと述べたのに対して、ミックがさっき車は見ていないと証言したではないかと切り返すシーン。弁護士 にとっては条件反射のような尋問です。もっとも、記録をよく読み、事件の内容・構造を頭によく入れて、集中力が持続していないと、この反射的な対応が出て 来ないのですが。第三者の視点からは、被害者いじめにも見えるかもしれませんし、保身のためのとっさの嘘が証言全体を信じてもらえなくするということは残 酷にも見えます。しかし、小さなことであれ、法廷で嘘をつくということは、大きな代償を払うことにつながりかねませんし、また身から出たサビで仕方ないこ とかなとも思います。裁判の場で小さな嘘をついたためにすべてを失う当事者の姿を見るたびに、複雑な思いをするのですが・・・

 別事件での殺人を明言し裁判中の事件でも真犯人と見られる被告人を無実と主張し、自分の依頼者である被告人に罠にはめられて脅され、かつて証拠上勝ち目 がないことから無実を主張する被告人を説得して有罪答弁をさせて減刑したがその服役囚が本当に無実だとわかるという、弁護士にとっての悪夢を二重三重に背 負い込んだという設定ですから、職業柄多くのことを考えさせられました。自分であればどうしたか、現にそうなってみないとなかなか決断できないところで す。悪人をなぜ弁護するのかと言いたがる人たちからは、ルーレの弁護をどうするのかが弁護士を問い詰める格好の材料に思えるでしょうけど、ここではやは り、裁判中の事件自体について任意に認めているわけでもないのですから無罪主張で弁護することになるのではないでしょうか。弁護士の心証として有罪に思え るから無罪主張しないというのでは、それこそ2年前に証拠上どう考えても有罪と思い込んだがために無実のマルティネスに有罪答弁を説得して無期懲役にして しまった失敗を繰り返すことにもなりかねません。事案の内容とその時の状況で簡単にはいえませんが、たぶんそれが弁護士の仕事上進むべき道となることが多 いと思います。

 業務上のテクニックとしてまた職業倫理としてどこまでが許されるか、また許されるとしても(違法ではないとしても)アンフェアな手段を取るかどうか、ど のような事件を受け、また受けに行くか、どういう報酬の取り方をするかなど、多くの点で主人公は私とは考え方が違いますが、直面しうる問題は他人ごととも 言い切れませんし、極限的な場面での判断には、また事件をめぐる基本的判断では通じるものもあり、弁護士にとってはいろいろな意味で考えさせられる作品で した。

2012年7月15日 (日)

崖っぷちの男

 高層ホテルの窓の外に立つ男と警察等の駆け引きを描いたサスペンス「崖っぷちの男」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ3(209席)11時45分の上映は4割くらいの入り。

 4000万ドルのダイヤを横領したとして服役中の元警察官ニック・キャシディ(サム・ワーシントン)は、父親の葬儀への参列を許されたのを利用して脱走 し、ニューヨークの高層ホテルの窓枠を乗り越えて外に立ち、ニューヨーク市警の交渉人マーサー(エリザベス・バンクス)を指名して呼び寄せる。要求を聞こ うとするマーサーに対し、ニックは自らの無実を主張し続ける。周囲一帯が警察の交通規制と野次馬とマスコミで埋まる中、ホテルの向かいのビルには、ニック の弟(ジェイミー・ベル)とその恋人(ジェネシス・ロドリゲス)が忍び込もうとしていた。果たしてニックの目的は何か、弟らの計画は成功するのか・・・と いうお話。

 ニックの目的は何かというほぼ一点で観客の興味を惹きつけて進む映画です。したがって、いくら何でもその結末は書くべきではないでしょう。そうすると、書けることがかなり限られてしまうわけですが。
 ニックの弟とその恋人の潜入劇は、「オーシャンズ11」をイメージさせ、ニックの目的の判明とあわせて、やや類似した爽快感をもたらせます。そのあたりが制作側の狙いというところでしょうか。

 ニックらに対する司法の結論は、裁判過程は一切描かれていませんが、やはりアメリカならではという感じです。そこがこの映画のカタルシスにもなっているわけで、日本の裁判所ではこうはいかず、日本の司法を前提に作ると最後はどこか影が差すものになってしまうでしょう。

2012年7月14日 (土)

BRAVE HEARTS 海猿

 「THE LAST MESSAGE」にさらに続編があったという掟破りの映画「BRAVE HEARTS 海猿」を見てきました。
 封切り2日目土曜日、TOHOシネマズ渋谷スクリーン3(297席)午前11時25分の上映は8割くらいの入り。

 海上保安庁の特殊救難隊に志願して配属された仙崎大輔(伊藤英明)は、後輩の吉岡(佐藤隆太)とともに海難救助と訓練に明け暮れていた。危険を顧みず 「全員助ける」と主張する仙崎に対し、副隊長の嶋(伊原剛志)は、レスキューはスキルと冷静な判断力だとたしなめ、沈没寸前の船に飛び込んで自力で帰還で きなかった仙崎に対して、おまえを助けるためにもし他の隊員が死んでいたらどうするんだと叱りつけた。そんなある日、吉岡の恋人のCA美香(仲里依紗)を 乗せたジャンボ機G-WING206便がエンジン脱落のためにコントロール困難となった。嶋は吉岡の恋人が乗務していることを知って吉岡を外すよう指示し たが、仙崎は反対し吉岡は救助のために東京湾上に向かった。G-WING206便はなんとか羽田上空までたどり着いたものの車輪が出ずに着陸できず、事故 対策本部では、滑走路への胴体着陸か東京湾海上着水かで紛糾するが、日没が迫っていたため海上着水案は放棄された。それを聞いた仙崎は、海上に照明ブイで 滑走路と誘導灯を作ることを提案し・・・というお話。

 決断の重みと人々の善意がメインテーマかなと思えました。
 ジャンボ機の前に入れた沈没する貨物船からの乗員救助のエピソードで、貨物が崩落し沈没直前の状態の貨物船に最後の一人を救おうとして飛び込んだ仙崎の 決断とその失敗を見せ、嶋にがむしゃらに飛び込んでおまえを助けるために他の隊員が死んでたらどうするつもりだといわせることで、冷静な判断の必要性、プ ロの判断とは何かを考えさせます。その上で、ジャンボ機の救助では、小さなところでは恋人が要救助者となることで冷静な判断が期待できない吉岡を外すかど うか(ラスト近くでこれがけっこう考えさせられます)、大きなところでは着陸の失敗から大惨事を引き起こしかねない胴体着陸と爆発等の可能性は低くても 20分で沈んでしまう海上着水のどちらを選ぶかという判断を迫られてどう決断するか。決断した上で失敗だったときどうするか、それが頭をよぎる中で速やか に決断できるか、そういうことをしみじみと考えさせられました。仙崎の立場でも、海上着水して乗員乗客の救助を終える前に機体が沈んでしまったらどうする か、さらにはそれ以前にタイムリミットまでに照明ブイで誘導灯の設置を終えられなかったらどうするのかという人命のかかった重い問いが心に重くのしかかっ ていたはずです。
 最初の方とラストで仙崎の子煩悩ぶりを描くことで、そういう仕事と決断の重さを冷徹な人物ではなくふつうの人間味のある者にかからせヒューマンな指揮官像に結びつけています。このあたりは巧さとある意味ではずるさを感じます。
 ヒューマンな指揮官という点では、実は前半憎まれ役として登場する嶋の方がかっこよかったりします。全体が性善説というかやり過ぎ感のあるハッピーエンドに向けて作られているためという感じがしますけどね。
 仙崎妻(加藤あい)の今の世の中がいいと思っている人なんていない、こんな世の中に産まれてくる子どもはかわいそうって、前半の態度は、ラスト付近での変化と対照されています。それはそれで構成としてはわかりますが、ちょっとわざとらしい。

 美香の吉岡と結婚したくない理由とか、それを打ち明けるやりとりとか、ちょっと浮いてる感じ。そこはもう少し作り込んで欲しかったなと思いました。

2012年7月 8日 (日)

プレイヤー

 今年2月のアカデミー賞総なめの「アーティスト」監督と主演男優コンビの最新作が売りの映画「プレイヤー」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、全国5館、東京3館の上映館の1つシネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前11時の上映は1~2割の入り。映画館入口前に長 蛇の列があったのでびびりましたが、それは「魔法少女リリカルなのは」「魔法少女まどか☆マギカ」の特典付き前売り券を求めるオタク青年たちで、「プレイ ヤー」はガラガラ。フランスでは2週連続興収1位だったそうですが、日本人向けではないのかも。

 「アーティスト」のジョージ役だったジャン・デュジャルダンとジル・ルルーシュの2人を中心に5つないし6つの短編と3つないし4つの挿入エピソードからなるオムニバスで、いずれも浮気性の男たち(と女たち)を描いています。
 最初のうち、同じ役者と思えるのに役名が違うしキャラも違うので、あれ別人なのかな、外国人は見分けにくいか・・・なんて思ってしまいます。
 前宣伝からは、浮気男の軽快なおちゃらけ騒ぎが予想されましたが、おもしろうてやがて悲しきどころか最初から虚しさ哀しさ哀れさがにじみ出ていて、浮気 の虚しさを説いている映画のように感じられました。一番明るい軽快なタッチの話でさえ、男たちに満足感が感じられません。そのような短編に、したり顔のカ ウンセラーが開催する浮気男改造セミナーのエピソードまでつけられると、全体が憂鬱になりすぎ。むしろこれだったら、長編で前半は快調にお気楽にバカ騒ぎ させて後半後悔させる展開の方が素直に見ていられて素直に反省できるんじゃないかなと思いました。
 短編集のわかりにくさ食い足りなさと、最初からカタルシスのない展開が、観客動員につながらないんじゃないかなとも思います。それとも私がフランスの文 化について行けないのかなぁ。最近の作品でも「ずっとあなたを愛してる」とか「サラの鍵」とかけっこう感動したんだけど。フランスの浮気の文化について行 けないだけかも・・・

2012年7月 7日 (土)

それでも、愛してる

 うつになった男とその家族を描いた映画「それでも、愛してる」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、全国でも東京でも2館だけの上映館の1つ新宿武蔵野館スクリーン2(84席)は2割くらいの入り。

 父親の玩具会社を受け継いだCEOのウォルター・ブラック(メル・ギブソン)は、うつになり、勤労意欲を失って家で眠り続ける毎日を過ごし、2年が過ぎ て、エンジニアの妻メレディス(ジョディ・フォスター)に愛想を尽かされて家を追い出され、ホテルで自殺を図るが失敗し、ゴミ箱で拾ったビーバーのパペッ トに叱咤される。パペットはウォルターが自身の左手で操り自身で話しているのだが、パペットを通じて話すことで人と話すことができ意欲を取り戻したウォル ターは自宅に戻り、すぐに受け入れた幼い次男のヘンリー(ライリー・トーマス・スチュアート)と一緒に工作を始め、戸惑いながら見つめていたメレディスも 受け入れたが、父親に反発を感じていた長男ポーター(アントン・イェルチン)は不快感を隠さない。会社にも戻り、ヘンリーの工作にアイディアを得て提案し たビーバーの木工セットが大ヒットして倒産寸前だった会社も持ち直し、仕事も家庭も順調と見えた矢先、20年目の結婚記念日にメレディスがビーバーを外す ように求めウォルターが再度話せなくなりメレディスが渡した家族の思い出の写真を見たウォルターが「過去のおかげでうつになった、それを思い出せというの か」と反発し、さらにポーターがガールフレンドのノラ(ジェニファー・ローレンス)に得意だったスプレー画をさせようとしているところを逮捕され引き取り に来たウォルターがノラと母親にビーバーを通じて話しかけたことでポーターが爆発して暗転し・・・というお話。

 うつ患者と家族の関係を、主として一家の支柱になる妻、父親に反感を持つ高校生の長男と父の関係を軸に描いています。
 家族側からすれば、意欲を失って寝てばかりいる父親、突然パペットを通じて話し出したことへの戸惑いと苛立ちとどう折り合っていけるかということになる でしょう。その結果、ウォルターはがまんがならなくなった妻に愛想を尽かされ、長男はもともと父親を嫌ってるし、ウォルターには父親になついている幼いヘ ンリーだけが救いという感じ。
 でも、この場合、はっきり言って、ウォルターも家族も恵まれた境遇にあり、ウォルターが2年も仕事を放り出していてもCEOを解任されもせず経済的には 安泰で生活に困っている様子はまったくありません。そういう状況なら、もう少し余裕を持って接していいんじゃないかと思えます。まぁ、私がウォルターの年 齢に近い父親だから、そう感じるのでしょうけど。
 大人がパペットを通じて話すという姿は、それほどがまんできないものなのでしょうか。対人関係で自信を失い話せなくなった人間が、第三者を仮想すること で、第三者がしゃべっているのだと思うことで気が楽になり、また自分の言葉を第三者の発言として聞くことで自分を納得させやすいなどの心理で、ある程度の 自信を持って話せるということは、ありそうな気がします。ホーキング博士がキーボードを通じてのみコミュニケーションを図れるという様子に、当初は衝撃を 受けましたが、その姿を見続けるうちにそういうものだと受け入れたものです。パペットを持ってテレビでも話し続けるウォルターの姿は、病気のために特殊な 形でしかコミュニケーションを図れない人の存在への理解を訴え、また視聴者にそう感じさせるものではあり得なかったでしょうか。
 そっちへ進んだら、あまりに説教臭い啓蒙的な映画になってしまうからかもしれませんが、この映画とは別の家族の絆の物語もあり得たのではないかと、私は思ってしまいました。

 主席でありながら、兄の死の悲しみから立ち直れず、スプレー画で逮捕された過去を持つノラと、ポーターのややよじれた恋の行方もサブテーマになっています。
 その陰影のあるノラを演じたジェニファー・ローレンス、公式サイトの紹介で、「『ウィンターズ・ボーン』(10)で、20歳にしてアカデミー助演女優賞 にノミネートされ、ハリウッド期待の若手女優となる。」と書かれてます。ウィンターズ・ボーンで彼女以外に主役がいたとも思えず、これは「主演女優賞」の 誤り。ちょっと情けない。
 原題の "The Beaver" 確かBeaverはスラングで4文字語の意味も・・・アメリカでの興行は、それでOKなんでしょうか。

2012年7月 1日 (日)

臨場

 検視官倉石義男シリーズのTVドラマを映画化した「臨場」を見てきました。
 封切り2日目日曜日・映画サービスデー、新宿バルト9シアター9(429席)午前11時30分の上映は7~8割の入り。観客層は若者が多数派

 4人が殺害された通り魔殺人事件から2年後、その被告人を心神喪失で無罪とする原動力となった弁護人と精神鑑定医が殺害された。弁護人の死体を検視した 倉石義男(内野聖陽)は、ズボンの臀部に大量に付着した緑茶の染みに違和感を持ち、肛門での体温測定からの推定死亡時刻に異を唱え、肝臓の温度を測定し、 死体に死亡推定時刻の偽装工作がなされたことを発見した。警察は連続殺人事件と判断し、警視庁と神奈川県警の合同捜査本部が設置され、通り魔殺人事件の遺 族を重点的に調査するよう指示がなされたが、倉石は遺族が死体への偽装工作などできるはずがないと反発する。鑑定医の死体の解剖を担当したのは倉石の恩師 安永泰三(長塚京三)だったが、推定死亡時刻への工作の跡はなかったという。そこへ殺された弁護人と鑑定医が組んだ別の事件がクローズアップされ・・・と いうお話。

 服装や態度などの見た目から組織になじみにくくお行儀は悪いものの、実力は認められ、信念に基づいて職責をこなし、組織の論理にのらずに正論と真実追究 に突き進んでいく、しかし同時に自分の限界も認識している、そういった検視官倉石義男の人物像は、よく描かれていると思います。基本的には、その魅力で見 る映画だろうと、例によってTVドラマは見ていない私は、思います。
 検視シーンのリアリティも、私自身、司法解剖は立ち会ったことがありますが検視の方はありませんけど、特に違和感を覚えない程度には表現されています。
 ストーリーは、それなりに布石は打たれどんでん返しがあり、それなりには見せ場を作っています。私には、別事件の絡みがわざとらしく、真犯人の動機は無理でしょと思えますが。

 この作品のテーマになっている、通り魔殺人事件の犯人が精神病を装い弁護人と精神科医が組んで心神喪失をでっち上げるという話。一弁護士として、こうい う話がTVや映画で描かれ、そういうことが信じられていくこと自体が、とても悲しいしやるせない。私自身、もう5年あまり刑事事件の現場から遠のいていま すし、心神喪失が絡む事件は一度もやったことがありませんから、あくまでも一般論に終始しますし、自分が経験したこともないのでそもそも「弁護士として」 論じる資格があるともいえません。しかし、こういうことを言いたがるメディアが多い昨今、一言言わせてもらいます。
 まず詐病で心神喪失が認められるなんてことがあるのでしょうか。心神喪失の鑑定もかなり綿密になっていますし、精神科医が心神喪失の鑑定をしても裁判で は心神喪失が認められないで心神耗弱の減刑止まりということも多いということを別としても、この映画で描かれているように心神喪失で無罪となってもその後 何年もの医療観察入院が待っており、この映画のケースでいえば2年間の入院中始終接している主治医を騙し続けられるでしょうか。
 心神喪失で無罪はけしからん、精神病なら何をやってもいいのかという議論は常にありますが、仮に無罪になっても(実際には裁判所が心神喪失を認める確率 はかなり低いですがそれを無視したとしても)その後長期間精神病院に閉じ込められ、退院できたとしても精神病者のレッテルを貼られて社会復帰も困難になる わけで、それで人が殺せるものなら安いものだと思って犯罪を犯す者などいるでしょうか。
 そもそも通り魔殺人の犯人は、むしろ死刑になりたいと思って犯行に至るケースも多く、その場合、詐病なんて考えもしないでしょう。
 この映画で、真犯人が見たと主張している、「被告人の笑い」にしても、そういう疑いを持った目にはそう見えるということもあり、目撃証言の難しさにも通じる、思い込みの怖さという問題を抱えていると、私は思います。
 弁護人が詐病を疑うかについては、難しい問題があります。まず弁護人の職務として、被疑者・被告人の主張を頭ごなしに否定すべきでないということがあり ます。世の中には、こういった映画・ドラマも含めて弁護士は悪人の虚偽の主張の片棒を担ぐものと言いたがるマスコミの論調を受けて、弁護士と見るとこうい う議論をふっかけたがる人がいますから、何度かお話ししていますが、被疑者・被告人、特に身柄を拘束された被疑者・被告人は、警察官にも検察官にも自分の いうことを信じてもらえず嘘つき呼ばわりされ続け、家族や友人とも会えなかったり逮捕されたこと自体で疑われたりして孤立した状態にあります。その中で唯 一の味方になるはずの弁護人から、自分の主張を簡単に否定されたら、絶望感にうちひしがれ自暴自棄になって警察の作るストーリーに従った自白に追い込まれ て行きかねません。多くの冤罪事件でそういうことが起こり、冤罪事件とわかると、昨今ではマスコミも最初の弁護人は何をしていたと非難がましく報じている ところです。そして、弁護人自身、事件についてごく限られた情報しかない中で、直感的に被疑者・被告人の主張が怪しいと思ったとしても、それが真実である 保証はどこにもないというのが多くの事件の現場での感覚です。そこで弁護士の間でいわれているのは、「弁護士は被疑者・被告人を裁いてはいけない」という ことなのです。弁護人が怪しいと思ってもそれは確実な事実ではなく錯覚かもしれない、その確実とはいえない直感で被疑者・被告人の主張を否定して、被疑 者・被告人を絶望させて虚偽自白に追い込んだら目も当てられない、それこそ弁護人の職務違反です。ただ、被疑者・被告人の主張を否定しないことと、裁判上 どのような主張をどのように行うかは一応別の話で、裁判上主張することは弁護人として確信を持てた範囲で行う、あるいは確信が持てるような主張の仕方をす るということになると思います。
 さらにここでいう「詐病」にはさらに別の問題もあります。精神障害における「病識」の問題です。イデオロギー的な問題もあり、さまざまな意見はあります ので深入りは避けたいと思いますが、少なくとも精神障害においては病識、すなわち自分が病気であるという認識があるとは限らないわけです。本人が、「自分 は正気でした」と言ったら精神病じゃなかったなんて簡単な話じゃないと思います。
 そういう状況の中、被害者・遺族の厳しい視線(それを別にしても弁護士自身それは痛ましく思っているはず)、マスコミの批判や心ない「市民」の嫌がらせ と、そして弁護人にとって何よりつらい被疑者・被告人とのコミュニケーションが難しいという事態やむしろ死刑になりたいと思っている被疑者・被告人による 後ろから飛んでくる矢とかに挟まれて弁護活動を続ける弁護人は、大変な状況にあると思います。弁護士の利益のためになんて、そういう刑事事件での弁護士報 酬なんてほとんど期待できないのがふつうですし、そういう事件で有名になっても同種の困難ばかり多くて報酬が期待できない事件が多数来るだけでしょうし、 そんなことを考えて受任したり弁護方針を考える弁護士がいるとは、私には考えられません。
 さらに言えば、こういうドラマや映画や、さらには報道に携わる人たちが自分たちは被害者・遺族のためにやってるような言い分にも違和感を持っています。 この映画でも、むごたらしい殺害シーンや、検視でも抑えたつもりでも女性被害者の胸部のアップとかが出てきますが、そういうシーンを作る必要性があるで しょうか。遺族といっても価値観は一様ではありませんから、被害者が安楽に死んだと思われたくないと考える人もいるでしょう。しかし、執拗な刺殺・流血 シーンの再現には抵抗感を持つ遺族が相当数いると思いますし、若い女性(若くなくてもかもしれません)被害者の遺族には殺害されると死体解剖はもちろんの こと検視の際ですら全裸にされて男性の検死官の目にさらされて「乳頭右下何センチに刺創」とかの確認をされるということを一般人にイメージとして描かれる ことに嫌悪感を持つ遺族も少なくないと思います。制作者側は犯罪のむごさを知らせ犯罪への憎しみを表現するためなどというでしょうが、私自身、そういうと ころよりも、遺体にすがりついたり呆然とする遺族、その後も被害者の死亡の意味を求めてむなしく奔走する遺族、何年も経っても諦めきれない遺族の姿の方に こそ犯罪のむごさと遺族の悲しみを素直に感じました。こういう描き方を見るたびに血に飢えているのはマスコミの方ではないかと思えてしまいます。

 エンドロールの後、もう続編はないぞという宣言が見られます。続編に続くというさもしいアピールをする映画が多い中で、これはちょっと潔さを感じます。

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