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2012年3月

2012年3月31日 (土)

マリリン 7日間の恋

 イギリスで映画「王子と踊り子」撮影中のマリリン・モンローの第3助監督とのアバンチュールを描いた映画「マリリン 7日間の恋」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、2週目にしてシアター3(60席)に落としたヒューマントラストシネマ渋谷午前10時10分の上映は7~8割の入り。観客層は中高年中心。恋愛映画ということよりもマリリン・モンローのゴシップ映画という位置づけなんでしょうね。

 人気絶頂で、3人目の夫アーサー・ミラー(ダグレイ・スコット)とともにイギリスの地に立ち、映画「王子と踊り子」の撮影に入ったマリリン(ミシェル・ウィリアムズ)は、監督で共演者のローレンス・オリヴィエ(ケネス・ブラナー)の要求を満たすことができず、台詞を覚えず、撮影に遅刻し、撮影現場は殺伐としていた。新婚の夫が自分のことを書いたメモを発見し、結婚を後悔していることに衝撃を受けたマリリンの抗議に、妻を支え続けたアーサー・ミラーも子どもに会うためといって帰国してしまい、絶望したマリリンは、若い第3助監督コリン・クラーク(エディ・レッドメイン)を部屋に呼び、郊外でデートをするが・・・というお話。

 気まぐれで遅刻を繰り返したり、今日はできないと帰ってしまったり、台詞も覚えていないが、うまく行ったときはスクリーンに映え観客を魅了するマリリン。そういう特異な才能は、人格とは別で、通常の世界の感覚では計れない、そういうことを感じ、考えさせられます。
 本物のマリリン同様、決めるときのミシェル・ウィリアムズの表情がすばらしい。全体の演技だとメリル・ストリープだったのでしょうけど、表情の作り方ではミシェル・ウィリアムズにアカデミー主演女優賞が行っても不思議はない出来映えだったと思います。

 ストーリーとしては、精神的に追い詰められたマリリンが、自分の味方をすると言ってくれる若いイケメンにひとときのアバンチュールを求めたというところで、マリリン自身、一時の慰みと位置づけていることが明らかで、「世界が愛した大スターの、最もピュアで秘められたロマンス。」といううたい文句にはかなりクエスチョンマークが付きます。
 見た感じでは「マリリン 7日間の恋」という感じではなく、「マリリンへの7日間の恋」か、「マリリン 2日間の恋」くらい。どう見ても、コリンサイドからのマリリンへの恋で、マリリンの方は映画上は1日か2日の情事というか戯れというかというところ。実際、原題は “My Week With Marilyn”で、コリンサイドからの話。邦題がニュアンスを変えたために、違和感を持ちました。
 有名女優の一時の気まぐれで関係を持った男がH写真を写真週刊誌に売り込んだようなもので、映画の構想としては、なんか嫌らしさを感じます。ロマンスだと思うならなおさらそういう思い出は自分の中だけにとどめて墓場まで持っていくべきなんじゃないかなぁ。
 そういうせせこましさを持ったコリンがマリリンに去られた後に言い寄るのを振る役でハー様(エマ・ワトソン)が出ているのは、ハリ・ポタファンには小気味よいか、そんな端役での登場ではもの悲しいか・・・

2012年3月20日 (火)

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

 メリル・ストリープが2度目のアカデミー賞主演女優賞を獲得した映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を見てきました。
 封切り5日目、4月いっぱいで閉館が決まった上野東急(206席)午後0時45分の上映は7~8割の入り。観客層はやはり圧倒的に中高年層。サッチャーでメリル・ストリープですからね。

 政界を引退後、夫デニスが他界して8年を過ぎた86歳のサッチャーは、夫デニスの幻聴・幻覚と語り合い、認知症と判断されてヘルパーや護衛の者に見張られながら、自分だって買い物ぐらいできると時折訪れる娘にぼやく日々を送っていた。そうした中でサッチャーは、夫デニスの幻覚とともに、政治家を志した若き日々、首相として過ごした栄光と挫折の日々を思い出す・・・というお話。

 徹底した自助努力・自己責任を主張し、福祉を切り捨て、労働組合を敵視して弾圧し、しかし領土を侵されるとコストを度外視して徹底して戦う、バターより大砲の超タカ派の主張を貫き、同じことを男性が言っていれば超タカ派として警戒されて表舞台に立てなかったであろうことを初の女性首相というイメージ戦略で隠して首相に上り詰め11年間君臨したサッチャー。
 この映画では、そのサッチャーの政治姿勢を、国民に歓迎された側面と疎んじられた側面双方で淡々と描き分けています。
 サッチャーの現役の頃、超タカ派に思えたその言動が、もちろん、今でも私の感性には合いませんが、それほど極端に聞こえないのは、日本の政治情勢が大きく「自己責任」の弱肉強食の主張に振れてしまい、そういう輩が全然珍しくなくなってしまったせいでしょうね。

 この映画は、あくまでも夫に先立たれ夫の幻覚と生きる現在のサッチャーを中心に、過去の日々をかつての栄光(と挫折)として振り返るスタイルであるため、強気で超タカ派の発言も毒を抜かれ、また違ったニュアンスで読むことになります。
 政治姿勢の問題よりも、誰にでも訪れる引退、そして能力の減退、思うに任せぬ体の衰え、愛する人の死去、それを受けてどう生きるかといったことがテーマになっています。11年もの間イギリスの首相を務めた人物が、退陣後イギリスがまた別の路線を歩んだことをもって自分がしたことは何だったんだろうと虚しさを感じるというのであれば、満足感を持って人生を振り返ることができる人はいなくなってしまう。どんな権力者でもいつまでも権力を持ち続けることはできない(はず)。その人生のステージごとにできること、またはやりたいことをやっていくのが人生じゃないのかなって思う。この映画がそういっているかどうかは疑問だけれど。

2012年3月18日 (日)

ヤング≒アダルト

 都会に出て行き詰まった田舎町の希望の星だった37歳バツイチ女性の幸せ探し映画「ヤング≒アダルト」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、新宿武蔵野館2番スクリーン(84席)は8割くらいの入り。観客層は、ターゲットのアラサー~アラフォー女性とおぼしき人々が多数派、次いで多いのは、意外にも中高年男性一人客。アラフォー独身女性のイタい姿というイメージの予告編からは、カップルで見るのはリスクが大きいというところでしょうか。

 田舎町では抜群の美人で憧れの星だったメイビス(シャーリーズ・セロン)は、今は37歳でバツイチ、ミネアポリスで自称作家、実際にはヤング・アダルト向けの青春小説のゴーストライターをしているが、そのシリーズも人気が落ち打ち切りが決定、最終話を書くハメになるがなかなか書けずにいた。そんなメイビスに高校時代の元彼バディ(パトリック・ウィルソン)から赤ちゃん誕生のメールが届く。仕事はうまく行かず、ベッドの相手には事欠かないものの恋人もおらず、行き詰まりを感じるメイビスは、故郷の町に帰って元彼とよりを戻して幸せになることを妄想し、突然故郷の町を訪ねる。妻と仲良く暮らし赤ん坊の世話をする子煩悩のバディの姿を見ても、本当は妻には愛想を尽かし生活に疲れていて自分とよりを戻したいはずと妄想するメイビスはバディに迫るがバディにかわされる。メイビスに憧れていたが相手にされず同級生たちにリンチを受けて障害者になったマット(パットン・オズワルト)は、メイビスの勘違いを指摘するが・・・というお話。

 田舎町ではもてはやされ、希望の星だった者が、都会に出てみれば山のように上には上がいて芽が出ず、成功にはほど遠いが、故郷の人々の期待・羨望・嫉妬と自分のプライドから撤退もできないという、ありがちな事態でどう生きていくか。そういう意識を持たなくても、自分を信じて生きてきたが、ふと見回してみるとまわりの人々は平凡な幸せを手に入れて安住し自分の将来には不安ばかりというとき、どうするか。故郷の町に帰れば、都会の厳しい競争にさらされず楽な小さな幸せが待っているのではないかと思うか、自分の選んだ道なんだから、迷わず前に進むだけと思うか。つきつめれば、そういうテーマの映画なんだと思います。
 それを、学園のアイドルだったプライドとそこから来る高飛車な態度、昔のもてはやされた自分の記憶への固執から来る妄想ともいえる勘違いで猪突猛進させ、かつて羨望を持っていた者たちの反感と失笑という反応で、高ビーな37歳バツイチ女のイタい姿という形で出しています。
 そういう形で出したテーマは、メイビスを否定するのではなく、しかし、これから都会に行きたいというサンドラ(コレット・ウォルフ)にも、メイビスに憧れていたマットにも新たな未来は提示されないように、やや突き放した形で回収されます。自分の道は自分で選べ、選んだ道は自分で進めってことなのでしょう。メイビスへの暖かい視線とさめた突き放した視線が交錯するようなエンディングだと感じました。
 元彼のバディに相手にされず、高校時代に相手にしなかったマットに慰められるメイビスという展開からは、虐げられ独身を通してきたマットに幸せがなんてエンディングもありそうな気がするところですが、メイビスが故郷に帰る映像と、マットの映像が重ね合わされるように、マットの思いは投げ捨てられます。そのあたり、美人のバツイチ女の生き様は肯定されても、ブサ面独身オタク男は報われないって感じがちょっと悲しい。もっとも、このシーンを見て高ビーな5股女が結婚を意識して勘違いに気がつくというテーマの「婚前特急」(吉高由里子主演、2011年:見たけど書いてなかった)でブサ面男が報われ結果的に男の妄想の方を肯定的に描かれたのとの対比を意識してしまい、それよりはこっちの方が健全かなというふうにも思いましたが。
 メイビスのあがきをイタいと失笑するのではなく、いくつになっても人生まだこれからだよというメッセージで結ばれると、メイビスより15歳上のおじさんもちょっと心温まります。

2012年3月17日 (土)

シャーロック・ホームズ シャドウゲーム

 名探偵シャーロック・ホームズを主人公にしたアクション映画第2弾「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、新宿ミラノ1(1064席)午後1時20分の上映は1割くらいの入り。

 爆弾事件が続いていた1891年のヨーロッパ、第1作にも登場した謎の女アイリーン(レイチェル・マクアダムス)が届けた荷物は爆弾だった。アイリーンを追いかけていたホームズ(ロバート・ダウニーJr.)がその中に入っていた手紙を手に入れ、アイリーンは失敗をとがめられ殺害される。一連の事件の黒幕はモリアーティ教授(ジャレッド・ハリス)だとにらんだホームズは、教授の下に乗り込むが、教授から新婚のワトソン(ジュード・ロウ)夫妻を巻き込むことになると警告を受ける。新婚旅行中のワトソン夫妻が乗った列車が襲われるのを助けたホームズは、ワトソンとともにジプシーのシム(ノオミ・ラパス)を訪ねるが、ホームズの行く先々で襲撃を受け・・・というお話。

 「シャーロック・ホームズ 最後の事件」をベースにしたものと思いますが、登場人物を増やし、舞台を派手に大がかりにして、かなりイメージを変えています。そもそも原作は推理小説なのに、映画は第1作同様謎解きや推理は瞬間的な映像で処理されて冷静にじっくり考える場面はほとんどなく基本はアクション映画で、そういう点でもかなり趣が違いますが。原作は、「最後の事件」(The final problem)で、シャーロック・ホームズはそれから10年間復活しませんでしたが、映画の方はタイトルから「最後」は入れず(SHERLOCK HOLMES : A GAME OF SHADOWS)、最初から「まだ続編作るぞ」って態度がありありです。

 展開が錯綜して速く、謎解き部分は瞬間的な映像で前の場面にバックして示されるのですが、その場面に至る流れを覚えてなかったりして、ちょっとついて行ききれませんでした。DVDでゆっくりというか2度見ないと十分は理解できない感じ。
 ホームズが、見るものすべてを隅々まで観察し映像として記憶している様が描かれるのですが、その能力が強調された「ミレニアム」シリーズのリスベット・サランデル役でデビューしてそのイメージを強く引きずっているノオミ・ラパスとのダンスシーンで、ホームズがダンスをしながら周囲を観察して映像記憶として処理する様子は、一種のジョークなんでしょうね。

 ホームズに敬意を持つ故に直接に手にかけたくないという意識からかワトソンを襲うモリアーティ教授と、ワトソンを守りまた遠ざけようとするホームズといった、人間関係というか、ホームズとワトソンの友情が、推理(これはほとんどない)はもちろん、アクションよりも重視された作品かなと思います。

2012年3月11日 (日)

しあわせのパン

 北海道洞爺湖畔の小さな町月浦に移り住んだ夫婦の脱サラ自分探しほのぼの映画「しあわせのパン」を見てきました。
 全国公開から7週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午後0時15分の上映は5割くらいの入り。地元室蘭の映画館では「ハリー・ポッターと死の秘宝Part2」を超える動員ペース(10日間で1600人)と室蘭民報2012年2月4日付夕刊の1面で報じられ、全国公開最初の週末は上映館47館(例えばALWAYS三丁目の夕日64の10分の1)で興収ベストテンにギリギリで入るといった話題を提供した作品。ロングラン上映が期待されます。

 好きだった絵本「月とマーニ」を読んでいた頃の幸せからだんだんと大人になって「大変」が多くなり、ただ一人の身内だった父親が死んで「大変」に押しつぶされそうになっていたりえ(原田知世)は、一緒に北海道に行こうと声をかけてくれた水縞くん(大泉洋)と2人で月浦に移り住み、水縞くんがパンを焼き、りえがコーヒーを入れ料理をつくり遠来の客を泊める部屋もあるカフェ「マーニ」を経営して1年になる。北海道の自然と、りえを慕って通う郵便配達人(本多力)、常連の阿部さん(あがた森魚)、地獄耳のガラス職人陽子さん(余貴美子),おいしい野菜を売る広川さんらに囲まれて生きる2人の下へ、夏には失恋したデパートガール香織(森カンナ)と北海道から出たことのない鉄道職員トキオ(平岡祐太)、秋には離婚して母が出て行き沈む少女未久(八木優希)と父(三石研)、冬にはかつて月浦を訪れたことがある地震で壊れた銭湯を経営する阪本夫妻らが訪れ・・・というお話。

 自転車のかごに月を乗せて天空を走る少年マーニの(いかにもE.T.の1シーンから連想したような)絵本、デビュー30年にしてなお中性的なというか浮世離れしたイメージを保つ原田知世、夜空を見上げるシーンの多くで登場する手書きのような月(たぶん絵だと思います。湖に映る月さえ動いてないようですし)といった要素が幻想的なムードを持たせています。

 2人で湖畔の小さな町に移り住んで好きなことをして生きていくことをはじめ、2人の生活をうらやむ声に対して、大泉洋が、てらいなく、そうですと肯定し続けるのが、はじめはえっと思うけど心地よい。いいことばかりではないにしても、基本的にやりたいことをして生きていけることは幸せなのだし、好きな人といられることだけでも幸せじゃないか、苦しいと言うよりも幸せなことを見つめて実感して生きていきたい、その方が自分もまわりも幸せな気持ちになれるじゃないか、そういうメッセージを感じます。

 基本的には、悲しいときでも、おいしいものを食べると温かい気持ちになれるよねというのが中心的なテーマになっています。夏、秋、冬の客たちが悲しみを抱えてやってきて笑顔で帰って行く、その繰り返しになっています。その3つのエピソードがバラバラのままなのが、ちょっと残念な感じもします。りえと水縞くんの生き様がメインで3組の客は話題の提供者に過ぎないという位置づけなんでしょうけど、1本の映画として見るには、そこはもう少し絡ませて落ちをつけて欲しかったなと思います。

 エンディングで流れる忌野清志郎の歌声が懐かしくて、そっちで少しホロリとしました。

2012年3月10日 (土)

トワイライトサーガ ブレイキング・ドーンPart1

 「原作1億冊突破」のふつうの高校生とヴァンパイアの恋愛ファンタジー「トワイライト」シリーズ第4巻(原書で)を映画化した「ブレイキング・ドーン Part1」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前10時の上映は1割程度の入り。多数派は(って何人?)若者層。
 全米歴代興収50位(第1作「トワイライト 初恋」が126位、第2作「ニュー・ムーン」が39位、第3作「エクリプス」が38位)だそうですが、日本では公開最初の週末が4位、2週目は10位と惨敗模様です。

 エドワード(ロバート・パティンソン)とベラ(クリステン・スチュワート)は友人たちの祝福を受け結婚式を挙げて、南の島に新婚旅行に行く。人間のままで初夜を迎えたベラは、怪力を抑えながらも興奮のためにベッドを破壊してしまうエドワードのために痣ができたりして、それを悔やむエドワードとの間ですれ違いを感じる。結婚式から14日目にしてつわりが来たベラは、急速に成長する胎児に痛めつけられてやつれていき、エドワードは中絶を主張するが、ベラは産むことを決意し、ロザリー(ニッキー・リード)を味方に引き入れて出産を強行する。エドワードはベラを守るために転生(ヴァンパイアへの変身)させようと努力するがベラの心臓が止まり・・・というお話。

 1巻で2度儲けようとしてPart1、Part2に分けた結果、Part1はほとんど結婚式と新婚旅行、妊娠、出産とストーリーはまっすぐに流れていくだけで、間延びした展開。
 原書第4巻では、1~3巻同様守られる弱いふつうの女性だったベラが、後半ヴァンパイアに転生するや他のヴァンパイアを圧倒し、ヴォルトゥーリ一族との戦いで中心的役割を果たすという大きな展開というかギャップが魅力となっています。せめて原書通り第4巻を1本で撮っていれば、そういうストーリー的な見せ場があったのですが、映画はPart1、Part2に分けた結果、その対比・ギャップの魅力が消滅します。
 ジェイコブの「刻印」もPart1の終わりであっさり処理して三角関係問題も解決し、カレン一族と人狼集団の対立も解消し、そうなるとPart2には、ヴォルトゥーリ一族との戦いしか残らないことになります。Part1の終わりもヴォルトゥーリ一族との対決の予告編としかいえない終わり方をしています。Part2はヴォルトゥーリ一族との戦いだけで1本撮るつもりでしょうか(そしたらPart2だけ恋愛ファンタジーじゃなくアクション映画かも)。
 この「トワイライト」シリーズの日本語版の本も原書1巻を3分冊化し、第4巻になると4分冊で売っていて、本来の1冊の途中でぶち切られる不快感がありましたが、映画もただ儲けを増やすためだけに2分したことが作品を大きく劣化させていると思います。中身がありすぎて2時間半レベルでは撮れない作品ならともかく、ネームバリューがある作品だから2分すれば儲けが倍って考えで映画を作るのはもうやめて欲しいと思います。

 映像としても、原作通りに作れば4巻冒頭はR15+指定が予測される激しいベッドシーンの連続のはずが、背中までしか露出しないぞという意思が感じられるような映像で、PG12さえ付いていません。原作のファン層(圧倒的に若年女性)を考えれば興行上の配慮としても年齢制限はつけたくなかったでしょうけど。
 映像的な魅力としては、妊娠してやつれたベラのメイクと転生してヴァンパイアになった輝くようなベラの映像の対比くらいかなと、私は思いました。

2012年3月 4日 (日)

麒麟の翼

 東野圭吾の加賀恭一郎シリーズ・テレビドラマ「新参者」を映画化した「麒麟の翼」を見てきました。
 封切り6週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷のシアター1(200席)午後1時45分の上映はほぼ満席。観客層の中心は若者。

 腹をナイフで刺されたメーカーの製造部長青柳武明(中井貴一)はなぜか助けも求めず日本橋の翼のある麒麟像まで歩き続けて絶命した。緊急配備された警察官の職務質問を受けて逃げ出した八島冬樹(三浦貴大)はトラックに跳ねられ意識不明になるが、青柳のカバンを持っており、後に半年前青柳の会社に製造業派遣で勤めていたが勤務中に負傷し労災隠しの上、首を切られたと判明する。捜査本部は八島による恨みによる犯行という線で落着ムードになるが、日本橋署の刑事加賀恭一郎(阿部寛)は、青柳が勤務と関係ない日本橋界隈に出没していたことや青柳が刺された後に麒麟像まで歩き続けたことを聞いた息子悠人(松坂桃李)の態度の変化に疑問を持つ・・・というお話

 労災隠し、派遣切り、メディアスクラムといった社会派っぽい前半と、父と子の愛情・ねじれを描く後半それぞれに見せ場があり、格差社会の底辺を生きる三浦貴大・新垣結衣カップルの行く末、心を開かぬ息子に戸惑い真摯に対応しようと苦しむ中井貴一の姿に涙します。
 父子関係を描く映画で、近年はダメな父親が過ちを犯した過去を悔いて子どもを偲ぶというパターンが多い中、子どもの方が父親に感化されるというものですが、「人生はビギナーズ」のような自由に生きる明るい父親ではなく、正しく湿っぽく重苦しい父親像を前に出しています。昔の父親像というか、父親の復権というか、そういうものに対する作者の年齢層の男たちのノスタルジーが感じられます。こういうの、今どきの若者が見てどう思うんだろ。
 ミステリーとしてはそれなりに布石を回収していますが、犯行の動機部分は若者は理解できない行動をするというやはり作者の年齢層の、というかテレビであれこれ発言する人たちの感覚に依拠していて、私には違和感がありました。青柳とすれ違った八島が青柳の後をつけたという説明と、八島がその後ずっと麒麟像の下で座っていたというのが、折り合えるのかも疑問が残りましたけど。

 テレビドラマの方は見てないので、当然のように訳ありっぽく出てくる「ジャーナリストの卵」黒木メイサや、加賀の父を看取った「お節介な看護師」田中麗奈が、ストーリーとはあまり関係なく出番を作ってる感があり、ちょっと戸惑いました。田中麗奈は私の好みなので、それでも出てきてもらって得した感がありましたが(って思ってたら、カミさんに「今日の映画ではあなたの好みは田中麗奈でしょ」っていわれてドッキリ。「私と同じ福岡の女だからね」って、おい、そっちかよ)。 

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