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2012年2月

2012年2月25日 (土)

51 世界で一番小さく生まれたパンダ

 中国のパンダ基地で飼育されているパンダの子どもと母親のドキュメンタリー映画「51 世界で一番小さく生まれたパンダ」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、東京で3館の上映館の1つ新宿武蔵野館の3番スクリーン(84席)午前10時の上映は4割くらいの入り。多数派は、もちろん、という感じのお子様連れ、次いで女性グループ、カップルというところ。

 中国の成都にあるパンダ基地。赤ちゃんパンダの保育室、母親のいる産室、子どもたちのいるパンダ幼稚園など年齢層別にパンダが公開されており、世界中から観光客がやってくる。そこで生まれた双子のパンダの赤ちゃんの後から生まれた方は体重51グラム(通常は150グラム前後)の世界で一番小さく生まれたパンダで、体重にちなんで51(ウーイー)と名付けられた。自然界では双子の赤ちゃんは丈夫な方だけが選ばれて育てられるが、51は保育器で無事に育ち、すくすくと育っていくが・・・というお話。

 タイトルの世界で一番小さく生まれたパンダは、終始登場するものの、生後1か月くらいからはふつうの大きさになって(だから世界で一番小さいではなく、「世界で一番小さく生まれた」)その後には特に小さく生まれたことが関係している様子もないので、ただのつかみで、単純にパンダのドキュメンタリーというかパンダ映像集くらいに考えてみた方がよさそうです。赤ちゃんパンダがころころしているだけでかわゆい!という人向けでしょうね。
 あの大きなパンダの赤ちゃんがわずか150グラム前後で、見た目はまるでネズミみたいっていうのが意外感があります。2週間もするとふわふわになって例の垂れ目感が出てきて、3週間くらいになると目のまわりや腕が黒くなってパンダらしくなってきます。1歳くらいのまるっきりぬいぐるみみたいなパンダの子どもが仰向けに寝転がって哺乳びんを(ラッコが貝を持ち上げるように)抱えてミルクを飲んでる姿は、考えてみたら異様な気もするけど、かわいい。

 赤ちゃんの側とともに、母親になる雌パンダの不安な様子(ってナレーションが入るのですが、目のまわりが垂れ目状に黒くなってる顔はそういうふうに見えない)が描かれています。でんぐり返りしてるような格好で赤ちゃんを産み落とすところとか、ひょうきんというか何というか。
 自分が産んだ子どもにうまく接することができなくて育児放棄状態のパンダとか、逆に自分の子でなくても抱きかかえて母乳をやる雌パンダとか、人間同様やっぱり個性というか向き・不向きがあるんですね。考えさせられます。
 次々と新しい子どもを産ませるために子どもと母親の接触を1年で断ち切る施設の方針、大人になって見世物としての価値が落ち他方広い縄張りが必要になる雄パンダの処遇とか(はっきり描いてない感じがしますけど)、野生のものとはちょっと違うところで悩ましいものを感じました。

2012年2月 5日 (日)

人生はビギナーズ

 45年連れ添ってきた妻が他界した75歳の父親に実は自分はゲイだと告白されたマイク・ミルズ監督の実体験を映画化したヒューマンドラマ「人生はビギナーズ」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、全国5館、東京で2館の上映館の1つTOHOシネマズシャンテ1(224席)の午後2時50分の上映はほぼ満席。20代から30代カップルと女性2人組が多数派ですが、中高年男性1人客もけっこう目につきました。
 もともとは「しあわせのパン」のやはり東京で2館だけの上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町の午後1時5分の上映に合わせていったら満席売り切れで転進(すぐ横のTOHOシネマズ日劇も丸の内ピカデリーも午後1時台はすでに見た映画ばかりだったし)。昨日はゲイでマザコンの男の映画で、今日はゲイのお父ちゃんにファザコンの男の映画かとカミさんに文句言われながら・・・

 44年連れ添ってきた妻が死んだ後、ハル(クリストファー・ブラマー)は突然、息子のオリヴァー(ユアン・マクレガー)に対し実は自分はゲイだとカミングアウトし、癌で入退院を繰り返しながらもゲイの仲間たちと自由に生き、若い愛人(ゴラン・ヴィシュニック)を作って楽しく過ごし、5年後に死んだ。失意にくれるオリヴァーは、アートディレクターの仕事をしながら飼い犬のアーサーと静かに暮らしていたが、友人たちから引っ張り出された仮装パーティーで、不思議な女性アナ(メラニー・ロラン)と知り合い、惹かれ合うが・・・というお話。

 時間軸で整理すると、上のようなことでシンプルなストーリーなのですが、父親がゲイだとカミングアウトしてからの5年間と、若い頃父親不在の家庭で母と過ごす子ども時代のオリヴァー、アナと触れ合う現在が繰り返し交錯して描かれるので、ちょっとわかりにくく、ときどきアナと過ごす現在も父親が生きているかのような錯覚をしたりしてしまいました。
 父と息子の物語では、父親が息子に思いを寄せ父親が子どものために犠牲をいとわないというパターンがふつうですが、この作品では父親はあっけらかんと好きなように生き、それを見つめる息子が父親に思いを寄せ献身的に寄り添うという流れで、こういうのもあっていいかなと思いますし、むしろ現代的かなと思います。
 アナに惹かれ癒されながら、やはり父親の死、あるいは自分と母親は愛されていなかったのかという疑念などから立ち直れずにいるオリヴァーのファザコンというか煮え切らないというかうじうじした姿勢が、行きつ戻りつのアナとオリヴァーの関係を形作っていきます。よしもとばなながデビューした頃立て続けに書いた近親を失った女性主人公の喪失感をテーマとした作品の男性版のような風情です。そのあたり、たぶん、ふつうの女性の目からは、ええい、何といううじうじした男だと苛立ち呆れるのが、標準的な感想かなという気がします。でも、38歳の職業を持つ男にも、そういう思いや態度があり得ることを正面から打ち出したことは、いいことじゃないかと私には思えます。
 ただ、その一方で、アナが、出張を繰り返している女優という設定なのに、オリヴァーと一緒に住むにあたってその仕事がどうなるのかの葛藤もなくそもそもそのことが話題にさえ上らず、また一緒に暮らしてすぐ見せる泣き顔の背景も描かれず、どこか不思議ちゃんのままで終わっている感じがするのが残念に思えました。

 キスシーンが様々な形で描かれ、特にアナからオリヴァーへのキスがその都度少しずつ違う感じで繰り返され、あぁこういうのいいなぁと思いました。
 犬のアーサーが字幕で示す思いとその際の表情が可愛らしく印象的です。

2012年2月 4日 (土)

J・エドガー

 FBI初代長官J.エドガー・フーバーの伝記映画「J・エドガー」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前10時30分の上映は6~7割の入り。

 司法省長官らが過激派の爆弾攻撃を受け、司法省捜査局は共産主義との戦いを標榜して共産主義者のリストを作成し、犯罪の証拠も令状もなく権限もないのに拳銃を携行して検挙を繰り返した。批判を受けて司法省の上層部は軒並み退職させられたが、若いJ.エドガー(レオナルド・ディカプリオ)は退職を免れ、その強硬な捜査を買われて捜査局長となり、FBIが設立されるとその初代長官となった。J.エドガーは、共産主義者の活動が目立たなくなると、ギャングとの戦いを標榜し、リンドバーグの息子の誘拐事件が注目されると誘拐事件の捜査を連邦の権限とするよう法改正を求めるといった具合に警察、FBIの権限強化を図り、自らが正義の味方と映るように自らは臨場していない逮捕等の手柄も自分がやったように事実を歪曲するなどして自らとFBIが憧れの的になるようメディアを操作し続けた。そして犯罪者のみならず政治家や自らを批判した者に対する非合法の調査活動によって弱みを握り極秘ファイルを作成して、政治家や政敵を黙らせて権力を維持し続け50年もの間捜査当局のトップに君臨し続けた。強力な権力者であったエドガーは、側近を知人で固め、特に副長官に任命したクライド・トルソン(アーミー・ハマー)とは、プラトニックな同性愛の関係にあり、老いた母(ジュディ・デンチ)から強い影響を受けていた・・・というお話。

 爆弾事件を理由に、犯罪の嫌疑じゃなくて思想で危険人物リストをつくり、証拠も令状もなく踏み込んで丸腰の相手に拳銃を突きつけて無抵抗の相手にリンチを加えと、違法捜査をやりたい放題。相手が外国人なら黙秘権を行使する相手に「弁解の機会を放棄した」と言って国外追放処分にしと、アメリカ司法の命ともいえるDue Process(適正手続)もまったく無視して、それを国家のためと正当化する。図書館の検索システムを手本に人物ファイル作りをしたり、後の指紋等の情報集中管理や盗聴などによる情報収集とあわせ、監視と情報収集とそれによる恫喝と相手の畏怖で支配する手法は、それこそ共産主義国の秘密警察と同じ。共産主義は敵でも、その秘密警察は憧れの対象なのかも。警察を足がかりに権力を握りたがる人物は洋の東西・政治体制を問わず同じ穴の狢ということなんでしょう。

 その強権でFBIのトップに居座り続けた伝説の人物を、マスコミや伝記記述者に事実を歪曲して自らを偉大に見せようとするゆがんだ自己顕示欲の塊で、非合法な手段により政敵を脅して黙らせて権力を維持したという姿を描くとともに、プライヴェートでは極度のマザコンで、内心では女装志向や同性愛志向であったと暴露することにこの映画の狙いがあると見えます。
 キング牧師に対する異様なまでの感情的な批判と、匿名の手紙を出して脅そうとする様子など、長年にわたり忠実に支えてきた秘書のヘレン・ガンディ(ナオミ・ワッツ)にさえあきれられるほどの卑小さと卑劣さをにじみ出させています。

 朝日新聞の2012年2月3日付夕刊の映画評では、トルソンへのホモ・セクシュアルな愛情について「これは秘やかな愛のドラマである」「2人は最後まで手を握りあうことすらできなかった」と書いています。この年になると、相手が女性か男性かという問題はありますが、こういうプラトニックな愛情関係のよさを再認識してしまうもので(でも手ぐらいは握った方が・・・とも思いますが)、私はそういう思いを持って見ていたのですが・・・この映画評を書いた人、ちゃんと映画を見て書いたんでしょうか。もし見ていたのなら、きっと後半は居眠りをしていたに違いない。私が見た限りで少なくとも2回は手を握り合うシーンがあり、さらにはキスシーンまで(ちょっとふつうのキスシーンとは趣が違うけど)・・・

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