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2011年11月

2011年11月27日 (日)

モテキ

 金なし夢なし彼女なし男に突然「モテ期」が訪れるという男の妄想満開の青春映画「モテキ」を見てきました。
 封切り10週目(!)日曜日、前日から公開の2番館ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2(63席)の午後2時15分の上映はほぼ満席。観客層の多数派は若者カップル、次いで若い女性のお友だち組。

 29歳から30歳にかけて前のモテキに4人の女性と戯れつつ成果を上げられなかった(テレビドラマ版)「セカンド童貞」藤本幸世(森山未來)31歳は、エンタメ系のニュースサイトのライターに採用され、年俸230万円ながら忙しく充実した日々を送るが、女性との出会いがなく寂しい日々を送っていた。twitterで同業者とやりとりをするうちに一度飲もうということになり、会ってみると男と思っていた相手が小悪魔的な美女みゆき(長澤まさみ)。みゆきは年上の彼がいると明言しながら、幸世の部屋に泊まり込み自分から口移しに水を飲ませたり、幸世に積極的な態度を取り、舞い上がった幸世はみゆきの虜になり、デートを続ける。編集長(リリー・フランキー)を始め職場のみんなは幸世のtwutterを覗き幸世とみゆきの話題で盛り上がる。ある日幸世の職場の宴会に友人のるみ子(麻生久美子)を連れて登場したみゆきは、1次会でどろんし、帰りがけにみゆきが携帯で話すのを小耳に挟んだ幸世はみゆきがこれから深夜に彼の下を訪れると知り2次会で落ち込んでいた。2次会に残ったるみ子は落ち込む幸世と話し、実はカラオケ好きで一人カラオケをしてると打ち明ける。後日、一人カラオケなうのるみ子に、一人飲み中の幸世が合流し、その帰り、思いあまったるみ子は幸世に告白し、幸世の部屋に泊まり込み思いを遂げる。そのtwitterを見つめていたみゆきはるみ子とともにライブを訪れ取材に来た幸世と鉢合わせする。みゆきに別れを告げてるみ子とつきあおうと一度は決意した幸世が、みゆきにるみ子とやったと告げるとみゆきは走り出し、後悔した幸世は後を追い、みゆきの彼のフェスのディレクター(金子ノブアキ)と出会う。恋敵の大物ぶりに動揺したた幸世は・・・というお話。

 もともと男の妄想物語ですが、中年男性客の目からは、長澤まさみの笑顔、これに尽きるという映画です。公式サイトでの肩書きも「殺しの笑顔を持つ女」ですが、前半の長澤まさみのある場面では無邪気な、ある場面では小悪魔的な、笑顔の魅力は抗いがたいものがあります。長澤まさみの登場場面だけ取り出してプロモーションビデオにした方が映画のDVDより売れるかも。
 4人の美女に翻弄されるというキャッチになっていますが、実質的にはみゆき(長澤まさみ)vsるり子(麻生久美子)の2人だけで、真木よう子には相手にもされないし幸世の方からも特にモーションも思いもなし、仲里依紗は営業でしょうし。仲里依紗、「時かけ」の高校生役の印象がまだ残っているところにこの映画では子持ちのホステス役、公開中の「ハラコレ」では妊婦役と、若いのに芸の幅が広い。
 かたや一人カラオケでB’zメドレーを熱唱し続ける重い女るみ子。想い人みゆきの友人とHしてそのあげくに趣味が合わないから無理ですなんてお断りする幸世もかなり反則気味ですが、33歳にしてこの読めなさ加減と重さは確かに告られてもつらいかも。私はこういう一途さというかある種純情なの好感が持てますけど。
 実は一番もてるのは編集長。展開を締めているのは、このキャラともいえます。でも、終盤のはちょっといただけません。

 映画の半分近くは、曲と踊りで、見ているとカラオケ・ミュージカルと名付けてもよさそう。走る・踊る森山未來にカラオケ状に歌詞が流れる場面が何度も出てきます。

 昨日「いちご白書」を見て私のプロフィールに「私のいちご白書」を書きましたが、残念ながら「私のモテキ」を書く材料はちょっと見当たりません。

2011年11月26日 (土)

いちご白書 デジタルリマスター版

 ノンポリ青年が学園闘争に入り込みながら女性活動家に惹かれていく姿を描いた青春映画(1970年作品)のニュープリント公開「いちご白書」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国唯一の上映館新宿武蔵野館の1番スクリーン(133席)午前10時40分の上映は3~4割くらいの入り。

 ボート部で訓練に励むサイモン(ブルース・デイヴィソン)が通う大学では、大学が児童公園を封鎖して軍隊に関連する建物を建てようとしていることからこれに反対する学生たちがストライキを決行し大学を占拠していた。サイモンは学園闘争には関心を持っていなかったが、ルームメイトが連れ込んだ女子学生から参加を勧められ、占拠された建物に入り、女性解放活動家だというリンダ(キム・ダービー)に惹かれ、2人で食糧調達に行ったことをきっかけに親しくなる。リンダは、コンサートに誘い求愛するサイモンに対して、このまま受け入れるのはブルジョア的だと批判して、いったんはサイモンの前から姿を消す。その後、サイモンは次第に闘争にのめり込み、再び現れたリンダとともに行動での座り込みを続けるが大学側は武装警官隊と州兵を動員して暴力的に排除を始め・・・というお話。

 映画は見たことがなくて(公開時は私は10歳)、麻生よう子の「逃避行」が売れたときに盗作疑惑で話題になったのと、バンバンの「いちご白書をもう一度」が頭に残っていただけです。
 実は学園闘争に全然関心がなくもちろん経験もないのに、これまでに何度か逮捕されたとか見栄を張り、ボート部の仲間(反共サイドでストライキに反対)に殴られたのを警官に殴られたと装って英雄になるサイモンの背伸びぶりが、いかにも青春映画っぽい。(「英雄へのご褒美」は、制作側の妄想っぽい感じもしますが、こういうご褒美があるなら装ってみたいかも)
 そういうサイモンが背伸びをしながら学園闘争にのめり込んでいき、最後に警官隊に警棒で滅多打ちにされるリンダを助けに飛び込むあたりは、「卒業」への意識があるのかも。
 他方、ノンポリ学生だったサイモンと対照的に普通の映画記事では活動家と紹介されるリンダですが、どうなんでしょう、私には経験のある活動家ではなくて、やはり最近入ってきた女子学生が背伸び気味に活動しているように見えました。だいたい初っぱなから、「女性解放活動家」が、当時流行っていたとはいえ超ミニスカートを穿いて、あんなコケティッシュなしぐさで話をするでしょうか。2人で食糧を調達した帰りのはしゃぎぶりも。女性解放活動家なら、こういう姿は男に媚びを売っていると評価するでしょうし、自己嫌悪に陥ると思うのですが。
 そういうむしろごく普通の、政治にあまり関心のなかった学生が(最初から女子学生目当てでストライキに参加するサイモンのルームメイトも含め)、それほど気負わずに闘争に入り込んでいった、さらにいえば食料品店のおやじのように陰ながら支援してくれる市民たちが多数いたという闘争の広がり、裾野の広さをこそ味わうべき映画なんだなと思います。大学当局・警官隊の暴力という権力の横暴への怒りとそれが広く共有されていた時代の雰囲気とともに。

 1960年生まれの私が大学に入ったのは1978年で、世間では学園闘争は終結していましたが、京都大学は、それこそガラパゴスのように1970年頃の雰囲気が残り(もちろん闘争に参加している学生はごく少数派でしたが)、いくつかの建物がまだ学生に占拠され続けていました(大学側にも特に取り戻そうという姿勢も見られませんでした)。久しぶりにその頃の様子を思い出させてくれました(その頃の話はこちら)。「バリケードに咲いた恋」は、当時学生運動参加者の間でもすでにジョークとなっていて、そういういい思いの経験はありませんが。
 集会で学生がノー・ニュークス(反核)のマークに人文字を作ってシュプレヒコールを上げているシーンが何度かあり、改めてこの頃から運動が続いているのだなぁという感慨を持ちました。

2011年11月24日 (木)

ブログのお引っ越し

 ずっと楽天ブログで「伊東良徳のとき・どき★かるちゃ~」のタイトルで主として映画評のブログを書いてきましたが、楽天ブログは謎の禁止用語が多くて、いやになってこころぐさんに引っ越すことにしました。

 遡って、少しずつ楽天ブログの記事を過去日付でお引っ越しします。基本的に、映画を見た日の日付に移しますので、当分の間、過去の怪しげな日付の記事が増えていきますが、ご容赦を。

アントキノイノチ

 心を閉ざしてしまった青年が遺品整理業で働きながら再生して行く姿を描いた青春映画「アントキノイノチ」を見てきました。
 封切り5日目祝日、12月25日での閉館が決まりこれが最後の上映作品となる見込みの池袋東急、午前11時の上映は4割くらいの入り。予告編なし(この先上映作品もないし)に魅力を感じる客は少ないでしょうか。

 高校時代、生まれつき吃音がある永島杏平(岡田将生)は、級友の山木(染谷将太)が松井(松坂桃李)のいじめを受けて松井にナイフを向けたのを止めたところ、山木からおまえだけは味方だと思ってたのにと言われ、目の前で山木が飛び降り自殺、その後は松井から陰湿ないじめの標的とされ続け、登山部での登山中のできごとを契機に、学園祭のさなか松井のいじめを知りながら黙っている周囲に激高し、松井に刃を向け、心が壊れた。3年後、父親の紹介で遺品整理業で働き始めた杏平は、先輩の佐相(原田泰造)、久保田ゆき(榮倉奈々)に教えられながら、死者の生前の生活と思い、遺族の思いを感じつつ仕事を覚えていく。そんな中、ゆきから過去のことを打ち明けられ、ラブホの部屋で迫られた杏平は・・・というお話。

 吃音がありスムーズに話ができず、いじめや級友の自殺から心が壊れて立ち直り切れていない青年とレイプ・妊娠・流産の過去から立ち直り切れていないリスカ少女という、かなりヘビーな設定のもどかしくもすれ違う恋愛が1つの軸になっていますが、この不器用さぎこちなさが切ないというところ。
 思わせぶりに紹介したラブホのシーンも、リスカの跡のある人からレイプされてその後男の人から触られるのが怖くてと打ち明けられた直後のシチュエーションで、そりゃないだろうって思う。そういう状況が見えずに迫ってしまうゆきの不器用さがちょっと切ない。
 観覧車の中で、いきなり立ち上がって窓を開けて大声上げる(それもただウォーって)杏平も。そんなことされたら一緒にいる相手はかなりびびると思うんだけど。
 2人の恋の行方の方は、終盤はとにかくアントニオ猪木になってしまうので、私にはちょっと不完全燃焼の思いが残ります。そっちに行くなら「燃える闘魂」で迫れ・・・というわけにも行かないか。

 2人の心の傷が、どちらも高校生活、高校の級友から受けた傷というのも、学校の荒廃というか陰湿ないじめの蔓延を背後的なテーマとしているといえるでしょうか。
 もっとも、杏平は両親が離婚して父親と2人暮らし、「お父さんも浮気していたから、お母さんを責められない」「そんな話聞きたくない」なんてやりとりをしてますし、ゆきもレイプの後母親が理解してくれなかったことにも触れていますから、家庭環境の問題も気にしてるでしょうか。

 遺品整理業とその中で描かれる孤独死と死者の生活と思い、遺族の思いというあたりは、考えさせられますが、同時に映画としては、「送り人」の2番煎じ的な印象を持ってしまいます。
 杏平らが遺品を整理する孤独死した人の部屋の様子を見ていると、私の場合は、自宅はまだしも、事務所の散らかりようからして、私が死んだらこういう業者さんにお願いすることになるだろうなと、そちらに思いをはせてしまいました。

2011年11月20日 (日)

恋の罪

 「90年代、日本で騒然となったエリート女性の昼と夜の二重生活。渋谷区円山町ラブホテル街で実際に起きた殺人事件から、インスパイアされた未知なる禁断の世界」(公式サイトのイントロダクション)だとかいう「恋の罪」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国19館東京で4館の上映館の1つテアトル新宿の午前10時30分の上映は9割くらいの入り。18禁映画に日曜日朝から長蛇の列ができているのにはビックリ。観客層は中高年男性が多数派でしたが、若い女性客もわりといた感じ。

 ラブホで夫の後輩と不倫中の刑事吉田和子(水野美紀)が、緊急連絡を受けて駆けつけると、円山町の廃墟となったアパートにバラバラにされて2体のマネキンと接合された女性の死体が残されていた。人気作家菊池由紀夫(津田寛治)の妻菊池いづみ(神楽坂恵)は几帳面にパターン化された毎日と自分に情熱を向けてくれない夫に物足りないものを感じてスーパーの販売員となるが、そこで声をかけてきた女性からモデルにならないかと誘われ、結局はアダルトビデオの撮影、さらには男優とのセックスに至り、渋谷で声をかけてきたかおる(小林竜樹)に連れられて、円山町で売春を続ける大学助教授尾沢美津子(冨樫真)に引き合わされる。いづみは美津子に昼も夜も付いていき、美津子にいわれるままに自身も円山町で売春をし、デリヘル「魔女っ子クラブ」に勤めてデリヘル嬢として派遣されるが、その第1号の客は夫で、そこで夫が長らく美津子を買っていたことを知り・・・というお話。

 東電OL殺人事件の、低俗メディアが騒ぎまくった東電エリートOLの昼の顔と夜の顔という部分の設定を用いた上で、それに「インスパイア」されたフィクションですから責任は取りませんという構造の作品です。最初にいっておきますが、私は、アイディアの枯渇をそういう実在事件で補って、営利目的で被害者のプライバシーに属すべき情報や遺族が今さら触れて欲しくないことが明らかな情報を利用して、著名事件のネームバリューで客寄せも期待できるというような安易で卑しい発想でつくられた作品は、それ自体大嫌いです。

 幸せなあるいは他人からは幸せに見える日常、強固なあるいは安定しているように見える日常の意外なもろさ、不安定さといったものが、露骨にはいづみの転落(制作側からはいづみへの調教かひょっとしたらいづみの成長かもしれませんが)と美津子の夜の顔に、そして和子の投げやりな不倫とラストシーンに、または和子の前で自殺した女に、表現されています。
 もっとも、和子については、その不倫自体が日常と化しているわけで、和子の位置づけが今ひとつわかりにくい映画でもありました。特に問題があるとも思えない優しく理解のある夫(二階堂智)を持ちながら、その夫の後輩なのに裏切って平気でそれを楽しんでいるおれ様タイプの性格の悪い男(児嶋一哉)との不倫を続ける和子の姿は、人間のあるいは女の不条理性を象徴しているのでしょうけど。これは夫がかわいそうで、和子への共感は持ち得ませんでした。冒頭で和子役の水野美紀の全裸シーンが登場しますけど、久しぶりに見た18禁映画で、そういえば今はカメラを引いてればヘアヌードはOKだったのねと思った以上の感慨はなく、監督から他の2人が全裸になるのだからおまえも脱げといわれたレベルの必然性しか感じませんでした。作品全体を通じて登場するのに、影の薄い役回りに感じてしまいます。
 ついでにいうと、18禁映画で3人の女性の全裸、セックスシーンは何度も出てくるのに、性的な興奮を感じないのは、作品の性質か、私が枯れているのか・・・

2011年11月19日 (土)

マネーボール

 野球界の常識を打ち破る理論でアスレチックスを常勝球団に変えたGMの物語「マネーボール」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、1064席の新宿ミラノ1、午前10時30分の上映は1割未満の入り。私がいつも人が少ない午前中を選んで見に行く(人が少ない方が見やすいし、午前に見るなら午後仕事できますし)ためか、このスクリーンが満席はもちろん、5割入ってるのも見た覚えがないんですが(同じ新宿でもピカデリーのNo.1スクリーン(580席)は土曜の午前中でもけっこう埋まってることが多いから、営業努力のせいかも)、それにしてもブラッド・ピット主演の娯楽映画でこれは悲惨。

 かつて高校生時代5拍子そろった才能とスカウトに評価され多額の契約金に目がくらんで大学進学を諦めてニューヨーク・メッツ入りしたが自信が持てずに芽が出ないまま引退した野球選手ビリー・ビーン(ブラッド・ピット)は、引退後フロント入りし、現在はオークランド・アスレチックスのゼネラル・マネージャーとなっている。アスレチックスは貧乏球団で、ポストシーズンではヤンキースに勝てず、シーズン後には主力選手を次々と引き抜かれてしまう。翌年の補強計画もままならないビリーは、トレード交渉に行った相手方球団でイェール大学経済学部卒のピーター(ジョナ・ヒル)に目をつけて引き抜き、徹底的なデータ分析により、出塁率を重視してそのデータのわりに価格の安い選手をかき集めて新チームを編成する。野球の経験のないピーターの意見を重視し、キャッチャーの経験しかないハッテバーグ(ケリス・ブラッド)を1塁に転向させるなどして、周囲のスカウトらの猛反発を受けたビリーは、反対するスカウトを首にし、ビリーが入れた選手を起用しない監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)に対しては監督が使っている選手を次々トレードで放出するという強硬策を用いて、突き進んでいくが・・・というお話。

 貧乏球団がそれなりの工夫で金持ち球団を打倒するというパターンは、日本の映画ならまず間違いなく猛練習とか精神論がメインに据えられると思いますが、この映画ではそういう描き方は一切していません。ビリーはGMで権限としてはチーム編成で、練習や試合での選手起用は権限外ということもありますが、ただひたすら少ない予算でいかにして選手を獲得するかの理論と交渉が描かれています。そういう意味では、スポーツものというよりはビジネスものという印象を持ちます。
 なんせビリーは試合は見ないという方針ですから、試合のシーンも多くはなく、見ていても、結局なぜビリーが編成したチームでアスレチックスが急に勝てるようになったのかは、わかりません。抽象的にデータ野球の勝利というだけで、具体的にそのデータがどう生きたのかもあまりわかりませんでした。まぁ、実話ベースで、現実にアスレチックスが勝ったから、因果関係が具体的に描かれなくても説得力はあるということなんでしょうけど。

 離婚して、母親の下にいる娘のケイシー(ケリス・ドーシー)との面会が数少ない楽しみというビリーの私生活と、過去の高額の契約金のために人生を誤ったという後悔を持つビリーの貧乏球団で働く意地というあたりが、中年男には、ノスタルジーというか共感を抱かせます。その娘が歌う「バカなパパ」の歌を聴きながらドライブするビリーの表情が、ちょっといいかも。

2011年11月12日 (土)

家族の庭

 穏やかで幸せな生活を送る初老の夫婦とその家庭を訪れる人々の明暗を描いた映画「家族の庭」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国で唯一の上映館銀座テアトルシネマの午前10時10分の上映は5割くらいの入り。

 心理カウンセラーのジェリー(ルース・シーン)と、地質学者のトム(ジム・ブロードベント)は、ともに仕事をしながら、家庭では料理やワインを楽しみ、休日には家庭菜園で野菜作りにいそしむ、仲むつまじい初老の夫婦。ジェリーの20年来の同僚メアリー(レスリー・マンヴィル)は男性関係で失敗しては落ち込んでジェリーを訪ね、トムとジェリーは温かく迎えてきた。友人が集まったパーティーでは、トムの友人で肥満した独り者のケン(ピーター・ワイト)がメアリーにモーションをかけるが、メアリーは一回りは年下のジェリーの息子のジョー(オリヴァー・モルトマン)に猛アタックをかける。ジョーはメアリーを適当にあしらい、その後知り合った恋人ケイティ(カリーナ・フェルナンデス)を連れてトムとジェリーの家を訪れるが、その日にもメアリーはやってきた。トムの兄ロニーの妻リンダが亡くなり、2年も音沙汰がないまま突然やってきてロニーを罵る息子のカール(マーティン・サヴェッジ)の様子を見てトムはロニーをしばらく家に逗留させるが、トムとジェリーが家庭菜園に行き、ジョーがケイティを連れてくる日にまたメアリーがやってきて・・・というお話。

 トムとジェリーの夫婦は、打ち込める仕事を持ち、しかしワーカホリックではなく家庭生活も楽しみ、鷹揚でユーモアに富み、寄り添い慈しむ様子がほのぼのとして、こういうふうに老いていきたいなぁとしみじみ思わせるモデルになっています。
 他方において、メアリーは典型的な困ったちゃん。20代で結婚して失敗し、30代で幸せな結婚をしたもののやはり離婚にいたり(500ポンド払わせられたっていっていますが)、64歳の既婚者と不倫しては捨てられ、貯金をはたいて車を買って一時は満足していたけど盗難や事故で廃車、病院に20年も勤めているのに同僚の医師タニヤの赤ちゃんの前で煙草を吸い始めてみんなが避難してしまう(このあたりはケンと同じ)、一回りは年下の男それも同僚の息子に言い寄る(あぁここでもセカンド・ヴァージン症候群?)といった具合。
 エンディングは、ジェリーを完全なパーソナリティと描きたくなかったためでしょうけど、これだと幸せになりたければいつまでも友人の好意に甘えずに自分で努力しなさいといっているみたい。それはそれで私もよくわかりますけど、ただ同時にそれほど努力しなくてもうまくいく人も、努力してもうまくいかない人もいることも事実。メアリーにしても、本人が心機一転して努力すればうまく行くとは限らないし、本人がどんなに努力しても襲ってくる不幸もあります(まぁその不幸を弱めて乗り越えていく、その対応に人柄や努力がまた現れてくるわけですが)。このエンディングは、ちょっと救われない思いが残りました。
 原題は“Another Year”で、春、夏、秋、冬と、それらしい心象風景を伴う場面展開ですが、また来る春につなげずに冬で終わらせたところが特徴的でもありエンディングの寂しさにつながっている感じがします。
 ストーリー展開は地味目で、全体に静かに進んでいき、トムとジェリーの生き方に穏やかに共感するという映画ですから、素直に共感できる観客にはしみじみと広がる感動とかいえるでしょうけど、そう思えない観客には起伏に乏しい退屈な映画と感じられるでしょう。エンドロールに入った瞬間にバタバタと立ち上がって帰る客が目に付きました。

 冒頭、タニヤとジュリーの質問にろくに答えず、不眠だから睡眠薬をくれという患者がわりと長時間登場します。最初は、この患者が何か重要な役割を果たすのかと思いましたが、その後登場しませんでした。エンディングからすると、メアリーの末路を暗示しているのかもしれませんが。
 専門家側からするとこういう人は、困りもので、具体的な状況を話してくれないときちんと対応できないというか問題を解決できません。弁護士のところにも、さすがにお金を払って相談するのにこういう態度は稀ですが、こういう相談者がたまにやってきます。法律相談の場合は、メディアでやっている誌上法律相談とかの、実際には法律相談ではなくて法律の一般論のお勉強レベルのものが法律相談の名前でメディアに載っているために、抽象的に質問をすればいいと思っている人が出てくるためでしょうけど(そのレベルのものは、それこそメディアで、インターネットでいえばYahoo知恵袋とかでやってて欲しい)。専門家からの質問にきちんと答えないことで、問題を解決できないのは、自業自得でまぁしかたないとは思いますが、それでまた不愉快な思いをするのもばかばかしいと思います。

 「トムとジェリー」という主役の名前は、やっぱりそのアニメをリアルタイムで見た世代をターゲットにしているのでしょうか。イギリス映画だからそれは意識していないか・・・。息子のジョーは30歳だからトムとジェリーは50代半ばから後半といったところでしょうか。でも、ビートルズの話題も出てくるし・・・

2011年11月 3日 (木)

ウィンターズ・ボーン

 サンダンス映画祭グランプリ・アカデミー賞作品賞ノミネートのインディペンデント映画「ウィンターズ・ボーン」を見てきました。
 封切り6日目祝日、全国9館、東京2館の上映館の1つ新宿武蔵野館の午前10時50分の上映は7割くらいの入り。観客層は中高年一人客が多数派でした。

 コカイン(字幕は「覚醒剤」ですが)密売で生きる一族の父親は製造役で長らく家に寄りつかず、母親は心を病んで引きこもり、17歳のリー(ジェニファー・ローレンス)は、弟のソニー、幼い妹のアシュリーを守りながら、一家の支えとなり、ミズーリ州の山の中で暮らしていた。ある日、保安官(ギャレット・ディラハント)が訪ねてきて、逮捕されて保釈中の父親が失踪している、この家と森が保釈保証金の担保になっていて、1週間後の裁判に父親が現れなければ家を出て行かなければならなくなると、伝えた。リーは父親を捜し出そうと、父の兄のティアドロップ(ジョン・ホークス)を訪ねるが、ティアドロップは、探すのはやめた方がいい、家に帰れと反対する。リーはさらに一族を訪ね歩くが、従兄は明白な嘘を言い、一族の長は会おうともせず追い返す。保釈保証業者から、父親が裁判に現れなかったことを伝えられ、1週間後に明け渡すことを求められたリーは、一族の長を追いかけるが、一族の者に囲まれて納屋に連れ込まれ・・・というお話。

 17歳にして一家を支えなければならないリーのりりしさというか、生きる意志の強さ、次々と訪れる試練にも折れない心のたくましさが、涙ぐましくも感動的な映画です。
 単純な正義ではなく、一族がコカイン密売で生きていることを受け止めつつ、自分も「ドリー家」の一員と認識し、保安官には協力せず、自らはコカインはやらず煙草も吸わず、母や弟、妹の世話をしながら、けなげに生きるというリーの生き様が、地に足が付いた感じです。
 ひもじさに隣の人にお裾分けをせがみたいという弟に、プライドを持てとたしなめたり、弟や妹にライフルの撃ち方を教えて自立の術を伝えていこうとする姿も(リスを撃って皮を剥ぎ内臓を取ってシチューにするあたり、ちょっとつらいかもしれませんが)、共感しました。
 スタートやラストで弟と幼い妹(アシュリー、かわいい!)が無邪気に遊ぶ姿が効果的に使われ、本当は自分もそういう側であってもいい17歳のリーが大人にならざるを得ない境遇にさらに涙してしまいます。

 ど派手なシーンはなく、見てすっきりするという映画でもないですが、こんな子ががんばってるんだから自分もしっかりしなきゃねと素直に思える映画です。
 いかにもお金がかかってないよねって映画でアカデミー賞作品賞・主演女優賞・助演男優賞ノミネートっていうのも快感だし。でも、そういうの日本では興行的には厳しいでしょうけどね。

 ラストで、リーがソニーから聞かれて、字幕で見る限りでは弟と妹を荷物と言って荷物がないと気が抜けちゃうという台詞がありますが、my bag は「荷物」なんでしょうか。文脈はいいんでしょうけどちょっとニュアンスが気になりました。

 保釈保証業者が、実質は高利貸しで担保の丸取りを図るというあたり、日本でも金貸しが不動産を仮登記担保と代物弁済予約で丸取りして暴利をむさぼり庶民をいじめていた時代を彷彿とさせます。
 コカインの製造で逮捕された父親が、「10年の懲役」が怖くて一族を裏切ったという設定。日本では覚醒剤はたいてい外国製で密輸ですから(本来の意味での)製造事犯はあまり聞きませんが、もし摘発されたら、どれだけの量を製造したということかにもよるでしょうけど、今どきの日本の刑事裁判の情勢では懲役10年では済まないでしょうね。アメリカは刑事裁判の量刑が厳しいという感覚でしたが、日本の方が厳しいかも。

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