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2011年6月25日 (土)

わたしを離さないで

 特殊な宿命の下に生まれ育った男女3人の絆と揺れ動く思いを描いた映画「わたしを離さないで」を見てきました。
 封切りから14週目土曜日、現時点で全国6館、東京では1館だけの上映館キネカ大森の12時30分の上映は2割くらいの入り。

 緑豊かな自然の中にある寄宿学校「ヘールシャム」で、健康を管理され、創作活動に励む、帰る家のない子どもたち。彼らはクローン技術により生み出され、成人すると臓器を提供し続け、数回の「提供」の後「終了」を迎えることが定められていた。彼らにその運命を告知した教員は直ちに学校から消え去った。ヘールシャムで育ったキャシー・H(キャリー・マリガン)は、仲間はずれになっている切れやすいトミー(アンドリュー・ガーフィールド)に淡い恋心を抱き、慰め励ましてトミーの態度を変えていくが、それを見たかつてトミーをいじめる側にいたルース(キーラ・ナイトレイ)がトミーにアタックし、トミーはルースとつきあい始める。3人はヘールシャムを卒業し、農村の「コテージ」で同じ宿命の他の施設出身者らと共同生活をしながら「提供」の告知を待つ日々を送っていた。ある日、ルースのDNA提供者を見たという同僚に誘われた3人は、ヘールシャムでは真剣に愛し合っていることが証明されれば「提供」を数年猶予することができるんだろと迫られる。トミーは私のものという態度をあからさまにするルースに、落胆したキャシーは介護士を希望し、トミーやルースと離れ「提供」者に寄り添う日々を送る。ある日「提供」者に付き添った帰りに、ふとルースの画像を見つけたキャシーは、すでに2回の「提供」を経て衰弱したルースに出会い、ルースからトミーの消息を聞いて・・・というお話。

 臓器移植医療のために、クローン技術で生み出され臓器提供を義務づけられ、成人して数年のうちに提供できる臓器を提供し尽くして死ぬことが定められているドナーたち。臓器移植を要する一部の人、あからさまに言えば臓器移植を要する患者を抱えた金持ちのために製造され(栽培され?)育てられ、殺される人々。そういった不条理と、その不条理な運命を押しつけられた人々の哀しみと怒りがこの映画のバックボーンとなっています。
 ふつう、こういう設定では、近未来として描かれますが、この映画では、キャシーたちの子ども時代を1978年、「終了」を1994年という過去形で描いています。あったかもしれないパラレルワールドとしてなのか、いや報じられないだけで現実に秘密裏に行われているという主張なのか、刺激的な問題提起をしています。

 キャシーのすべてを包み込むような諦念と悟りと、しかし同時に等身大の哀しさせつなさにも満ちた瞳と表情が実にいい。ルースに想い人を取られた、そしてトミーもあっさりとルースになびいた時の寂しさ哀しさも胸の内にしまい込み、再会後のトミーの語る「愛」が提供の猶予を求めてのものと気付きながら、また提供の猶予などあり得ないと思いながら、トミーと体を重ね猶予の申請に寄り添うキャシーの思いには涙してしまいます。怒りでも軽蔑でもなく、このような運命の下ではそう行動するのも無理はない、多くのドナーを見つめて経験を重ねてきたからこそ落ち着いた態度を取っている自分も、紙一重でそうあり得たはずという、その人間のもろさ弱ささえ愛しく思えるキャシーの心情を見るとき、そのキャシーを追い立てる運命の過酷さとそれを強いる連中への怒りに胸が震えます。

 タイトルであり、主題歌の“Never let me go”。「わたしを離さないで」なんでしょうか。むしろ定められた道を行かせないで、ここにとどまり続けさせて、そういう意味合いに思えるのですが。

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