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2011年6月

2011年6月26日 (日)

アンダルシア 女神の報復

 外交官黒田康作シリーズ第2弾「アンダルシア 女神の報復」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、No.1スクリーンをあてがった新宿ピカデリー午前10時10分の上映は2~3割の入り。

 パリで行われているG20財務相会議でマネーロンダリング規制機関の設立を訴える村上財務相(夏八木勲)に同行してアメリカへの根回しに腕をふるっていた黒田(織田裕二)は、アンドラで警視総監の息子の日本人投資家川島(谷原章介)が銃殺死体で発見された事件の調査のためにアンドラに赴く。第一発見者のビクトル銀行員新藤結花(黒木メイサ)を聴取する警視庁から派遣されたインターポール捜査員神足誠(伊藤英明)は黒田を排除しようとしたが、脱出した新藤が襲撃されるのを救った黒田は新藤をバルセロナの領事館に連れて行って保護する。バルセロナでも度々脱走を試みる新藤の危機を救い続けた黒田は、新藤からビクトル銀行のテロ組織との取引がアンダルシアの別荘で行われることを聞き出し、神足に協力を求める。神足は過去に警視庁の不正を内部告発したのを機にインターポールに飛ばされ長らく子どもとも会えない日々を送り、日本への帰国をちらつかせられながら川島の不祥事もみ消しを命じられていた。そして外務省からも黒田に調査中止が命じられるが・・・というお話。

 投資銀行で巨額の取引を担当し、ライバル行への移籍を画策し、インターポールや外交官とも取引を持ちかける新藤結花は、もっと不敵なというか大人の余裕を感じさせる役どころかと思います。ポーカーのシーンとかもそういうお膳立てかと思うんですが。そのあたり、黒木メイサはまだ子どもっぽさが残るというか、なりきれてないものを感じました。まぁ脚本としても「女神の報復」の意味するところとか妹への感情とか、新藤結花の役どころに十分な大人のテイストを乗せていないきらいもあるので、これくらいでいいということかもしれませんが。
 バルセロナの地元警察にもスパイを送り込み、取調室の中までお見通しのビクトル銀行。そこまでの凄みをきかせたわりには、その後新藤をフォローできずに、新藤が警察に聴取される前から持っている情報通りにテロ組織との取引をしてみすみす一網打尽って、すごくちぐはぐな感じ。
 「衝撃のラスト10分!」の広告文句は、きっちりわかってましたとはいいませんが、驚きというのはちょっと無理。むしろ水戸黄門的なこうならないとねって展開で、納得はできますけど。

 アマルフィ、アンダルシアと来て、ヨーロッパの観光地で「ア」が付くところがお好きのようですから、次作はアントウェルペンあたりでしょうか。

2011年6月25日 (土)

わたしを離さないで

 特殊な宿命の下に生まれ育った男女3人の絆と揺れ動く思いを描いた映画「わたしを離さないで」を見てきました。
 封切りから14週目土曜日、現時点で全国6館、東京では1館だけの上映館キネカ大森の12時30分の上映は2割くらいの入り。

 緑豊かな自然の中にある寄宿学校「ヘールシャム」で、健康を管理され、創作活動に励む、帰る家のない子どもたち。彼らはクローン技術により生み出され、成人すると臓器を提供し続け、数回の「提供」の後「終了」を迎えることが定められていた。彼らにその運命を告知した教員は直ちに学校から消え去った。ヘールシャムで育ったキャシー・H(キャリー・マリガン)は、仲間はずれになっている切れやすいトミー(アンドリュー・ガーフィールド)に淡い恋心を抱き、慰め励ましてトミーの態度を変えていくが、それを見たかつてトミーをいじめる側にいたルース(キーラ・ナイトレイ)がトミーにアタックし、トミーはルースとつきあい始める。3人はヘールシャムを卒業し、農村の「コテージ」で同じ宿命の他の施設出身者らと共同生活をしながら「提供」の告知を待つ日々を送っていた。ある日、ルースのDNA提供者を見たという同僚に誘われた3人は、ヘールシャムでは真剣に愛し合っていることが証明されれば「提供」を数年猶予することができるんだろと迫られる。トミーは私のものという態度をあからさまにするルースに、落胆したキャシーは介護士を希望し、トミーやルースと離れ「提供」者に寄り添う日々を送る。ある日「提供」者に付き添った帰りに、ふとルースの画像を見つけたキャシーは、すでに2回の「提供」を経て衰弱したルースに出会い、ルースからトミーの消息を聞いて・・・というお話。

 臓器移植医療のために、クローン技術で生み出され臓器提供を義務づけられ、成人して数年のうちに提供できる臓器を提供し尽くして死ぬことが定められているドナーたち。臓器移植を要する一部の人、あからさまに言えば臓器移植を要する患者を抱えた金持ちのために製造され(栽培され?)育てられ、殺される人々。そういった不条理と、その不条理な運命を押しつけられた人々の哀しみと怒りがこの映画のバックボーンとなっています。
 ふつう、こういう設定では、近未来として描かれますが、この映画では、キャシーたちの子ども時代を1978年、「終了」を1994年という過去形で描いています。あったかもしれないパラレルワールドとしてなのか、いや報じられないだけで現実に秘密裏に行われているという主張なのか、刺激的な問題提起をしています。

 キャシーのすべてを包み込むような諦念と悟りと、しかし同時に等身大の哀しさせつなさにも満ちた瞳と表情が実にいい。ルースに想い人を取られた、そしてトミーもあっさりとルースになびいた時の寂しさ哀しさも胸の内にしまい込み、再会後のトミーの語る「愛」が提供の猶予を求めてのものと気付きながら、また提供の猶予などあり得ないと思いながら、トミーと体を重ね猶予の申請に寄り添うキャシーの思いには涙してしまいます。怒りでも軽蔑でもなく、このような運命の下ではそう行動するのも無理はない、多くのドナーを見つめて経験を重ねてきたからこそ落ち着いた態度を取っている自分も、紙一重でそうあり得たはずという、その人間のもろさ弱ささえ愛しく思えるキャシーの心情を見るとき、そのキャシーを追い立てる運命の過酷さとそれを強いる連中への怒りに胸が震えます。

 タイトルであり、主題歌の“Never let me go”。「わたしを離さないで」なんでしょうか。むしろ定められた道を行かせないで、ここにとどまり続けさせて、そういう意味合いに思えるのですが。

2011年6月12日 (日)

ヤバい経済学

 現代社会の通説や建前を疑ってベストセラーになった”Freakonomics”を映画化した「ヤバい経済学」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、全国5館、東京2館の上映館の1つ新宿武蔵野館の午後3時45分の上映は7割くらいの入り。

 映画は原作本の著者の大学教授とジャーナリスト2人の対談形式で進み、不動産業者と顧客の利害対立、人生に対する名前の影響、大相撲の八百長と日本の警察の殺人事件捜査、アメリカでの80年代末からの犯罪率減少の原因、高校生に勉強させるためにインセンティブは効果的かという5つのテーマが論じられます。第1のテーマは、30万ドルで売りに出した自宅に29万ドルの買い手が現れた、不動産業者は先のことはわからないからと確実な29万ドルでの売却をアドバイスし手数料は売却額で決まるのだから少しでも高く売りたいが顧客のことを考えて進めているという、信じてよいかという問題。不動産業者が売却を延ばして売却価格を1万ドル上げたとしてもそれによって増える手数料はわずか150ドル、だから不動産業者は早く売って次の仕事をした方がいいから売却を勧めている、もし不動産業者が自分の家を売るのなら30万ドルの買い手が現れるまで待つ。第2のテーマは、名前自体よりも子どもの将来を考えていい名前を付けようとする親の元で育つか、子どもの将来に無関心な親の元で育つかの方が影響が大きいが、多数の企業にまったく同じ履歴書に名前だけを変えて送りつける実験をしたら黒人らしい名前で出した場合は白人らしい名前で出した場合より連絡が少なく就職できるまでの期間も遅くなった。第3のテーマは、日本人は倫理観が強く不正は少ないと考えられているが、大相撲では7勝7敗の力士が同クラスの力士と対戦した時の勝率が75%もありしかも同じ組み合わせの次の対戦では結果が逆になっていることから八百長が行われていることは明らかだし、日本の警察の96%もの殺人事件検挙率は犯人がすぐにわからない事件を殺人事件扱いせずに死体遺棄事件として処理しているから。80年代末からの犯罪率の減少はニューヨークだけじゃなく全米の傾向だしジュリアーノの前から減少しているから重罰化や軽犯罪検挙の成果ではなく、原因の約半分は中絶自由化で望まれない(従って親から関心を向けられなかったり虐待されて育つ)子どもが劇的に減ったことが20年後に効いてきたため、現に1973年の中絶を合法化した最高裁判決よりも3年早く自由化していた州はいずれも3年早く犯罪率が減少している。高校生に成績が上がったら賞金を出す実験をしてみたら、成績が上がった生徒は5~7%、効果は見られるがかけたコストには見合わない・・・というようなお話。

 全体を通じたテーマはインセンティブと因果関係。インセンティブは現実に人を動かしているが、しかしインセンティブで人を動かそうとしても効果は十分ではない。因果関係は、常識や建前とは違っていることが多く、統計的にきちんと論証すべき。というような教訓が得られる映画です。私には、アメリカの犯罪率減少が、政治家やマスコミが言いたがる厳罰化や軽犯罪の検挙(一時一世を風靡した「割れ窓」理論)の成果ではなく、中絶自由化の効果という話が、意外性もありまた説明されるとなるほどと思え、一番興味を引かれました。全体として、常識・通説を疑えという姿勢が売りで、こういう原作本が400万部超のベストセラーになったというのは、さすが。
 大相撲の八百長問題を、今年になってからではなく、週刊ポストが報じていた頃にその材料で断言しているところがすごい。2011年になって力士による野球賭博事件の捜査で押収された力士の携帯メールで八百長の交渉が行われていたという明白で言い訳の余地ゼロの動かぬ証拠を突きつけられるまで、八百長は存在しないと言い続けてきた(今でも「八百長」じゃなくて「故意による無気力相撲」なんだとか)相撲協会の言い分が通って、日本の裁判所が八百長の事実が認められないと認定して週刊現代に数百万、数千万の賠償の支払を命じていた時期に作られた映画なんですが、よほど自信があったんでしょうね。

2011年6月11日 (土)

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら

 ベストセラーとなった「もしドラ」(もちろん、「もしドラえもんに4次元ポケットがなかったら」の略ではない)を映画化した「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を見てきました。
 封切り2週目、前田敦子が1位に返り咲いた第3回AKB総選挙の結果発表から2日後の土曜日、渋谷HUMAXシネマ午前9時20分の上映は1割くらいの入り。まぁ、雨の土曜日に朝9時台から映画見に行かないよね。観客層は、中高生とお子様連れがほとんど。

 小学生の時リトルリーグで活躍したものの女子は高校野球もプロ野球もないからと野球をやめて帰宅部していた川島みなみ(前田敦子)は、小学生の時からの親友で程久保高校野球部のマネージャーの宮田夕紀(川口春奈)の代わりにマネージャーになる。野球部員たちも監督もやる気がないのを目の当たりにしたみなみは甲子園出場を目指すと宣言する。書店でマネージャーの入門書を探していたみなみは、書店のおじさん(石塚英彦)から、ドラッカーの「マネジメント」を勧められる。うちに帰ってから会社経営の本と知ったみなみは、いったんは放り出すが、マネージャーに最も必要な資質は真摯さであるというドラッカーの言葉に打たれ、野球部の定義と目標とあるべき姿を議論するうちにドラッカーオタクの野球部員を味方に引き入れ、次いで部員に人望のある夕紀の手を借りて部員の本音を聞き出してマーケティングを進めていく。こうして部員のモチベーションを引き出し、練習を積んで行ったが、それでもなおまだ予選のベスト16レベルと読んだみなみは、意欲に欠けるが野球理論には詳しい監督(大泉洋)を焚きつけて野球の技術革新を図り、効率の観点からノーバントノーボール戦術を打ち出させ、そのために必要な条件を作っていく。そうして迎えた3年夏の甲子園大会県予選だったが・・・というお話。

 みなみがドラッカーの言葉を咀嚼しながら高校野球に当てはめていく過程の考える表情が、ちょっとかっこいい。「南を甲子園に連れてって」(出典は省略)じゃなくて、みなみが甲子園に連れて行くってところに、時代の進歩が感じられるのもすがすがしい。
 セーラー服着た高校生が「マネージャーの勉強をしたい」っていうのにドラッカーがお勧めって言う書店のおじさん。浮いてるけど、切れてる。

 台詞は棒読みっぽいし、野球のシーンは、腰が入ってないし、勘弁してよって感じのところが多かったけど、まぁこれはアイドル青春映画だからこんなもんでしょと、思っておきましょう。
 でも、みなみに想い人の一人もいない上に、試合に勝っても抱き合うシーンはもちろんのこと、胴上げも、さらにはハイタッチさえなし。前田敦子には男は指一本触らせないぞって事務所の意向がギンギンに見えてるのが、しらけました。

2011年6月 5日 (日)

マイ・バック・ページ

 朝霞自衛官殺害事件にコミットしすぎて証拠隠滅で罪に問われ職を辞さざるを得なくなった朝日ジャーナル記者の自伝的ノンフィクションの映画化「マイ・バック・ページ」を見てきました。
 封切り2週目日曜日シネ・リーブル池袋午前11時の上映は3割くらいの入り。この映画の時代を生きた全共闘世代はほとんど姿が見えず、むしろ若者が多数派でした。妻夫木・マツケン・忽那汐里ファンの世代ということでしょうか(だいたい私の世代で「マツケン」っていったら松平健だったし)。

 東大安田講堂の籠城戦を安全な外部から見ていたことにコンプレックスを持ちながら週刊東都の記者をしている沢田(妻夫木聡)は、闘争に踏み込んでいく先輩記者中平(古館寛治)に、京成安保共闘を名乗る学生運動家梅山こと片桐(松山ケンイチ)を紹介され、自宅でインタビューする。中平はあいつは偽物だと判断し、気をつけろというが、沢田は梅山と意気投合し、接触を続ける。学生運動にのめり込みすぎて編集部が粛正された東都ジャーナルに移された沢田は、京都の闘争の理論面のリーダー前園(山内圭哉)と梅山を引き合わせ、対談させる。中平から聞かされた情報を元に京成安保じゃないんだってと聞く沢田に梅山は言いつくろいつつさらに過激な行動をにおわせ、用意した武器を見せる。自衛隊内の協力者を巻き込み自衛隊駐屯地に潜入して武器を奪取する計画を立てた梅山は、仲間の柴山と協力者を自衛隊駐屯地に送り込むが作戦は失敗し、自衛官を殺害してしまった上に武器を奪取できなかった。犯行を宣言することで立ち上げた組織赤邦軍のプロパガンダをもくろむ梅山は、沢田に殺害した自衛官の血に汚れた腕章を渡し、沢田は約束通り記事にしようとするが、東都新聞は単なる殺人事件と位置づけて記事は掲載せず警察に協力する方針を打ち出す。警察の取調に対して沢田はニュースソースの秘匿を主張して非協力の態度を貫くが・・・というお話。

 過激派跳ね上がり学生の梅山が、いかにもうさんくさくて卑怯な人間に描かれているところ(う~ん、当時もそういう評価だった記憶だから文句言いにくいけど)が、学生運動を知らない世代に、学生運動を全否定する印象を与えそうで、今どきの風潮からもいやな感じが残ります。
 全共闘議長唐谷(長塚圭史)の潔い態度や中平記者の姿勢に救われるところがありますし、忽那汐里演ずる週刊東都カバーガールの女子大生が感覚的には学生運動に親近感を見せながらそれでも「この事件はいやな感じがする」といわせるあたりに、この事件の特殊性を印象づけてはいるのですが。
 論争相手から理屈で言い負かされてというか、その後も一貫して党派をつくり武器を奪ってその後どうするかの展望がない結局何がしたいのかわからないのに、運動のトップでいたくて居丈高な態度を取る、ジコチュウで尊大でしかし臆病な梅山という存在と、闘争には入れなかったコンプレックスを持ち今も中平のように確信を持てない沢田という、「本物」になりたいと思いつつなれない若者の焦燥と挫折を描いたという点では、当時の雰囲気を感じさせる映画です。

 見終わって一番違和感感じたのは、実は、腕章の最後の扱いでした。ニュースソースの秘匿でがんばるんなら、そうじゃないだろって。でも、そのあたりも含めて、自分は本物になれなかったという沢田の悔恨なんでしょうね。

 前年に最後の盛り上がりを見せた竹本処分粉砕闘争の終結直後に京大に入学した私は、「竹本処分粉砕」と白ペンキで描かれた時計台を写真では何度も見せられ、大学の不当処分の話はよく聞かされましたが、その元になった事件がこういうものというか、こういう目で見られてた事件なのねというのは・・・梅山が騙った「京成安保」の闘争も、すべてが終わって最高裁になってからその事件の弁護人として記録で読んだ私には、そういう話だったかなというと・・・どちらも時代に乗り遅れて残骸を見ただけの私には何とも言えないのですが。
 梅山の危なさを感じながら離れられずにいて裏切られる茂子(石橋杏奈)の無念というか哀しみは、時代を超えて理解できる気がしましたが。

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