2023年1月29日 (日)

SHE SAID その名を暴け

 #Me Too 運動拡大の転機となったハリウッドの大物プロデューサーのセクハラを暴いたニューヨーク・タイムズの調査報道を映画化した「SHE SAID その名を暴け」を見てきました。
 公開2週目日曜日、渋谷 WHITE CINE QUINTO (108席)午前10時30分の上映は3割くらいの入り。

 2017年、ニューヨーク・タイムズの記者ジョディ・カンター(ゾーイ・カザン)は、ハリウッドの大物プロデューサーハーヴェイ・ワインスタインによるセクハラの取材を始め、トランプのセクハラの調査報道をしたミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)とともに関係者をあたるが、取材に応じる者は少なく、話は聞けてもすでに示談して秘密保持契約(口外禁止条項)に拘束されてオフレコでしか取材に応じられない(記事にはできない)と言われ続けた。取材の動きをつかんだワインスタインの抗議を受けながらも、関係者への根気強い取材で次第に重い口が開き、被害者の連絡先がわかり…というお話。

 原作はノンフィクションで淡々と多数の関係者への取材の経過を記述しているところ、映画も原作に登場するエピソードの大部分を入れ込もうとしていて、それはそれで記者たちの困難とワインスタインの悪行の広がりを示しているのですが、映像では、私の顔認識・識別能力が低いこともあって、どの人の話だったか、今話題になっているのが誰のことだか、わからなくなり混乱します。映画を観た後で原作を読んで、あぁこのエピソードがこの人で、このエピソードがこれとつながるんだとようやく頭が整理できた感じです。
 原作よりも肉付けされているのは、記者2人の私生活で、2人とも幼子を抱えた母親記者(父親も育児は分担している)として描かれていることが、取材者の人間性、弱さ、迷い等をも描いて、人間ドラマとしての厚みを増しています。
 そして、編集長ディーン・バケット(アンドレ・ブラウアー)が、ワインスタインに対しても、ワインスタインの弁護士に対しても毅然としていて、ぶれないのが、すごくかっこいい。現実はこんなにスッキリ行かないんじゃないかとも思いますが、映画としてみる分にはスカッとしますし、安定感があります。
 この2点は、原作よりも、ニューヨーク・タイムズ側のスタッフの様子・人物を描き込んでいるのですが、映画としてはそれが利点となっていると思います。

 さて、弁護士として、この作品を見て考え込まざるを得ないのは、この問題に関する弁護士の役割です。
 記者の取材と被害者の被害申告の障害となり立ちはだかるものとして秘密保持契約(Non-Disclosure Agreement : NDA。和解合意の中では、口外禁止条項)が採り上げられています。私の弁護士実務感覚では、例えば労働事件での和解の際には、会社側はたいていは口外禁止条項を要求し、労働者側でも応じることが多いのですが、違反して口外した場合のペナルティを定めないのがふつう(会社側がペナルティの定めを要求することも稀にはありますが、私は応じたことはありません)です。しかし、映画で明示はされていませんが、このケースでは違反した場合のペナルティなど違反できないような定めが厳重になされていたようです。富裕層の側で、被害者を抑圧するためにそういう契約条項の考案・検討に精を出す弁護士が存在し活躍しているわけです。
 そして、この作品では、人権派弁護士の娘リサ・ブルームが、ワインスタインの代理人として暗躍していることが描かれています。日頃被害者を守る側で活動していても、金儲けのためには平気で富裕者・加害者側に付くという描き方です。映画ではそこまでは出てきませんが、原作では、リサ・ブルームはワインスタインに、自分はこれまでセクハラ被害者と(称)して金を要求する側の代理人を多く務めてきたので、自分ならあなたをそういう相手から救えると売り込む手紙を書いたとされています。原作はノンフィクションですから、実際にそうだったのでしょうけれども、弁護士がそこまでするというのは驚きました。

※原作本も読んでからと思ったので書くのが遅くなりました。

イニシェリン島の精霊

 第95回アカデミー賞(日本時間2023年3月13日発表予定)で8部門9ノミネートの映画「イニシェリン島の精霊」を見てきました。
 公開3日目日曜日、渋谷 WHITE CINE QUINTO (108席)午前10時20分の上映は5割くらいの入り。

 1923年、本土では内戦が続くアイルランド沖の孤島イニシェリン島の農夫パードリック(コリン・ファレル)は、ある日、長年の親友コルム(ブレンダン・グリーソン)から避けられるようになり、話しかけると「お前のことを嫌いになった」と言われ、その理由を聞くと、「退屈だからだ」と言われて呆然とする。パブでコルムは作曲を始め音大生らとバイオリン演奏にいそしみ、蚊帳の外のパードリックは困惑し、コルムに詰め寄るが、コルムはこれ以上話しかけたらそのたびに自分の指を切断すると言い放つ。パードリックの妹のシボーン(ケリー・コンドン)が仲介しようとしたが…というお話。

 合理的な理由なく生じた行き違いから諍いが生じ、その過程で意地になり、引っ込みが付かなくなり、振り上げた拳の下ろしどころもなく、無意味に不条理に争い続け止められなくなる人間の性を、戦争の無益さのアピールの趣旨も込めて描いているのだろうと思います。
 タイトルから、人の死を予告するというアイルランドの精霊になぞらえた解説をする向きが多いですが、超自然的なものやホラーの映画ではなく、あくまでも人間の性・ありようを描いた作品です。
 気のいい人物のパードリック(警官や神父よりも人間的にできている:警官が傲慢で、神父がキレやすく描かれているのは、パードリックの人のよさ、温厚さを際立たせるためでしょう)でさえ、意固地な戦いに引き込まれ止められなくなるという展開が、人間性による解決への絶望を感じさせます。
 シンプルなテーマを俳優の渋い演技で見せ続けています。主要登場人物4名(パードリック、コルム、シボーン、ドミニク)が全員、アカデミー賞で主演・助演男優賞、助演女優賞にノミネートされたのも納得の演技です。
 他方で、全体としてテーマも展開も重苦しく救いがなく、見ていて楽しめるという作品ではありません。
 救いを見出すとすれば、動物たち(ロバ、犬等)の愛嬌と、海辺の風景と夕陽の映像の美しさくらいでしょうか。

 舞台になっているイニシェリン島( Inisherin )は架空の島のようですが、公式サイトの写真に組み込まれたタイトルが " The
BANSHEES if INSHIERIN "と表記されているのはいかがなものかと思います(デザイナーが2つめの" I "の位置を間違えたことに気がついていないのか)。

2023年1月15日 (日)

イチケイのカラス

 フジテレビの2021年春月9ドラマの劇場版映画「イチケイのカラス」を見てきました。
 公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター2(301席)午前11時の上映は5割くらいの入り。

 テレビドラマから2年後(熊本地裁第2支部から)岡山地裁秋名支部に異動になった入間みちお(竹野内豊)は、裁判長として、イージス艦と衝突して沈没した貨物船の船長の墓前で墓参りに来た防衛大臣(向井理)のお付きの者にナイフで傷害を負わせた船長の妻(田中みな実)の刑事事件を担当し、夫がそのような事故を起こすはずがないと被告人が述べたのに対して、検察官(山崎育三郎)が何故かイージス艦の航海日誌が紛失しているが衝突事故原因が貨物船側にあることは明らかだと説明したところで、職権を発動すると宣言し、衝突事故を目撃した漁師を訪ねて聞き取りを始めるが、裁判所を防衛大臣が訪れ、その後最高裁から入間を事件の担当から外すという指示がなされる。同じ時期に他職経験のために隣町の岡山県日尾美町で弁護士事務所を開設していた坂間千鶴(黒木華)は、工場の従業員とその関係者が日尾美町住民の7割を占めるという総合化学企業シキハマ株式会社に対して、その排出する有毒物質により子どもが健康を害したというラーメン店主を代理して損害賠償請求訴訟を提起し、入間がその裁判を担当することになり…というお話。

 業界人として、見ていてまず違和感を持つのは、「秋名支部」の民事裁判で、原告側が傍聴席から見て右側(裁判官席から見て左側)に着席していること。刑事裁判の法廷では、基本的には検察官が傍聴席から見て左側、弁護人が傍聴席から見て右側ですが、東京地裁等では法廷によって反対の場合があります(逃亡のリスクを下げるために被告人を廊下側にせず、入り口から奥側に置きたいという考慮によるものと推測します)。しかし、民事裁判の法廷について(1審で)原告側が傍聴席から見て右側になる例外を、私は聞いたことがありません(控訴審では、1審で原告が勝訴して敗訴した被告に控訴された場合は、1審の原告が「被控訴人」として傍聴席から見て右側になりますが)。
 損害賠償請求事件の判決で、慰謝料に遅延損害金を付けなかったり、訴訟費用(提訴の印紙代とか、出廷日当とか。弁護士費用は含まれない)の支払を命じていないのは、たぶん単純化のためなんでしょうけど、不法行為による損害賠償請求ではふつうに認められる裁判所が認めた損害の1割相当の弁護士費用分の支払を命じていないのも、業界人としては違和感を持ちました。まさか、エリート裁判官(裁判官経験8年)の坂間千鶴が請求を忘れたなんてことでもないでしょうに。
 裁判所の支部名が東京地裁第3支部、熊本地裁第2支部と来て、どうして岡山地裁では「秋名支部」なんだとか、他職経験で裁判官が弁護士事務所に勤務することはあっても1人で弁護士事務所を作らせることは考えられないし、弁護士がほとんどいない支部で他職経験させることも考えられないとか、階段・吹き抜けの開放空間に机を置いて裁判官室にしてるとか、いろいろ疑問はあるけど、その辺はドラマ・映画の設定としてかまわないと思いますが。

 この作品の売りの、入間裁判官の「職権発動」。そこはそれがポイントなんですし、作品中でも言及しているように、刑事訴訟法上は根拠規定もありやってもかまいません。そうは言っても、裁判制度としては本来的にそれを予定しているわけでもなく、適切ではないと考えられることは、テレビドラマの最終回についての記事で私の意見を述べていますが(→「イチケイのカラス最終回に思う」)。
 しかし、この映画でも傷害事件で漁師の話を聞きに行くときのように、検察官、弁護人ら当事者とともに行くのはいいですが、その後に入間みちおが釣りに行くとかいってひとりであちこちの漁師等の話を聞いたり、監視カメラ映像を確認したとかいうのは、そしてそれを根拠に事実関係について判断したりするのは、およそやってはいけないことだと思います。申立てか職権かということを超えて、当事者に立ち会い意見を述べる機会を与えない証拠調べというのは民事裁判(刑事裁判でもですが)の原則を大きく踏み外しています。面白ければいいということなのかもしれませんが、ちょっとこれはどうよと思いました。

 公式サイトでのキャッチで「国を揺るがす2つの事件。それは決して開けてはならないパンドラの箱だった!?」とされているのですが、国も大企業本社もお咎めなしで傷つきません。この結論でこのキャッチで売るか?とか、フジテレビはこんなものかと思ってしまいます。
 人権派弁護士へのいびつな視線と、環境保護団体への悪意も、制作者の姿勢を示しているのかと思いました。

2023年1月 8日 (日)

すずめの戸締まり

 新海誠監督の最新作「すずめの戸締まり」を見てきました。
 公開9週目日曜日、9週目にして最大スクリーンを充てた(前週末興行成績、まだ2位ですからね)新宿ピカデリーシアター1(580席)午前10時25分の上映は、入場者プレゼント第3弾「小説すずめの戸締まり~環さんものがたり~」付きで、4割くらいの入り。前週末(2023年1月3日)までの興行収入が113億円ほどで歴代30位。前作「天気の子」の142億3000万円歴代14位を超えられるかは微妙なところでしょうか。

 4歳の時に東日本大震災の津波で看護師だった母を失い、12年後の今、叔母の岩戸環とともに九州の港町で暮らす岩戸鈴芽は、ある日自転車登校中に、「この辺に廃墟はありませんか」と問いかける青年宗像草太と出会う。草太のことが気になった鈴芽は山中の廃墟で古ぼけた扉を見つけ、それを開けると中に美しい別世界があったが中に入るとそのまま扉の反対から廃墟に出てしまい、それを繰り返すうち傍らに石が落ちているのに気付いた。鈴芽がそれを手に取ると石は白い猫に変わり、立ち去ってしまう。その後、その扉から、他の者には見えない巨大な赤黒いものが湧き上がって飛び出し、それを学校から見た鈴芽が駆けつけると、草太がその扉を閉めようともがいていた。草太を手伝ってなんとか扉を閉めた鈴芽は、草太から、扉(後ろ戸)から出てきたのは常世(死者の世界)で生まれる「ミミズ」でそれが大地震を引き起こす、草太は大地震を防ぐために開いた扉を閉じて鍵をかける「閉じ師」だと聞いた。怪我をした草太の手当をするために草太を連れて自宅に戻った鈴芽の前に白猫が現れ、草太を椅子に変えてしまった。草太から、その白猫(ダイジン)はミミズを抑え込む「要石」だったと聞かされ、自分が要石を解き放ってしまったことを知った鈴芽は、草太とともにダイジンを追うことになる…というお話。

 要石から猫の姿になり、「すずめ、好き」と言い、「お前、じゃま」と言って草太を椅子に変えてしまい、逃げ回り、追いつかれると「すずめ、遊ぼ」などと言い、近くの廃墟の扉からミミズが出てきて草太と鈴芽が戸締まりに追われるのを傍観したりそのままプイと姿を消すダイジン(公式サイトでもカタカナですが、終盤で「サダイジン」が登場することからして、「大臣」でしょうね)の言動に、非難が集まるように作られていると思います。私も前半、そのように見て、なんて勝手なヤツと思っていました。
 しかし、少し考えれば、ダイジンは長い間(江戸時代からと示唆する場面もありますが、たぶん数十年と思います)常世でミミズが湧き上がる度にそれを押さえ込むということをずっと孤独に(要石は2つとのことですので離れたところにもう1人いるわけではありますが)続けてきたのです。短期間であれば志で続けられるかもしれませんが、長く続けば、なぜ自分がひとり犠牲にならなければならないのかという思いにも駆られるでしょう。自分はこんなに尽くしてきたのだという思いから、もう解き放たれたい、これだけやったのだからもう自分はお役御免でいいだろう、後は誰か他の人がやるべきだと考えても、あるいは鬱屈した気落ちから甘えや我が儘が出ても、さらに言えば少し気が変になったとしても、それを責めることは、本来できないのではないか。むしろ、要石としてこれまで長らく奉仕してきたことを知れば、ダイジンに向けるべきはただ感謝の気持ちであるべきではないか。
 それにもかかわらず、中盤でダイジンの正体が示唆されるまで、自分がダイジンの苦行と貢献への感謝の気持ちではなくダイジンへの非難の気持ちを持っていたことに、私は驚きを感じたのです。
 草太の心の声部分で、献身が当然ではない、嫌だという気持ちや恐怖感が語られていることから、そういった問題提起もなされているのかもしれません。しかし、作品の方向性として、草太は救われるべきであるのに、ダイジンも救われるべきだということは打ち出されていません(救われる必要があるのは、イケメンに限るのか)。草太からも鈴芽からも、最後まで、ダイジンの要石としての献身を労い感謝する言葉は出てこないのです。
 人を救う能力がある者はそれゆえに献身するのが当然なのか、人は、社会は、少数のあるいは1人の無償の貢献を当てにして安穏としていていいのか、私は、そういうことを考えさせられました。

 ビジュアルですが、序盤の鈴芽が自転車に乗っているシーン、前から見たシーンでは漕ぐときに少し揺らしているのに、横からのシーンは自転車が機械的に平行移動して、今どきとしてはちょっと雑な作業に見えました。
 一番気になったのは、鈴芽を初めとする人物の細さ。ターゲットをアニメオタクにしているということかもしれませんが、若い女性がすでに痩せているのにさらに痩せたいと思い健康を害することが問題となっているというのに、今なお、これほど細身の女性を描いて若者の痩せ信仰をさらに煽るようなマネは止めて欲しいと思います。

2022年12月18日 (日)

アバター ウェイ・オブ・ウォーター

 世界歴代興収第1位を誇る(いったん「アベンジャーズ/エンドゲーム」に抜かれたが、その後中国での追加公開で奪還したとか)「アバター」(2009年)の続編「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」を見てきました。
 公開3日目新宿ピカデリーシアター6(232席)朝8時20分の上映は3割弱の入り。まぁ日曜日の午前8時台に見に来る客は少ないですが、ちょっと心配になる客席具合。この時間帯(午前8時から)最大スクリーンのシアター1(580席)を公開6週目に入った「土を喰らう十二ヶ月」(ジュリ~~!)にあてがった新宿ピカデリーの判断は…

 地球人(スカイ・ピープル)の侵略を跳ね返し、10年余が過ぎた惑星パンドラでは、地球人とナヴィのDNA結合体として作成されたがナヴィの仲間としてパンドラに残ったサリー・ジェイク(サム・ワーシントン)がネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と結ばれ、子どもたちとともに平和に暮らしていたが、再度、マイルズ大佐(スティーブン・ラング)らが裏切り者ジェイクを抹殺すべくナヴィが暮らす森に侵入し攻撃を始めた。子どもたちに危機が迫り、地球人の子でパンドラに残りともに暮らしていたスパイダーがマイルズ大佐の手に落ち、ジェイクらは森から離れ、海辺の民に合流するが、マイルズ大佐らはジェイクらが逃げ込んだ海辺を探り当ててジェイクの引渡を求め…というお話。

 前作よりもさらに3DCGの技術が進み、特に水中の描写や空中と水中との間の移動などのリアルさ、美しさは特筆すべきものであろうとは思います。
 しかし、本格的な3DCGの最初というべき作品であった前作での驚きは、13年を経てすでに3DCGに慣れてしまった目には、再現されません。ナヴィを土人形のようなものとして造形しているが故にどんなに作り込んでも、これは実写ではなくCGだと意識し続けるということがなければ実写かと勘違いしかねない映像の技術水準は確かに高いのだとは思います。しかし、それは感心ではあっても、感動や驚きとはもはや言えないように思えるのです。

 ナバホ族をイメージしたアメリカ先住民を迫害する身勝手で横暴なアメリカ人というテーマをハリウッド大作で取り扱う(同じ年に元妻が監督したイラク占領米軍を賛美する映画にアカデミー賞をさらわれながらも!)という前作の心意気は、同じ設定ですから引き継いではいるのですが、それも、前作の続きだからねというレベルで新たな訴求力はないように思えます。
 こう言っちゃ悪いですが、ジェームズ・キャメロン監督が、続編を作るのに、舞台を水辺にしたらCGの高い技術力・表現力を見せつけられるし、「タイタニック」(1997年)ネタも使えるじゃん、と思って構想したのかなと思ってしまいます。

 3D眼鏡で字幕が読みにくいというハンデがあったせいか、前作で死んだはずのマイルズ大佐がどうして再登場したのか(DNA結合体なんか作れる設定だからどうにでもなるんでしょうけど)、ジェイクとネイティリの娘として暮らしているキリがなぜ突然地球人のグレイス・オーガスティン博士を母と呼ぶのか(キリは養女らしい)とか、見ていて設定が理解しにくいところが少なからずありました。

 映像の美しさは、3時間12分の長尺をあまり長いと感じさせないくらいの力があります。前作が画期的な作品であったがために、その記憶と比較して感動の薄れを指摘してしまうのですが、絶対評価としては、やはり見る価値がある作品だと思います。

2022年3月27日 (日)

ベルファスト

 北アイルランド紛争の中で1969年8月に起こったプロテスタントによるカトリック系住民襲撃の暴動に翻弄される家族を描いた映画「ベルファスト」を見てきました。
 公開3日目日曜日、WHITE CINE QUINTO(108席)午前9時30分の上映は4割くらいの入り。

 北アイルランドの首都ベルファストのカトリック系住民集住地域に住むプロテスタント家族の9歳の息子バディ(ジュード・ヒル:新人)は、税金の支払いに苦しみながらも実直に生きる母(カトリーナ・バルフ)、現実主義的な祖母(ジュディ・デンチ)、穏やかでユーモアのある祖父(キアラン・ハインズ)、年の離れた兄ウィル(ルイス・マカスキー)、ロンドンに出稼ぎに出て1~2週間に1度帰って来る大工の父(ジェイミー・ドーナン)とともに平和な日々を送っていた。ところが、1969年8月15日、プロテスタントの一団がカトリック系住民を地域から追い出そうと火炎瓶や道路の敷石を投げ暴動が生じた。そのニュースを聞いてロンドンから駆けつけた父は、プロテスタントの暴徒のリーダーからカトリック系住民襲撃に加担するよう求められて拒否したために家族への危害を予告されて動揺し…というお話。

 プロテスタントが多数派のベルファストの少数派のカトリック系住民集住地域の中に混住するプロテスタント家族という難しい立場に置かれた者を主人公に、プロテスタントとカトリックが対立し暴動に発展する中で、どのように生きるか、住み慣れた街にとどまるか移住するかの苦悩の選択がテーマです。北アイルランド紛争の中でも武装テロやゲリラ戦ではなく、比較的小集団による暴動での一家族の動向に焦点を当てていることで、宗教対立・民族対立などさまざまな対立抗争に不本意に巻き込まれる状況を普遍的に描写できているように思えます。
 この家族にみられるように、宗派の対立や民族間の対立の最中でも、みんなが他方を憎み嫌悪しているわけではなく、むしろ宗派や民族が違っても仲良くしたい、少なくとも敵対したくないと思っている人が多数いる/実はそれが多数派かもということに改めて思い至りました。プロテスタントでもカトリックでも、聖書には「汝の隣人を愛せよ」と書かれ、教会でそう教えられているはずですし。
 そして、一家族を描き続けることで、抗争中の地域でも、そこで生活している住民は、ごくふつうの穏やかに実直に生きている人たちなのだ/少なくともそういう人が少なからずいるのだということを示しています。

 家族の中で、さまざまな顔を見せる実直な母が実に魅力的です。また同級生のキャサリン(オリーヴ・テナント)に思いを寄せるバディの様子と、カトリック系の住民で優等生ながらバディに思いを寄せるキャサリン(テストの点数順に座席が決まる教室で、毎回1位のキャサリンの隣に座るためになかなか3位より上に上がれないバディが策を弄して2位になったときキャサリンが4位だったのは、運命のいたずらなんじゃなくて、キャサリンがバディの隣に座ろうとしてわざと間違えたと、私は思います)の様子も微笑ましく思えました。
 モイラ(ララ・マクドネル)から自分が店主を奥に行かせる間にチョコバーを万引きするように言われたバディが慌ててターキッシュ・ディライトを持って逃げたことを知って、モイラはそんなもの誰も食べないと嘆きます。「ナルニア国ものがたり」第1巻でエドマンドを魔女ジェイディスの誘惑に負けさせた栄光のターキッシュ・ディライトが…時代の流れ(1969年は、「ナルニア国ものがたり」出版からまだ20年足らずですが)でしょうか、制作者の「ナルニア国ものがたり」への当てこすりでしょうか。

2022年3月20日 (日)

Coda あいのうた

 フランス映画「エール!」のリメイク版にして2022年度アカデミー賞作品賞ノミネート作品「Coda あいのうた」を見てきました。
 公開9週目日曜日、WHITE CINE QUINTO(108席)12時40分の上映は6割くらいの入り。

 アメリカ東海岸の漁村で両親と兄がいずれも聴覚障害者の家族に生まれたただ1人の健聴者の高校生ルビー・ロッシ(エミリア・ジョーンズ)は、毎朝午前3時に起きて父(トロイ・コッツァー)と兄(ダニエル・デュラント)とともに漁に出て捕れた魚を業者に売る際など父と兄の通訳を務める毎日を過ごしていた。高校で合唱部に入り、音楽教師に才能を見いだされて同期生で音大志望のマイルズ(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)と発表会でデュエットするように言われたルビーは、マイルズと一緒に部屋で練習するが、2人の仲を誤解した父親が「コンドームは着けろ」と大仰な手話で繰り返し、それが高校でうわさ話として広まったため、マイルズを避けるようになる。謝罪するマイルズを呼び出した日、ルビーが乗船していないところに監視員が現れ、健聴者不在での操船を見とがめられた父は…というお話。

 家業の漁業が自分なしには回らないという環境の下、毎日午前3時起きで漁に出て、捕れた魚の売りさばきなど父と兄の通訳を行い、その後高校に通うという多忙というか激務をこなし、学校では魚臭いと囁かれたり、居眠りを叱責され、音楽教師のレッスンに家業の都合で遅刻するたびに怒られるなどの嫌な思いもしながら、ブチ切れたり拗ねたりせずに対応し続けるルビーの姿は、それだけでもう(特に娘を持つ親には)鼻がツンとするくらい切ない。音楽教師からバークリー音楽大学への進学を推薦され、行きたいと家族にも宣言してみたのに、自分がいないと家業ができないことを見せつけられるやすぐさま諦めてみせる、アメリカ映画では考えがたいほどの孝行娘ぶりには、その健気さに涙してしまいます。

 聴覚障害者の家庭というと、静かな様子をイメージしてしまいますが、ロッシ家ではうるさくても気にならないということで、父親はトラック運転中その振動が心地よいとしてラップを大音響で流し続けます。ルビーがマイルズとともに部屋で合唱の練習をしていても気がつかない父フランクと母ジャッキー(マーリー・マトリン)は、ベッドをギシギシいわせ大音声を上げてセックスに励み、ルビーを困惑させます。そうか、そういうものかと思いました。もっともそれがまた別のステレオタイプの思い込み/先入観でなければいいのですが。
 高校生の娘にセックスを見られても悪びれず、あっけらかんとしているルビーの両親が微笑ましい。インキンタムシで医師から2週間のセックス禁止を言い渡されるや妻と顔を見合わせて、そんなことできるわけがないという(それもいちいちルビーに通訳させる)フランクとそうだそうだという顔のジャッキーの様子も好感が持てました。もっとも、医師の「2週間」を敢えて通訳せず、父にいつまで?と聞かれていったんは「一生」と答えたルビーは、両親のおおらかな性生活を好感していなかったのかもしれませんが。

2021年8月21日 (土)

うみべの女の子

 不器用に体を重ねる中学生女子と男子のすれ違いを描いた映画「うみべの女の子」を見てきました。
 公開2日目土曜日、ヒューマントラスト渋谷 odessa シアター1(200席)午前9時50分の上映は、7割くらいの入り。

 小さなごみごみした浜辺のある地方都市に住む中学2年生の佐藤小梅(石川瑠華)は、チャラい先輩三崎(倉悠貴)に告白するがフラれオーラルセックスだけを求められ、同期生で1年の時に小梅に告白してきた磯辺恵介(青木柚)を誘ってセックスする。磯辺からキスを求められてそれは拒み、佐藤が自分のことを好きになってつきあうことはないのと聞かれて、ないと答えた小梅は、その後も学校のトイレや磯辺の部屋で磯辺とのセックスを繰り返したが、磯辺は小梅の体を求めつつ次第に冷めた態度を取るようになり…というお話。

 原作の漫画は全然読んだことないのですが、映画で見る限り、自分のことでいっぱいいっぱいで相手のことを思いやれず、自分の気持ちに素直になれず、不必要に苛立ち、苛立ちをまずぶつけてしまう不器用さ、恋愛を難しくするタイミングのずれといったことから生じる2人のすれ違いを切なく見る作品なのだなと思いました。
 海辺を美しくではなく、ごみごみした寂れた浜辺と印象づけるためか、今ひとつクリアでない映像が採用されていて、冒頭からそちらの印象を強く感じました。
 エンディングで、たぶん映画の撮影中に撮った写真が次々写されて、まぁ微笑ましいんですが、右下に「ISOBE CAMERA」とか「KOUME CAMERA」とかの表示があって、そうならそれぞれの立場から見たシーンやキャラの捉え方の違いなんかが反映されているかと思って見ていたのですけど、たくさん出てくるうちにあんまり変わらなく感じられました。「ISOBE CAMERA」の写真に磯辺も写っているし、「KOUME CAMERA」の写真に小梅も写っているし、それなら写真のチョイスで違いを出せよって思うんですが。
 ヒューマントラスト渋谷シアター1。昨年10月から「高域、低域を1つのスピーカーから出力することにより、従来スピーカーでは再現できなかった正確な音域を全席で解放。セリフや環境音をより正確に伝えることで、映画の持つ感情をよりリアルに、より鮮明に、お届けいたします。」「【odessa theatre】の特徴に加え、さらに音を堪能するためにボリュームをプラス。【odessa vol+】では耳だけではなく、全身で体感していただきます。音に包まれる新感覚音響体験をぜひお楽しみください。」という odessa シアターになってると、本編前に告知があるのですが、その告知直後の「映画泥棒」ビデオはよそで聞くのと変わらないし、本編も、カミさんは音が異常に大きいと文句いってたけど、私はあまり違いを感じられませんでした。耳が悪い?


2021年8月15日 (日)

ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結

 DCコミックの悪役たちが減刑と引き換えに危険なミッションに挑む「スーサイド・スクワッド」の続編「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」を見てきました。
 公開3日目東京23区西部大雨・洪水警報下の日曜日、新宿ピカデリーシアター2(301席:販売147席)午後1時30分の上映は8割くらいの入り。

 アメリカの刑務所に収監中の囚人サバント(マイケル・ルーカー)らは政府高官アマンダ・ウォラー(ヴィオラ・デイヴィス)の命で、減刑と引き換えに体内に爆弾を埋め込まれて命令違反をすると爆死させる条件で、南米の小さな島コルト・マルテーゼの独裁者が開発した地球外生命体スターフィッシュによる生物兵器を要塞ヨトゥンヘイムごと抹消するというミッションを課せられた。招集を拒否したが万引で逮捕された娘の処遇を人質に参加せざるを得なくなったブラッドスポート(イドリス・エルバ)は、平和のために大量殺人をいとわないというピースメイカー(ジョン・シナ)、ネズミ使いのラットキャッチャー2(ダニエラ・メルシオール)、水玉を放出して敵を倒すヒーローのポルカドットマン(デヴィッド・ラストマルチャン)、あらゆるものを食い尽くす鮫男キング・シャーク(シルベスター・スタローン)とともに島に上陸し、別部隊で生き延びたリック・フラッグ(ジョエル・キナマン)、ハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)と合流し、兵器開発者シンカー(ピーター・キャパルディ)を捕らえて要塞に挑むが…というお話。

 重大犯罪者を脅しつけて危険なミッションへの参加を強要する政府高官の悪辣さが、「極悪人」よりも際立ち、そういった権力者の非道ぶり、自国政府の悪質さ加減を平然と描いているのは、娯楽作品ながら、アメリカの自由さを感じさせます。
 他方で、強要されたミッションという設定ではありますが、悪役たちが最終的には自主的に世界をとか市民を救うというストーリーには、どこか違和感を持ちます。ガメラやモスラがいつの間にか人間の味方になり、キングコングがともだちになってしまったような…。悪役には、悪役としての矜持を持っていてもらいたいなぁと思います。

 娯楽作品として、うまく流しうまくまとめていると思いますし、ビジュアルでは鳥やネズミ、クラゲ風のカラフルな魚(?)たちのCGに感心しますが、最後が怪獣映画になってしまうのが、今ひとつに思えました。
 「スーサイド・スクワッド2」ではなくて「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」というタイトルなのは、前作と共通のキャラがアマンダ・ウォラー以外では、リック・フラッグ、ハーレイ・クイン、キャプテンブーメランだけと少なすぎるせいでしょうか。原作タイトルは、前作が “ Suicide Squad ” 今作が “ The Suicide Squad ” と、the を付けただけですが。
 ラストに続編を示唆するカットがあります。今回「スーサイド・スクワッド2」としなかったことで、続編のタイトルはどうするのでしょう。

2021年8月 8日 (日)

ワイルド・スピード ジェットブレイク

 ワイルド・スピードシリーズ第9作「ワイルド・スピード ジェットブレイク」を見てきました。
 公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター2(301席:販売147席)午後0時45分の上映は8~9割の入り。

 世界中のあらゆるコンピュータに侵入しあらゆる兵器を自由に操ることができるシステム「アリエス」を飛行輸送していたミスター・ノーバディ(カート・ラッセル)が襲われ、ビデオ通報を受けたドミニク・トレット(ビン・ディーゼル)らは墜落地に向かうが、大部隊の襲撃・追撃を受け、最後にやってきたジェイコブ(ジョン・シナ)にアリエスを持ち去られてしまう。ドムの父ジャック・トレットはレーサーだったがレース中にレーシングカーが発火炎上して死亡した。ドムはパイプのひび割れが放置されて発火したと判断し、整備を担当していたジェイコブが父を殺したと見て、けんか別れになり、その後ジェイコブは兄を怨み続けていた。ジェイコブを探して旧知の人脈をたどりロンドンを訪れたドムは、ジェイコブの意を受けた者にまんまとさらわれて、ジェイコブを支える富豪の息子オットー(トゥエ・エルステッド・ラスムッセン)の豪邸に呼び入れられるが…というお話。

 まぁ、ある意味ストーリーはどうでもいいシリーズではありますが、自由な生き方を志向し仲間(ファミリー)を大切にすることを強調するドムらが、悪役と戦い世界を守るみたいな話に巻き込まれていくパターンが続いています。
 今回は、第9作にして初めて突然、主人公ドムの父親や弟が登場し、ドムの青年時代が描写されます。
 シリーズ途中で2番手キャラだったブライアン(ドムの妹ミアの夫)が俳優が死んでしまっていなくなり、ドムらに事件を持ち込むFBI捜査官役だったドウェイン・ジョンソンが最近はジュマンジシリーズとかジャングル・クルーズとか主役を張れるようになって脇役で出ていられなくなったのか登場せず、その分、新たに弟ジェイコブを登場させ、死んだはずのハン(サン・カン)を復活させたりしてメンバーを増やしたのかなと思えます。
 その辺りのテキトーさ加減は、このシリーズはそういうもの、アクションができる前提があればそれでいいじゃんと思って見ましょう。

 毎回、新たなアイディアを入れたカーアクションが売りの作品ですが、今回は超強力電磁石です。崖っぷちで車を飛行機が拾い、周囲の金属製品や車を吸い寄せて追跡車にぶつけて攻撃し、敵の装甲車に自車を接着させて乗り移り、巨大車両の前部に自車を接着させてブレーキをかけて倒立・回転させるといったところが見どころです。
 ラストにまた続編作るぞというほのめかしをしていますが、次はどういうアイディアのカーアクションを見せてくれるのでしょうか。

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